1950年11月「陰陽五行治療法の研究、第一報」
李在元
『医道の日本』昭和 30年11月 1日 發行
第14卷 11号/p3~5
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3354852
1950年12月「陰陽五行治療法の研究(二) 」
李在元
『医道の日本』昭和 30年12月 1日 發行
第14卷 12号/p3~5
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3354853
【太陽(たいよう:太阳:tàiyáng:EX-HN5)】
《太平圣惠方》:前关二穴,在目后半寸,是穴亦名太阳之穴。头风、赤眼头痛、目眩目涩,可灸。针入三分。
《圣济总录》:眼小眦后一寸,太阳穴,不可伤,伤即令人目枯,不可治也。
《针灸大成》:太阳二穴,在眉后陷中,太阳紫脉上是穴。治眼红肿及头痛,用三棱针出血。其出血之法,用帛一条,紧缠其项颈,紫脉即见,刺出血立愈。又法,以手紧扭其领,令紫脉见,却于紫脉上,刺出血,极效。
《良方集腋》:偏正头风,斑蝥一个,去头足翅,隔纸研细为末,筛去衣壳,将末少许点在膏药上,如患左痛贴右太阳,患右痛贴左太阳,隔半日取下,永不再发矣。……头风痛坏一目,川贝母一粒,白胡椒七粒,共研末,葱头汁为丸,如柏子大,用膏药贴在太阳穴,目可重明。
《验方新编》:风火眼痛,黄丹和白蜜调敷太阳穴立效。
以下の『備急千金要方』の当容穴は、あきらかに違うツボで、上関(GB3)と耳門(TE21)の間や、瞳孔から上がって、髪際に入ること1寸の当容である。
『备急千金要方』卷第六上 七窍病上 目病第一
「肝劳邪气眼赤,灸当容百壮,两边各尔,穴在眼小、近后当耳前,三阳三阴之会处,以两手按之,有上下横脉,则是与耳门相对是也。
眼急痛不可远视,灸当瞳子上入发际一寸,随年壮。穴名当阳,风翳。患右目,灸右手中指,本节头骨上五壮,如小麦大,左手亦如之。」
【魚腰(ぎょよう:鱼腰:yú yāo:EX-HN4)】
元代、王国瑞(おうこくずい:王国瑞:wáng guó ruì)著、
『扁鵲神応鍼灸玉龍経(へんじゃくしんのうしんきゅうぎょくりゅうきょう:扁鹊神应针灸玉龙经:biǎn què shén yìng zhēn jiǔ yù lóng jīng)』
「鱼尾在瞳子髎,在目上眉外尖针一分,沿皮向内透鱼腰,泻,禁」
「眉目间痛
眉目疼痛不能当,攒竹沿皮刺不妨。
若是目疼亦同治,剌入头维疾自康。
攒竹∶在眉尖陷中。针二分,沿皮向鱼腰,泻多补少。禁灸。
個人的に気になったのは、現在の教科書の魚腰の主治に「眼瞼下垂(ptosis/ˈtəʊsɪs/)」があることです。
眼瞼下垂には先天性と後天性があります。
わたしの現在の知識では、
(1)神経による眼瞼下垂:ホルネル症候群、動眼神経麻痺
(2)筋肉による眼瞼下垂:重症筋無力症(Myasthenia Gravis:ミアステニア・グラービス)
(3)腱膜性眼瞼下垂(Aponeurotic ptosis)
などが眼瞼下垂の原因としてありますが、これって、鍼灸適応なんでしょうか?疑問があります。
「针灸治疗上睑下垂概况」
赫群et al.『针灸临床杂志』 2010,11(08): 35-37.
