あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

:原爆投下への痛み

2015-06-08 21:28:27 | 日記
マンハッタン計画に参画した女性科学者のイザベラさん(93歳)が、広島・長崎への原爆投下を後悔する思いを語っているニュースを見ました。

当時、同様の核爆弾の研究がドイツでも行われており、もしドイツ軍が核爆弾を実践で使用することになれば、ヨーロッパ全土が廃墟になる。
そういった危機感から、マンハッタン計画は何百人もの研究者を集めて急ピッチで進められていたそうです。
しかし、その計画の全容は教えられず、結果的に 日本に対して 核爆弾が投下されたことに大きな驚きを感じたそうです。
たとえ戦争を終結させるためにという理由であっても、なぜ二発の原爆投下が必要であったのか。
多くの戦争には関係のない民間人の方が犠牲になったことに対して、申し訳ないという気持ちでいっぱいになったそうです。

その思いから核兵器の廃絶を強く願うようになったとのこと。
イザベラさんの思いも、アメリカの良心なのだと思いました。

原爆投下を正当化できない思い。

戦後70年の節目であるからこそ、戦争の悲惨さと無意味さを問い直す視点で 過去の戦争を見つめ直すことが必要なのかもしれません。
尊い命の犠牲とたくさんの悲しみをつくり出す戦争は、繰り返してはならない。
戦争のために必要とされる核兵器や殺傷兵器の廃絶を願うと同時に、戦争につながる道は二度と通ってはいけないのだと痛感します。

二つのアメリカの良心にふれながら、詩人の栗原貞子さんのような日本の良心に 数多くふれることができたら と思います。

戦後70年の節目の時に立っている 今だからこそ、これまでの歴史を謙虚に見つめ直し、これからの未来が 誰もが幸せを享受できる
幸多い 世界であることを 心から願います。

演劇『バカのカベ』を観て

2015-06-07 20:14:41 | 日記
仙台演劇鑑賞会の6月例会『バカのカベ』を観てきました。
主演は、加藤健一演ずるフランソワと風間杜夫演ずるピエール。
作:フランシス・ヴェベールのフランス風喜劇風刺劇でした。

ピエールの趣味は、毎週火曜日にゲストとして『バカ』を招き、友人たちと共に笑い者にして楽しむという悪趣味。
今日のバカのゲストとして招かれたのが、国税庁に勤めるフランソワ。
ところが、ピエールがその日に突然ギックリ腰になってしまい、その催しが中止となってしまいます。
ピエールにとっては、さらに悪いことにその悪趣味を嫌う妻が 家を出てしまうという事件も生じてしまいます。
そこにフランソワが訪ねてきて、ピエールの窮地を救おうと奮闘するのですが、やることなすことが裏目に出て大混乱になります。

二人の軽妙で息の合った巧みな演技が、笑いを巻き起こす 楽しい劇でした。
でも、観終わった後に感じたのは、なぜ『バカのカベ』というタイトルなのかという疑問でした。

単純に二人を比較すれば、バカのカベを意識しているつもりでいるのがピエールであり、バカのカベを超越しているのがフランソワと言えそうです。

ピエールは、自分は利口な側の存在と認識していたものの、最終的には妻に愛想を尽かされる自分こそバカなのだと自覚することになります。

一方、フランソワは自分のバカさ加減を自覚できず、よかれと思ってした行為がすべて裏目に出てしまう存在です。
一途に相手を気遣う優しさがあるものの、相手の思いや考えを汲み取れないため、バカのカベを自覚できない存在でもあるのです。
それでも 人間的に肯定できるのは、ピエールのように相手をバカと見なし、利口の側に身を置いて 人を区分しようとしない点です。

自分の愚かさやバカさ加減に気づかないところに存在するのが、バカのカベなのかもしれません。

そしてそのことが、自分の人間性をせばめ、人間関係をゆがめたり、きゅうくつにしている要因の一つなのかもしれないと感じます。

自分の価値観や考えにとらわれずに、自分と関わる相手の思いや考えを受け止める柔軟さを持つことで、バカのカベは超越できるのかもしれません。

そのためにも、自分の愚かさや狭さを自覚し、バカさと向き合っていくことが肝要なのだと思います。

「無知の知」と同様に「バカの知」も、人間にとって大切な「知」なのかもしれません。

田中投手の復活

2015-06-04 19:43:26 | 日記
楽天時代から応援していた田中将大投手が、マリナーズを相手に好投し、見事な復活をアピールしました。
ヤンキースの地元新聞では、宝石のような輝きで復活といった表現で、その活躍を讃えているようです。

昨年度に右腕を痛め、手術を回避する道を選び 今年度はスタートしたわけですが、シーズン途中にまた
右腕を痛め リハビリに努め マイナーリーグでの調整を経ての 今回の登板でした。

結果は、7回を投げ 被安打は3、奪三振は9、無四球で 最速の速球は154キロ出たそうです。
まさに 完全復活と言える すばらしい投球でした。

これまでの不安を払しょくし、ヤンキースが優勝するためのカギとなるピッチャーだからこそ、地元新聞
も その復活を 宝石のような輝きと讃えたのでしょう。

投球後の田中投手は、
「次回もこのような投球ができるかわからない。でも、今日の投球でよかったところを次につなげたい。」
といったコメントを残したそうです。
勝負の厳しさを知っているからこその発言であり、向上心に基づく次の投球に対する反省の弁でもあった
のだと思います。

