alternativemedicine

Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

心下痞:『中暑』「陰暑」と五苓散

2018-05-18 | インド伝統医学

「五苓散が有効であった夏季の冷飲食後に生じた心窩部痛の検討」
木村 容子et.al.『日本東洋医学雑誌』
Vol. 61 (2010) No. 5 P 722-726
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed/61/5/61_5_722/_pdf

この論文では、夏に冷飲冷食して、心下痞(しんかひ)、心窩部痛、白苔となった症例に利水「五苓散」が有効で、「健脾去湿」の「六君子湯」は効果が無かったことを報告しています。

「五苓散(ごれいさん)」は、『傷寒論』の太陽病「太陽蓄水証」「太陽腑証」に使われる処方であり、通陽化気、解表しつつ、太陽小腸経から利尿・利水します。

太陽蓄水証(たいようちくすいしょう:太阳蓄水证:tài yáng xù shuǐ zhèng)」や「太陽腑証(たいようふしょう:太阳腑证:tài yáng fǔ zhèng)」とは、清代の医家、徐大椿(じょたいちん:徐大椿:xú dà chūn:1693~1771)が、注釈書『傷寒論類方(伤寒论类方:shāng hán lùn lèi fāng)』で提唱した概念です。

 傷寒論の「太陽病」は、「太陽膀胱経」と「太陽小腸経」に風寒の邪が入りますが、経絡だけでなく、「足太陽膀胱腑」や「手太陽小腸腑」に入り、「膀胱・小腸」の気化作用が失調し、尿が出なくなり、水が太陽の腑に貯まるので、「太陽蓄水証」「太陽腑証」と言います。

 張仲景著『傷寒論』辨太阳病脉证并治法下

心下痞で、瀉心湯を与えても心下痞が取れずに、口渇し、口が乾燥してイライラして小便不利なのは、五苓散がこれを主る」
心下痞,与泻心汤;痞不解,其人渴而口燥烦,小便不利者,五苓散主之。
http://zhongyibaodian.com/archives/1289.html

五苓散の腹証は、「心下痞」「白苔」「心窩部痛」になります。

督脈と背中の太陽膀胱経や太陽小腸経を温通し、腹部の詰まりを取ります。

臍周辺の「神闕」や小腸の募穴「関元」の温灸は、太陽小腸から利水利尿します。

西洋医学には「夏バテ」という病気は存在しないので、東洋医学の利尿剤の五苓散で、太陽小腸経から利水・利尿して「夏バテ」が治るのは面白いと思います。


チャクラとエネルギー医学

2018-05-18 | インド伝統医学

 戦前は、1919年(大正8年)に中村天風(なかむら・てんぷう:1883ー1960)が「心身統一法」を創案し「天風会」をつくったことが日本におけるインド・ヨガの始まりとされています。この中村天風は、東郷平八郎や宇野千代や政財界の有名人の師匠として有名ですが、もともと右翼の巨頭・頭山満の軍事密偵スパイとして馬賊と斬り合いをした「人斬り天風」と呼ばれた人物です。

 また、キリスト教徒でインドの詩人タゴールの翻訳者、三浦関造(みうら・せきぞう:1883ー1960)も日本への初期のヨガ紹介者です。三浦関造は1949年に「総合ヨガ」を提唱し、1953年に「竜王会」を組織し、1950年代にヨガの文献を「竜王文庫」で翻訳紹介し、実践しました。ただ、三浦関造のヨガは、「神智学」経由のヨガです。「神智学(テオソフィー:Teosophy)」はイギリス植民地インド帝国に住んだヘレナ・ブラバッキー夫人(Helena Blavatsky:1831-1891)やアニー・ベサント(Annie Besant:1847-1933)やクリシュナムルティ(Krishnamurti:1895-1986)、C・W・リードビーター(Charles Webster Leadbeater:1854 –1934)が関わりました。「神智学」は、国連のユニセフ国際連合児童基金の成立やモンテッソーリ教育のモンテッソーリ、シュタイナー教育をつくったルドルフ・シュタイナーの「人智学(アントロポゾフィー:Anthroposophie)」やインド独立運動などに関わっていた歴史があります。
 この「神智学」の西洋系ヨガは、「エーテル体」「アストラル体」「メンタル体」「コーザル体」などのオーラ研究や、C・W・リードビーターの名著『チャクラ』(邦訳、平河出版社1978年)に代表されるチャクラ研究で現代21世紀の西洋の「エネルギー医学(Energy medicine=スピリチュアル・ヒーリング)」に多大な影響をもたらしました。
 また、鍼灸師でもあった玉光神社・宮司である本山博(もとやま・ひろし:1925-2015)は、1962年からヨーガのチャクラやクンダリニー研究で世界的に有名になり、「ESP(超感覚:Extra Sensory Perception)」をデューク大学で世界で始めて研究したライン教授(Joseph Banks Rhine:1895- 1980)より経絡やチャクラの電気生理学的研究で、賞も受賞しました。本山博は、電気的に経絡を測定する「AMI(本山式電気臓腑経絡測定装置:Apparatus for measuring the functioning of the Meridian and corresponding Internal organs)」を開発しました。良導絡や経絡の電気抵抗に関する研究を調べていると、良導絡の中谷義雄先生と並んで本山博先生の論文はよく引用されています。