http://www.zjicu.com/Doc/NetCrawl/www.chkd.cnki.net/3000-4000/UDUVUUUZTQTSTRTQSEVAUAUCUTTSTQTQTSTQTYTQTVTU.pdf
↑
中国の2010年の論文では、かなり「上睑下垂(shàng jiǎn xià chuí)」をやってはいるようです・・・。
曲眉(きょくび:曲眉:qǔ méi)という名前で、唐代、『千金翼方(せんきんよくほう:千金翼方:qiān jīn yì fāng)』に初出している。
元代、王国瑞(おうこくずい:王国瑞:wáng guó ruì)著、
『扁鵲神応鍼灸玉龍経(扁鹊神应针灸玉龙经biǎn què shén yìng zhēn jiǔ yù lóng jīng)』头风に、
「子女惊风皆可治,印堂剌入艾来加。
神庭∶在鼻直上入发际五分。针三寸,先补后泻,泻多补少。
印堂∶在两眉间宛宛中。针一分,沿皮先透左攒竹,补泻后转归原穴;退右攒竹,根据上补泻急补,通神之穴也。」
http://qihuangzhishu.com/300/5.htm
明代、楼英(ろうえい:楼英:lóu yīng)著、
1565年『医学綱目(いがくこうもく:医学纲目:yī xué gāng mù)
「头重如石,印堂一分,沿皮透攒竹,先左后右,弹针出血。」
明代、楊継洲(ようけいしゅう:杨继洲:yáng jì zhōu:1522-1620)著
『鍼灸大成(しんきゅうたいせい:针灸大成zhēn jiǔ dà chéng)』
「印堂:一穴。在両眉中-陥中,是穴。鍼一分、灸五壮。治,小児驚風。」
【四神聡(ししんそう:四神聪:sì shén cōng:EX-HN1)】
北宋時代、『太平聖恵方(たいへいせいけいほう:太平圣惠方:tài píng shèng huì fāng)』に初出している。
《太平圣惠方》:在百会四面,各相去同身寸一寸是穴。
《太平圣惠方》:理头风目眩,狂乱风痫。
《类经图翼》:主治中风,风痫。
《针灸集成》:主头风目眩,风痛狂乱。
《银海精微》:患眼疾,偏正头痛。
《针灸孔穴及其疗法便览》:四神聪,奇穴。百会穴前、后、左、右各一寸处,计共四穴。针二至三分。灸一至三壮。主治头痛、目眩、癫痫、狂乱。
1916年(大正7年)中井房五郎(1878年 - 1931年)
『自彊術』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935200/2
国立国会図書館近代デジタルライブラリー
↑
大隈重信、後藤新平などの推薦を得る。
17世紀 アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher:1601-1680)の「マグネティズム」
1874年(明治7年)にアメリカのアンドリュー・テイラー・スティル(Andrew Taylor Still:1828-1917)がオステオパシーを創始しました。オステオパシーは山田信一が1920年(大正9年)に日本に紹介しました(『山田式整体術講義録』)。1934年(昭和9年)に田野倉快泉が『無薬医術 指圧療法』を出版します。これがスポンディロセラピー・オステオパシー・カイロプラクティックなどを統合した日本の指圧の源流であると言われています。
1876年 ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ博士(John Harvey Kellogg:1852-1943)がアメリカで、シリアルによる朝食や菜食主義、浣腸療法などを提唱しました。
1885年(明治18年)に雇い外国人医師ベルツが、「狐憑病説」を発表しています。
1892年(明治25年)に精神科医、島村俊一が政府の命令で「島根県下狐憑病取調報告」を発表しています。
1896年に、石塚左玄(いしづか・さげん1851-1906)が、『化学的食養長寿論』を出版します。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/836793
1894年(明治27年)、浜口熊嶽17歳が気合術を始めます。
1898年(明治31年)、大本教ができます。
1902年「ナチュロパシー」の創始者ベネディクト・ルストさんは、ドイツのセバスティアン・クナイプさんによって、アメリカのニューヨークに「クナイプ自然療法」の普及のために派遣されました。そして、1890年の世紀末のニューヨークで健康食品店をはじめました。1901年にはニューヨークのホメオパシー大学を卒業し、1902年にはオステオパシーの学位も取得します。そして、すぐに、ニューヨークに世界初の「ナチュロパシー学校」を創設しました。それで、ベネディクト・ルストさんは、「アメリカ・ナチュロパシーの父」と呼ばれます。
1902年(明治35年)に精神科医、門脇真枝(かどわき・さかえ)は「狐憑病新論」を発表しています。
1904年(明治38年)に精神科医、森田正馬(もりた・まさたけ)が「土佐における犬神について」を発表し、犬神、狸、死霊などが憑いた症例を報告しています。
1905年 田中守平が山ごもり。
1906年(明治40年)、松本道別(まつもと・ちわき:1872-1942)が人体ラジウム療法(霊術)をはじめました。1902年にマリー・キュリーがラジウムを発見しています。
1906年(明治40年)、福来友吉(ふくらい・ともきち:1869-1952)が催眠の研究で博士号を取得します。
1907年(明治41年)、日本政府は「催眠取締令」を公布。1911年から福来友吉博士の研究で千里眼ブームが起こります。
1908年(明治41年) 藤田霊斎『心身強健之秘訣 : 実験修養』(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/836952)
1911年(明治44年) 二木謙三『腹式呼吸』(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/837176)
1912年(明治45年)『岡田式静座法』 (実業之日本社:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087516)
1913年(大正元年) 奥村三策『按摩鍼灸学』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1024892
