リンク先は、窦漢卿著『針経指南』です。
竇黙(とうもく:窦杰:dòu jié:1196—1280)、字は窦漢卿(とうかんけい:窦汉卿:dòu hàn qīng)は、本名がという金末・元初の鍼灸家で、フビライ・カァンの皇子の教育係として重用されました。モンゴル帝国=元朝の重臣です。
今回、調べて、初めて分かったのですが、モンゴル帝国時代=元代を代表する『扁鵲神応鍼灸玉龍経(へんじゃくしんのうぎょくりゅうきょう)』を書いた王国瑞の父親である王開(王开)は、窦漢卿(とうかんけい)の弟子でした。
さらに、易水派を代表する羅天益(らてんえき:罗天益:1220~1290)も、漢方は李東垣(りとうえん:1180-1251)を師匠として、鍼は窦漢卿(とうかんけい)に学んだようです。羅天益は、「東垣鍼法」を残しています(『鍼灸聚英』)。
さらに言うなら、奇経八脈交会穴も窦漢卿(とうかんけい)に始まります。また、具体的な補瀉手技も窦漢卿(とうかんけい)に始まります。
何より「得気(とっき)」の本質を最初に論じたのが、窦漢卿(とうかんけい)なのです。モンゴル帝国時代=元朝の針灸の最重要人物でした・・・。
窦漢卿(とうかんけい)は、儒学と『授時暦(元代の暦)』で有名な許衡(きょこう:1209-1281)や姚枢(ようすう:1200-1280)と並ぶような、モンゴル帝国を代表する大知識人なのです。
窦漢卿(とうかんけい)は、金末に難民となり、南宋に亡命し、宋代の儒学者、程伊川(ていせん:1033 -1107)や朱子(しゅし:朱熹:しゅき:1130 - 1200)の「宋代理学」を学び、モンゴル帝国で講義しました。
この程伊川(ていいせん)の「宋代理学」理気二元論というのは、儒学に、仏教の論理と道教の「静座(せいざ=座禅)」を導入し、「格物窮理(かくぶつきゅうり)」して、「脱然貫通(だつぜんかんつう)」することを目指しました。
この「宋代理学」の思想的なキモは、「静座」によって、「脱然貫通(だつぜんかんつう)」つまり、「悟り」の状態を目指すのであり、禅に似ています。ところが、日本に入って、現在の学校の歴史の教科書で「朱子学」を勉強するときは、「徳川幕府の支配的な儒学」と勉強しますから、現代日本人は、「静座」というボディワークをベースにした「朱子学」や「宋代理学」の意味がまったく理解できないという状態になります。朱子学の「格物窮理(かくぶつきゅうり)」から「物理学」という日本語が出来たのに!
この「宋代理学」を継承した「朱子学」が、江戸幕府でも李氏朝鮮でも支配者イデオロギー「官学」となり、それに対抗した王陽明の「知行合一」の「陽明学」が幕末の維新の原動力となりました。現代日本人は、「宋代理学」も「理気二元論」も、まったく理解できないため、江戸時代の思想的な流れがまったく理解できないという状態になっています・・・。
窦漢卿(とうかんけい)は、隠者である「宋子華」に奇経八脈交会穴を学びました。また、山東省の名医、「李浩」に鍼を学び、さらに、道教・全真教の丘長生(丘処機:丘长生:1148-1227)に学んだという伝承もあります。
窦漢卿(とうかんけい)は、「宋代理学(儒学)」や「道学(道教)」や仏教の知識をもった、金代を代表する大知識人であったことがわかりました。