alternativemedicine

Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

Elisabeth Dickeの結合織マッサージ(Bindegewebsmassage)

2018-06-11 | マッサージ研究
「結合織マッサージ(コネクティブ・ティッシュ・マッサージ)」 
Connective tissue massage. 
G C Goats and K A Keir 
Br J Sports Med. 
1991 Sep; 25(3): 131–133. 
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「結合織マッサージ」は、内臓ー体壁反射を利用した治療法です。  
 
「あん摩マッサージ指圧師」の国家試験の教育課程で、1928年にドイツのエリザベート・ディッケElisabeth Dicke:1884-1952が創案した「結合織マッサージ(コネクティブ・ティッシュ・マッサージ)」は、理論と実技を習うし、国家試験にも出題されます。  
 
   イギリスでは、ポスト・グラデュエイテッド・フィジカル・セラピスト、つまり学校を卒業後に理学療法士が習うマッサージとして位置づけられており、一般的なマッサージより高度な技術という位置づけで、そのため、逆に普及していないようです。アメリカでもヨーロッパ系のマッサージ・セラピストなどの間で使われているようです。   
 
ドイツでは、「結合織マッサージ(Bindegewebsmassage)」は現在も行われています。
 
   1928年にドイツの理学療法士エリザベート・ディッケ(Elisabeth Dicke:1884-1952)は、血管の感染症に苦しみ、右足に循環障害を起こしていました。右足の壊疽(えそ)が起こって、ディッケの主治医はディッケの足を切断する予定でした。ディッケは、扁桃炎、胃炎、腎臓と肝臓の問題を抱えていたために手術できなかったので、彼女はほとんど死に掛けていました。ディッケは腰痛に苦しみ、理学療法士として、背中をマッサージしはじめました。
 
  「ディッケは、普通では無い、鋭い感覚をマッサージで感じました。そして、ときたま、鋭い感覚がある時に、温かい感覚が彼女の足を下がっていくのを感じました。」
 She noticed an unusual, sharp sensation with the massage and an occasional warm sensation down her leg when there was a sharp feeling.   
 
「彼女はあまりに弱っており、彼女の同僚にその変な感じを作り続けるようにお願いしました。」 
She was so weak that she asked a colleague to continue to produce these strange sensations. 
 
 「4ヵ月後、エリザベート・ディッケは退院して、1年後には仕事に戻りました。」
 Within four months her colleague had Elizabeth out of Hospital and started back at work within a year.   
 
「エリザベート・ディッケは、足の循環は正常化して、腰痛、扁桃炎、腎臓と肝臓の問題は解決しました。」
 She had normal circulation in her leg and her back pain, angina, kidney and liver problems had all resolved.   
 
「エリザベートと同僚は、次の10年を彼女が見つけたテクニックの研究に費やしました。」
 Elizabeth and her colleagues then spent the next 10 years doing research into the new technique that she had discovered, finding out how it worked and what it was effective in treating.  
 
 「エリザベートと同僚たちは、ドイツの理学療法士の教育課程でそれを教えて、英語では結合織マニピュレーションと呼ばれます。」 
They set up a teaching protocol for all physiotherapy students in Germany. The English name for the technique is Connective Tissue Manipulation.  
 
「結合織治療、結合織マッサージは、ドイツではよく知られていますが、アメリカではそうではありません。」 
Connective Tissue Therapy (CTT), Connective Tissue Massage (CTM), Bindegewebsmassage, is well known throughout the world but less known in the United States.  
 
「ゆっくりと、アメリカで結合織マッサージは評判となりました。結合織マッサージのボディワーク部門での発達は、1938年にエリザベート・ディッケがコウルラウシュ(Kohlrausch)教授やティエリヒ・ロイベ(Hede Teirich-Leube1903-1979)医師に出会ってから広まりました。」 
 It is slowly acquiring a reputation in the United States. The development of CTT and CTM systems of bodywork began in 1938 when Elizabeth Dicke met with Professor Kohlrausch and Dr. Tierich H. Leube to initiate research and training in CTT.   
 
「彼らは、ジェームズ・マッケンジーの臓器と筋肉の関係についての研究と自分たちの研究を合体させました。」
 They incorporated the work of J. MacKenzie who researched changes in muscle tones in relationships to organs.   
 