「東洋医学気の流れの測定・診断と治療」
本山 博、宗教心理出版 (1985/01)
http://www.amazon.co.jp/dp/4879600318

 この「AMI(本山式電気臓腑経絡測定装置)」は、日本よりも海外で有名となり、経絡の実態は、皮下の結合組織ではないかという仮説が生まれました。これは欧米の代替医療に大きな影響を与え、代替医療研究者リチャード・ガーバー(Richard Gerber)は、2000年に『バイブレーショナル・メディスン』で、本山博の研究を根拠に、オーラ・チャクラ・経絡の理論から代替医療を統合する理論を提唱しました。

『バイブレーショナル・メディスン―いのちを癒す「エネルギー医学」の全体像』
リチャード ガーバー 日本教文社 (2000/10)
http://www.amazon.co.jp/dp/4531081277


チャクラ

2018-05-18 | インド伝統医学

『ヨーガ的身体論の資料 : 『六輪解説(Satcakranirupana)』試訳(1)』
愛知文教大学論叢 7, 67-90, 2004-11-30
http://ci.nii.ac.jp/els/contents110004030650.pdf?id=ART0006288421

上記は2004年に『古代インド哲学ヨーガ学派(योगदर्शनम्:Yoga-darśana)』の研究者、遠藤康先生が「チャクラ」について、発表された論文です。これが現状では、「チャクラ」について、最も総合的な文献になります。「7つのチャクラ」について、1577年頃にベンガル地方で書かれた文献です。現代のチャクラ理論に非常に似ています。

遠藤康教授は、インドに留学してサンスクリット語で博士号を取得し、最初は、古代インド哲学のヨーガ学派の研究をされていたのですが、後に中世インド哲学のナータ派(ハタ・ヨーガ派)の研究に転じました。

遠藤康教授のプロフィール
http://www.abu.ac.jp/intro2017/teachers/k-endo

(1)「中世的諸ヨーガとYogasutra:ナーラーヤナ・ティールタのYogasutra解釈」
遠藤康『名古屋大学文学部研究論集. 哲学』44, 25-39, 1998-03-31
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/5602/1/BT004402025.pdf

(2)「最高のヨーガ : ヨーガ文献における Raja-yoga について」
遠藤康『印度學佛教學研究』43(2), 956-963, 1994
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/43/2/43_2_963/_pdf

「ヨーガ・スートラ」に代表される古代インドの六派哲学のヨーガ学派と、中世インドの「ハタ・ヨーガ」は別の身体観や思想体系であることが強調されています。

インド仏教やチベット仏教のチャクラは「四輪三脈説」です。

津田真一「四輪三脈の身体観」
『インド思想と仏教:中村元博士還暦記念論集 通号』1973-11, 293-308,

心臓の法輪、
喉の受用輪、
臍の変化輪、
頭頂の大楽輪の「4つのチャクラ」と、
中央のアヴァドゥーティー(スシュムナー管)、左右のララナー(イダー管)とラサナー(ピンガラ管)の「3つの脈管」に基づくヨーガ生理学を「四輪三脈説」と言います。
つまり、インド仏教やチベット仏教では、臍の変化輪が最下部のチャクラでした。さらに原始的なチャクラの認識は、「臍」と「胸」だったことも、2002年に判明します!!!

『Catuspitha-tantra所説の究寛次第-CatuspithaIV-iii を中心に-』
川崎一洋『印度學佛教學研究』
Vol. 51 (2002-2003) No. 1 P 349-347
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/51/1/51_1_349/_pdf

 チャクラの歴史的変遷が、この20年で、少しずつ明らかになってきたようです。
インド仏教やチベット仏教の中でも、「後期密教」と言われる「無上瑜伽タントラ(Anuttarayoga Tantra)」は、8世紀に起こり、「性的ヨーガ」「ハタ・ヨーガ」そのものでした。

「性的ヨーガ」「ハタ・ヨーガ」「タントラ」は、インドのカースト社会特有の『尸林(श्मशान:śmaśāna:シュマシャーナ)』から産まれました。『尸林(श्मशान:śmaśāna:シュマシャーナ)』は、インドの郊外にある墓地、死刑場であり、そこにいる魔女である「荼枳尼(ダキニ)」「瑜伽女(ヨギーニ)」から、「タントラ」「ハタ・ヨーガ」は始まりました。これは瞑想中心で『止観』、心の働きを止めることを重視する「ヨーガ・スートラ」のヨーガと全く違います。

