https://doi.org/10.1371/journal.pone.0176239
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0176239
「痰の起源(2)―梁以前の医書にみられる「痰」の検討―」
遠藤次郎、中村輝子、八巻英彦、宮本浩和『日本医史学雑誌』39(4), p, 543ー553.1993-12
http://jsmh.umin.jp/journal/39-4/543-553.pdf
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中国伝統医学の『痰』の概念は、インド伝統医学アーユルヴェーダのトリ・ドーシャ学説
「ヴァータ(Vāta:風)」
「ピッタ(Pitta:火)」
「カファ(Kapha:水=痰)」がインド仏教医学を経由して、影響を与えたものであるという論文です。
「痰の起源-1-漢訳仏典にみられる痰の検討」『日本医史学雑誌 』
39(3), p333-345, 1993-09
http://jsmh.umin.jp/journal/39-3/333-345.pdf
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10年ほど前に、この学説を知った時は一笑に付したのですが、今回、インド伝統医学や仏教医学、中国伝統医学の「痰」概念の歴史を調べていくうちに、証拠を付き合わせていくと、どうも本当らしいと気づいて、驚愕しました。今までの価値観がひっくり返りました!
朱丹渓が「痰」の理論と「六鬱」の理論を創った歴史を知り、唐の「千金要方」の「痰鬱胆擾(温胆湯)」、張従正と朱丹渓の「痰迷心竅」「痰火擾心」などから、精神病と痰火の歴史を調べなおしました。
そして、平安時代の『医心方』に、インド仏教医学『金光明経』の理論として、四大理論「風」「火」「痰蔭(Kapha:水)」「総集(地)」が書かれているのも確認しました。
中国伝統医学も魏晋南北朝時代の梁(502-557)の時代あたりから、インド仏教医学が入り、アーユルベーダの「カファ(Kapha:水)」が「痰蔭」と翻訳され、その影響を受けて、中国伝統医学の「痰」概念が形成されていったのです!
また、この「痰」概念の解明は、個人的には多くの謎を解いてくれました。しょう先生は、「痰は胆経にたまるので、胆経を使うべきである(豊隆はほとんど胆経)」、「痰は横隔膜にたまるので、隔兪や鳩尾、巨闕、上カン、中カンなどを去痰に使うべき」と謎の独自理論を(笑)、おっしゃっていました。
まさに、この論文「痰の起源(二)」は、中国伝統医学の「痰」は仏教医学の「澹(熱性の胆汁)」と関連していることを示唆しています。また、金元四大家の張従正は横隔膜あたりの「痰」に「吐方」を用い、朱丹渓も「六鬱」「痰鬱」を横隔膜の詰まりとみなしています!
また、金元時代の朱丹渓よりも後世に「痰」「痰火」「痰鬱」の理論は整備されました。
日本伝統鍼灸では、「気・血・蟲(むし)」という特殊な病因論が発達しましたが、これも歴史的経緯から納得です。後で、朱丹渓の金元医学(李朱医学)が江戸時代に輸入され「気・血・水」理論となりました。
これは「鍼で痰証、痰火鬱をいかに治療するか?」という個人的な疑問点の研究では大きなブレークスルーでした。
『理学者の革新―「邪」から「鬱」への視野転換』黄崇修『死生学・応用倫理研究』19, 2014.3, pp. 56-84
https://core.ac.uk/download/pdf/43545339.pdf
(全文無料オープンアクセス)
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金元四大家の儒医、朱丹渓の研究者である中国哲学者、黄崇修博士の論文です。
朱丹渓以前の医家は、鬼神の祟り(邪崇)を言っていましたが、朱丹渓は『医師としての視点から、東洋医学史上初めて、邪崇(鬼神)と鬱証(うつしょう)を明確に区別した事、が論文のテーマです。
非常に珍しい、朱丹渓が十三鬼穴の少商にお灸して「狐憑き」を治療する論述や江戸時代の名医、片倉元周(1751ー1822)が「十三鬼穴」で狐憑きを治す論述が、この論文には掲載されています。
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片倉元周著『青嚢瑣探』
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00028/index.html
朱丹渓の『格致余論』「虚病痰病有似邪崇論」は、鬼神の憑依を示す患者を虚証、痰証、熱証として分析しています。
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「気血は身体の神気のもとである。精神が既に衰えれば、鬼邪が入ることもあり得る。もし気血が欠けて、痰が中焦にやどり、昇降を妨害して気血が運用できないなら、感覚器がおかしくなり、視覚や聴覚や言動がみなおかしくなる」
