あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

そのあとを思いながら

2022-03-13 09:56:56 | 日記
 河北新報に連載されている「秀句の泉」というコーナーがあります。
毎回楽しみにしているのですが、3月11日の紙面には次の句が掲載されていました。

   三月の君は何処(どこ)にもゐないがゐる    照井 翠

 永瀬十吾さんの解説によると、作者の照井さんは東日本大震災のとき、釜石市で高校
の教師をしていたとのこと。この句は、震災から10年の昨年出版された句集「泥天使」に
収められたものだそうです。
 とすれば、この句の「君」は、震災当時教師として親しく関わっていた生徒さんの死を
悼んで詠まれた句なのだろうと思いました。
 永瀬さんは、この句について次のように書いています。

 ~ 何年時を経ても、あの3月に喪った君は「何処にもゐないがゐる」という気持ちは変わら
   ない。「ゐないがゐる」という強い断定の言葉に、あふれ出る思いが込められている。
   大切な人を亡くした、悲しみと共に生きる全ての人に寄り添う。 ~

 教師として関わった照井さんにとって、描こうとしても描くことができなかった若者の未来や
当時の希望に満ちた姿が、今でも消えることなく深い悲しみとして心の内に在り続けているので
はないでしょうか。
 喪われたのは、亡くなった人達全ての描くことのできなかった未来であり、その未来を大切な人
と共に生きることのできなかったそのあとの時間だったのではないでしょうか。
「大切な人を亡くした、悲しみと共に生きる全ての人に寄り添う」という永瀬さんの言葉に、深い
共感を覚えます。大切な人を亡くした人は、その悲しみと共にそのあとの日々を生きてこられたの
ではないでしょうか。
 
 この句を読みながら、谷川俊太郎さんの「そのあと」という詩を思い出しました。

    そのあと
         谷川俊太郎

  そのあとがある
  大切なひとを失ったあと
  もうあとはないと思ったあと
  すべて終わったと知ったあとにも
  終わらないそのあとがある

  そのあとは一筋に
  霧の中へ消えている
  そのあとは限りなく
  青くひろがっている

  そのあとがある
  世界に そして
  ひとりひとりの心に

 今、ウクライナでは多くの尊い命が喪われ、数えきれないほどの悲しみが生まれています。
 この悲しみの連鎖を断ち切るためにも、一日も早い戦争の終結を祈ります。
 ひとは誰でも、生きるために生まれてきたのであり、死ぬために生まれてきたのではない
 のですから。かけがえのない命の尊さと重さを実感するこのごろです。
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