alternativemedicine

Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

瞑想のダークサイド『禅病』『魔境』『偏差』

2018-06-04 | 中国医学の歴史
2017年5月29日『クオーツ』
「誰も話していない瞑想(メディテーション)のダークサイド」
 
以下、引用。
「禅仏教では、瞑想の際に歪んだ認識があらわれることを『魔境』と呼ばれ、日本語の『魔』と『世界』をくっつけた言葉の意味がある。現在のアメリカン・禅マスターであるフィリップ・カプラによれば、『魔境』は、ココロの深いところのストレスフルな経験をリリースするプロセスでの浚渫(しゅんせつ=どぶさらい)とクレンジング(浄化)を意味している」
Zen Buddhism has a word for the warped perceptions that can arise during meditation: makyo, which combines the Japanese words for “devil” and “objective world.” Philip Kapleau, the late American Zen master, once described confronting makyo as “a dredging and cleansing process that releases stressful experiences in deep layers of the mind.”
以上、引用終わり。
座禅や瞑想をやっていると『魔境』とか『禅病』という領域に入ることがあります。このアメリカ禅マスターの『魔境』の解釈は正確です。
経絡にたまった感情エネルギーや『詰まり』が『魔境』を起こします。『浄化(クリヤー:Kriya)』して、経絡が通れば、『魔境』のリスクは少なくなります。
この『クオーツ』の記事はブラウン大学医学部の精神医学の准教授が、『プロス・ワン』に「瞑想副作用」に関する西洋医学分野の初の医学的調査論文を発表したことを紹介しています!
2017年5月24日『プロスワン』掲載の論文
瞑想体験の多様性:西洋仏教徒の瞑想関連の困難のミックスド・メソッド研究」
The varieties of contemplative experience: A mixed-methods study of meditation-related challenges in Western Buddhists
Jared R. Lindahl et al.
 
 
以下、『プロスワン』論文の引用。
「チベット仏教の伝統では、『ニヤムス(nyams)』が、身体痛を強めたり、精神障害、パラノイア、悲しみ、怒り、恐怖など多様な障害が瞑想によって経験されると言及する際に使われる。」
 In Tibetan Buddhist traditions, the term nyams refers to a wide range of “meditation experiences”—from bliss and visions to intense body pain, physiological disorders, paranoia, sadness, anger and fear—which can be a source of challenge or difficulty for the meditation practitioner . 
 
「禅仏教では、『魔境(Makyo)』が、認識の副作用や状態を阻害するものとして、使われる。」
In Zen Buddhist traditions, the term makyō refers to a class of largely perceptual “side-effects” or “disturbing conditions” 
 
「禅の伝統では、『禅病(Zen sickness)』として知られる、長期にわたる病的な状態が、瞑想で起こることが知られている。」
Zen traditions have also long acknowledged the possibility for certain practice approaches to lead to a prolonged illness-like condition known as “Zen sickness”
以上、『プロスワン』論文より引用終わり。
 現在『マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR:Mindfulness-based stress reduction)』が流行しています。
 もともと1960年代にベトナム反戦運動で知られたベトナム禅僧ティク・ナット・ハン(Thich Nhat Hanh:1926-)が仏教の教えから「マインドフルネス瞑想」を始め、マサチューセッツ大学医学部教授ジョン・カバット・ジン(Jon Kabat-Zinn)が、1966年からヴィッパサナー瞑想を行い、マサチューセッツ大学医学部教授となると「マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)」を病院で実践し始めました。 
 現在の日本でも、ミャンマーやスリランカやタイから「上座部仏教」の「ヴィッパサナー瞑想(vipassanā-bhāvanā)」が輸入されて、流行っています。
 
 しかし、日本の禅宗では、大昔から、瞑想中に「魔境」、「禅病」があると認識していました。西洋世界でも、現在、「クンダリニ症候群(Kundalini Syndrome)」という英語があります。中国の気功でも「偏差(へんさ:piān chà)」とか「走火入魔(そうかにゅうま:zǒu huǒ rù mó)」と言われる状態を認識しています。
 以下の文献『中国気功学』では、『偏差』『走火』『入魔』などの状態を分析し、ツボを使った対処法が明記されています。基本的には経穴を叩いて、詰まった経絡を通します。
『中国気功学』  東洋学術出版社 (1990/03)
 
 中国仏教では、『禅病』の予防と治療に、自己按摩をしていました。以下の研究は、中国仏典における禅病予防のための自己按摩の記述を集めています。
「天台止観の身体観について--とくに自按摩を中心として」
影山 教俊『現代宗教研究』40号、224~242、2003年
隋代に書かれた中国仏典『禅病を治療するための秘密の方法(治禅病秘要法)』という文献には、治療法として、『按摩』と明記されています。
 
 中国・天台宗の開祖、隋代の高僧・天台智顗(てんだいちぎ:538-597)は、『天台小止観』などの文献において、瞑想前に自己按摩することと、さらに「禅病」に対して、「丹田(たんでん)」に意識を置くことを述べています。隋代の高僧・天台智顗(てんだいちぎ:538-597)が行っていた『止観(シャマタ・ヴィッパーシャナ:śamatha-vipaśyanā)』とは、現代日本で流行中(笑)の、ヴィッパーサナ瞑想や座禅のことです。
『仏教と医学 : 「丹田」考 (袴谷憲昭教授退任記念號)』
渡辺 幸江『駒沢大学仏教学部論集』 -(42), 306-290, 2011-10
 
以下、2011年『丹田考』より引用。
「師匠が言うには、上気してのぼせ、胸満し、脇痛して、背中がケイレンし、肩井が痛む。胸中が熱でモンモンとして痛み、食べることができず、胃がはって、臍下が冷たく、上熱下寒し、陰陽不和となり、シワブキする。この十二の病はみな、丹田で止まり、丹田は臍下二寸半である。」
又有師言。上氣。胸滿。兩脅痛。背膂急。肩井痛。心熱懊。痛煩不能食。心䛫。臍下冷。上熱下冷。陰陽不和。氣嗽。右十二病。皆止丹田。丹田去臍下二寸半。
以上、引用終わり。
この隋代の高僧・天台智顗(てんだいちぎ:538-597)の方法論を、そのまま、日本の江戸時代中期の高僧、白隠(はくいん:1686 -1769)が「軟酥の法」という禅病の治療法に用いています。
 