1913年 桜沢如一(さくらざわ・ゆきかず:1893-1966)が石塚左玄の大日本食会に入門します。
1913年(大正02年)、田中守平(1884-1929)が太霊道・霊子療法をはじめます。
1913年には、アメリカ人耳鼻咽喉科医ウイリアム・フィッツジェラルド(William H. Fitzgerald:1872–1942)が「リフレクソロジー(Reflexology)」をつくりました。
「スポンディロセラピー(Spondylotherapy)」は、アメリカの医師アルバート・エイブラムス(Albert Abrams :1863–1924 )が1910年ー1918年に出版しました。アルバート・エイブラムス医師は、打診の名人で、病気を打診によって発見したことをヒントに、電気診断器「ダイナマイザー(dynamizer)」や「オシロクラスト(Oscilloclast)」を販売しましたが、死後にその効果を否定されています。これらは「ラジオニクス(Radionics)」という波動医学系器械のモトネタになりました。
1916年(大正5年)に、アメリカの偽インド人ヨギ・ラマチャラカ(本名ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン)の翻訳『最新精神療法』が出版され、「プラーナ」を「霊気」と翻訳しています。
↓
ラマチャラカ著『最新精神療法』
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935059
1916年(大正7年)中井房五郎(1878年 - 1931年)
『自彊術』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935200/2
国立国会図書館近代デジタルライブラリー
↑
大隈重信、後藤新平などの推薦を得る。
1918年(大正6年) 加藤普佐次郎 「神經性頭痛竝ニ不眠ニ對スルまっさーじ療法術式」『神経学雑誌』 Neurologia. 17(11)
1918年(大正7年) 中村房五郎(なかむら・ふさごろう:) 『自彊術』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935200
1919年 中村天風(なかむら・てんぷう:1876-1968)が心身統一法。
1922年(大正11年)に、臼井 甕男(うすい・みかお:1865- 1926)が57歳のときに、鞍馬山にこもって断食して、「臼井霊気療法」、「レイキ(霊気)」を開発しました。
1925年(大正14年) 野口 晴哉(のぐち はるちか:1911-1976)が療術の活動をはじめる。
1925年(大正14年) 玉井天碧が出版した『指圧法』では、後半は、「霊手指圧法」として、霊術・催眠・精神療法が詳細に書かれています。後半は般若心経も解説されています。
1925年(大正14年) 築田多吉『家庭に於ける実際的看護の秘訣』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935395
1925年(大正14年) 小山善太郎著『血液循環療法講習録』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/934196
1926年 高橋迪雄
正体術大意 : 健康保全病根一掃
日本正体術協会 大正15(1926年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/914531
1928年(昭和3年) 手のひら療治(一) / 三井甲之 『日本及日本人』 p93~96
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1597092
1928年 野口 晴哉(のぐち はるちか:1911-1976)が自然健康保持会。
1929年(大正8年)、野口 晴哉(のぐち・はるちか:1911年 -1976)が松本道別に学び、野口晴哉は、野口整体を創始します。
1929年 桜沢如一は、シベリア鉄道経由でパリに行きました。
1930年(昭和5年) 療術行為取締規則
1930年(昭和5年) 江口俊博, 三井甲之 編『手のひら療治入門』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1050307
1931年(昭和06年)に、平田内蔵吉(ひらた・くらきち:1901-1945)が、『民間治療法全集. 第1巻 (整体指圧温熱・水治療法全集)』を出版しています。
↓
平田内蔵吉著『民間治療法全集. 第1巻 (整体指圧温熱・水治療法全集)』
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1051062
1931年 桜沢如一は、パリでマクロビオティックを創始した本Le Principe Unique de la Philosophie et de la Science d’Extrême Orientを書いてベストセラーになっています。
1932年(昭和7年) 西勝造(にし・かつぞう:1884-1959)『西式触手療法と保健治療法 : 理論応用』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1050607
1932年(昭和7年)福永天礎『福永式整体術講義録 : 霊の不死より肉の長生へ』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1036371
1934年(昭和九年) 栗山謹造著『指圧療法と生理学』慶文堂書店 ※浪越徳次郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106391
1934年 桜沢如一は、フランス人鍼師スリエ・ド・モーラン(Soulié de Morant1878-1955)と共著で
「日本からの漢方の鍼」Acupuncture et médecine chinoise vérifiées au Japon, 1934.を出版しています。