インドのカースト社会の『尸林(श्मशान:śmaśāna)』の魔女たちから始まったヒンドゥー教シヴァ派の「タントラ」はインドだけでなく、アジア中に大流行して、インド仏教に影響を与え、インド後期密教となり、チベットに輸出されて、「チベット密教」となりました。

ヨギーニ(瑜伽女)を重視する性魔術・黒魔術である「母タントラ」には、『サンヴァラ系(サンヴァラ:Samvara=サマーヨーガ・タントラ:Samayoga Tantra)』と『へヴァジュラ系(ヘヴァジュラ・タントラ:Hevajra Tantra))』があります。

これも性瑜伽である「父タントラ」には、『幻化網タントラ(げんけもう:Māyājāla Tantra,:マーヤージャーラ・タントラ)』や『秘密集会タントラ(ひみつしゅうえタントラ:Guhyasamāja tantra:グヒヤサマージャ・タントラ)』があります。

これらのタントラがチベット仏教の最終仏典「時輪タントラ(Kalachakra tantra:カーラチャクラ・タントラ)」で統合されました。

これらのチベット仏教のチャクラ学説を追うのは悪夢のような作業でした。性魔術・黒魔術そのものです。
これらのチベット仏教のチャクラ学説、性瑜伽は、最近、ようやく解明されてきました。
インド、西ベンガル州に『尸林』や『尸林の宗教』が実在、現存することも最近、確認できました。
これらの『尸林の宗教』は、インド仏教・チベット仏教の『恥部』なので、インド思想研究者たちは論文レベルでは解明してはきましたが、余りに『おぞましい』ので、一般社会に伝えられることは無いと思います。
 ただ、インド思想を研究することで、ベンガル地方の吟遊詩人バウルたちの性瑜伽を知り、「ハタ・ヨーガ」のチャクラやナディなどの生理学やムーラ・バンダ(mula bandha)の意味をようやく理解できました。

さらに「性瑜伽」の中身を検討すると「接して漏らさず」「還精補脳(かんせいほのう)」など、中国の「房中術」「内丹術」の一部は明らかに、インドの「性瑜伽」の影響を受けていると感じました。丹田の上丹田・中丹田・下丹田の位置も、インドの密教のチャクラ理論の歴史を理解したあとなら、理解できます。


ベンガル語圏の吟遊詩人バウルのヨーガと7つのチャクラ

2018-05-18 | インド伝統医学

「インド・ベンガル地方の吟遊詩人バウルの胎生論」
北田信(きただ・まこと)
『死生学研究』 (10), 88-118, 2008-09 2008年9月
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/28758/1/da010004.pdf

 「ベンガル人の国」を意味するバングラデシュ(Bangladesh)には、「風狂」を意味する、漂泊の吟遊詩人バウルが存在します。バウルたちは、カースト制度から外に出た「世捨て人」で、詩歌を歌うことで、民衆から食料をもらって、旅をしながら、生きています。
 インド独立の詩人タゴール(Tagore:1861-1941)が「ベンガル文化の代表」と絶賛したのが吟遊詩人バウルの歌です。

 しかし、バウルたちの歌が何を意味するのかは秘密でした。
日本の文化人類学者、村瀬智先生の調査により、それが明らかになってきました。

2017年3月
『風狂のうたびと: バウルの文化人類学的研究 』
東海大学出版部 (2017/3/13)
http://amzn.asia/4OyhqVI
 
 バウルたちは、10世紀頃に成立した「タントラ・ヨーガ」の実践者なのです。
口伝で師匠から伝授されたセックス・ヨーガを通じて、バウルたちは悟りの境地を目指します。そのセックス・ヨーガ「タントラ」の秘密がベンガル語で歌われているのが、吟遊詩人バウルの歌と音楽なのです!吟遊詩人バウルは現代に生きる「ハタ・ヨーガ」「タントラ・ヨーガ」の実践者なのです!

