あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

本との出会いについて

2012-08-27 22:20:02 | インポート

天声人語に、本との出会いについて語る言葉が ありました。これぞ、珠玉の表現とも言えるもので、とても心に残りました。

以下、天声人語より (  最後のまとめの部分をそのまま引用します。)

…… 偶然手にした一冊で人生が変わることもあろう。<真砂なす数なき星の其中に吾に向かひて光る星あり> 子規。星を「本」に言い換えて、こぼれんばかりの書棚を眺めれば、自分を呼ぶ一冊があるような気がする。閃く一瞬を見逃すなかれ。

本文では、東京の紀伊国屋書店新宿本店で評判を呼んでいる 面白い試みについても紹介しています。その試みは、本の書き出しだけを印刷したカバーで本をくるみ、固くラッピングした文庫本が100冊並ベられて売られ、ネットでは「本の闇鍋」という評もあるとのこと。筆者は、この中から「あのころはいつもお祭りだった」 と 「昨日、心当たりのある風が吹いていた。以前にも出会ったことのある風だった」 という書き出しの2冊を購入したとのこと。書名は書かれておらず、私も その本が 誰の書いた 何という本なのかは、わかりません。筆者が、物語や小説の書き出しを初めて意識したのは、かって出会った 太宰治の作品 「メロスは激怒した。」であったとのこと。私がこれまで読んできた本の中で、印象に残っている作品の書き出しは、どんな表現だったろうかと思い出そうとしましたが、なかなかその一文が浮かんできません。改めて、これまで読んできた本を取り出し、書き出しの表現に心を留めながら読み直してみたいと思いました。

物語の入口となる書き出しには、それだけで その作品世界に導き・誘い込む 作者の工夫やしかけが施されているのかもしれません。また、新たに読む本も、作者や書名にとらわれず、書き出しから入り、続きを読みたければ購入するといった 方法もあるのかもしれません。

私がこれまで購入する手掛かりとしたのは、表紙に紹介されたあらすじや帯に書かれた文言です。そこから、さらに踏み込んで 書き出しの一文を読んでみるといった 方法も 試してみたいと思いました。

子規の歌は、 星が美しいのは、そのどこかに 愛するバラの花が 住んでいるから という 星の王子様の 一節と重なります。まだ出会ったことのない 無数の本の中の 一冊に、バラの花との出会いのような 心ときめく 一冊が隠れているかもしれません。そう考えると、本屋に出かける楽しみが、また一つ増えたような ワクワクした気持ちになります。

併せて 河井 酔茗 の詩 「ゆづり葉」を 思い出しました。

   ~  (略)

      子供たちよ

      お前たちは何を欲しがらないでも

      凡(すベ)てのものがお前たちに譲られるのです

      太陽の廻るかぎり

      譲られるものは絶えません

          輝ける大都会も

          そっくりお前たちが譲り受けるのです

          読みきれないほどの書物も

          みんなお前たちの手に受取るのです

          幸福なる子供たちよ

          お前たちの手はまだ小さいけれど……

                 ~ (略)

読みきれないほどの書物との 出会いを 大切にする大人でありたいものです。子供は、そんな大人を見て、本との出会いの楽しさや喜びを 見出していくのではないでしょうか。

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みかんを 開けて

2012-08-27 09:01:32 | インポート

「みかんを 開けて!」 娘が、小さい頃 手にしたみかんを差し出し 言った言葉です。

この言葉をなつかしく思い出したのには、理由があります。

先日、畑のスイカを収穫しました。小玉スイカの中でも一番実の大きいものを選びました。軽く叩いて音の具合を確かめ、そろそろいい時期かなあと思って収穫しました。中がどうなっているのか、期待と不安を抱きながら、娘がスイカに包丁を入れるのを見ました。開けてみると、完熟状態ではありませんでしたが、みずみずしい赤い果肉で、種は白いものと黒いものが混在していました。甘味はもう一歩でしたが、果汁が豊富で新鮮な食感でした。

このスイカと同様に、中を開けて見ることができずに、収穫の時期を迷っているのがメロンです。暑い日が続いているのに、スイカは勢いよくツルを伸ばし あちこちに実をつけて 元気なのですが、メロンの方は 葉も少し枯れ始め やや元気がないようです。実の外側の模様や葉の枯れ具合を見て、一つだけ収穫してみました。まだ実も固く熟れていないようなので、少し置いてから中を開けてみようと思っています。

いずれも、外からしか収穫の時期が判断できず、収穫して中を開けて見るのには決断が必要です。その戸惑いの気持ちが、娘の言葉を思い出すきっかけになりました。

娘にとっては、みかんの皮をむくのは、中を開けて見ることと同じ意味があったのではないかと思います。閉ざされた皮の向こうに、おいしい実が入っていることを期待し、「開けて!」と語った娘の言葉。それに込めた 未知のものに対する 期待やあこがれにあふれた まっすぐな思いが、私の心にも よみがえってくるような気がしました。

収穫の時期を待つ スイカやメロンをながめながら、これから 何度か 子どものように ワクワクしながら 「開ける」 瞬間を迎えることになりそうです。

願わくば、最高の味覚を味わえる 瞬間でありたいと思うのですが……。

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