平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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核問題

2018年03月28日 | Weblog

NO 30

廃絶における青年の役割

被爆者、研究者、3人訴える

1、国連で採択された核兵器禁止条約を例にし、市民社会の努力によって、核軍縮が大きな進展をされていると。          平和財団 ラ・ウイットマー氏

2 断じて戦争と核兵器を許してはならない。青年こそ、平和のバトンを受け継ぎ、勇気をもって核兵器廃絶への行動を起こしてほしいと語る   

 被爆者 シゲコ・ササモリ氏 (約30年以上、米国で、核の怖さなど語り続けてきた)

3、 各国での中高生への軍縮教育や、平和教育の取り組み、核兵器廃絶のためには、教育が最も重要であると語る。    土岐氏 ミドルベリー國際大学院 不拡散研究所

(S新聞 2018年3月から)

 

解説

 核兵器は恐ろしい。一発で多大な人が亡くなり、後遺症でも多くの方が苦しんできた。その現証は広島、長崎を見てもわかる。今は、多大な威力があるので想像もできない恐ろしさがある。故に、次の世代の人の役割も大切でないだろうか。その役割など3名の人が語ってくれた。共々、次の時代の平和のために頑張ろうではないか。


核問題

2018年03月28日 | Weblog

原爆の恐さ  広島 

爆心から1,2キロ地点 その日のうち 50%死亡
 i回の投下で14万人とも20万人ともいわれる人が死亡。

 婦人の体験 (爆心から1,2にいた) ( 大勢の人が逃げてくる。顔が腫れはがり、男女の区別がつかない人が、バタバタと倒れていく。皮膚が指先に垂れ下がり、水をくれ!とうめく
 (体験者は父を原爆でなくす。本人も原爆症にかかり、せきたんで苦しめられ、ガンによる死亡の恐怖感になやまされる。)

 解説 恐いものだ一発の原爆で多大の人が亡くなった。今年も、その後遺症で多くの方が亡くなった。しかし、体験者のはなしだと、原爆で、顔が男女の区別ができないというからひどいものだ、水くれはのぞが熱くて体があつくて、水がほしくてしょうがないじょうたいであったんだろう。恐ろしいものだ、将来の原爆の廃棄は当然だ。

                               2010年08月07日 | Weblog

2 長崎 1945年 8月9日 原爆投下 7万人死亡


3戦争の悲惨
婦人 (中国で終戦を迎える)

 ラジオで終戦を告げたとき、現地の人が暴動起こした。日本人は逃げるのにいっぱいだった。私は両親の手配した漁船で逃げた。逃げなければ殺された。男の服装で頭は丸坊主だった。

証言 壮年
 外国の敵は女性を狙った。胸を調べる。うちの姉はさらしまいて逃げたよ。

 婦人は漁船で逃げた。多くの乗客がいた。子供も、だが、敵は密告船がいないか、サーチライトで調べる。その漁船に赤ん坊が泣いた、男性の乗客は言った。黙らせろ。敵に見つかる。母は赤ん坊の口をふさいだ。男性は見つかる、早くだませろと。そして、母は、赤ん坊の口をふさぐ。赤ん坊は二度と息を返さなかった。

 その漁船に、サメの大群が押し寄せた。船長は、サメの恐さを知っている。餌をあげなければ大変な眼にあうと。

 証言 壮年
 サメ恐いよ、歯がすごいよ。奴らも必死だ、大群では小さな船をひっくり返すことも出来るだろう。

 漁船の船長は、小さな子供を、病人を投げた。海に投げた。私は(助けて)の声を耳にふさぐことしか出来なかった。

 この婦人はこの悲劇を言うのがいやだった。胸に秘めていた。この恐ろしい話をするのがとても恐かった。しかし、信仰して、使命を知った。未来の人達のために証言をしなければいけないと。平和のためにもと。そして、講演をされている。

 解説
 日本は中国に侵略した。そして、現住民との間でトラブルを起こし兵舎を構えた。なにしろ、何もないのだ、兵隊は、御飯も少ないのだ。上官の命令なんか聞いていたら大変だとばかり、現地で民家を襲った。武力でだからたちが悪い。故に、終戦なったら、日本が負けたと聞いたら現地人の人はここぞとばかり立ち上がって仕返しだ。
 日本の外地の庶民は大変である。そんな思いもよらないから。来た時には甘い言葉で軍の甘い話で来たのだから。日本は強いぞ、勝った、侵略ではない、正義の戦争だ、強い者の領地だ、土地は強い者のものとばかり侵略していった。ひどいものである。 前記の婦人は運がよかった。日本に帰ってきたのだから、そして、言いたくない証言をマスコミにしてくれたのは、平和のためにも貴重であった。何分、今の世の中、戦争映画などで戦争が美化されている。実態は悲劇なのである。戦争は無残なものである。子供を、病人を海に投げてしまうのを平気でやるのである。ひどいものである。
                                                   2009年8月作

 

5-B  婦人(当時学生)

午前8時 一舜の閃光(せんこう)直後爆風  外に出た時、広島は地獄に変わっていた。 真っ黒に焦げた顔。赤くただれた皮膚、ボロボロになった服を着た血だらけの人たち、病院に押し寄せてきた。階段や玄関まで負傷者があふれていた。(助けて下さい)(子供がーーー)。   毎夜のように、病院の広場で遺体が焼かれた。絶えない炎と人間の臭い。(2016年8月七日S)