 以下の論文では、バウルの「7つのチャクラ」が明記されています。

「ベンガルのバウルの文化人類学的研究(4)」
村瀬 智『大手前大学論集』 10, 213-235, 2009-03-31
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005427385

(1)第1チャクラ:ムーラダーラ
五元素の 「地 」 が 存 在 。
位 置 は 骨 盤 の 基底 部 、 す な わ ち 会 陰 部 。

(2)第2チャクラ:ス ヴ ァデ ィ シ ュ タ ー ナ
五元素の「水」が存在。 位 置 は 生 殖 器 付 近 。

(3)第3チャクラ:マニプーラ
五元素の「火」が存在。位置は臍(へそ)付近

(4)第4チャクラ:アナーハタ
五元素の「風」が存在。位置は心臓付近

(5)第5チャクラ:ヴィシュッダ
五元素の「空」が存在。位置は喉。

(6)第6チャクラ: ア ー ジ ュ ニ ャー
位置は眉間。

(7)第7チャクラ:サハスラーラ
位置は頭頂部。

まさに、土曜日の研究会で紹介した現代の「7つのチャクラ」そのまんまです・・・。ただ、チャクラの色が違います。
スシュムナー管やイダー管、ピンガラ管も統合された見事なチャクラの理論です。
バングラデシュの漂泊の吟遊詩人バウルは、神秘歌で、チャクラの秘密を歌い、タントラ・ヨーガで「神人合一」の境地を目指します。カーストや職業を捨て、この道に入ります。
現在、2人の日本人女性が、その目的や秘密を理解した上で、漂泊の吟遊詩人バウルの道に入門し、バウルと生活を共にしているそうです。


インド学とインド伝統医学

2018-05-18 | インド伝統医学

『「印哲」は何を目指してきたのか?』
片岡 啓『南アジア研究』Vol. 2008 (2008) No. 20 P 142-159
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjasas1989/2008/20/2008_20_142/_pdf

 この論文は衝撃的です・・・。東大・京大のインド学(Indology)研究や「アジア研究(Asian studies)」の歴史を振り返っています。

 わたしは、長年、ヨガやインド伝統医学を勉強してきましたが、ここに私が言いたいことが言い尽くされています(笑)。先月、偉大なインド哲学者、中村 元(なかむら・はじめ:1912-1999)先生が亡くなる直前の最晩年に書いた、ウルドゥー語の詩人カビール(Kabīr:1440-1518)についての論文を読んで、愕然としました。

「詩人カビールの思想的特徴」
中村 元『日本學士院紀要』Vol. 51 (1996-1997) No. 1 P 45-69
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tja1948/51/1/51_1_45/_pdf

 尊敬する中村元先生でさえ、ウルドゥー語の古典が読めない!ので、英語のカビールの文献を紹介していました。ウルドゥー語はパキスタンとインドの公用語です。中村元先生は戦後日本のインド思想研究のナンバーワンです。
 それどころか、「インド思想」を研究している研究者のほとんどは、ウルドゥー語もヒンディー語も読めない!現代インドにも出かけていかない。古代の死語であるサンスクリット語やパーリ語は読めるが、現代インド理解に必要な、ヒンディー語、ウルドゥー語、ベンガル語、シンハラ語、タミル語がわかりません。大学のインド思想研究者たちは、現代インドへの関心が無いのです。

 以前から、「インド哲学」や「インド思想」を研究している方が、ものすごく基本的な間違いを平気でしているのを見て、不思議に思っていました。
 補完代替医療・伝統医療を学んでいて、一番、気になっていたのは、「アーユルヴェーダ」と「ヨーガ」を混同していることです。
 また、「シッダ医学(Siddha medicine)」と「アーユルヴェーダ」を混同しています。
 2014年にインド政府に、AYUSH省(Ministry of AYUSH)が出来ました。アーユルヴェーダ、ヨーガ、ナチュロパシー、ユーナニ、シッダ医学、ホメオパシー(Ayurveda, Yoga and Naturopathy, Unani, Siddha、Homoeopathy)の頭文字をとって、「AYUSH」ですから、アーユルヴェーダとヨーガとシッダ医学は全く別の医学体系であり、身体観が違うのです。この基本の基本さえ、日本の伝統医学関係者は、認識できていないです!

以下、『「印哲」は何を目指してきたのか?』より、引用。
『(東大・京大のインド哲学科では、)古典チベ ット語をマスターしている人は沢山いるが、ヒンデ ィー語習得者はごく僅かである。学生だけでなく、イン ドにしょっちゅう出かけるという先生も稀である。「南アジアがどう認識されてきたのか」以前に、南アジア― 少なくとも現代インドは認識されていないのである。』

『現代インドと古典との間を埋めようとする情熱の欠落。そもそ もインドへの関心の出発点が「仏教・思想」であって 「現代インド」ではない。』

『限られた専門分野において世界的に評価 される成果を残す一方、そこに抜け落ちていたの は現代インドへの関心である』

『「インド哲学7つの難問」は、滑走路作りで一生を終えるたとえを持ち出している。インド哲学研究を志した人のほとんどは、飛行機で自在に空を駆けることを夢見たはずである。ところが、そのほとんどの人は、その夢を忘れ、滑走路作りで一生をを終えることに人生の意義を見出してしまう。』