1934年の田野倉快泉の『無薬医術 指圧療法』には、指圧の起源としてカイロプラクティック・オステオパシー・スポンディロセラピーをあげています。ナチュロパシーも挙げられています。
1935年(昭和10年)に「岡田式神霊指圧療法」の岡田茂吉(1882ー1995)が「手かざし」を、「浄霊(jourei)」と称して指圧治療院を経営しはじめ ました。
1935年(昭和10年) 柴田和通『自在健法と手足根本療法』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030622
1937年(昭和12年)無薬療術佐々木式指圧秘法図解
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1024892
1940年(昭和15年)東京指圧療法学会『指圧療法秘伝書 : 図解説明無薬医術』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1053774
1941年 橋本敬三、温古堂医院を開業
1947年(昭和22年) 療術の禁止→全国療術師協会の設立。
1949年(昭和24年)に釈長生=柴田純宏(1899 -1954)氏は、浄土真宗長生派総本山・長生寺を立ち上げて、整体師養成の「長生学園」をつくりました。
1949年 山川霊嶽著 無薬療法整體術
1955年(昭和30年) 浪越徳次郎:全国指圧師総決起大会で指圧法制定のためにデモ行進
1956年(昭和32年)に、厚生大臣認可の専門学校「長生学園」を設立し、「あん摩師」の国家資格者の専門学校となりました。
1957年(昭和32年)に日本指圧学校が厚生大臣認可と公認を取得し、厚生労働省医務局医事科で『指圧の理論と実技』という教本がつくられ、指圧が定義されます。
1957年 小川惟精著『指圧療法読本 : 最新綜合』医道の日本社, 1957.4
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA8506340X
1960年(昭和35年) 最高裁判決
1961年に栗山三郎が『指圧療法と生理学』(いわしや中山医療器本舗出版部, 1961.6)を出版しています。
1962年 国分壮『手技整形学ー指圧と整体』 新星出版社
1963年 加藤 普佐次郎著『指圧療法原理―基本・診断・治療』第一出版 (1963)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1379968
1964年(昭和39年)には「按摩師」が「按摩マッサージ指圧師」と改称されました。この1964年には日本指圧学校副校長であった井沢正が『按腹図解と指圧療法』(1964年)を出版し、経絡指圧を提唱します。
1964年にルディ・パロンビーニ(Rudy Palombini)氏がローマで「イタリア指圧学校(Scuola Italiana Shiatsu)」を創立しました。現在も子息のフルビオ・パロンビーニ(Fulvio Palombini)氏がローマ・ラ・サピエンツァ大学で日本指圧学校と提携しています。
1965年 山口久吉, 加藤普佐次郎『指圧療法臨床』 第一出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1381359
http://amzn.asia/aOk7Cvs
1967年に 高橋晄正(たかはし・こうせい:1918-2004)が『漢方の認識』を出版し、木下晴都・出端昭男の統計派と、竹山晋一郎の経絡治療の脈診をめぐる論争があった際に、増永静人は「経絡の認識」という経絡を肯定する論文を『医道の日本』に投稿されました。
1968年に東京都台東区に指圧研究所「医王会」を設立されます。
1971年 中山鋭三著 指圧整体法
1975年 フランスのThierry Riesser (1950-2010)さんが、1975年に京都で「皇方指圧」を学び、最初の指圧組織である「フランス伝統指圧連盟(FFST:Fédération Française de Shiatsu Traditionnel :http://www.ffst.fr/)」を設立する。
1984年 国分壮、橋本敬三『鍼灸による即効療法―運動力学療法』
1984年(昭和59年)に、日本指圧学校を卒業した小野田茂先生は、スペイン・マドリッドに移住し、‘Aze Shiatsu(阿是指圧)’を普及しています。
1986年(昭和61年)に、日本指圧学校を卒業した池永清(いけなが・きよし)先生はカナダに移住し、経絡と切り離した‘Tsubo Shiatsu(ツボ指圧)’を提唱しました。
1986年「キアツドー:裸足の指圧」(イタリア語)
Kiatsu-do. Shiatsu a piedi nudi
Shizuko Yamamoto
Edizioni Mediterranee (1986/1/1) http://amzn.asia/0s0udN7
この1986年に 「インターナショナル・マクロビオティック・指圧協会(IMSS:International Macrobiotic Shiatsu Society)」が設立されました。
↓
平野元良(ひらの・げんりょう:1790-1867)。
多紀元簡(たき・もとやす)に学ぶ。
1832年『病家須知』
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=KEIO-00458
1835年『養生訣』
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00213/index.html
1811年平田篤胤(ひらた・あつたね:1776-1843)
『志都能石屋』志都能石屋 : 一名・医道大意
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833239
※丹田呼吸
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00672/index.html
平田篤胤の醫書『志都能石屋講本』について
坂出, 祥伸.大阪府立大学人文学会
『人文学論集』. 2012, 30, p.1-14
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/12543/1/2012000025.pdf