alternativemedicine

Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

金元時代の鍼灸:窦漢卿『針経指南』

2018-06-12 | 中国医学の歴史
リンク先は、窦漢卿著『針経指南』です。
 
 竇黙(とうもく:窦杰:dòu jié:1196—1280)、字は窦漢卿(とうかんけい:窦汉卿:dòu hàn qīng)は、本名がという金末・元初の灸家で、フビライ・カァンの皇子の教育係として重用されました。モンゴル帝国=元朝の重臣です。
 今回、調べて、初めて分かったのですが、モンゴル帝国時代=元代を代表する『扁鵲神応灸玉龍経(へんじゃくしんのうぎょくりゅうきょう)』を書いた王国瑞の父親である王開(王开)は、窦漢卿(とうかんけい)の弟子でした。
 さらに、易水派を代表する羅天益(らてんえき:罗天益:1220~1290)も、漢方は李東垣(りとうえん:1180-1251)を師匠として、は窦漢卿(とうかんけい)に学んだようです。羅天益は、「東垣法」を残しています(『灸聚英』)。
 さらに言うなら、奇経八脈交会穴も窦漢卿(とうかんけい)に始まります。また、具体的な補瀉手技も窦漢卿(とうかんけい)に始まります。
 何より「得気(とっき)」の本質を最初に論じたのが、窦漢卿(とうかんけい)なのです。モンゴル帝国時代=元朝の針灸の最重要人物でした・・・。
 
 窦漢卿(とうかんけい)は、儒学と『授時暦(元代の暦)』で有名な許衡(きょこう:1209-1281)や姚枢(ようすう:1200-1280)と並ぶような、モンゴル帝国を代表する大知識人なのです。
 窦漢卿(とうかんけい)は、金末に難民となり、南宋に亡命し、宋代の儒学者、程伊川(ていせん:1033 -1107)や朱子(しゅし:朱熹:しゅき:1130 - 1200)の「宋代理学」を学び、モンゴル帝国で講義しました。
 この程伊川(ていいせん)の「宋代理学」理気二元論というのは、儒学に、仏教の論理と道教の「静座(せいざ=座禅)」を導入し、「格物窮理(かくぶつきゅうり)」して、「脱然貫通(だつぜんかんつう)」することを目指しました。
 この「宋代理学」の思想的なキモは、「静座」によって、「脱然貫通(だつぜんかんつう)」つまり、「悟り」の状態を目指すのであり、禅に似ています。ところが、日本に入って、現在の学校の歴史の教科書で「朱子学」を勉強するときは、「徳川幕府の支配的な儒学」と勉強しますから、現代日本人は、「静座」というボディワークをベースにした「朱子学」や「宋代理学」の意味がまったく理解できないという状態になります。朱子学の「格物窮理(かくぶつきゅうり)」から「物理学」という日本語が出来たのに!
 この「宋代理学」を継承した「朱子学」が、江戸幕府でも李氏朝鮮でも支配者イデオロギー「官学」となり、それに対抗した王陽明の「知行合一」の「陽明学」が幕末の維新の原動力となりました。現代日本人は、「宋代理学」も「理気二元論」も、まったく理解できないため、江戸時代の思想的な流れがまったく理解できないという状態になっています・・・。
 
 窦漢卿(とうかんけい)は、隠者である「宋子華」に奇経八脈交会穴を学びました。また、山東省の名医、「李浩」にを学び、さらに、道教・全真教の丘長生(丘処機:丘长生:1148-1227)に学んだという伝承もあります。
窦漢卿(とうかんけい)は、「宋代理学(儒学)」や「道学(道教)」や仏教の知識をもった、金代を代表する大知識人であったことがわかりました。

金元四大家、劉完素先生の鍼灸

2018-06-12 | 中国医学の歴史
金元四大家の劉完素(りゅうかんそ:1120-1200)先生が1172年に書かれた
『素問病機気宜保命集』巻下・薬略第三十二(鍼法附)です。
『素问病机气宜保命集』卷下・药略第三十二(针法附)
 
 金元四大家、寒涼派の劉完素(りゅうかんそ:刘完素:liú wán sù:1120-1200)先生は、異民族支配下の金朝(Jin dynasty:1115–1234)に生きました。
 劉完素(りゅうかんそ)先生は、近所に住んでいた易水内傷派の祖、張元素(ちょうげんそ:zhāng yuán sù)先生から多大な影響を受けたようです。
 張元素(ちょうげんそ)先生は、『珍珠嚢(ちんじゅのう)』と『医学啓源(いがくけいげん)』で、生薬の引経報使学説、升降浮沈を提唱しました。
 もともと張元素(ちょうげんそ)先生の父親である張壁(ちょうへき:张璧:zhāng bì=云岐子:yún qí zǐ)先生も、『雲岐子論経絡迎随補瀉法(云岐子论经络迎随补泻法※『普济方·针灸』に収録)』を書いた鍼灸家であり、鍼灸・漢方ともに経絡から分析しています。
 経絡弁証にもとづく漢方・鍼灸です。
 
