今日の朝日新聞の朝刊の第1面に、「魂の道筋 塞いではならない」という見出しで、作家:村上春樹さんのエッセーが紹介されていました。第3面に全文が掲載されており、読んでみて深い共感を覚えました。
尖閣諸島の問題を巡って、中国国内では日本製品の不買運動が叫ばれ、書店から日本人の書いた作品も、撤去されたとのこと。デモや領海を侵犯する示威行動だけではなく、文化的な交流分野まで日本を拒否する姿勢がとられているようです。
村上さんはそのことを憂い、
~ 文化の交換は「我々は、たとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間どうしなのだ」という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ。
と述ベています。こういった同等で自由な文化の交換が行われるまでには、これまで先人が果たしてきたたくさんの努力と積み重ねがあったことを経験的に知っているが故に、なおさら今回の出来事が衝撃的だったのではないかと思います。
~ 領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし、賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。
中国でデモに参加した若者の一人に、尖閣諸島の場所を尋ねても答えられなかったということがあったようです。冷静ではなく、まさに国民感情のうねりの中に飲み込まれた形で、その若者はデモに参加したのではないでしょうか。日本人が2名尖閣諸島に上陸し、中国や台湾の監視船や漁船が領海侵犯を繰り返すという示威行動も、安酒で酔っぱらった行動の一つと言えるのではないでしょうか。国民感情は新たな過激で敵対的な国民感情を双方に産み、決定的な対立にまで加熱してしまうのではないかと心配になります。
国民感情と切り離したところで、冷静にゆっくりと時間をかけ対話を続けながら、実務的な相互の課題として交渉・交流を継続していくことが大切なのではないかと思います。
~ 「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。それはまさに安酒の対極に位置するものとなるだろう。
村上さんは、エッセーの最後を次のように結んでいます。
~ 安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂の行き来する道筋を塞いでしまってはならない。その道筋をつくるために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲むような努力を重ねてきたのだ。そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ。
魂の行き来する道が維持され、相互の人間的な理解と文化的な交流が大切にされることで、国民感情を超えた国と国との信頼関係がつくられていくように思います。よき隣人として中国や韓国との関係が改善されるよう、魂が行き来する道筋は守りとおす必要があると強く思います。
同時に、先にブログで紹介した 山本美香さんの言葉にあるような 心のスタンスで 領土問題をとらえていくことも必要なのではないかと 思いました。
~人間はひとりひとりがちがっているからこそ、豊かな関係を築いていけるのです。だれもがちがいを学び、相手の気持ちを考え、他人を理解しようと努めることで、お互いの価値観のちがいを乗りこえることができるのではないでしょうか。
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