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あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

オリンピック東京招致の首相スピーチについて

2013-09-10 07:28:03 | インポート

三都市で開催招致を競い合った結果、2020年オリンピックは東京で開催されることになりました。テレビで開催決定を知った時にはよかったなあと思いましたが、インターネットで関連ニュースを見たりする中で疑問に思えたことがありました。それは、IOC総会のプレゼンでの 福島原発事故に対する首相スピーチです。東京招致にあたり、世界には相次ぐ原発の汚染水漏れを懸念する声がありました。その不安を払しょくするのに,安倍首相のスピーチは大きな効果があったのだと思います。ただ、その内容に違和感を覚えたのです。

~ 原発事故の状況は、コントロールされているので、決して東京にダメージを与えない。

本当にコントロールされているのでしょうか。相次ぐ汚染水漏れは、コントロールできる範囲内の問題なのでしょうか。事故処理について東京電力任せにせずに、国が主導して処理にあたると決まったのは、つい最近のことだったのではないでしょうか。事故そのものの検証も定かではなく、事故後もコントロールの範囲を超えた新たな課題や問題が次々と生じ、その対応に追われてきたというのが現状なのではないでしょうか。国が主導することで、本当にコントロールが可能になるのでしょうか。

また、記者会見の質疑応答の中では、次のように述べています。

~ 汚染水問題は、結論から言って全く問題ない。 ~ 健康問題については、今までも現在も将来も全く問題ないと約束する。

こう断言できる状況に本当にあるのでしょうか。汚染水対策を含め、健康面でも全く問題ないと言い切れるのでしょうか。事故による健康被害〈特に子どもたちの甲状腺ガンなど〉は、長い目で経過観察を続け、将来にわたって健康管理や医療面での継続的支援が求められるものだと思います。今後予測できない事態が生じることはないのでしょうか。全く問題ないと言える根拠は、どこにあるのて゜しょうか。

国内向けではなく、海外向けの安全・安心宣言だったことで、「全く問題ない」と強調したのだと思いますが、もっと現状に応じた発言であってほしいと思いました。全く問題ないと結論づける現状ではないのですから。

世界に向けて約束したことは、福島の人々にも約束したことでもあるはずです。避難を余儀なくされている方が、全く問題なく故郷にもどり、安全で健康な生活ができることを約束した発言だととらえていいのでしょうか。

もし、首相の発言が東京招致の大きな力となったのなら、決して手放しで喜べないように思うのです。発言内容に沿った 国主導による 現状回復と福島の再生が、一日でも早く実現することを切に望みます。

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純白の命

2013-09-08 11:30:10 | インポート

9/6付の天声人語で、婚外子差別の問題や最高裁での違憲判断が取り上げられ、その中に『純白の命』という表現がありました。とても印象に残ったので、その一節を次に引用します。

~ 法的に結婚していない男女から昨年生まれた子は2万3千余人、新生児の2.2%になる。もう、そろそろ「婚外子」に類する言葉と通念を葬っていくべきだろう。赤ん坊のお尻の青あざは、成長すれば消える。私たちの社会も成熟したいものだ。人の死に様はそれぞれ違うけれど、生まれてくるときは誰も同じだ。何が良いも悪いもなく、ただただ祝福されるべき純白の命である。時代遅れのレッテルを貼ってはいけない。 ~

全く同感です。「祝福されるべき純白の命」に違いはなく、どれも尊くかけがえのない命なのですから。それにしても、純白の命という表現は 生まれてきた赤ちゃんにピッタリの表現です。その命に 婚外子というレッテルを貼り差別を容認してきたことは、純白な命を汚し社会悪で染めるような行為だったではないかと思います。そのことに気づかずにいた自分の無知さ加減を、恥ずかしく思ってしまいます。

ラジオで、乳児院等に預けられる子どもがたくさんいるということを聴きました。経済的に苦しく子どもを自力で養えなくなった親が、乳児院に頼るケースが増えているとのこと。一番必要な時に親の愛情や家庭の温かさを味わうことができずに育つ子どもに、心が痛みます。里親制度や養子縁組などを通して、一部の子どもは幸せな家庭環境の中で育つことができるものの、多くの子どもは乳児院や福祉施設の中で生活することを余儀なくされているとのことです。また一方では、家庭があっても、親の虐待等で亡くなったり心身ともに傷つく子どもがたくさんいるという現状があります。

生まれてきた純白な命が、純白なまま健やかに育っていける環境をつくっていくにはどうしたらいいのか、命を受け止める側の大人の責任の重さを感じます。どの子も大切に温かく育てられ育つことのできる社会の実現こそ、理想社会に向かっていくプロセスなのだと思うのですが……。

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婚外子差別について

2013-09-05 10:13:17 | インポート

最高裁大法廷で、遺産相続の際 婚内子に比べ婚外子がその1/2しか相続できない民法規定が違法であるという判断が出されました。「子が自ら選択・修正できない事柄を理由として、その子に不利益を及ぼすのは、憲法の『法の下の平等』の定めに反し、許されない」という考えからです。