血气者,身之神也。神既衰乏,邪因而入,理或有之。若夫血气两亏,痰客中焦,妨碍升降,不得运用,以致十二官各失其职,视听言动,皆有虚妄。
「17か18の若者が夏に過酷な労働と渇きから梅ジュースを飲み、訳のわからないことを言い出して、幻覚を見出した。霊が憑いたようだ。脈は両手とも虚で弦、沈脈は数脈である。虚脈と弦脈は梅ジュースでショックを受けて、中脘に痰が鬱している。虚を補い、熱を清し、痰と滞りを導き去れば病はすなわち安んずる」
傅兄,年十七、八,时暑月,因大劳而渴,恣饮梅浆,又连得大惊三四次,妄言妄见,病似邪鬼。诊其脉,两手皆虚弦而带沉数。予曰∶数为有热,虚弦是大惊,又梅酸之浆,郁于中脘,补虚清热,导去痰滞,病乃可安。
以上、『格致余論』「虚病痰病有似邪崇論」より引用終わり。
http://zhongyibaodian.com/gezhiyulun/339-16-0.html
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朱丹渓先生が得意だったのは陰虚火旺、相火妄動、そして「鬱証」、特に「痰鬱」「火鬱」の治療法です。
金元四大家の張従正先生が「痰迷心竅(たんめいしんきょう)」「痰火擾心(たんかじょうしん)」を唱えてから、精神病と痰証の関係は理論的に発展しました。張従正の説を発展させたのが朱丹渓先生です。
朱丹渓先生の理論は「六鬱」です。
気鬱、血鬱、痰鬱、火鬱(熱欝)、食鬱、湿鬱の六鬱があります。
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以下、『丹渓心法』六鬱より引用。
「およそ鬱はみな中焦にある」
凡郁皆在中焦
「鬱は、集まって発散できないものをいう。昇るものが昇らなかったり、降りるものが降りなかったり、変化すべきものが変化しないと伝化が失常して六鬱となる」
郁者,结聚而不得发越也。当升者不得升,当降者不得降,当变化者不得变化也,传化失常。六郁之病见矣。
「気鬱は胸脇痛があり、沈脈・渋脈である」
气郁者,胸胁痛,脉沉涩;
「湿鬱は、全身に痛みが走り、関節が痛み、寒邪にあうと発症する脈は沈脈細脈である」
湿郁者,周身走痛,或关节痛,遇寒则发,脉沉细;
「痰鬱は、動ずればすなわち喘し、寸口脈は沈脈滑脈である」
痰郁者,动则喘,寸口脉沉滑;
「熱鬱は煩悶し、小便が赤く、脈は沈脈数脈である」
热郁者,瞀闷,小便赤,脉沉数;
「血鬱は四肢が無力で、よく食べるが便は紅色となり、沈脈である」
血郁者四肢无力,能食便红,脉沉;
「食鬱は、ゲップして、満腹となり食べることができない」
食郁者,嗳酸,腹饱不能食,
以上、引用終わり。
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朱丹渓先生の時代は「肝鬱気滞」は存在しません!
「気鬱」も弦脈では有りません!
そして、「肝は疏泄(そせつ)をつかさどる(司疏泄者肝也)」という理論を最初に提唱したのは、まさにモンゴル帝国=元朝の朱丹渓先生なのです!
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朱丹渓『格致余論』陽有餘陰不足論
「主閉藏者、腎也。
司疏泄者肝也。」
↓
「肝は疏泄(そせつ)をつかさどる(司疏泄者肝也)」という朱丹渓先生の新理論は、明清時代にゆっくりと普及していきますが、モンゴル時代には「六鬱」の「気鬱」はあるけど、「肝鬱気滞」は存在しない!!!のです。
そして朱丹渓先生の「六鬱」理論は、江戸時代の日本で、「李朱医学」として受け入れられます。
さらに江戸時代、幕末に漢方と蘭方の両方に通じた医師、小森桃塢(こもり・とうう:1782-1843)が、西洋医学の「メランコリー(黒胆汁質)」を訳す際に、朱丹渓の「鬱(うつ)」を訳語にあてて、現代日本語の「うつ病」が誕生しました!!!。
朱丹渓先生の中医古典『格致余論』『丹渓心法』を調査しているうちに、金元時代の医学革命について、少しずつ理解できてきました。
より深く理解するためには、宋代から古典理論を総点検する必要があるようです。
「陰火」は、気虚が鬱を生じて起こる』
「【鬱滞すなわち陰火の直接原因】
郁滯乃陰火的直接原因
「1.湿気が下に流れ、鬱して熱を生じる」
1. 濕氣下流,郁而生熱
「李東垣曰く、「腎間に脾胃から下に下る湿気を受けるが、下が閉塞すれば、陰火が上衝し、蒸蒸して燥熱となる。
李氏曰:「腎間受脾胃下流之濕氣, 閉塞其下, 致陰火上沖,作蒸蒸而躁熱。」
「イライラは陰火が内で擾乱しているのであり、口や喉の乾燥は熱が津液を傷つけている。李東垣の言う『心火が肺金を相克する』ということであり、李東垣が葛根や生地黄や黄柏を加えた理由である。脈が洪大となるのは陰火の脈であり、それは脾胃が虚弱だからであり、脈は洪大で虚となる」
心煩是陰火內擾之象。口咽乾燥及口渴,乃熱傷津液之情,李氏稱之為由「心火克肺金」所致,故李氏有加葛根、生地黃、黃柏之法。脈洪大屬陰火之脈,由於其基礎證是脾胃虛弱,故洪大又伴不足,當是洪大而虛。
『李東垣「陰火」に関する諸説と初歩的考察』
篠原明徳・中村市立中医学研究所
『中医臨床』 26(1): 59-63, 2005.