『中村元のように、現代インドへの関心を持ち続け、インダス文明からネルーまでインド哲学史を広く論じる学者は実は例外である』

『中村元以後を見渡すとき、極端な専門化が進行しているのがわかる』

『古代学・文献学に立つ「現代のインド学」が現実のインド理解の要請に応え得ないことを率直に認めている』
以上、引用終わり。

 これは、本当に深刻に感じました・・・。


ハタ・ヨーガの文献学とイスラムのチャクラ

2018-05-18 | インド伝統医学

「ハタ・ヨーガの一考察」
番場 裕之『印度學佛教學研究』Vol. 49 (2000-2001) No. 1 P 473-469
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/49/1/49_1_473/_pdf

 佐保田鶴治(1899-1986)先生の高弟、番場一雄(1938-2003)の子息である番場裕之(1966-)先生の論文です。「ハタ・ヨーガ(हठयोग:Hathayoga)」は10世紀頃に成立したと考えられています。創始者の伝説があるのは7世紀から10世紀のヒトと考えられる「ゴーラクシャ(Goraksha)」です。10世紀頃に成立したと考えられる文献、『ゴーラクシャナータ(Gorakshanath)』、『ゴーラクシャータカ(Gorakshashataka)』は、ヒンドウー教ナータ派(Nath)を代表する文献です。これらには、プラーナ、クンダリニー、アーサナ、ムドラーなどについての記述があります。

 ハタ・ヨーガの17世紀の文献である『ゲランダ・サンヒター(Gheranda Samhita)』もアーサナ、ムドラー、プラーナヤーマなどの記述があります。

 「ヨーガ(योग)」の根本経典と言われる『ハタ・ヨーガ・プラディピカー(Hatha Yoga Pradipika:हठयोगप्रदीपिका)』も17世紀の文献です。

 18世紀には、ハタ・ヨーガ文献『シヴァ・サンヒター(Shiva Samhita)』も書かれて、アーサナ、ムドラーなどを論じています。

 上記の「ハタ・ヨーガ」基礎文献の中で、日本語訳されているのは、『ハタ・ヨーガ・ブラディピカー』のみです。

 ところが、現在、わたしは、東洋学(Oriental Studies)を網羅的に調べているのですが、中世アラビア世界の数学者・物理学者として知られる、ビールーニー(al-Bīrūnī :973-1048)が、パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』を1030年頃にアラビア語に翻訳していると知って、ビックリしました。
 さらに、ハタ・ヨーガの『ゴーラクシャナータ』や『ゴーラクシャータカ』もペルシャ語訳されて、7つのチャクラ、スシュムナー管・イダー管・ピンガラ管などのナディ、プラーナ、クンダリニーなどの知識も翻訳されていました。
 ハタ・ヨーガの基礎文献『ゲランダ・サンヒター』、『ハタ・ヨーガ・ブラディピカー』、『シヴァ・サンヒター』もペルシャ語に翻訳されていたそうです!!! つまり、ハタ・ヨーガの基礎文献と基礎知識はすべてペルシャ語訳されているのです!凄いやん!

「ヨーガの実践とペルシア語訳『ゴーラクシャシャタカ』」
榊和良『東洋文化研究所紀要』 第163冊, 2013.03, pp. 80(157)-108(129)
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/53565/1/ioc163003.pdf

 この、2013年の榊和良(さかき・かずよ)先生の論文を読むと、ペルシャ語訳されたヨーガ文献は、「宝の山」です。イランは、イスラム教のスーフィーの本場であり、スーフィーたちはインドのヨーガから多大な影響を受けてきました。
そして、インドのイスラム・ムガル帝国(1526年 - 1858年)の宮廷では、ペルシャ語が公用語として使われており、ペルシャ語への翻訳局もありました。
 2014年にマーク・シングルトンの『ヨガ・ボディ』を読んでから、3年もヨーガの理論について批判的に検証してきました。インド仏教やチベット仏教など仏教学の方面からヨーガ(瑜伽)文献を検証してきたのですが、まさか、ハタ・ヨーガ基礎文献が中世にインドからアラビア語・ペルシャ語訳されているとは想像の外でした!!! 個人的には、アラビア語世界やヒンディー語世界をわずかでも学んだことで、「イスラム化されたインド」が認識できたことが大きいと思います。
 インドのヨーガの理論や文献をイスラム世界に探すという発想がありませんでした。おそらく、わたしも含めた日本人のインド伝統医学研究者は、全員が「イスラム化されたインド」を認識できていなかったのです。インドは800年前からイスラム世界なのに!