「スイス、イタリア、ドイツの温泉理学療法士たちは、結合織マッサージの研究と実践を続けています」 Physical Therapist and Health Spas in Switzerland, Italy (Florence), and Germany continued to research and practice CTT. 
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1893年から1920年代のジェームズ・マッケンジーが内臓の反射が筋に投射されるという筋分節(ミオトームMyotome)の概念を研究しました。また、1900年にヘンリー・ヘッドが内臓関連痛および脊髄外傷性病変の観察から、最初の人間でのデルマトーム(皮膚分節dermatome)を作成しました。
 
  このような当時の最新の科学的研究から1938年から1954年にかけて、エリザベート・ディッケやティエリヒ・ロイベ(Hede Teirich-Leube:1903-1979)は「結合織マッサージ(コネクティブ・ティッシュ・マッサージ)」をつくりました。  
 
 背中などの体幹部の皮膚・皮下組織を、こすったり、つまみます。内臓と対応した部位である「ヘッド帯(Head's zones)」や「マッケンジー帯(Mackenzie's zones)」では、鋭い痛みなどの知覚過敏が出たり、真っ赤になります。この知覚過敏ゾーンをつまんだり、強く擦ったりして、刺激していくと、体性ー内臓反射をとおして病気が治っていくというのが「結合織マッサージ(コネクティブ・ティッシュ・マッサージ)」のやり方です。

歪んだマッサージの手技の歴史

2018-06-11 | マッサージ研究

2015年5月21日発表の『コクラン・システマティックレビュー』
「乳がん治療後のリンパ浮腫に対する『マニュアル・リンパ・ドレナージュ』」
Manual lymphatic drainage for lymphedema following breast cancer treatment.
Ezzo J et al.
Cochrane Database Syst Rev. 2015 May 21;5:CD003475.

以下、引用。
「著者の結論:マニュアル・リンパ・ドレナージュは浮腫減少のための圧迫バンドに付け加える治療としては、安全で利益があるかもしれない」
Authors' conclusions:MLD is safe and may offer additional benefit to compression bandaging for swelling reduction
以上、引用終わり。

マニュアル・リンパ・ドレナージュ(Manual lymphatic drainage)」では、マッサージ手技としては、
静止クライス(Standing circle:ドイツ語のStehender Kreis:シュテヘンダー・クライス)」、
ポンプ手技(Pump grip:ドイツ語のPumpgriff:ポンプグリフ)」、
ドレー手技(Turn grip:ドイツ語のDrehgriff:ドレーグリフ)」、
シェップ手技(Scoop grip:ドイツ語のSchöpfgriff:シェップグリフ)」
などの独特の4つの手技を用います。

 「マニュアル・リンパ・ドレナージュ(MLD:Manual Lymphatic Drainage)」は、デンマーク、コペンハーゲンで生まれて比較言語学を学んでいたエミール・ヴォダー(Emil Vodder:1896-1986)さんが、1932年にフランスのコート・ダジュールでマッサー(民間無資格マッサージ師)として働いているとき、扁桃炎に対してリンパをマッサージしたら改善したことから始まりました。エミール・ヴォダーさんは、ドクトル・デア・フィロゾフィー(Doktor der Philosophie:Ph.D)つまり哲学博士はとっているので、ドクターですが、医師(MD)ではありません。だから、「マニュアル・リンパ・ドレナージュ」は厳密には代替医療と見なされています。エミール・ヴォダーさんは1936年頃に、リンパ・ドレナージュを発表し、残りの人生をフランスのパリで過ごしました。 

 エミール・ヴォダー(Emil Vodder:1896-1986)さんは民間無資格マッサージ師だったため、「マニュアル・リンパ・ドレナージュ」はヨーロッパでも代替医療の扱いでしたし、今でも代替医療として扱っている国が多いです。EUでの研究の中心地はドイツです。ドイツでカイロプラクティックを行っていたヨハネス・アスドンク医師(Johannes Asdonk1910-2003)が1969年にヨーロッパ最初のリンパ・ドレナージュの学校とリンパ学会、専門クリニックをつくりました。1974年にドイツは「マニュアル・リンパ・ドレナージュ」に保険適応を認めます。
 さらにミヒャエル・フェルディ医師(Michael Földi 1938-)がヨハネス・アスドンク医師(1910-2003)の研究を進めて、「マニュアル・リンパ・ドレナージュ」、圧迫バンデージ、コンプレッション・ストッキング、運動療法から成る「複合理学療法(CDP)」を創案しました。このミヒャエル・フェルディ医師の「複合理学療法(CDP)」が現在のリンパ浮腫患者に対する標準的な治療法となっています。