以下は、白隠『夜船閑話』より引用。
『前賢曰く、丹は丹田なり。心勞煩わんとする則(とき)は、虚して心熱す。心虚する則(とき)は、是れを補するに心を下(くだ)して腎に交(まじ)ふ、是れを補(ほ)といふ』
 
『若し心炎意火を收めて丹田及び足心の間におかば、胸膈自然に淸凉にして、一點の計較思想なく、一滴の識浪情波なけん、是れ真観清浄観なり、云ふ事なかれ』
 
『佛の言く、心を足心にをさめて能く百一の病を治すと。阿含に酥を用ゆるの法あり、心の疲労を救ふ事尤も妙なり。天台の摩訶止觀に、病因を論ずる事甚だ盡せり、治法を説く事も亦甚だ精密なり、十二種の息あり、よく衆病を治す、臍輪を縁して豆子を見るの法あり、其の大意、心火を降下して丹田及び足心に收むるを以て至要とす、但病を治するのみにあらず、大に禅観を助く』
以上、引用終わり。
この『禅病』は、中国伝統医学の『心腎不交(しんじんふこう)』なので、臍輪(ヘソのチャクラ)の丹田や足心の湧泉に『引火帰元(いんかきげん)』して降気・降火して治療します。中国伝統医学を勉強したきた鍼灸師にとっては、手に取るように理解できます。
 
 流行中の「マインドフルネス瞑想」をされている方々は、たぶん『禅病』や『魔境』の存在を知らないです。また、昔の禅仏教の指導者は、『禅病』の対処法や予防法を知っていましたが、いまの指導者が知っているか、どうかは疑問です。
禅病の予防には、関節や経絡の気滞を按摩して取ることです。禅病の治療も按摩で、経絡を通したり、虚火上炎して、心腎不交な状態を、下焦や湧泉に引火帰元します。たぶん、昔の鍼灸師は、どんな病気でも持ち込まれたので、『禅病』や『魔境』にも対処していたと思います。
 「マインドフルネス瞑想」のセミナーに参加する前には、ぜひ、『禅病』や『魔境』の病理や予防法、対処法を聞いて、指導者の資質をストレス・テストしておくべきだと思います。

朱丹渓の痰の治法

2018-06-04 | 中国医学の歴史
代、朱丹溪著『丹渓心法』十二経見証。
 
 モンゴル帝国時代、大家の朱丹渓(しゅたんけい:zhū dān xī:1281-1358)の「十二経見証」は、経絡弁証を研究する基礎文献になります。大家、劉完素、張従正、李東垣、朱丹渓の共通点は、五運六気理論を重視したことと、経絡弁証を使っていたことです。鍼灸だけでなく、漢方も経絡弁証なのです。
 また、劉完素の「火熱論」から始まり、李東垣の「陰火」理論、朱丹溪の「相火」理論など、内傷病による陰虚火旺の治療が特徴的です。
 
以下、朱丹溪著『丹渓心法』瘟疫五より引用。
「左手脈が右手より大きく、浮緩脈で大きく、重按すると無力である」
左手脉大于右手,浮缓而盛,按之无力。
 
「大病で虚脱し、もとは陰虚である場合、丹田(=石門・関)に艾灸し、補陽する。陽が生じれば、陰が長ずる故である。」
大病虚脱,本是阴虚,用艾灸丹田者,所以补阳,阳生阴长故也。
以上、『丹溪心法』瘟疫五(附大头天行病)より引用終わり。
朱丹溪先生は、陰虚火旺にお灸して治療していました。
 
さらに、朱丹渓先生の独創の多くは、「痰証」の治療にあります。
 
以下、朱丹溪著『丹渓心法』痰十三より引用。
「よく痰を治すものは、痰のみを治療せずに、気を治す。気がながれれば、一身の津液は気にしたがう、また、気めぐれば、痰もめぐるのである」
为善治痰者,不治痰而治气,气顺则一身之津液,亦随气而顺矣
以上、朱丹溪著『丹渓心法』痰十三より引用終わり。
治痰には、気をながして経絡を通じさせるのが先になります。

痰の概念とインド伝統医学

2018-06-04 | 中国医学の歴史

「痰の起源(2)―梁以前の医書にみられる「痰」の検討―」

遠藤次郎、中村輝子、八巻英彦、宮本浩和『日本医史学雑誌』39(4), p, 543ー553.1993-12

http://jsmh.umin.jp/journal/39-4/543-553.pdf

   中国伝統医学の『痰』の概念は、インド伝統医学アーユルヴェーダのトリ・ドーシャ学説

「ヴァータ(Vāta:風)」

「ピッタ(Pitta:火)」

「カファ(Kapha:水=痰)」がインド仏教医学を経由して、影響を与えたものであるという論文です。


「痰の起源-1-漢訳仏典にみられる痰の検討」『日本医史学雑誌 』

39(3), p333-345, 1993-09

http://jsmh.umin.jp/journal/39-3/333-345.pdf

   10年ほど前に、この学説を知った時は一笑に付したのですが、今回、インド伝統医学や仏教医学、中国伝統医学の「痰」概念の歴史を調べていくうちに、証拠を付き合わせていくと、どうも本当らしいと気づいて、驚愕しました。今までの価値観がひっくり返りました!

   朱丹渓が「痰」の理論と「六鬱」の理論を創った歴史を知り、唐の「千要方」の「痰鬱胆擾(温胆湯)」、張従正と朱丹渓の「痰迷心竅」「痰火擾心」などから、精神病と痰火の歴史を調べなおしました。

   そして、平安時代の『医心方』に、インド仏教医学『光明経』の理論として、大理論「風」「火」「痰蔭(Kapha:水)」「総集(地)」が書かれているのも確認しました。

   中国伝統医学も魏晋南北朝時代の梁(502-557)の時代あたりから、インド仏教医学が入り、アーユルベーダの「カファ(Kapha:水)」が「痰蔭」と翻訳され、その影響を受けて、中国伝統医学の「痰」概念が形成されていったのです!

