「みかんを 開けて!」 娘が、小さい頃 手にしたみかんを差し出し 言った言葉です。
この言葉をなつかしく思い出したのには、理由があります。
先日、畑のスイカを収穫しました。小玉スイカの中でも一番実の大きいものを選びました。軽く叩いて音の具合を確かめ、そろそろいい時期かなあと思って収穫しました。中がどうなっているのか、期待と不安を抱きながら、娘がスイカに包丁を入れるのを見ました。開けてみると、完熟状態ではありませんでしたが、みずみずしい赤い果肉で、種は白いものと黒いものが混在していました。甘味はもう一歩でしたが、果汁が豊富で新鮮な食感でした。
このスイカと同様に、中を開けて見ることができずに、収穫の時期を迷っているのがメロンです。暑い日が続いているのに、スイカは勢いよくツルを伸ばし あちこちに実をつけて 元気なのですが、メロンの方は 葉も少し枯れ始め やや元気がないようです。実の外側の模様や葉の枯れ具合を見て、一つだけ収穫してみました。まだ実も固く熟れていないようなので、少し置いてから中を開けてみようと思っています。
いずれも、外からしか収穫の時期が判断できず、収穫して中を開けて見るのには決断が必要です。その戸惑いの気持ちが、娘の言葉を思い出すきっかけになりました。
娘にとっては、みかんの皮をむくのは、中を開けて見ることと同じ意味があったのではないかと思います。閉ざされた皮の向こうに、おいしい実が入っていることを期待し、「開けて!」と語った娘の言葉。それに込めた 未知のものに対する 期待やあこがれにあふれた まっすぐな思いが、私の心にも よみがえってくるような気がしました。
収穫の時期を待つ スイカやメロンをながめながら、これから 何度か 子どものように ワクワクしながら 「開ける」 瞬間を迎えることになりそうです。
願わくば、最高の味覚を味わえる 瞬間でありたいと思うのですが……。
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