あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

詩「しずかな夫婦」 天野忠作 

2010-10-17 09:26:55 | インポート

  詩集を読んでいて,心にとまったのがこの詩です。

    どんな夫婦であったのか,物語のように二人の歩んだ歴史が見えてくる感じがします。

  あこがれたはずのしずかな夫婦にはなれなかったものの,よい夫婦であったことが ほの

  ぼのと伝わってくる詩です。いかがでしょうか。

       

       しずかな夫婦

                       天野  忠

結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。 / とくに静かな夫婦が好きだった。

結婚をひとまたぎして直ぐ / しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。

おせっかいで心のあたたかな人がいて / 私に結婚しろといった。

キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて / ある日 突然やってきた。

昼飯代りにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き

昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。

下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し / お見合だ お見合だ とはやして逃げた。

それから遠い電車道まで / 初めての娘と私は ふわふわ歩いた。

-- ニシンそばでもたべませんか と私は 云った。

-- ニシンはきらいです と娘は答えた。

そして私たちは結婚した。

おお そしていちばん感動したのは / いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ

ポッと電灯の点(つ)いていることだった--

戦争がはじまっていた。

祇園まつりの囃子(はやし)がかすかに流れてくる晩 / 子供がうまれた。

次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ / 徴用にとられた。便所で泣いた。

子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。 

ひもじさで口喧嘩(くちげんか)も出来ず / 女房はいびきをたててねた。

戦争は終った。 / 転々と職業をかえた。

ひもじさはつづいた。貯金はつかい果たした。

いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。

貧乏と病気は律義な奴で / 年中私たちにへばりついてきた。

にもかかわらず / 貧乏と病気が仲良く手助けして 

私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。

子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)

思い思いに デモクラチックに / 遠くへ行ってしまった。

どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって

夫婦はやっともとの二人になった。

三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。

--久しぶりに街へ出て と私は云った。

   ニシンソバでも喰ってこようか。

--ニシンは嫌いです。と  

私の古い女房は答えた。

  願っていた「しずかな夫婦」ではなく,貧乏や病気や苦労を重ねながら「にぎやかな夫婦」と

  して歩んできたのですね。

  30年たっても,にしんそばの好みが一緒にならないのは,お互いの個性をお互いが尊重

  し合う中で共に生きてきたからなのでは……。

  でも,やはり確かなのは,二人で 苦労や喜怒哀楽を 共にして 歩んできた歴史であり,

  人生であり,家族や夫婦としての絆だと思います。

  年齢的なものかもしれませんが,夫婦としてのこれまでと これからのことを 立ち止まって

  考えるようになりました。

  この詩を読むと,自然体で気楽にこれからも歩んでいけたらという気持ちになります。

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チリ落盤事故から思うこと

2010-10-14 20:40:21 | インポート

○チリ落盤事故から33名全員が救出

 70日間,地下700メートルに閉じ込められた33名の救出作業が完了しました。救助にあたった人も含め,けがや事故もなく全員が無事救出されたことを心からうれしく思います。異国の地の出来事だったのに,世界中から関心を集め,全員の救出を世界中が喜びました。国境の区別なく人間として,命の尊さを改めて実感でき,生きることの意味や大切さを改めて考えることのできた出来事でした。

 33名のリーダーだったルイス・ウルスアさんが,33番目に救出されました。閉じ込められた人たちをひとつの輪にまとめ,豊富な経験や知識を活用し,生きていくための環境づくりや残っている食料の計画的な分配などにあたり,物心両面でみんなから頼られるリーダーだったようです。救出された時にリーダーは大統領にさっそくお願いしたそうです。こういう事故が二度と起こらないように対策をよろしく!といった内容だったようです。

 リーダーを中心に,全員が希望を失うことなく支え合い励まし合いながら,助けを待ち続けた70日間の事実に頭が下がります。救出の順番を考えた時には,全員が自分が最後でいいと答えたそうです。33名の心のつながりの強さを感じる答えだったと思います。

 最年長のマリオ・ゴメスさんは,結婚30年以上になるそうですが,来月に結婚式をあげるそうです。閉じ込められてから続いた電話や手紙でのやりとりの中で,これまでできなかった結婚式をあげる約束をしていたとのことでした。二人の愛に,感動です。ゴメスさんにとっては,奥さんのリリアネさんが,生きる希望そのものだったのではないかと思います。もちろん,奥さんにとっても……。ゴメスさんが最後に送った手紙には 「もう間もなくの辛抱だよ。下にいる我々は,みな落ち着いていて大丈夫だ。早く君と娘たちに会いたいよ。」と書かれていました。これまでリリアネさんのもとには40通以上の手紙が届いたそうです。リリアネさんによると「つらいことなどは一切書いてなかった。私たちを心配させたくなかったのでしょう。」とのことでした。

