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Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

宋代、『小児薬証直訣』の心熱移熱小腸

2018-06-05 | 中国医学の歴史



宋代、銭乙(せんいつ:钱乙:qián yǐ)著『小児薬証直訣(しょうにやくしょうちょっけつ)』
小儿药证直诀(xiǎo ér yào zhèng zhí jué)
です。

 

金元時代、モンゴル帝国時代の医学を改めて学んで驚いたのは、「肝は気の疏泄を主る」や「脾は昇清を主る」という理論は朱丹渓や李東垣が創った理論であるということです。金元時代以前には「肝気鬱結(肝鬱気滞)」も「脾気下陥」も存在しません。

隋唐時代の『諸病源候論』や『千金要方』には、五臓六腑の病の記述がありますが、現代中医学の臓腑弁証とは全く異なりました。

隋唐時代と金元時代をつなぐ、宋代から、「臓腑弁証」の原型が形成されはじめます。その「臓腑弁証」の原型となったのは宋代、銭乙(せんいつ)の『小児薬証直訣(しょうにやくしょうちょっけつ)』の五臓弁証といわれる部分のようです。

もともと『霊枢』の経絡弁証と、『傷寒論』の六経弁証がありました。「臓腑弁証」は、隋、唐、宋、金、元、明、清の時代にゆっくりと発展した概念のようです。

 

銭乙(せんいつ:1032ー1113)は、鍼師の父を持ちますが、父が失踪した(笑)ために孤児となり、孤児から小児科医となりました。

以下は2016年に発表された日本語の銭乙の経歴の論文です。

「銭乙の治療世界」

角屋明彦

『尚美学園大学総合政策研究紀要』 27, 123-131, 2016-03-31

http://id.nii.ac.jp/1506/00000172/

(全文無料オープンアクセス)

 

銭乙は、最初の小児科医であり、「腎陰虚」への「六味地黄丸」は銭乙が創りました。

また、銭乙は、小児の五臓病「心熱」に対する「導赤散(どうせきさん)」を創りました。

 

「導赤散(どうせきさん:导赤散:dǎo chì sǎn)」は、現在の臓腑弁証「心移熱小腸証(心移热小肠证:xīn yí rè xiǎo cháng zhèng)」「小腸実熱証(小肠实热证:xiǎo cháng shí rè zhèng

)の治療方剤です。

もともと、銭乙は「心熱(xīn rè)」と表現していました。

現在では、「導赤散」は、小児の夜泣きや、口内炎、膀胱炎に使われます。

http://www.wiki8.com/daochisan_53425/

 

ところが銭乙の『小児薬証直訣』の「心熱」「導赤散」の記述は以下です。

以下、『小児薬証直訣』心熱より引用。

「视其睡,口中气温,或合面睡,及上窜切牙,皆心热也。导赤散主之。

 

心气热则心胸亦热,欲言不能而有就冷之意,故合面卧。」

http://zhongyibaodian.com/xiaoeryaozhengzhijue/875-5-11.html

うまく訳せないですが、現代の「心移熱小腸証」とは、かなり違うのだけは分かります(笑)。明清時代に、ゆっくりと「心移熱小腸証」が形成されたようです。

もともと「心移熱小腸証」は、心経の熱が経絡を通して表裏する小腸経に伝わるという経絡病なので、臓腑弁証に入れるのは、どうかな?と思います。

 

宋代の銭乙の「心熱」から、約1.000年の時間をかけて、現代の臓腑弁証の「心移熱小腸証」の概念は形成されたようです。