 

    また、この「痰」概念の解明は、個人的には多くの謎を解いてくれました。しょう先生は、「痰は胆経にたまるので、胆経を使うべきである(豊隆はほとんど胆経)」、「痰は横隔膜にたまるので、隔兪や鳩尾、巨闕、上カン、中カンなどを去痰に使うべき」と謎の独自理論を(笑)、おっしゃっていました。

    まさに、この論文「痰の起源(二)」は、中国伝統医学の「痰」は仏教医学の「澹(熱性の胆汁)」と関連していることを示唆しています。また、大家の張従正は横隔膜あたりの「痰」に「吐方」を用い、朱丹渓も「六鬱」「痰鬱」を横隔膜の詰まりとみなしています! 

    また、時代の朱丹渓よりも後世に「痰」「痰火」「痰鬱」の理論は整備されました。

    日本伝統鍼灸では、「気・血・蟲(むし)」という特殊な病因論が発達しましたが、これも歴史的経緯から納得です。後で、朱丹渓の医学(李朱医学)が江戸時代に輸入され「気・血・水」理論となりました。 

   これは「鍼で痰証、痰火鬱をいかに治療するか?」という個人的な疑問点の研究では大きなブレークスルーでした。


朱丹渓の欝証

2018-06-04 | 中国医学の歴史

『理学者の革新―「邪」から「鬱」への視野転換』黄崇修死生学・応用倫理研究』19, 2014.3, pp. 56-84
https://core.ac.uk/download/pdf/43545339.pdf

(全文無料オープンアクセス)

   大家の儒医、朱丹渓の研究者である中国哲学者、黄崇修博士の論文です。

   朱丹渓以前の医家は、鬼神の祟り(邪崇)を言っていましたが、朱丹渓は『医師としての視点から、東洋医学史上初めて、邪崇(鬼神)と鬱証(うつしょう)を明確に区別した事、が論文のテーマです。

   非常に珍しい、朱丹渓が十三鬼穴の少商にお灸して「狐憑き」を治療する論述や江戸時代の名医、片倉周(1751ー1822)が「十三鬼穴」で狐憑きを治す論述が、この論文には掲載されています。

片倉周著『青嚢瑣探』

http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00028/index.html

 

    朱丹渓の『格致余論』「虚病痰病有似邪崇論」は、鬼神の憑依を示す患者を虚証、痰証、熱証として分析しています。

「気血は身体の神気のもとである。精神が既に衰えれば、鬼邪が入ることもあり得る。もし気血が欠けて、痰が中焦にやどり、昇降を妨害して気血が運用できないなら、感覚器がおかしくなり、視覚や聴覚や言動がみなおかしくなる」

血气者,身之神也。神既衰乏,邪因而入,理或有之。若夫血气两亏,痰客中焦,妨碍升降,不得运用,以致十二官各失其职,视听言动,皆有虚妄。


「17か18の若者が夏に過酷な労働と渇きから梅ジュースを飲み、訳のわからないことを言い出して、幻覚を見出した。霊が憑いたようだ。脈は両手とも虚で弦、沈脈は数脈である。虚脈と弦脈は梅ジュースでショックを受けて、中脘に痰が鬱している。虚を補い、熱を清し、痰と滞りを導き去れば病はすなわち安んずる」

傅兄,年十七、八,时暑月,因大劳而渴,恣饮梅浆,又连得大惊三次,妄言妄见,病似邪鬼。诊其脉,两手皆虚弦而带沉数。予曰∶数为有热,虚弦是大惊,又梅酸之浆,郁于中脘,补虚清热,导去痰滞,病乃可安。

以上、『格致余論』「虚病痰病有似邪崇論」より引用終わり。

http://zhongyibaodian.com/gezhiyulun/339-16-0.html

   朱丹渓先生が得意だったのは陰虚火旺、相火妄動、そして「鬱証」、特に「痰鬱」「火鬱」の治療法です。

 

   大家の張従正先生が「痰迷心竅(たんめいしんきょう)」「痰火擾心(たんかじょうしん)」を唱えてから、精神病と痰証の関係は理論的に発展しました。張従正の説を発展させたのが朱丹渓先生です。

朱丹渓先生の理論は「六鬱」です。

気鬱、血鬱、痰鬱、火鬱(熱欝)、食鬱、湿鬱の六鬱があります。

以下、『丹渓心法』六鬱より引用。

「およそ鬱はみな中焦にある」

凡郁皆在中焦


「鬱は、集まって発散できないものをいう。昇るものが昇らなかったり、降りるものが降りなかったり、変化すべきものが変化しないと伝化が失常して六鬱となる」

郁者,结聚而不得发越也。当升者不得升,当降者不得降,当变化者不得变化也,传化失常。六郁之病见矣。


「気鬱は胸脇痛があり、沈脈・渋脈である」

气郁者,胸胁痛,脉沉涩;


「湿鬱は、全身に痛みが走り、関節が痛み、寒邪にあうと発症する脈は沈脈細脈である」

湿郁者,周身走痛,或关节痛,遇寒则发,脉沉细;


「痰鬱は、動ずればすなわち喘し、寸口脈は沈脈滑脈である」

痰郁者,动则喘,寸口脉沉滑;


「熱鬱は煩悶し、小便が赤く、脈は沈脈数脈である」

热郁者,瞀闷,小便赤,脉沉数;


「血鬱は肢が無力で、よく食べるが便は紅色となり、沈脈である」

血郁者肢无力,能食便红,脉沉;


「食鬱は、ゲップして、満腹となり食べることができない」

食郁者,嗳酸,腹饱不能食,

以上、引用終わり。

   朱丹渓先生の時代は「肝鬱気滞」は存在しません!

「気鬱」も弦脈では有りません!

   そして、「肝は疏泄(そせつ)をつかさどる(司疏泄者肝也)」という理論を最初に提唱したのは、まさにモンゴル帝国=朝の朱丹渓先生なのです!