「『甘露の水瓶(Amrtakunda)』とスーフィー修道法」
榊和良『東洋文化研究所紀要』. 139冊, 2000-03, p. 272-239
http://hdl.handle.net/2261/2032
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/2032/1/ioc13907.pdf

 しかも、このイスラムの修行法を論じた論文には、ヨーガの「7つのチャクラ」が明記されています。第1チャクラと第2チャクラの位置は違いますが、
第3チャクラ:ヘソ
第4チャクラ:心臓
第5チャクラ:のど
第6チャクラ:眉間
第7チャクラ:脳天
と現代のチャクラ理論とほぼ一致しています。禁欲的なスーフィーたちが「タントラ」を学んでいるなんて!
これこそ、2000年から2010年代のヨーガ研究の最前線です。わたしも、まさか、自分が何年も求めていた答えが、イスラム世界にあるなんて想像の外でした。
これは、インド伝統医学理論の研究における、ブレークスルーだと思います。アラビア語世界とヒンディー語世界を学んだ、最大の成果です。


瑜伽女 yogini

2018-05-18 | インド伝統医学

『〈瑜伽女 yogini〉考』
静 春樹『密教文化』Vol. 1997 (1997) No. 196 P L1-L32
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1997/196/1997_196_L1/_article/-char/ja/

 ヨーガをする女性を、「ヨギーニ(yogini:漢語で『瑜伽女』)」と言います。ヨーガの歴史を調べていると、驚愕の連続です。「ヨギーニ(yogini:漢語で『瑜伽女』)」とは、仏教の「タントラ仏教(密教)」で「性的ヨーガの相手をする女性」の意味なのです・・・。信じられないけど、本当なのです・・・。

現代日本では、「ヨギーニ(yogini:瑜伽女)」は、昔と、まったく違う意味をもっています・・・。インド思想史から見ると、まったく異形のアジアの歴史があらわれます・・・。


左道(Left-hand path)

2018-05-18 | インド伝統医学

『デイリーメール』2015年5月29日
「ヒンドゥーの死の神に捧げるため5歳の子どもを惨殺した『タントラのグル』をインドの民衆たちは暴徒化してリンチした」
Lynch mob justice as 'guru' is beaten to death by men and women for beheading a five-year-old boy as a sacrifice for the Hindu god of death in India

これは日本人の想像を絶するインドの宗教世界です。インドにはハタヨガの源流となった「タントラ」という宗派があります。
中世インドでは「タントラ」の武装ヨギたちが放浪の生活を営んでいました。彼らは性的な黒魔術師でした。 

以下、引用。
「インドでは子どもの生贄は長いトラブルの歴史があり、西洋オカルトに似たタントリズムの伝統とともにあった」
Child sacrifice has a long an troubled history in India, growing out of the tradition of Tantrism, a series of spiritual practices similar to the Western occult.


「西洋の(オカルト)文化に対して、タントラの実践はセックスとヨガから成り立っており、インドの田舎、特に貧しい北部ではタントラはシャーマンのようなプラクティショナーによるものである」
While in Western culture, Tantric practices are often associated with sex or yoga, in remote parts of India, especially in the impoverished north, Tantrics are shaman-like practitioners.

 

「インドの田舎の地域ではタントラ僧は結婚の相談から病気まで、全ての相談が持ち込まれ、宇宙的な解決のエネルギーとつながることができるとされている」
In remote regions, Tantric priests are consulted on everything from marital strife to ill health, and claim to be able to channel the energies of the universe to resolve problems.

 
「ヒンドゥーの神、カリは頭蓋骨のネックレスをつけた姿で生首を持って描かれる神であるが、しばしば人間の生贄を求める。そして、それは映画のインディージョーンズの人を生贄にするカルト宗教の元ネタになった」
The Hindu god Kali, who is often painted holding a severed head while wearing a necklace of skulls, is often associated with human sacrifice, and formed the basis for the sacrificial cult in Indiana Jones and The Temple of Doom.


「インドではどれだけの数の人が生贄になっているかというと、確かなことは言えないが、数百人の女性と子供が誘拐されて生贄とされている」
It is not known exactly how many people are sacrificed each year in India, though it is estimated to be in the hundreds, with women and children the most likely victims as they are easier to kidnap.
以上、引用終わり。

 インドの性的なカルト宗教「タントラ」の僧は武装しながら放浪し、男の子を攫って人身御供にして、女の子は誘拐して性的な儀式の相手にしてしまいます。物凄く攻撃的・暴力的で、危険極まりないカルト宗教です。

  「タントラ」の仏教を「左道仏教」と言います。

 「左道(Left-hand path)」というコトバは、西洋の神智学のブラバツキー夫人(1831– 1891)が創りました。

  インドの「タントラ」に影響を受けたのがイギリスの黒魔術師アレクスター・クロウリー(Aleister Crowley:1875ー1947)です。クロウリーは東洋の性魔術やヨガを西洋に紹介し、その源流はインドにあり、西洋のオカルトとなりました。

