あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

7月になると思い出す・・P-5(最終回)

2010年07月14日 10時35分00秒 | アンヌのひとりごと
1967年7月14日(金)...まさに43年前の今日、
半世紀を経ても未だ語り継がれる番組のオーディションが繰り広げられていました。

『奥の部屋で着替えて下さい』
言われるまま部屋に通され、いよいよ隊員服に着替えるのです。
内心...”さっき観た「ウルトラマン」の隊員服の色のほうが私には似合う”
そう思いながら手を通していたのです。

ズボンはピッタリでしたが上着のファスナーを上げる時..
”うっキツイ!”
製造方法でバストの辺に6~7センチ巾の太いゴムが施されており、
それがよりキツく、胸が押しつぶされそうです。
程なくして小道具のベルトと靴、銃とヘルメットが届き、
いよいよみんなの待ってるポインター前での撮影です。

”うわ~恥ずかしいな~”
内心そう思いながらもここ一番のオーディション、恥ずかしさを抑えながら胸を張って臨みました。
現場を取り巻く人の数が増えており、10人近くはいたでしょうか。
誰が居たかは憶えておりません、TBSサイドのプロデューサーさんあたりも居たのかな?

こうして昼下がりの世田谷区砧で世紀の写真撮影が始まったのでした(笑)
最初は森次クンとのツーショット。
この緊張の中、彼とは初対面でなかったのが唯一の救いでした。

ツーショットを何十カットも撮り終えて、ここで森次クンは先にお疲れ様です。

残すは私ひとりでのショットを多数撮られたのでした。


カラー写真もあったのですね。


「お疲れさま~」
私はこの言葉を聞く瞬間が一番至福の時なのです。
緊張感から解放され、心の底から笑顔がこぼれるのです。
仕事中にこの笑顔が出せたらイイのにね(笑)


さて翌日の事です。
いつもの友達の誕生日会をやっていました。
もうすっかり昨日の面接のことは頭から抜けていました。
愉しい誕生日会、でも家の門限は22時、
またうるさい母に叱られるから私だけ後ろ髪引かれる思いで帰宅したのです。

玄関を開けるや否や、母が息せき切って私に...
「地谷子、大変よ!なんで電話しないのよ~。
 円谷プロの新野さんって方から散々電話貰ったのに~、
 あなたが居ないからこれをウチまで届けにきたのよ。」

手渡された物は台本でした。
『レッドマン(仮題)』

「明日また電話下さるそうだから、一日家に居なさいね!」
母からきつーく怒られて、やむなく友達との先約を断り家におとなしく居る事にしました。
それにしても前日の面接の事も忘れ夜まで遊び惚ける、ろくでもない女優ですね(笑)

翌日新野さんから電話が入りました。
『台本読みましたか?あなたの役は友里アンヌ隊員です。
 メディカルセンターのシーンを明日から撮影です。
 9時開始ですので美術センターに1時間前に入って下さい。』
「は・はい!宜しくお願いします」

こうしてアンヌ隊員は誕生したのでした。
7月14日のあの運命の一日、写真の出来如何では決まらなかったかも知れません。
運良く、向こうの意向にハマったか?それとも切羽詰まっていたのか?
何はともあれ菱見百合子は友里アンヌ隊員に抜擢されたのでした~。 

めでたし、めでたし... Fin.