あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

静岡県知事の言動について

2013-09-21 12:21:10 | インポート

教職に身を置いたものとして、気になる出来事が2件ありました。

一つは、静岡県知事が 全国学力テストの結果をもとに、平均点以上の成績をあげた小学校の校長名を公表したという出来事です。算数Aの平均点が、全国最下位だったことに腹を立て、当初は県内でも平均点が下位にある学校の校長名を公表する腹積もりだったようですが、成績の良い校長名の公表に切り替えたようです。テストの結果は教師の指導の結果であるという 短絡的な考えが根底にあるように思います。

そもそも学力テストの意義は、現在の子どもの学習状況を客観的に把握し、今後の個別指導や指導に役立てるためのものだったはずです。大切なのは、結果をもとにした これからの学校現場での指導です。その取り組みに水を差すような知事の言動だったのではないかと思います。

結果を相対的に比較すれば、、一位から最下位までの順位付けがされます。必然的に最下位の都道府県が生じます。その結果のみに焦点をあてれば、最下位という悪印象だけが強調されます。しかし、昨年度と比べて 県の平均点は下がっていたのでしょうか。全国的に平均点があがれば、相対的に順位にも何らかの影響が出てきます。個別の学校での平均点は、どうだったのでしょうか。いずれにしても、テストを受けた子どもは年度ごとに異なるわけですから、こういった比較も無意味なのかもしれません。テストの内容そのものも、子どもの学力を客観的に測るのに適切なものだったかどうかという疑問もあります。

果たして、テスト結果だけで子どもの総合的な学力は、判断できるものなのでしょうか。日常の授業の発言内容や課題への取り組みなど、テスト結果で測れないものが学力の中には含まれているものと考えます。同時に子どもは、常に伸びる力・成長する力・無限の可能性をもった存在です。真摯な教師であればあるほど、テスト結果からも新たな指導課題と努力点を見出し、確かな学力をどの子にも身につけさせていきたいと考え、日々の授業の充実に努めているはずです。

今回の公表は、そういった教師たちの努力を軽々しく扱い、結果のみを強要するような、まるで見せしめのような行為だったのではないでしょうか。氏名を公表された校長も含め、静岡県下の校長先生の中には、平均点を上げることを第一の目標と考え テスト結果のみを重視して、テスト対策の学習指導を 職員に求める方も出てくるかもしれません。

公表することで、学校名も分かります。その学校の子どもや保護者・職員は、どんな思いを抱くのでしょうか。また、公表されなかった学校の子どもや保護者・職員は、どうでしょうか。これまでの学校に対する期待や信頼が揺らぐような状況にならないでしょうか。

たかが学力テスト、されどその結果のみに振り回される知事の言動に、大阪市長と重なるものを感じてしまいます。未来に生きて働く学力こそ、本物の学力であり、それはたかが学力テストなどで、推し量れるものではないということに、気づいてほしいものです。

同時に、教育の一番大事な本質は、信頼なのだと思います。子どもが教師を、教師を子どもが、保護者が教師を、教師が保護者を、地域が学校を、学校が地域を、相互に信頼し支え合う中で理想の教育は営まれていくのだと思います。その信頼を否定するような今回の出来事だったように思います。

首長たるもの、もっと多面的に物事をとらえ、教育現場を信頼し、行政の長として側面からしっかりと教育を支えていく器量をもった存在であってほしいものです。

※長くなってしまいましたので、もう一つは次回に書きたいと思います。

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