 ドイツのエリザベート・ディッケは1920年代に「結合織マッサージ(Bindegewebsmassage)」を創り、
デンマーク(フランス)のエミール・ヴォダーは「マニュアル・リンパ・ドレナージュ」を1930年代に創り、
イギリスのサイアリュックスは1940年代に「ディープ・トランスヴァース・フリクション・マッサージ」をつくりました。
これらはいずれも「ファッシア(Fascia)」に作用する手技です。

そして、それ以前に、オランダ人ヨアン・ゲオルグ・メッツアー(Johann Georg Mezger:1838-1909)が「クラッシック・マッサージ」を創りました。
 フランスの医師Just Lucas-Championnière(1843-1913)やロシアの医師イシドール・ザブルドスキー(Isidor Zabludowski:1851-1906)、ドイツの外科医アルバート・ホッファ(Albert Hoffa:1859-1907)は同時代人です。
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885年にジョージ・テイラー医師が英語圏のアメリカに、オランダ人メッツアーの「クラッシック・マッサージ」を、スウェーデン人ピーター・ヘンリー・リン(本当はパー・ヘリック・リンPehr Henrik Ling1776-1839)がつくったものと誤記して、「エフルラージュ」を「ストローキング(stroking)」、「ペトリサージュ」を「ニーディング(kneading)」と翻訳して紹介したようです(Taylor GH. Exposition of the Swedish Movement Cure. New York)。これが、「スウェーデン・マッサージ」という誤った名称の由来となります。

 1890年代に「アメリカ・マッサージの父」ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ(John Harvey Kellogg1852-1943)がさらに、このマッサージをアメリカで普及しました。さらに、1895年にケロッグが『マッサージの技術(The Art of Massage)』を出版すると、ボストン大学に留学中の川瀬元九郎医師は、岐阜訓盲院の院長だった森巻耳(もり・けんじ1855-1914)に紹介しました。森巻耳は、1897年に「ケルロッグ氏マスサージ学」として翻訳出版しました。ストローキング(Stroking)、ニーディング(Kneading)、バイブレーション(Vibration)、パーカッション(Percussion)などの手技が書かれているようです。
 明治時代に軍医で初代日赤病院院長の橋本綱常(はしもと・つなつね:1845-1909)が大山巌陸軍卿に随行して1884年(明治18年)のヨーロッパ医事制度視察の際にオーストリアからドイツ語のDr. Albert ReibmayrDie Technik der Massage.(1882年初版)を持ち帰りました。これを橋本綱常(はしもと・つなつね:1845-1909)が陸軍軍医総監の長瀬時衝(ながせ・ときひら:1836-1901)に紹介しました。広島博愛病院の院長だった長瀬は1885年から、これを広島の病院で試して著効を得て、1893年に退官して、東京飯田橋で仁寿病院を設立した際にマッサージを治療に用いました。
 1895年には長瀬時衝(ながせ・ときひろ)は日本初のマッサージの翻訳本「『萊氏按摩新論』(『Die Technik der Massage』Dr. Albert Reibmayr著)」を出版しています。
 近代鍼灸教育の父と言われる奥村三策(おくむら・さんさく1864-1912)は長瀬からマッサージを学び、これが現在の日本の「マッサージ」の基礎となったようです。

現在でもウィキペディア日本語版では、日本のマッサージはフランス由来とデタラメを書いています。

日本で西洋系のアロマ・マッサージをしている無資格者の方々は、
「エフルラージュ(effleurage:/e.flø.ʁaʒ/)」、英語のストローキング(Stroking)を軽擦法、
「ペトリサージュ(pétrissage:/pet.ʁi.saʒ/)」、英語のニーディング(
kneading)、を揉捏法、
「タポトマン(tapotement:/ta.pɔt.mɑ̃/)」、英語のタポテメント(Tapotement:/təˈpəʊtmənt/)を叩打法、

「フリクション(friction:/fʁik.sjɔ̃/)」、英語のフリクション(friction:/fɹɪkʃən̩/)を摩擦法、
「ヴィブラション(vibration:/vi.bʁa.sjɔ̃/)」、英語のヴァイブレーション(vibration:/vaɪˈbɹeɪʃən/
)を震顫法と翻訳しているようです。
フランス語と英語と日本語がごっちゃごちゃで、ものすごい恥ずかしい状態になっています・・・。しかも、コトバの中身が違い過ぎます・・・。