朱丹渓『格致余論』陽有餘陰不足論

「主閉藏者、腎也。

司疏泄者肝也。」

「肝は疏泄(そせつ)をつかさどる(司疏泄者肝也)」という朱丹渓先生の新理論は、明清時代にゆっくりと普及していきますが、モンゴル時代には「六鬱」の「気鬱」はあるけど、「肝鬱気滞」は存在しない!!!のです。


    そして朱丹渓先生の「六鬱」理論は、江戸時代の日本で、「李朱医学」として受け入れられます。

    さらに江戸時代、幕末に漢方と蘭方の両方に通じた医師、小森桃塢(こもり・とうう:1782-1843)が、西洋医学の「メランコリー(黒胆汁質)」を訳す際に、朱丹渓の「鬱(うつ)」を訳語にあてて、現代日本語の「うつ病」が誕生しました!!!。


   朱丹渓先生の中医古典『格致余論』『丹渓心法』を調査しているうちに、時代の医学革命について、少しずつ理解できてきました。

   より深く理解するためには、宋代から古典理論を総点検する必要があるようです。


李東垣の陰火・気虚・湿欝・化火

2018-06-04 | 中国医学の歴史

「陰火」は、気虚が鬱を生じて起こる』

「陰火」為氣虛生郁所致

 

「【鬱滞すなわち陰火の直接原因】

郁滯乃陰火的直接原因

 

「1.湿気が下に流れ、鬱して熱を生じる」

1. 濕氣下流,郁而生熱

 

「李東垣曰く、「腎間に脾胃から下に下る湿気を受けるが、下が閉塞すれば、陰火が上衝し、蒸蒸して燥熱となる。

李氏曰:「腎間受脾胃下流之濕氣, 閉塞其下, 致陰火上沖,作蒸蒸而躁熱。」

 

「イライラは陰火が内で擾乱しているのであり、口や喉の乾燥は熱が津液を傷つけている。李東垣の言う『心火が肺を相克する』ということであり、李東垣が葛根や生地黄や黄柏を加えた理由である。脈が洪大となるのは陰火の脈であり、それは脾胃が虚弱だからであり、脈は洪大で虚となる」

心煩是陰火內擾之象。口咽乾燥及口渴,乃熱傷津液之情,李氏稱之為由「心火克肺」所致,故李氏有加葛根、生地黃、黃柏之法。脈洪大屬陰火之脈,由於其基礎證是脾胃虛弱,故洪大又伴不足,當是洪大而虛。


李東垣の陰火

2018-06-04 | 中国医学の歴史

『李東垣「陰火」に関する諸説と初歩的考察』

篠原明徳・中村市立中医学研究所

『中医臨床』 26(1): 59-63, 2005.

 これは、日本で書かれた李東垣の『陰火』学説に関する最高の解説だと思います。

論文中にも書かれていますが、中国の広州中医薬大学の靳士英教授(『中国医学大百科全書』の著者)でさえ『(陰火学説は)中国でもいまだ定説がない難問です』とお答えになっています。

 

 「陰火」とは、中国語では「鬼火」の意味だそうです。

 

「腎間の動気は、脾胃から下に流れる湿気に冷やされており、この脾胃が失調すると、腎間の動気が暴走して、上は頭頂部、皮毛などに燥熱が起こる。少陽三焦と厥陰心包は、この相火の通路である」という考え方です。

 

以下、李東垣『脾胃論』饮食劳倦所伤始为热中论より、引用。

「喜び、怒り、驚き、恐れは気を損耗し、既に脾胃の気が衰えば、気が不足し、心火(心包火)が独り盛んとなる。心火(心包火)は陰火である。陰火は下焦に起こり、心(心包)につらなる。心(心包)がうまく働かないと、相火という下焦の心包絡の火は気の賊となる。」
喜、怒、忧、恐,损耗气。既脾胃气衰,气不足,而心火独盛。心火者,阴火也。起于下焦,其系系于心。心不主令,相火代之。相火,下焦胞络之火,气之贼也。

 

「脾胃の気が虚せば、下は腎に流れ、陰火は土に乗じて、故に脾証が始まる。気が上逆して喘し、身熱となり熱く、イライラする。脈は洪脈・大脈で頭痛し、渇きが止まらず、その皮膚は風寒に耐えず、悪寒発熱が発生する。これは陰火の上昇で、逆気や煩熱や頭痛や渇きや洪脈が生じているのだ」
脾胃气虚,则下流于肾,阴火得以乘其土位,故脾证始得,则气高而喘,身热而烦,其脉洪大而头痛,或渴不止,其皮肤不任风寒,而生寒热。盖阴火上冲,则气高喘而烦热,为头痛,为渴,而脉洪。
以上、引用終わり。

    脾胃は弱く、虚証が極まり、それでいて、虚熱が頭画面部や皮膚に上がりきっているタイプはいらっしゃいます。「気虚発熱」を李東垣先生は上記のように説明しています。

   李東垣先生は、この「気虚発熱」を「甘温除熱」する「補中益気湯」を創案しました。昇陽と、柴胡による理気により、清陽を昇らせて、「陰火」を治療します。


   大家は、劉完素の「火熱論」に始まり、李東垣の「陰火理論」が虚証の「気虚発熱」の治法を創案し、朱丹渓が「相火」により、陰虚陽亢・相火妄動の理論をまとめて補陰学説としました。このの「火」の認識が、明清の「温病学」の滋陰を重視する思想に連続してつながります。

    この「気虚発熱」の「陰火」を「甘温除熱」するという思想こそ、医学革命の中心の部分になると思います。


朱丹渓『格致余論』の相火論

2018-06-04 | 中国医学の歴史
大家、朱丹渓(しゅたんけい:1281-1358)の『格致余論(かくちよろん)』で、最も批判されたのは、「相火論」です。

 昔は、わたしも朱丹渓の相火論は、「わけ分からん」と思っていました。
 しかし、「虚労(きょろう)」と「陰火」を分析し、臨床経験を積む過程で、じょじょに理解できてきました。
 朱丹溪は、火は妄を起こし、これは飲食労倦、五志化火、房労などが原因となるとしています。労倦は、筋に火をおこし、房事過多は腎に火をおこし、飲食不節は胃に火をおこし、大怒は肝に火をおこします。
 この相火の火は、肝腎にいるときは生命の火(命門真火・腎間の動気)なのですが、陰虚となると、上昇し、さらに陰虚を悪化させます。
 また、朱丹溪は李東垣の学説を継承し、陰虚の陰火にたいしては胃気を補い、後天の脾胃を補うことで、肝腎を滋養します。
   さらに相火妄動すれば、全身の気血津液の輸布は阻滞されて、気滞・血オ・痰凝がおこり、湿は気の流れを阻滞し、鬱(うつ)を起こします。痰飲が陽気の道を阻滞するので、それを気血通暢することを強調しました。朱丹溪が得意としたのは鬱証の治療です。