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これは、日本で書かれた李東垣の『陰火』学説に関する最高の解説だと思います。
論文中にも書かれていますが、中国の広州中医薬大学の靳士英教授(『中国医学大百科全書』の著者)でさえ『(陰火学説は)中国でもいまだ定説がない難問です』とお答えになっています。
「陰火」とは、中国語では「鬼火」の意味だそうです。
「腎間の動気は、脾胃から下に流れる湿気に冷やされており、この脾胃が失調すると、腎間の動気が暴走して、上は頭頂部、皮毛などに燥熱が起こる。少陽三焦と厥陰心包は、この相火の通路である」という考え方です。
以下、李東垣『脾胃論』饮食劳倦所伤始为热中论より、引用。
「喜び、怒り、驚き、恐れは元気を損耗し、既に脾胃の気が衰えば、元気が不足し、心火(心包火)が独り盛んとなる。心火(心包火)は陰火である。陰火は下焦に起こり、心(心包)につらなる。心(心包)がうまく働かないと、相火という下焦の心包絡の火は元気の賊となる。」
喜、怒、忧、恐,损耗元气。既脾胃气衰,元气不足,而心火独盛。心火者,阴火也。起于下焦,其系系于心。心不主令,相火代之。相火,下焦胞络之火,元气之贼也。
「脾胃の気が虚せば、下は腎に流れ、陰火は土に乗じて、故に脾証が始まる。気が上逆して喘し、身熱となり熱く、イライラする。脈は洪脈・大脈で頭痛し、渇きが止まらず、その皮膚は風寒に耐えず、悪寒発熱が発生する。これは陰火の上昇で、逆気や煩熱や頭痛や渇きや洪脈が生じているのだ」
脾胃气虚,则下流于肾,阴火得以乘其土位,故脾证始得,则气高而喘,身热而烦,其脉洪大而头痛,或渴不止,其皮肤不任风寒,而生寒热。盖阴火上冲,则气高喘而烦热,为头痛,为渴,而脉洪。
以上、引用終わり。
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脾胃は弱く、虚証が極まり、それでいて、虚熱が頭画面部や皮膚に上がりきっているタイプはいらっしゃいます。「気虚発熱」を李東垣先生は上記のように説明しています。
李東垣先生は、この「気虚発熱」を「甘温除熱」する「補中益気湯」を創案しました。昇陽と、柴胡による理気により、清陽を昇らせて、「陰火」を治療します。
金元四大家は、劉完素の「火熱論」に始まり、李東垣の「陰火理論」が虚証の「気虚発熱」の治法を創案し、朱丹渓が「相火」により、陰虚陽亢・相火妄動の理論をまとめて補陰学説としました。この金元の「火」の認識が、明清の「温病学」の滋陰を重視する思想に連続してつながります。
この「気虚発熱」の「陰火」を「甘温除熱」するという思想こそ、金元医学革命の中心の部分になると思います。
治男妇五劳七伤,气虚血弱,骨蒸潮热,咳嗽痰喘,尪羸痼疾,
「考えると、四花穴は、昔、この穴を知らないのを恐れて、この取穴法を行った。まさに五臓の背部穴にあたり、膈俞、胆俞の四穴である。『難経』では、血会の膈俞で血病を治すとされているので、骨蒸労熱や血虚火旺にはこれを取る」
按:四花穴,古人恐人不知点穴,故立此捷法,当必有合于五脏俞也。今依此法点穴,果合足太阳膀胱经行背二行:膈俞、胆俞四穴。《难经》曰:『血会膈俞。』疏曰:『血病治此。』盖骨蒸劳热,血虚火旺,故取此以补之。胆者,肝之腑,肝能藏血,故亦取是俞也。崔氏止言四花,而不言膈俞、胆俞四穴者,为粗工告也
以上、引用終わり。
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「虚労」の「血虚火旺」「陰虚」「骨蒸労熱」に四花穴の灸を使っています!
しかし、これは、臨床経験で「虚労」の気血虚して、湿熱たまり、頭顔面には「陰火」が上がって、舌尖紅、胖大で歯痕舌、白苔、脈は浮き、滑弦脈だが、沈は無力というタイプを診ているうちに、理解できてきました。
これは灸法で通陽し、気を補いながら全身にめぐらせる必要があり、古代は大椎や陶道、身柱の灸、あるいは心兪や四花穴灸、腎兪の灸を使ったのだと思います。
鬱熱なので、気を補いながら、通すのがポイントなのです。