あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

8月15日を迎えて

2012-08-15 13:18:45 | インポート

終戦から67年目を迎えました。新聞によれば、第二次世界大戦で海外や沖縄、硫黄島で亡くなった戦没者240万人のうち、日本に戻ることのできない遺骨が113万3千人分もあるとのこと。それだけ多くの人が命を失い、その半数近くの人々の遺骨が いまだに 異国の地にあることに 戦争のもたらす 悲惨さを想います。

広島と長崎に原爆が投下された8月6日と8月9日、そして終戦の日となった8月15日は、戦争という 忘れてはならない 歴史を思い起こさせてくれる日でもあります。

昨日の夕食で、一夜干しのホッケを食べていた時のことです。93歳の母親が突然、戦時中食べたホッケのことを語り始めました。腐らないように塩がたっぷりしみこんだホッケ。身も干からびていて おいしくなかった。…今食べている 身も新鮮でおいしいホッケを味わいながら、戦時中の食料事情を思い出したのだと思います。配給されたものしか食べれず、食べる喜びを感じることのなかった日々の食事。従軍看護婦として朝鮮半島にも出かけ、傷病者の看護にあたった日々と重ねて、戦時中の辛く苦しい出来事が思い出されたのかもしれません。「戦争は、いやだねえ。」という一言に、その思いが込められているような気がしました。

天声人語で 戦没学生の遺稿集「きけ わだつみのこえ」に収められた 一節が紹介されていました。『激しかりし 敵火の中に 我と生きし 邦子の写真を 眺めつつ想う』 新妻に宛てた手紙の一節には 『何百枚でも邦子の写真が見たい』 の言葉。

戦火の中にあって 愛妻を心から愛しむ 切ない思いが、痛いほど心を打ちます。二度とその腕で愛妻を抱くことのできなかった 深い悲しみを 想います。愛する我が子に、恋人に、妻に、父母に 二度と会うことのできなかった 戦死者が 世界中にどれだけいたのでしょうか。今でも 戦火は 消えず、世界のどこかで 尊い命が失われています。

天声人語の結びは、次のように書かれています。

 「わだつみ」の出版に尽くした医師 中村克郎さんは、1月に86歳で亡くなった。語り部、伝え手を連れ去る歳月は、非情にして優しく、滴るばかりの悲しみをセピア色に染めていく。しかし私たちが時の癒しに甘えては、平和を知らずに息絶えた人に顔向けできない。

改めて 不戦の誓いを 自らの心の内に しっかりと刻んでおきたい と思います。

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