 つまり、相火妄動の状態というのは、「虚労」です。
    この「虚労(きょろう)」という病気は、『匱要略・血痺虚労病脉證幷治第六』で取り上げられています。

 『鍼灸大成』では、例えば、「虚労(きょろう)」に使われるツボは、「大椎」「陶道」「身柱」の灸、「花穴の灸」や、「心兪の灸」などです。
    しかし、「虚労」の症状は、
「潮熱(ちょうねつ:午後の微熱)」、
「五心煩熱(ごしんはんねつ:手足の火照りとイライラ)」、
「骨蒸発熱(こつじょうはつねつ:夜間に骨から蒸されるような発熱)」です!
これは陰血の虚の症状です!
陰虚内熱を大椎や陶道、身柱など督脈の灸で治す!のです!!!あるいは陽経の隔兪・胆兪の「花穴の灸」です。

以下は『鍼灸大成』崔氏取花穴法、より引用。
「男女の五労七傷、気虚血虚、骨蒸潮热、咳嗽痰喘、慢性病」

治男妇五劳七伤,气虚血弱,骨蒸潮热,咳嗽痰喘,尪羸痼疾,


「考えると、花穴は、昔、この穴を知らないのを恐れて、この取穴法を行った。まさに五臓の背部穴にあたり、膈俞、胆俞の穴である。『難経』では、血会の膈俞で血病を治すとされているので、骨蒸労熱や血虚火旺にはこれを取る」

按:花穴,古人恐人不知点穴,故立此捷法,当必有合于五脏俞也。今依此法点穴,果合足太阳膀胱经行背二行:膈俞、胆俞穴。《难经》曰:『血会膈俞。』疏曰:『血病治此。』盖骨蒸劳热,血虚火旺,故取此以补之。胆者,肝之腑,肝能藏血,故亦取是俞也。崔氏止言花,而不言膈俞、胆俞穴者,为粗工告也

以上、引用終わり。

「虚労」の「血虚火旺」「陰虚」「骨蒸労熱」に花穴の灸を使っています!

    

     しかし、これは、臨床経験で「虚労」の気血虚して、湿熱たまり、頭顔面には「陰火」が上がって、舌尖紅、胖大で歯痕舌、白苔、脈は浮き、滑弦脈だが、沈は無力というタイプを診ているうちに、理解できてきました。

    これは灸法で通陽し、気を補いながら全身にめぐらせる必要があり、古代は大椎や陶道、身柱の灸、あるいは心兪や花穴灸、腎兪の灸を使ったのだと思います。

    鬱熱なので、気を補いながら、通すのがポイントなのです。


以下は『鍼灸大成』痰喘咳嗽门
诸虚百损,五劳七伤,失精劳症:肩井大椎膏肓脾俞胃俞肺俞下脘三里。」
以上、引用終わり。
これは、まさに「虚労」に対して、全身に気を補いながら、気をめぐらせる配穴です。

李東垣の「陰火」理論と、朱丹渓の「相火妄動」の理論は、「虚労(きょろう)」の患者さんを経験して、初めて理解できましたが、文献だけでは、本当に理解できませんでした。この「陰火」と「相火妄動」の理論は内傷病の治療のポイントであり、医学最大の成果だと思います。

金元四大家の理論:李東垣の陰火と甘温除熱法

2018-06-04 | 中国医学の歴史
 時代、モンゴル帝国時代の中国伝統医学理論で、もっとも重要でありながら、議論を呼んだのは、李東垣(りとうえん:李东垣:lǐ dōng yuán:1180-1251)の「陰火(いんか)」に関する理論です。
 
 これは、時代の歴史的流れがあります。
 劉完素(りゅうかんそ:1120-1200)が『火熱論』で、風・火・暑・湿・燥・寒はいずれも化火し、五志いずれも化火するとして、火を瀉す寒涼派の理論を唱えました。もっとも、劉完素自身は、心腎不交を補腎して瀉火したり、気欝を通すことで瀉火するなどの方を好みました。実証・熱証への防風通聖散は典型的です。
 張従正(ちょうじゅうせい:1156-1228)は、汗・下・吐方で体外に瀉法します。瀉熱になる刺絡瀉血を多用しました。
 李東垣(りとうえん:1180-1251)は、「陰火」理論で、虚労での「気虚発熱」に対して、甘温で除熱するという補中益気湯(ほちゅうえっきとう)を創案しました。
 
 「虚労」という脾胃が虚して、過労の極限になると、「陰火」といって、虚熱がでてきます。この「陰火」が李東垣(りとうえん)の創案です。
 臨床では、確かに、虚証が極まって、頭顔面部や上焦に熱がのぼりきっているヒトがいます。ただ、李東垣(りとうえん)は『脾胃論』や『蘭室秘蔵』では、この「陰火」に対して、甘味温性の補中益気湯で治療するという処方を創案しましたが、詳しい理論をまったく書きませんでした。
 そのため、時代の後の、明代では、「陰火」が、「陰虚内熱」なのか「湿熱」なのか?で激烈な論争がありました。いまでも李東垣の「陰火」は、解釈が分かれます。
 
