あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

詩を一緒に読んでみませんか

2010-10-10 12:28:49 | インポート

三好達治の詩を一緒に読んでみませんか。以前小学校の教科書にも教材として掲載されていた作品です。たった4行の詩ですが、想像を広げていくと、その様子が絵のように見えてくる作品です。いくつかの読み進めていく観点を問いのような形で提示していきますので、その答えを一緒に考えながら読んでいただけたらと思います。この詩のイメージが具体的な絵として見えてきたら幸いです。

            土   

                      三好 達治

    ありが

    ちょうの はねを ひいて行く

    ああ

    ヨットのようだ

1 作者の感動が伝わってくる言葉は、どれでしょうか。

2 ヨットのようだ とありますが、作者が実際に見たのは、ヨットではなく 何だったのでしょう?

3 目の前に見えるヨットは、今動いています。それは、どの言葉からわかりますか。

4 ありはちょうのはねを「ひいて行く」のですが、「運んで行く」という表現と比べてみるとどんな 違いがあるのでしょうか。

5 「ひいて行く」地面には、何か跡が残っているのでしょうか。地面は、平らなのでしょうか、それともでこぼこなのでしょうか。

6 ありは、何匹で ちょうのはねをひいて行くのでしょうか。

7 ちょうのはねは、何色でしょうか。地面は?ありは?

8 この日の天気を想像してみましょう。時間的には、一日のうちの何時ごろでしょうか。

9 本文に書かれた言葉が、題に使われることが一般的ですが、この詩では本文にはない「土」という言葉が、題となっています。なぜ土という題になったか、考えてみましょう。

 

 問いに答えながら読み進めることで、この詩の情景が具体的にイメージできたでしょうか。上記の問いに私なら次のように答えます。皆さんの考えやイメージは、どうでしょうか。

1 ああ という感嘆詞の中に、感動が込められていると考えます。

2 実際に見たものは、ありがひいて行くチョウの羽。作者の目に初めに見えたのは、チョウの羽で、その羽をひいて行くアリの姿はその後に見えたのではないでしょうか。そして、その移動する様子が、まるでヨットが帆を張って海原を走るように見えたのではないかと思います。ヨットの帆の色は、やはり白をイメージします。もんしろちょうの羽なのではと思うのですが…。

3 ひいて行く という現在形の表現なので、今作者の目の前を動いていることになります。主語は、ありなので、その羽を自分のたちの巣の方へひいて行っているような感じがします。ひいて行く時の羽の状態は、横になった状態なのでしょうか、それとも地面に立った状態なのでしょうか。私には、地面に立った状態のように見えます。ヨットの帆をイメージするからなのかもしれません。

4 運んで行く の場合は、羽をよいしょと持ち上げて移動している感じがしますが、ひいて行く の場合は、引きずって移動している印象があります。

5 ひいて行った場合は、移動した跡が線のように地面に残るような気がします。地面がでこぼこしているために、ありがひいて行く羽も地面の状態に応じて上下し、まるで海を走るヨットのように見えたのではないかと思います。

6 ありは、1匹のような感じがします。船に船長が一人しかいないように、このヨットの船長も一人(1匹)がピッタリといった感じがします。ヨットのように見えるのですから、ありの姿は目立たず数も最小限のような気がします。

7 2の問いの答えにも書きましたが、はねは白色、地面はその白さを浮き立たせるような色(黒っぽい焦げ茶色)で、ありは地面の色に近い茶系統か黒色だったのではないかと思います。それだけ、動くはねだけが目立ち、ヨットが走るように見えたのではないでしょうか。

8 この日の天気は、快晴だったのではないかと思います。その理由は、太陽の光がちょうのはねにあたってあざやかに見え、ヨットが走るのにふさわしい天気だと思うからです。一日のうちの時間帯は、一段と太陽が輝く午後3時頃で、近くを通る人も少ない時間帯のような気がします。場所は、地面が広く見渡せる空き地のような場所ではないかと思います。

9 この詩の題がなぜ「土」とついたのでしょう。土は、ありがちょうのはねをひいて行った場所であり、背景でもあります。しかも、土の上だからこそ感動する出来事を見ることができたとも言えます。でこぼこの土の上だからこそ、動く様子が海の上を走るヨットのように見えたのだと思います。また、ヨットがあざやかに浮き立つように見えたのも、土の黒っぽい色が背景に見えていたからなのではないかと思います。土の上での出来事なのに、海の上での出来事に見えた。そんな意外性のある感動であったからこそ、題は「ヨット」でも「海」でもなく、「土」になったのではないかと思います。