  中世インド仏教の「タントラ」では、「瑜伽女(ヨギーニ)」や「荼枳尼(ダキニ)」と呼ばれる魔女の集会があります(『秘密集会タントラ』)。

 魔女たちは性的ヨーガのパートナーとなり、乱交し、墓場で踊り、生け贄の肉を喰らい、ありとあらゆる悪をなします。西洋黒魔術のオカルト儀式は中世インド由来なのです。

インド仏典『秘密集会タントラ和訳』松長 有慶 法蔵館 (2000/6/1)

 インド仏教でも「荼枳尼(ダキニ)」は登場しますし、チベット仏教でも出てきます。日本の密教の「荼枳尼(ダキニ)」は、「辰狐」となり、伏見稲荷のキツネ信仰となり、伏見稲荷は荼枳尼天をまつっています・・・。


近代ヨーガの歴史

2018-05-18 | インド伝統医学

 19世紀末にアメリカやヨーロッパでは東洋思想への興味が高まっていました。
 1893年シカゴ万博でスワミ・ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda:1863-1902)が「ラージャ・ヨーガ(Raja yoga)」を説きました。
 1893年に、シカゴ万博を見た、ウィリアム・W・アトキンソン(William Walker Atkinson:1862 – 1932)は偽インド人「ヨギ・ラマチャラカ(Yogi Ramacharaka)」を名乗り、多くの著作を書きました。ヨギ・ラマチャラカは日本の中村天風や「プラーナ療法」、演技の『スタニスラフスキー・システム(Stanislavski System)』まで影響を与えました。

 1894年に、アメリカ人ペアード・T・スポールディング(Baird Thomas Spalding:1872–1953) さんは、インド・チベットに旅行し、「ヒマラヤに隠れた偉大な賢者・聖者たち」に出会ったと主張し、「ヒマラヤ聖者の生活探求(Life and Teaching of the Masters of the Far East)」を書きました。これは今では調査によって、全て捏造であったことが判明しています。この時代は、「にせインド人」がヨガを普及した時代であり、その思想が現代にも影響しています。
 実際には、西洋人がチベット・ラサに到達したのは1903年です。イギリス軍人で、王立地理学会会長フランシス・ヤングハズバンド中佐(Sir Francis Edward Younghusband:1863ー1942)が西洋人で最初にチベット・ラサに到達しました。アジア人では日本人の僧侶、河口 慧海(かわぐち えかい:1866〜1945)が1901年に潜入しました。

 1880年-1890年代は、ブラヴァツキー夫人(Helena Blavatsky:1831-1891)のような西洋オカルティストたちが、インドへの幻想をあおっていました。

 1915年からスリ・ユクテスワ・ギリ(Swami Sri Yukteswar Giri:1855ー1936)師に学んだヨガナンダ(Paramahansa Yogananda:1893ー1952)は、1920年にアメリカ・ボストンの世界宗教者会議に参加し、それから、ずーっとアメリカでヨガの普及をしました。
 1919年(大正8年)に中村天風(なかむら・てんぷう:1883ー1960)が「心身統一法」を創案し「天風会」をつくったことが日本におけるインド・ヨガの始まりとされています。この中村天風は、東郷平八郎や宇野千代や政財界の有名人の師匠として有名ですが、もともと右翼の巨頭・頭山満(とうやま・みつる:1855-1944)の軍事密偵スパイだった人物です。

 1920年代のヨガを調査した際に、興味深かったのは、アレクサンドラ・デビッド・ニール(Alexandra David-Néel:1868 ー1969)という女性です。この女性は1人旅をして、1912年にチベットに一番乗りをしてダライ・ラマにも謁見しました。アレクサンドラ・デヴィッド・ニールの本にはヨガのさまざまな技法が書かれています。

『チベット魔法の書―「秘教と魔術」永遠の今に癒される生き方を求めて』
アレクサンドラ デビッドニール
https://www.amazon.co.jp/dp/419860746X

 1920-1930年代に近代ヨガの父、「ティルマライ・クリシュナマチュリア(Tirumalai Krishnamacharya :1888ー1989)」先生が1920-1930年代に、西洋体操法やボディビルをヨガ・クラスで積極的に採用して、それをインドの伝統ヨガであるハタ・ヨーガの技法やインド武術カラリパヤット(Kalaripayattu)と融合させます。そして、弟子である「B.K.S・アイアンガー(B.K.S. Iyengar:1918-2014)」と「K・パタビ・ジョイス(K. Pattabhi Jois:1915-2009) 」が、近代ヨガをはじめました。