韓国・尚志大学校・韓医科大学の方正均教授は、『李東垣の陰火論に対する研究』で、以下のように述べています。
以下、引用。
「陰火のため発生した熱証を治療する目的で李東垣は治療法も提示している。その中でも代表的なのは甘温除熱法で、この治法の代表が補中益気湯である。そして甘温による除熱法を適用できる熱証は主に湿熱と関係がある。つまり、脾の運化する機能と転輸する機能が失われると、津液が全身に輸布されずに停滞して、湿という病理的産物が発生する。その湿が欝滞すると、必然的に湿熱になる。これが陰火のために発生する熱証である。このような熱証に適用される補中益気湯は、脾気を補って昇挙させ、陰精を運化して輸布することで、陰火のために発生した熱証を治療するのである」
以上、引用終わり。
方正均「李東垣の陰火論に対する研究」
『日本医史学雑誌』第56巻第2号(2010)
 個人的には、虚熱が頭顔面部や上焦にあがって、浮脈になっているが、ものすごい虚証という「虚労(きょろう)」で、お灸しつつ、全身に陽気をめぐらせると調子が良くなるヒトがいますが、そのタイプなのだと思います。
湿熱はあり、舌尖は紅で胖大舌・歯痕舌ですが、気虚・血虚など虚証もヒドイです。脈は浮滑脈で、気滞のため弦脈も出ますが、鍼灸すると、脈は沈んで落ち着き、気滞の弦脈もとれます。昇陽しつつ、全身に理気して陽気をめぐらせることがポイントのようなのです。
 このようなヒトは、虚証がひどいので、瀉熱したら調子が悪くなります。補気したら、気滞がひどくなります。単なる補陰したら湿熱が悪化すると思います。単なる補陽だけでも虚熱が悪化する可能性があります。だから、補陽しつつ、その気をめぐらせるのがソリューションになります。おそらく、李東垣の「陰火」に対する昇陽と理気の治法というのは、そういう意味があります。

怪病多痰と十三鬼穴

2018-06-04 | 中国医学の歴史
2017年3月19日『チャクラ・ヒーリング』
「あなたは、『クンダリニー症候群』になる危険性がありますか?」

現在、西洋世界では瞑想によって起こる『クンダリニー症候群』は結構、話題になっています。

以下、引用。
「『クンダリニー症候群』は、臨死体験や、強い外傷や、瞑想のし過ぎ、ヨーガのし過ぎ、神経衰弱、スピリチュアル緊急事態によるものである」
Kundalini syndrome is a set of symptoms resulting from a near-death experience, intense trauma, prolonged meditation or yogic practice, nervous breakdowns, or some other form of spiritual emergency.

「『クンダリニ症候群』の徴候」
Signs and Symptoms of Kundalini Syndrome

「【メンタル・エモーショナル症状】Mental/Emotional:
強い恐れやパラノイア:Intense fear and/or paranoia
不安:Anxiety
そううつ気分:Bipolar mood
勝手な体外離脱:Spontaneous out of body experiences
ふつうでない思考:Deregulation of thoughts
予測できないトランス状態:Unexpected trance-like states
変性意識状態:Altered states of consciousness

【身体症状】Physical:
頭痛:Headache
幻覚:Hallucinations
振動の感覚:Sensation that they are vibrating
心拍数の増加:Increased heart rate
呼吸器の問題:Respiratory problems
熱感や悪寒:Fever or chills
突然の痛み:Sudden pain
突然の肢の動き:Sudden limb movements」
以上、引用終わり。
 クンダリニ症候群の「突然の肢の動き(Sudden limb movements)」や、「動きが止まらない」というのは、気功の「偏差(へんさ=副作用)」の1つである「外動不已(がいどうふき)」であり、「不随意的自動運動」「自発功」です。

 これは、日本では、野口晴哉(のぐち・はるちか:1911-1976)先生の「野口整体」の活運動(かつげんうんどう)が有名です。からだが勝手に動きます。

 実は、明治時代から日本で「霊術(れいじゅつ)」が盛り上がりました。
 初期の霊術である田中守平(たなか・もりへい:1884-1929:享年46歳)の「太霊道(たいれいどう)」では、「霊動(れいどう)」といって、まさに不随意的身体運動を重視しました。
 また、同時期の「岡田式静座法」の岡田虎二郎(1872 -1920:享年49歳)も、「静座」をしている最中に、カラダが勝手にピョンピョン動くことで有名でした。
 大正時代に、「瞑想」状態で、からだが勝手に動くことについて激しい議論があり、「太霊道」では、それをポジティブにとらえていました。野口整体もポジティブに捉えていました。
 これらの、スピリチュアルな身体的不随意運動「霊動」についての戦前の議論は以下の2013年の論文で解明されています。
2013年:栗田英彦「霊動をめぐるポリティクス : 大正期日本の霊概念と身体」
『身体的実践としてのシャマニズム』
(東北アジア研究センター報告, 8号)東北大学東北アジア研究センター, 2013
(オープンアクセス)

 そして、この「太霊道」と「岡田式静座法」の両者を学んだのが、霊術家の松本 道別(まつもと ちわき:1872-1942)であり、その「霊動」を受け継いだ松本道別の弟子が野口整体の野口晴哉(のぐち・はるちか:1911-1976)です。活運動のネタは霊術の霊動なのです。

 「太霊道」の田中守平は1929年に、46歳で突然死しています。
 「岡田式静座法」の岡田虎二郎は1920年に、49歳で突然死しています。
 ついでに言えば、「レイキ」の臼井甕男(うすい・みかお:1865-1926)先生は、1922年に鞍馬山で「臼井式霊気療法」に目覚めて、4年後の1926年に、65歳で突然死しています。
 「野口整体」の野口晴哉先生は、65歳で突然死しています。
 「霊術」関係の先生方には、突然死が多過ぎます!!!
 霊術の歴史を知ると、「霊動」や「自発功」などの不随意的身体運動をあまりポジティブにとらえることはとても出来ないです。これらの歴史を知っているのと知らないのは大違いだと感じています。少なくとも「神格化」はしないで済みます。

 実は、このようなスピリチュアルな「瞑想」や「修行」、宗教体験中に、からだが勝手に動き出す現象について、日本の西洋医学の精神医学は、かなり大量の症例報告を残していますし、病名もついています。
 「祈祷(きとう)性精神病」といいます。明治期日本を代表する精神科医であり、「森田療法」の創始者である精神科医、森田正馬(もりた・まさたけ:1874-1938)が1915年に命名しました。日本の精神医学を調べると、大量の「祈祷性精神病」の報告を読むことができます・・・。
 有名なのは、「手かざし」系の新興宗教で、手かざしをされて、「霊動」が起こり、そのまま、「祈祷(きとう)性精神病」になった例です。