結果が何よりの評価となる プロ選手としての厳しさを自覚した熱いコメントのように感じました。

日本人選手では他にも、イチロー、青木、上原、田沢 といった選手が、大リーグで 輝きを放っている
ようです。
青木選手は、オールスターにも選ばれるような活躍ぶりです。
レジェンドとしての イチロー選手の安打記録更新も、今年度はどこまで伸びるか楽しみです。
海の向こうでの 日本人選手の活躍には これからも目を離せないような気がします。

田中投手をはじめとする日本人選手の活躍を これからも応援していきたいと思います。

もう一歩の踏ん張りがきかない 楽天の これからの躍進も期待しながら、日米野球の応援を続けていき
たいと思います。 


アゲハの幼虫、元気です!

2015-06-03 21:17:24 | 日記
鉢植のグレープフルーツに産みつけられたナミアゲハの幼虫が、写真の終令幼虫の段階まで、元気に成長しています。

はじめは クロアゲハかと思っていたのですが、調べてみると写真で確認できるように、腹脚の上に鮮やかな白線があるのが、ナミアゲハの幼虫の特徴なのだそうです。
幸い蛹になるまで十分食べられるほど 葉もあるようですので、このまま成虫へと無事育ってほしいと願っています。

これまでも写真と合わせて紹介したいブログがあったのですが、使い勝手が分からず文章だけという内容になっていました。
これを機会に、これからは写真と一緒の形でブログも提示できそうです。

先日娘がハクビシンを畑で目撃したそうです。
ここ2年ほど、収穫間近のトウモロコシが何者かに食い荒らされるという事件がありました。
今 畑では、トウモロコシが順調に育っています。
やがて収穫の時を迎える頃に、また何者か(ハクビシン?)がやって来るのではないかと心配になります。

同じ生物なのに、アゲハには寛容で ハクビシンには警戒感を抱くところに、矛盾を感じています。
ジヤガイモの葉につく害虫のテントウムシも目につくようになってきました。
キャベツの葉につくモンシロチョウの幼虫も、害虫の仲間と見なせば、アゲハの幼虫も同様に害虫とも考えられます。

どこまでが害虫で、どこからが益虫なのか。
人間にとって有用か有用でないかの区分だけで、命あるものの正悪の区別ができるのかどうか。

雑草を引き抜き、有害虫を駆除する 行為の中で、ふと立ち止まってしまうことが度々あります。

生きるために食べることは、動植物の命をいただく行為でもありますが、一方では 有害という判断のもとで命を断たれる動植物もあるのだということも 忘れてはいけないことなのかもしれません。

地球上の生きとし生ける あらゆるものが、共存できる世界は ありえないものなのかどうか?

そんな夢が叶う 物語を想像してしまいます。



アメリカの良心

2015-06-02 20:17:25 | 日記
今日の朝日新聞に、「米国で原爆神話に挑む」というタイトルで、アメリカン大学教授のピーター・カズニックさんの
インタビュー記事が掲載されていました。
ピーターさんは、『広島・長崎への原爆投下は、日本の降伏をもたらし、本土侵攻で失われる米兵の数多くの命を救
った』というアメリカ国内で信奉される神話に挑み続けた人物です。
20年前、退役軍人の反対で開催できなかった スミソニアン博物館の原爆展を引き受け、被曝70年の今年、新た
な原爆展を開催するとのこと。
アメリカではほとんど知られていない 丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」の展示も計画されているとのことです。

『広島・長崎の重要な教訓は、原爆が人類を絶望のふちに置いたことです。原爆を投下したトルーマンは、地上の生
きとし生けるものを絶滅させてしまう扉を開いてしまったと分かっていました。トルーマン、ブッシュ、オバマ、プ
ーチン、どんな指導者に対しても 生命存続の拒否権を与え続けるわけにはいきません。』

こういった確固とした考えの持ち主だからこそ、ピーターさんは「アメリカの良心」そのものでもあるように感じられ
るのです。

神話を否定することは、アメリカの負の歴史を認めるということでもあります。
当時日本が和平を求め、抵抗できない状況にあることを知りながら、ソ連の参戦を意識して原爆を投下したのだという 
歴史学者としての客観的な見方がその根底にあり、何より 原爆がもたらすものの悲惨さと 人類を絶望においやる核
兵器の存在の無意味さを痛切に感じる思いが 行動の原動力なのかもしれません。

ピーターさんは、スミソニアン博物館から引き継いで原爆展を開いた95年から、毎年学生を連れて8/6の広島と
8/9の長崎を訪れ、被爆者の方々などから話を聞いてきたとのことです。

核兵器が人類の存続まで脅かす 危険で 不必要な存在であること。

決して人類の幸せをもたらすものでないことは 自明の理です。

昨日のブログで紹介したスピーチにあるように、幸せになるためにこの世に生まれてきた人々にとって、不幸せを招く発
展や核は 百害あって一利なしという存在なのだと思います。

広島や長崎の痛みを共有する日本人であればこそ、なおさらそう思います。

同時に 国という枠にとらわれず、真に地球上に住む一人の人間として 大切なものを共有できる 広さを 自らの心の
内に持ち続けていきたいものです。