あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

養成所時代の思い出・・

2006年01月26日 20時25分00秒 | 地谷子のひとりごと
東宝俳優養成所、所長は名匠映画監督の山本嘉次郎さん。
毎日お世話をして下さったのは東宝の山之内さんと女性の岡本さん。
山之内さんは当時40代後半ぐらいかしら?
有島武郎・有島生馬を兄にもつ作家の里見頓さんの息子さんです。
頭のはげ上がったきゃしゃな感じの眼鏡をかけた方でした。

場所は銀座とも、有楽町とも、日比谷とも、言えるところ。
今もあるのでしょうか?ロードショー館の「有楽座」は・・
1Fの有楽座とゲームセンターの間を通り抜け裏側に回ると
社員専用の階段とエレベーターがあり、5Fが養成所でした。

毎日通り抜けるゲームセンターには当時大流行だった
尾藤イサオさんの「悲しき願い」っていう曲だったかしら?
よくかかっていました。その音響たるや養成所まで響く大きさです。
そういや・・ゲーセンでよくバイトのお兄さんに鍵を使って
ただでフリッパーゲームをやらせて貰ったナァ。

40年前の今頃は養成所もあと2ヶ月で終り・・
3月に行われる試演会(卒業公演)の特訓も佳境に入り、
高校を午前中に早退して毎日制服姿で養成所に通ったわ。
同期の33人中、映画部所属の宮内恵子さん・高橋厚子さん・
その他テレビ部演劇部の7~8人は制服で通ってたわね。

しかし東宝って太っ腹よねぇ。
今思うと新人をスゴ~イ劇場で卒業公演させてくれたわ。
あの『放浪記』がロングラン公演された「芸術座」でですよっ。

その晴れの舞台に、同期の連中は大勢家族や友達を招待して、
花束なんか貰っちゃって一世一代の恰好で華やいでいたっけナ。
私はこっ恥ずかしくて身内はもちろん誰ひとり呼んでいないの。
そうそう親友の若原さんも呼んだのは従妹さんひとりだけだったわ。

いざ公演・・S41年3月。
私は「また逢う日まで」という抜粋劇でしたが、
緊張の余りもうもう頭の中は真っ白々、
息があらくなって過呼吸ぎみ、恋人役に抱きつき涙するシーンは
迫真の演技だったみたい!?
あとで試演会を観ていらした女優一宮あつ子さんの付き人で
同期の中村孝一クン?が私の耳もとに・・
「先生、チャコが良かったって言ってましたよ」
ウフフ・・
ホントは演技どころじゃなく、ふるえを抑える為に必死に抱きついたのに~。

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7 コメント

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有楽座 (まり)
2006-01-26 21:50:05
私も中高生の頃、あのお~きな「有楽座」へよく行きました(ゲームセンターは覚えてないなぁ)とにかくスクリーンが大きくて銀座エリアで1、2を争う数映画館でしたよね。今はたしか日比谷シャンテ?とか言うショッピングビルになっていると思います(隣接していた旧日比谷映画も取り壊されました)
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いきなり名監督のお名前が・・。 (小三太夫)
2006-01-26 23:09:55
 ひし美 さん お話有難う御座います。

イキナリ 山本嘉次郎監督ですかぁ(--; す、スゴイ方に指導されていたんすねっ!!

 黒澤明監督や「ゴジラ」の本多猪四郎監督の師匠にあたる方で、エノケンの「ちゃっきり金太」や円谷英二監督と組まれた「孫悟空」や「ハワイ・マレー沖海戦」が有名ですよね。

 中々の食通でいらした監督で、東京中のうまいものを食わせる店のガイドブックを書かれたのを読んだ事が有りますが、「こだわった、妥協しない」考えにカツドウ屋魂を見たような気がします。



 ゲーセンのゲームが銀の鉄球を打って「チチン!!」と跳ね返して点数ボードが「ガチャガチャ!!」と変わるフリッパーって言うのも時代を感じさせますね。(^^; 今はアンティークインテリアで物凄い値段がするんですよ。



 「また逢う日まで」・・・ひし美 さん、ガラス越しのキスシーンもおやりになったんでしょうか??

 それとも演出の方針で変更になったのかしら?

 

 

 
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ひし美さんの微笑 (M・エイスケ)
2006-01-27 00:29:51
 今年、ひし美さんからいただいた年賀状の写真のお顔を

拝見しながら、養成所時代の思い出話を読ませていただき

ました。

俳優・女優さんという大きなお仕事をやって行かれるには

やはり、それは、素晴らしい劇場で培われていく、より良い

環境というものがあり、そして、何より一人一人の自らの

努力が重なりあっていらっしゃたのですね。

卒業公演では、自らは必死だったと言われていますが、無事、

演技が出来たのも、若いひし美さんの心中に、女優という

職業への健気な姿勢がそうさせたのではないでしょうか。

そして、誰からも愛される「アンヌ隊員」が生まれること

に繋がったのではないでしょうか。

「モナリザの微笑」、いや「ひし美さんの微笑」が、そう

教えてくれます(2006・年賀状)。



また、私からのリクエストですが、いつか、このブログで

アンヌ隊員時代にたくさん通われたという「ファニー」

(小さなスナック)の思い出話もお願い致します m(_ _)m。

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ひし美さんの舞台 (中野区民Y)
2006-01-27 08:45:50
紀ノ国屋ホールでお芝居されたのは、たしか

80年と83年でしたね。その時のお写真は

残ってはいないのでしょうか・・ぜひ拝見したいです。私が稽古場でお会いした時のひし美さんは、ロングヘアーでTシャツにジーンズ姿がとてもステキでした。あの時お芝居を

拝見してれば・・今、ものすごく後悔してます。でも大切な思い出なんですよ。
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カテゴリ (まり)
2006-01-29 14:52:05
このカテゴライズ最高です!

そのまんま本の「章」になりそうですね

ゆり子さんのその時代、時代が見れて嬉しいです。
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迫真の演技 (つどい)
2006-01-29 15:28:08
ひし美さんの「迫真の演技」見たかったなぁ(^-^)

理由はどうであれ 結果的に「名演技」にしてしまう・・

これを「天才」と言うのです。イェィ♪



尾藤イサオさんの歌って

♪だぁ~れの せぃでも ありゃしないぃ~♪

でしたっけ?



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そうそう (地谷子)
2006-01-29 23:49:13
さすがつどいさん。

尾藤イサオの曲その通り!

♪みんなオイラが悪いのさ♪
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