 「祈祷性精神病 」は、精神医学の論文では、ストレートに「憑依(ひょうい)」と表現されています(笑)!
「中年女性の幻覚妄想状態 (第3報) - 憑依体験 -」
浅野弘毅, 近藤等, 東雅晴 仙台市立病院神経精神科
仙台市立病院医学雑誌 16(1): 25-31, 1996.
(オープンアクセス)
直球すぎる(笑)。
日本の精神医学の歴史で、「憑依」は何度も研究されています!
1885年(明治18年)に雇い外国人医師ベルツが、「狐憑病説」を発表しています。
1892年(明治25年)に精神科医、島村俊一が政府の命令で「島根県下狐憑病取調報告」を発表しています。
1902年(明治35年)に精神科医、門脇真枝(かどわき・さかえ)は「狐憑病新論」を発表しています。
1904年(明治38年)に精神科医、森田正馬(もりた・まさたけ)が「土佐における犬神について」を発表し、犬神、狸、死霊などが憑いた症例を報告しています。
 狸(たぬき)が憑依すると「大食い」になるそうです(笑)。なんじゃ、そりゃあ?(笑)

 「憑依」を大真面目に論じてしまうファンタジーな西洋医学に対して、中国伝統医学では、どのように考えているのか?(笑)

    実は、中国伝統医学は、かなりシビアで現実的で、夢が無いです(笑)。
 明代の虞搏(ぐたん:1468-1517)『医学正伝』や明代、李梃(りてい)の『医学入門』では、「高いところに登って歌を歌ったり、衣を捨てて走り回る」のは、すべて「痰火によるものである(皆痰火之所為)」であり、霊を見るなどの幻覚も「気血虚が極まり、痰火が盛んなために、鬼神を見る」と断言しています・・・。
    明代の張介賓(ちょうかいひん:1563-1640)は、病気は六淫の邪気か七情内傷によるものであり、祟(たた)りのように思える「怪病」は、痰によるものが多い(怪病多痰)と明言しています。
 これらは、大家の朱丹渓(しゅたんけい:1281-1358)が「虚証や痰病は邪祟に似ているものがある(虚病、痰病、有似邪祟)」と述べた影響のようです。朱丹渓(1281-1358)より前の宋代の陳自明(ちんじめい:1190-1270)も、「産後に鬼神を見たり、変なことを言ったりするのは、気血虚損や陰虚発熱やオ血停滞である」と現実的過ぎます。
    儒家には、「怪力乱神を語らず」という伝統があるのです・・・。

 ただ、隋唐時代の中国伝統医学は違います(笑)。
隋代、巣方(そうげんぽう)『諸病源候論』卷之二 风病诸候下
十八:鬼邪:およそ、鬼に魅いられると、すなわち悲しみココロが動揺し、よっぱらったように乱れ、狂って怖がり、悪夢をみる。これは鬼神と交通するからである」
  十八、鬼魅候:凡人有为鬼物所魅,则好悲而心自动,或心乱如醉,狂言惊怖,向壁悲啼,梦寐喜魇,或与鬼神交通。病苦乍寒乍热,心腹满,短气,不能饮食。此魅之所持也。

唐代、孫思ばく(581-682)『千翼方』
「【禁邪病第十五】およそ鬼邪が人に着くと、あるいは泣き、あるいは叫び、あるいは笑い、あるいは歌う。死人の名前を名乗り、人を狂わせる。このようなものを鬼邪という。治療法は左手の鬼門(労宮)と鬼市(合谷)、右手も同じように鍼で刺す。」
禁邪病第十五:凡鬼邪着人,或啼或哭,或嗔或笑,或歌或咏,称先亡姓字,令人癫狂。有此状者,名曰鬼邪。
治之法,正发时使两人捻左手鬼门鬼市,两人捻右手如左手法。
鬼门者,掌中心是;鬼市者,腕后厌处是,伸五指努手力则厌处是。腕后者,大指根两筋中间是。一捻之后,不得动,动鬼出去,不得伏鬼,又不得太急。若太急则捻人力尽,力尽即手动,手动即鬼出
鬼(死霊)が取り憑いたら、ツボに鍼を刺すのが、中国伝統医学のソリューションです!
 
即物的過ぎます(笑)。
 
わたしは、映画『ゴーストバスターズ』を見た際に、「本当に幽霊屋敷があるなら、電磁パルス、火炎放射器、属バット、ありとあらゆる物理攻撃を試してみたい。相手はもう死んでるから!」と言って、子どもに呆れられた人間なので、中国伝統医学派です!

唐代の孫思バク先生は、『癲狂(てんきょうじゅうさんきけつ)』を書かれています。

人中(宮)
少商(信)
隱白(壘)
大陵(心)
申脈(路)
風府(枕)
頰車(床)
承漿(市)
勞宮(窟)
上星(堂)
男子的陰下縫或女子的玉門頭藏)、
曲池(腿)、
舌下中縫封)等

    そして、江戸時代の漢方の名医、片倉鶴陵は、癲狂穴の「少商」と「隠白」で「狐憑き」を治療した経験を残しています(笑)。
以下、引用。
「子啓子嘗て狐憑きを落とす鍼法を伝えられたり。子啓子は相対したるばかりにて鍼を刺したることなく験ありしよし。其の法は手の左右の大拇指の爪甲をこよりにて堅く縛り、腋下か背後に凝りたるものを力まかせに肘臂の方へ段々にひしぎ出し、肘まで出たる時、他の腰帯の類にて緊しめ、其の凝りたる塊の上へ鋒鍼にて存分に刺すべし、治するなり。
其のひしぎ出す時、並々のことにては狂躁する故、人を雇って総身をかくるる処なきように尋ねてひしぎ出すべし。此の伝を得手後に東門先生へ物語れば、足の大拇指も縛すべし。病人の気を飲むように張り合いつけるべし。若し 向むこうに飲まるる時は何ほどにしても治せず。蔭鍼にて狐憑きの落ちると云うは、此の術なりとありけり。余は刺鍼を解さざる故、他にも鍼家に術ありや否やを知らず。灸法薬方も『千方』などに詳らかに見えたり。十三鬼穴など是なり。」
以上、引用終わり。
江戸時代は「狐憑き」まで扱わないといけないので大変です(笑)。
しかも、鍼を刺して治す(笑)。
 