珍珠嚢(ちんじゅのう)
 
医学啓源(いがくけいげん)
 
以下、劉完素『素問病機気宜保命集』巻下・薬略第三十二(鍼法附)より引用。
「麻黄:太陽経と太陰経から発汗させる」
   麻黄(发太阳太阴经汗) 
 
「石膏:肺火を瀉し、陽明経を大いに涼やす薬である」
 石膏(泻肺火是阳明大凉药) 
 
「【流注鍼法】」
 流注针法
 
「心痛があり、沈脈なら、腎経の原穴である太溪を用いる」
   心痛脉沉,肾经原穴,
※注:劉完素先生は、心腎不交の治療で、腎経を用いるのが特徴的。
 
「心痛が有り、弦脈なら、肝経の原穴である太衝を用いる。」
弦,肝经原穴,涩,肺经原穴,
 
「心痛があり、浮脈なら、心経の原穴である神門を用いる」
浮,心经原穴,
※注:心腎不交で虚火が浮いている状態か?
 
「心痛があり、緩脈なら脾経の原穴である太白を用いる」
缓,脾经原穴。 
※注:湿病をあらわす緩脈なので脾経の原穴を用いる。
 
「腰痛で、からだの前の症状なら足陽明胃経の原穴の衝陽を用いる。からだの後ろの症状なら足太陽膀胱経の原穴の京骨を用いる。からだの側面の症状なら足陽胆経の原穴の丘墟を用いる」
腰痛 身之前足阳明原穴,(冲阳)身之后足太阳原穴,(京骨)身之侧足阳原穴,(丘墟)
以上、引用終わり。
脈診や経絡弁証で治療法を変えています。
劉完素先生の鍼は弁証論治の鍼といえると思います。
       
以下、『素問病機気宜保命集』巻下・薬略第三十二(鍼法附)より引用。
「【鍼で最も重要】」
针之最要
 
「両脇の痛みでは、足陽胆経の丘墟に鍼をする」
 两胁痛,针阳经丘墟,
 
「心痛では、足陰腎経の太溪や湧泉に鍼をして、さらに足厥陰肝経の原穴の太衝に刺す」
心痛,针阴经太溪涌泉,及足厥阴原穴,
※注:劉完素先生は「心腎不交」に対して、下焦を補腎する治療を得意としており、それで心痛に補腎・補肝腎するのだと推測します。
 
「腰痛が我慢できないなら、崑崙に鍼して、委中を刺して出血させる」
腰痛不可忍,针昆仑及刺委中出血。
 
「骨熱が治らないで、前歯ぐきが乾燥するなら、まさに百会・大椎に灸をする」
骨热不可治,前板齿干燥,当灸百会大椎,
 
「出血が止まらず、鼻血、尿血・便血なら、足太陰脾経の井穴である隠白を刺鍼する。」
血不止,鼻衄,大小便皆血,血崩,当刺足太阴井隐白,
 
「のどの詰まり感なら、足陽胆経の井穴である足竅陰を刺し、あわせてを刺し、さらに足太陰脾経の井穴である隠白を刺す」
喉闭,刺手足阳井,并刺,及足太阴井,
以上、引用終わり。
 金代、劉完素(りゅうかんそ)先生の鍼灸を分析すると、本当に鍼灸の名人だと感じました。これは絶賛です。めちゃくちゃにレベルが高い!さすが、金元四大家!
 
 金代、劉完素(りゅうかんそ)先生の弟子、羅知悌(らちてい:罗知悌:1243-1327)先生が、金元四大家の朱丹渓(しゅたんけい:1281-1358)先生の師匠となりました。
 
 劉完素(りゅうかんそ)先生の学説は、『素問玄機原病式(そもんげんきげんびょうしき)』に詳しいです。『素問玄機原病式(そもんげんきげんびょうしき)』は本当に名文です。
 五運六気学説を研究し、六気の風・火・暑・湿・燥・寒はいずれも化火しやすいことから、火熱を論じ、寒涼派といわれました。いわば、温病学の祖のような位置づけになります。ただ、わたしは劉完素(りゅうかんそ)先生の全著作を読みましたが、単純な瀉熱ではなく、むしろ、心腎不交に対して、補腎することで結果として心火を瀉すというやり方を好みました。
また、灸法も、熱証に灸して結果として瀉熱するという「熱証可灸」です。
 やはり、レベルが高すぎます・・・。たぶん、金元四大家の中でも、ずばぬけて、鍼灸のセンスが良いと感じます。