 一方で,アフガニスタン・パキスタン・イラクなどでは,テロの被害や水害で,毎日のようにたくさんの人が亡くなっています。アフリカでも,貧しさや民族の対立がもとでの戦争や病気で子どもを中心にたくさんの人が亡くなっています。同じ地球上で,33名の尊い命が救われたけれども,それ以上の数の尊い命の灯が消えている事実も,忘れてはいけないことなのではないかと思います。地球上の誰の命も,みんな同じ重さをもち,かけがえのない大切で尊いものなのですから。

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心のこもった贈り物に感激

2010-10-11 12:00:12 | インポート

○ 心のこもった贈り物に感激

前に勤めていたT小学校の児童名で、贈り物が届きました。

この四月からの家庭・学校・地域で取り組んださまざまな出来事や行事を写真に記録したアルバムでした。

中に添えられたお父さんの手紙には、『子どものたちの元気な様子をなつかしく思い出してください!』と書いてありました。

忙しい中、写真を選び・説明コメントを付け・内容別に区分して印刷し・とじヒモで製本してつくりあげた心のこもったアルバムでした。

学校の主役である子どもの姿がたくさん記録され、その笑顔や真剣な表情を見ているだけで楽しくなります。大切な宝物になりそうです。

○ 早朝ウォーキングで感じる体感覚

最近のウォーキングでは、歩き始めると眠っている体が少しずつ目覚め、それに伴い朝のエネルギーが体内に充填されていくような感じがしています。

ゆるやかに曲がるコースでは、体内のエネルギーを放出するような感覚で、思わず走り出してしまいます。走り出してから徐々に加速していく感覚も感じることができるようになり、現在は八分目ぐらいの加速でストップし、徐々にスピードをゆるめ、また歩くようにしています。全力疾走は、以前に足を痛めたこともあるので、今の段階では避けるようにしています。

朝歩くことで、一日の始まりのエネルギーをいっぱいもらっている……そのことに感謝しながら ウォーキングに取り組むこのごろです。

 ウォーキングだけではなく、一日の活動をすべてトータルして10000歩になるよう歩くことを、現在の目標にしています。

 

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詩を一緒に読んでみませんか

2010-10-10 12:28:49 | インポート

三好達治の詩を一緒に読んでみませんか。以前小学校の教科書にも教材として掲載されていた作品です。たった4行の詩ですが、想像を広げていくと、その様子が絵のように見えてくる作品です。いくつかの読み進めていく観点を問いのような形で提示していきますので、その答えを一緒に考えながら読んでいただけたらと思います。この詩のイメージが具体的な絵として見えてきたら幸いです。

            土   

                      三好 達治

    ありが

    ちょうの はねを ひいて行く

    ああ

    ヨットのようだ

1 作者の感動が伝わってくる言葉は、どれでしょうか。

2 ヨットのようだ とありますが、作者が実際に見たのは、ヨットではなく 何だったのでしょう?

3 目の前に見えるヨットは、今動いています。それは、どの言葉からわかりますか。

4 ありはちょうのはねを「ひいて行く」のですが、「運んで行く」という表現と比べてみるとどんな 違いがあるのでしょうか。

5 「ひいて行く」地面には、何か跡が残っているのでしょうか。地面は、平らなのでしょうか、それともでこぼこなのでしょうか。

6 ありは、何匹で ちょうのはねをひいて行くのでしょうか。

7 ちょうのはねは、何色でしょうか。地面は?ありは?

8 この日の天気を想像してみましょう。時間的には、一日のうちの何時ごろでしょうか。

9 本文に書かれた言葉が、題に使われることが一般的ですが、この詩では本文にはない「土」という言葉が、題となっています。なぜ土という題になったか、考えてみましょう。

 

 問いに答えながら読み進めることで、この詩の情景が具体的にイメージできたでしょうか。上記の問いに私なら次のように答えます。皆さんの考えやイメージは、どうでしょうか。

1 ああ という感嘆詞の中に、感動が込められていると考えます。

2 実際に見たものは、ありがひいて行くチョウの羽。作者の目に初めに見えたのは、チョウの羽で、その羽をひいて行くアリの姿はその後に見えたのではないでしょうか。そして、その移動する様子が、まるでヨットが帆を張って海原を走るように見えたのではないかと思います。ヨットの帆の色は、やはり白をイメージします。もんしろちょうの羽なのではと思うのですが…。