宋代龐安時『傷寒総病論』の経絡弁証

2018-06-04 | 中国医学の歴史
宋代の龐安時(ほうあんじ:庞安时:páng ān shí1042-1099)が1,100年に書いた
『傷寒総病論(しょうかんそうびょうろん:伤寒总病论:shāng hán zǒng bìng lùn)』天行温病論です。
今回、宋代の『傷寒総病論』を初めて、読んでみて、「温病学」の萌芽が、宋代に!あったことに驚きました!
温病に手の経絡を使っています。
 
以下、引用。
「陽脈が浮滑脈で、陰脈が濡弱脈で、さらに風熱にあうと風温(ふううん)となる。
阳脉浮滑,阴脉濡弱,更遇于风热,变成风温;
 
「陽脈が洪数脈で、陰脈が実大脈で、さらに熱にあい、温毒(うんどく)に変成する。温毒が一番重症である。」
阳脉洪数,阴脉实大,更遇其热,变成温毒,温毒为病最重也;
 
「陽脈が濡弱脈で、陰脈が弦筋脈で、さらに湿気にあうと、湿温(しつうん)と変化する」
阳脉濡弱,阴脉弦紧,更遇湿气,变为湿温;
 
「脈が陰陽ともに盛んで、寒邪に重感し、変成して温瘧(うんぎゃく)となる、これは、すなわち同病異名であり、同じ脉でも異なる経脈病である」
脉阴阳俱盛,重感于寒,变成温疟,斯乃同病异名,同脉异经者也。
 
「故に、
風温(ふううん)は足厥陰肝経と手少陰心経を取り、
温毒(うんどく)は手少陰心経を取り、
温瘧(うんぎゃく)は、手太陰肺経を取り、
湿温(しつうん)は、足少陰腎経と手少陰心経を取り、
ゆえに、経絡にしたがって、取穴する」
故风温取足厥阴木、手少阴火,温毒专取手少阴火,温疟取手太阴,湿温取足少阴水、手少阴火,故云随经所在而取之也。
以上、『傷寒総病論』天行温病论より引用終わり。
温毒に手少陰心経を取穴し、温瘧に手太陰肺経を取るというのが画期的!です。
温病(うんびょう)に手の陰経を取っています。
葉天士(ようてんし)先生の衛気営血弁証(えきえいけつべんしょう:卫气营血辨证:wèi qì yíng xuè biàn zhèng)では、
温病(うんびょう)は口鼻から入り、
衛分(えぶん:卫分:wèi fēn)は手太陰肺経であり、
気分(きぶん:气分:qì fèn)は手少陽三焦(肺・胃・大腸ふくむ)です。
営分(えいぶん:营分:yíng fēn)は「逆伝心包」して、手少陽三焦と表裏する手厥陰心包経に伝わり、不眠や心煩などの精神症状が出ます。
血分(けつぶん:血分:xuè fèn)は、神志症状だけでなく、出血などの症状が出て、さらに下焦の肝腎陰虚の症状が出ます。
つまり、
傷寒は、寒邪=陰邪であり、陽経や陽気を損傷して足の経絡を中心に伝わりますが、
温病は、湿熱の陽邪であり、陰経や手の経絡、上焦を中心に伝わり、陰を損傷します。
 
温病が手の経絡を伝わるというのは、葉天士先生の『温熱論』の創案かと思い込んでいましたが、西暦1,100年、宋代の龐安時(ほうあんじ)著『傷寒総病論』の創案のようです。
宋代、龐安時(ほうあんじ)先生が『傷寒総病論』天行温病論で、最初に手の経絡による分析と、石膏や竹葉などの清熱薬の多用を行いました。
 
 龐安時(ほうあんじ:1042-1099)先生は、二十史の正史「宋史」にも登場し、宋代を代表する文人である蘇東坡(そとうば)の友人であり、大教養人であり、鍼の大名人であったことも伝えられています。
 
 また、龐安時(ほうあんじ:1042-1099)先生と宋代の文人、蘇東坡(そとうば)や黄庭堅(こうていけん)との交流を知ると、中国伝統医学の歴代の大医学者たちを思い出します。
 
 『鍼灸甲乙経』の皇甫謐(こうほひつ:215-282)は、西晋(280-317)を代表する大教養人です。二十史の1つである『晋書』にも皇甫謐の伝記があります。
 『肘後備急方』の葛洪(かっこう:261-341)は、『抱朴子』を書いた東晋(317-420)を代表する教養人です。
 『本草経集注』を著し、『神農本草経』を編纂した陶弘景(とうこうけい:456-536)も魏晋南北朝を代表する知識人であり、二十史の1つで魏晋南北朝の南朝を記録した『南史』にも名を残しています。
 唐代の孫思邈(そんしばく:581-682)先生は、大教養人として、二十史の『唐書』や『新唐書』に記録されています。
 宋代には、龐安時(ほうあんじ:1042-1099)先生が『宋史』に蘇東坡(そとうば)とともに名を残しています。
 易水内傷派の祖、張素(ちょうげんそ)や、大家の劉完素(りゅうかんそ:1120-1200)、張従正(ちょうじゅうせい:1156-1228)は二十史の『史』に名を残しています。大家の李東垣(りとうえん:1180-1251)は二十史の『史』に、朱丹溪(しゅたんけい:1281-1358)は『史』や『新史』に名を残しています。
 代に『鍼経指南』を書いた窦漢卿(とうかんけい:1196—1280)も、宋の新儒学を学問としてきわめ、フビライ=ハンの皇子の教育係に任命され、二十史『史』に名を残し、モンゴル帝国を代表する大知識人なのです。
 
 鍼灸の歴史を研究するということは、これらの歴代の知識人と対話をすることに他ならないと思います。