あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

政治家に 未来を見つめる目があるのでしょうか?

2015-05-14 18:51:11 | 日記
安保法案が閣議決定されたとのこと。
昨年の集団的自衛権の行使容認に引き続いての閣議決定です。
アメリカとの軍事的な協力関係を強化し、自衛隊の活動範囲を大幅に広げることが、積極的な平和主義に結びつくのでしょうか。
戦いを肯定し、積極的な軍事的な支援をすることが、平和主義と言えるのでしょうか。

中国の台頭と脅威、北朝鮮の存在を意識して、力には力で対抗していくと考えているのでしょうか。
現実的なパワーバランスを考えるならば、必要な法改正なのだと主張するのでしょうか。

平和憲法の枠を越え、後方支援と言いながら軍事力の行使に加担していくことで、どんな未来を展望しているのでしょうか。

敵か味方かの論理の中で、戦争そのものも肯定し、国家の存立と国民の生命を守ることを大義にして 歩む先には、何が待ち受けているのでしょうか。

専守防衛と言うこれまでの自衛隊の役割が大きく変容し、戦後70年の歩みの中で築き上げてきた平和国家としての日本のイメージまで変えることで、
どんな未来が誕生するのでしょうか。

憲法が指し示す未来は、平和を希求する普遍の思いを世界の人々と共有する中で、信頼と信義を重んじ、どの国も敵対視せず共存と共栄を実現していく
未来なのではないかと思います。

それは現実の力関係を視野に入れない理想論だと一掃されても、未来は誰もが希望をもって理想に立ち向かうぺき世界なのではないかと思うのです。

政治の世界は、あまりにも現実に迎合し、未来を見ることを忘れているのではないかと思ってしまいます。
それまた、過去の歴史をどう踏まえるのかということとも深くかかわってくる問題でもあります……

沖縄の問題も、安保上基地は必要であり、沖縄につくるべきだと政府は考えます。
なぜ沖縄でなければならないのか、それはアメリカの戦略の論理とそれを受け入れる政府の考えが一致しているからなのでしょう。
しかし、戦争末期に沖縄だけが本土防衛の前線基地としてあれだけ多大な犠牲を出し、戦後はアメリカの統治下に置かれて基地がつくられ、アメリカ兵の横暴に
さらされ 痛みを背負ってきたという事実の前で、新たな負担を強いることは許されることなのでしょうか。

沖縄の人々が背負ってきた痛みを理解しようともせず、強引に政府は辺野古に新たな基地をつくろうとしています。

軍事力のパワーバランスが平和をつくる源と考える人々にとっては、それが現実的課題となり、その先の未来を見失ってしまうような気がしてなり
ません。

基地はいらないのです。
敵・味方の区分は不要です。
戦争に加担する軍隊は、無用です。
平和は、それを求める人々の願いとともにあるものだと考えます。
それはまた、自国の国民と同様に他国の国民の生命も、同じ重さをもち、尊くかけがえない存在と考えるところから生まれる考えでもあります。
日本の未来を 世界の未来を どう見つめるのか、
政治家には しっかりとそれを見つめる視点をもってほしいと切望します。
力に頼ることで成り立つ平和ならば、政治家は無用です。
軍人に任せることで 済むことなのですから…。
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