朝日新聞の子ども向けの解説記事では、分かりやすく次のように書かれています。

「子は、親を選べないのに、生まれ方で差別されるのはおかしいよね。人間それぞれの違いはあっても、法律的な権利や義務については等しく取り扱う『法の下の平等』に反すると、最高裁は考えたんだ。」

これまで決着済みの遺産相続をどう取り扱っていくのか、いつの時点から法として適用されていくかなど、いろんな課題が考えられると思いますが、早期の法律改正が進められ、婚外子の子どもたちの不利益が解消されていくことを、強く望みます。欧米や韓国・中国では、こういった差別が生まれない法整備が行われているとのこと。法改正に向けて一日も早い政治の対応が求められているのではないかと考えます。

子どもにとって、何が必要で何が大切なのか。弱者であり、また日本の未来を担っていく子どもたちの側に立って、物事を考えていくことが求められているのではないかと思います。

最近話題になった『はだしのゲン』の閲覧制限の問題、原発による子どもの健康被害の問題、親の経済的貧困化による子どもの生活環境悪化の問題等、子どもを取り巻く社会的な問題について、真摯に向き合い、よりよい生活環境の中で子どもたちが生き生きと過ごすことができるよう、今できることに最善の努力を惜しまない 大人の一人でありたいものです。

学校が子どもを真ん中にした社会である同様に、日本という国・国の枠を超えた世界の中で、未来の主役となる子どもたち一人ひとりが大切にされ、どの子も平等に権利が認められ、生活環境が保証されるような 理想社会でありたいものです。

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畑での出会い

2013-09-01 22:31:04 | インポート

○ 大きなショウリョウバッタとの 不思議な出会い

  夕方に、草刈りをしたり、苗に水をあげたりしている時に、3日連続で大きなショウリョウバッタを見かけました。同じ場所で同じ時間帯に見かけるので、不思議な親しみを感じていました。4日目には見かけなくなり、それから数日過ぎた夕方、玄関の前の階段でじっと動かないでいるショウリョウバッタを見つけました。大きさや形、薄いクリーム色で縁取りされた色合いまで似ていたので、あのショウリョウバッタかと思いました。さわってみたのですが、動きません。手にとってみると、かすかに足が動いています。しかし、片足はちぎれたように先がなくなっていました。生きていく上でいろんな苦労があったのだろうなあと想像しました。もう、そろそろ寿命なのかなと思い、アサガオの植えてある土の上にそっとおきました。3日続けて見たものと同じかどうかは分かりませんが、まるで最後の別れを告げに来たような出会いに感じました。次の日に見ると、姿はありませんでした。どこに移動し、どうなったのかは 分かりませんが、何とも不思議な出会いでした。ところが、昨日の夕方に 3日連続で見た同じ場所で、同じような姿・形のショウリョウバッタに出会ったのです。思わず足は大丈夫なのかと よく見てみると、きちんと足はそろっていて、すばやく目の前から草むらの中へ走り去っていきました。足の欠けたバッタとは違うバッタだと思いながらも、なんとなく「僕は元気だから、心配しないで!」と告げるために現れたのではないかと想ったりしました。

○ サツマイモの侵略に耐えたパセリ

  サツマイモが元気いっぱい四方八方へ伸び、周りの作物を覆うようになっているので、つるをもとの場所に戻す つる返しをしました。ニンジンやサトイモは、上から押さえつけられるようになっていたので、少しは楽になったのではと思います。驚いたのは、つるの下から現れたパセリです。その姿を見て、そういえばサツマイモの近くに苗を植えていたのだと気づきました。元気なつるの侵略を受けながらも、健気に耐えていたのです。日も十分にあたらない過酷な環境の中で緑の葉を伸ばしながら生きていることに、感動を覚えました。もっと前に気づいて、つる返しをしていれば、苦労をさせることはなかったのではと 深く反省もしました。まだまだ 野菜たちの育ての親にはなれないようです。

○ ミミズくん ごめんなさい!

   暑さをものともせずに伸びる雑草に、負けまいと草取りに精を出す日々。とった草は、畑の何箇所かに集め、枯れて減量したころに草捨て場に運びます。特に途中で雨が降ったりした後で、草運びをすると、草の下にたくさんのミミズが集まっているのを見かけます。心地よい草のベッドを持ち去られ、右往左往するミミズたちに申し訳ない気がします。それだけ数多く見かけるようになったのは、畑の土が豊かになった証拠になるわけですから、その功労者たちの住処を奪うことになります。以来、元の土にもどって畑をより豊かな環境に変えてくれることを願い、ミミズくんたちに手を合わせてから草運びをするようになりました。

○私は、花でも木でもありません。

 畑仕事をしていると、時折 蝉がやってきて背中に止まったり、クロアゲハが肩に止まったりする時があります。時間的には ほんのわずかの間ですが、自らが自然と一体となったと実感できる幸福のひとときでもあります。一輪の花でも 一本の木でもありませんが、生きとし生けるものと同じ世界に在るのだということを、うれしく感じるからです。時にはチビガエルもやってきます。この時にはどれだけ長く留まらせておくことができるかと考え、石のようにじっとしているようにします。しかし、じっとしていると困る生き物もいます。特に夕方にやってくる カだけは しつこいだけに困りものですが……。

 

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