 「K・パタビ・ジョイス(K. Pattabhi Jois:1915-2009) 」は、クリシュナマチャリア師に学び、「アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ(Ashtanga vinyasa yoga)」を創始しました。「アシュタンガ(Ashtanga )」とは、サンスクリット語で「8つの手足(eight limbs)」という意味です。「ヴィニヤーサ(Vinyāsa)」は、「持続的な動きから動きの間の呼吸(transition between two different positions)」という意味です。
パタビ・ジョイスから「アシュターンガ・ヨガ」を学んだアメリカ人ブライアン・ケスト(Bryan Kest)がサンタモニカで1985年に「パワー・ヨガ」のスタジオを始めました。だから、「パワー・ヨガ(ハリウッド・ヨガ)」の源流となったのが「アシュタンガ・ヨガ」です。パタビ・ジョイス先生は、マドンナ、スティング、グウィネス・パルトロウのような大物ミュージシャンやハリウッド・スターにヨガを教えたことで有名になりました。
『ヨガ・マーラ―アシュタンガ・ヨガの実践と哲学』
シュリ・K.パタビ ジョイス 産調出版 (2006/10)
http://www.amazon.co.jp/dp/4882825074

B.K.S・アイアンガー(B.K.S. Iyengar:1918-2014)」は、ポーズ中心のハタ・ヨガ(Hatha Yoga=力のヨガ)を創りました。

『ハタヨガの真髄_600の写真による実技事典』 
B.K.S.アイアンガー  原題は“Light on Yoga” 
http://www.amazon.co.jp/dp/4826971486 

 これらの「近代ヨガ」がいかにして形成されたかの歴史は以下の文献に詳しいです。昨年2015年は、この文献の精読・解読に物凄い時間がかかりました。ボディワークや体育の知識を総動員しました。

『ヨガ・ボディ: ポーズ練習の起源』
マーク・シングルトン 大隅書店 (2014/9/30)

 「B.K.S・アイアンガー(B.K.S. Iyengar:1918-2014)」師は、沖正弘先生の沖ヨガが主催された1980年「国際総合ヨガ世界大会」の際にも来日されています。正弘(おき・まさひろ:1921ー1985)先生は「ヨガ」をつくり、1967年から静岡に「求道実行会密教ヨガ道場(ヨガ道場)」を設立し、戦後日本のヨガは沖正弘先生がリードされました。

クリシュナマチャリアからの、もう1つのアメリカへのヨガの流れ:インドラ・デヴィ

2018-05-18 | インド伝統医学


 「インドラ・デヴィ(Indra Devi:1899 –2002)」さんは、2002年に102歳で亡くなった「現代ヨガの母」です。「インドラ・デヴィ」さんの本名は、「ユージーン・ピーターソン(Eugenie V. Peterson)」と言います。
 インドラ・デヴィさんのお父さんは、スウェーデンの銀行の頭取で、お母さんはロシア貴族です。18歳でサンクトペテルブルクで演劇を勉強していたときにロシア革命が起こりました。インドラ・デヴィ(当時はユージン・ピーターソン)さんは、ベルリンで女優兼ダンサーとなります。インドの詩人タゴールに心酔していたインドラ・デヴィさんは1927年にインドに行きます。1930年代のインド映画のスターとなり、「インドラ・デヴィ」という芸名になりました。インド社交界のスターとなり、マハラジャたちとつきあい、チェコスロバキア大使館の外交官と結婚しました。

 そして、インドラ・デヴィさんは、「近代ヨーガの父」と呼ばれる「ティルマライ・クリシュナマチャリア(Tirumalai Krishnamacharya :1888ー1989)」に弟子入りします。 当時1937年のクリシュナマチャリアは、クシャトリア階級のインド人男性にのみ、ヨガを教えていました。当然、クリシュナマチャリアは教えることを拒否しましたが、スポンサーであるマハラジャからの圧力で教えることになりました。そして、1938年にインドラ・デヴィさんは、夫の転勤で上海に行きます。1939年の上海では、蒋介石夫人・宋美齢(1898-2003:享年106歳)や上流階級の夫人たちにヨガを教えました。

 戦後の1946年に夫はチェコスロバキアで死亡し、インドラ・デヴィさんは、1947年にアメリカのカルフォルニア州ハリウッドに移住します。そこでグロリア・スワンソン(Gloria Swanson:1899-1983)やグレタ・ガルボ(Greta Garbo:1905-1990)といったハリウッド女優やバイオリニストのメニューイン(Yehudi Menuhin:1916-1999)を教えました。ユーディ・メニューインはアイアンガーからもヨガを学び、ヨーロッパ各地にヨガセンターを創りました。
 インドラ・デヴィさんは、1953年にアメリカ人医師と結婚して、アメリカ国籍を得ました。 1961年に夫が別荘をもっていたメキシコでヨガ・センターを開講しました。1966年には無名時代のサティア・サイババと出会い、1970年代はサティア・サイババ(Sathya Sai Baba:1926ー2011)をアメリカに紹介しました。1977年に夫がカルフォルニア州で事故で死亡し、1982年にアルゼンチンのブエノスアイレスに移住して、2002年に102歳で亡くなりました。