あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

演劇『バカのカベ』を観て

2015-06-07 20:14:41 | 日記
仙台演劇鑑賞会の6月例会『バカのカベ』を観てきました。
主演は、加藤健一演ずるフランソワと風間杜夫演ずるピエール。
作:フランシス・ヴェベールのフランス風喜劇風刺劇でした。

ピエールの趣味は、毎週火曜日にゲストとして『バカ』を招き、友人たちと共に笑い者にして楽しむという悪趣味。
今日のバカのゲストとして招かれたのが、国税庁に勤めるフランソワ。
ところが、ピエールがその日に突然ギックリ腰になってしまい、その催しが中止となってしまいます。
ピエールにとっては、さらに悪いことにその悪趣味を嫌う妻が 家を出てしまうという事件も生じてしまいます。
そこにフランソワが訪ねてきて、ピエールの窮地を救おうと奮闘するのですが、やることなすことが裏目に出て大混乱になります。

二人の軽妙で息の合った巧みな演技が、笑いを巻き起こす 楽しい劇でした。
でも、観終わった後に感じたのは、なぜ『バカのカベ』というタイトルなのかという疑問でした。

単純に二人を比較すれば、バカのカベを意識しているつもりでいるのがピエールであり、バカのカベを超越しているのがフランソワと言えそうです。

ピエールは、自分は利口な側の存在と認識していたものの、最終的には妻に愛想を尽かされる自分こそバカなのだと自覚することになります。

一方、フランソワは自分のバカさ加減を自覚できず、よかれと思ってした行為がすべて裏目に出てしまう存在です。
一途に相手を気遣う優しさがあるものの、相手の思いや考えを汲み取れないため、バカのカベを自覚できない存在でもあるのです。
それでも 人間的に肯定できるのは、ピエールのように相手をバカと見なし、利口の側に身を置いて 人を区分しようとしない点です。

自分の愚かさやバカさ加減に気づかないところに存在するのが、バカのカベなのかもしれません。

そしてそのことが、自分の人間性をせばめ、人間関係をゆがめたり、きゅうくつにしている要因の一つなのかもしれないと感じます。

自分の価値観や考えにとらわれずに、自分と関わる相手の思いや考えを受け止める柔軟さを持つことで、バカのカベは超越できるのかもしれません。

そのためにも、自分の愚かさや狭さを自覚し、バカさと向き合っていくことが肝要なのだと思います。

「無知の知」と同様に「バカの知」も、人間にとって大切な「知」なのかもしれません。
コメント
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