3 ひいて行く という現在形の表現なので、今作者の目の前を動いていることになります。主語は、ありなので、その羽を自分のたちの巣の方へひいて行っているような感じがします。ひいて行く時の羽の状態は、横になった状態なのでしょうか、それとも地面に立った状態なのでしょうか。私には、地面に立った状態のように見えます。ヨットの帆をイメージするからなのかもしれません。

4 運んで行く の場合は、羽をよいしょと持ち上げて移動している感じがしますが、ひいて行く の場合は、引きずって移動している印象があります。

5 ひいて行った場合は、移動した跡が線のように地面に残るような気がします。地面がでこぼこしているために、ありがひいて行く羽も地面の状態に応じて上下し、まるで海を走るヨットのように見えたのではないかと思います。

6 ありは、1匹のような感じがします。船に船長が一人しかいないように、このヨットの船長も一人(1匹)がピッタリといった感じがします。ヨットのように見えるのですから、ありの姿は目立たず数も最小限のような気がします。

7 2の問いの答えにも書きましたが、はねは白色、地面はその白さを浮き立たせるような色(黒っぽい焦げ茶色)で、ありは地面の色に近い茶系統か黒色だったのではないかと思います。それだけ、動くはねだけが目立ち、ヨットが走るように見えたのではないでしょうか。

8 この日の天気は、快晴だったのではないかと思います。その理由は、太陽の光がちょうのはねにあたってあざやかに見え、ヨットが走るのにふさわしい天気だと思うからです。一日のうちの時間帯は、一段と太陽が輝く午後3時頃で、近くを通る人も少ない時間帯のような気がします。場所は、地面が広く見渡せる空き地のような場所ではないかと思います。

9 この詩の題がなぜ「土」とついたのでしょう。土は、ありがちょうのはねをひいて行った場所であり、背景でもあります。しかも、土の上だからこそ感動する出来事を見ることができたとも言えます。でこぼこの土の上だからこそ、動く様子が海の上を走るヨットのように見えたのだと思います。また、ヨットがあざやかに浮き立つように見えたのも、土の黒っぽい色が背景に見えていたからなのではないかと思います。土の上での出来事なのに、海の上での出来事に見えた。そんな意外性のある感動であったからこそ、題は「ヨット」でも「海」でもなく、「土」になったのではないかと思います。

  

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コスモスの花を見て思うこと

2010-10-06 21:52:09 | インポート

コスモスの花が咲き始めました。

青い空を背景に、コスモスを見上げると、文字通り「コスモス=宇宙」といった感じに見えるような気がします。

コスモスの花を見ると、思い出す物語があります。今西祐行作の物語「一つの花」です。4年の教科書に掲載されている物語です。

コスモスは、この物語の二つの場面に重なって見えてきます。

一つは、戦地に赴く父親が、幼い娘:ゆみ子に一輪のコスモスを渡す場面です。「一つだけ」といってねだる娘に対して、父は食べ物がないので、プラットホームのはしっぽに忘れられたように咲いていたコスモスの花を見つけあげることにします。娘は、足をばたつかせて喜びます。父は、娘のにぎっている一つの花を見つめながら戦地へ旅立ち、二度ともどっては来ませんでした。

もう一つは、それから十年後の場面です。ゆみ子の住むとんとんぶきの小さな家が、コスモスの花でいっぱいに包まれています。そして、そのコスモスのトンネルを買い物かごをさげ、スキップしながらくぐって出てくるのが、ゆみ子です。

戦時中は、配給される食べ物も十分ではなく、食べざかりのゆみ子にとってはいつも空腹の状態が続き、母親は「じゃあ、一つだけよ。」と言いながら、自分の分から一つだけあげるようにしていました。その母親の口ぐせを覚えたゆみ子は、「一つだけ…」といって食べ物をねだるようになってしまったのです。父は、そんなゆみ子を見て、「この子は一生、みんなちょうだい、山ほどちょうだいと言って両手を出すことを知らずに過ごすかもしれないね。…」と思います。

そんなゆみ子との別れの場面で、父があげた一輪のコスモスをゆみ子は喜んでくれたのです。

戦争中、だれもが目を向けることさえ忘れていた花をもらって、娘は喜んでくれました。おなかが満たされるものではない花をあげたのに、喜ぶ娘を見て、父は安心したのです。戦時中でありながら、花の美しさを感じて喜ぶ娘を見て…。だれもが、花の咲いていることにさえ目を向けない時代でしたから。

また、花は一つからたくさんの種ができ、その種が発芽してたくさんの花を咲かせます。十年後の世界は、まさにひとつのコスモスからたくさんのコスモスの花が開く美しい世界になります。一つの花がたくさんの花に広がることの意味を、ゆみ子はしっかりと理解できる娘に成長していました。

コスモスの花を見ると、この物語の父の思いがコスモスの花の向こうに見えるような気がします。

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