『ヨーガ的身体論の資料 : 『六輪解説(Satcakranirupana)』試訳(1)』
愛知文教大学論叢 7, 67-90, 2004-11-30
http://ci.nii.ac.jp/els/contents110004030650.pdf?id=ART0006288421
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上記は2004年に『古代インド哲学ヨーガ学派(योगदर्शनम्:Yoga-darśana)』の研究者、遠藤康先生が「チャクラ」について、発表された論文です。これが現状では、「チャクラ」について、最も総合的な文献になります。「7つのチャクラ」について、1577年頃にベンガル地方で書かれた文献です。現代のチャクラ理論に非常に似ています。
遠藤康教授は、インドに留学してサンスクリット語で博士号を取得し、最初は、古代インド哲学のヨーガ学派の研究をされていたのですが、後に中世インド哲学のナータ派(ハタ・ヨーガ派)の研究に転じました。
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遠藤康教授のプロフィール
http://www.abu.ac.jp/intro2017/teachers/k-endo
(1)「中世的諸ヨーガとYogasutra:ナーラーヤナ・ティールタのYogasutra解釈」
遠藤康『名古屋大学文学部研究論集. 哲学』44, 25-39, 1998-03-31
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/5602/1/BT004402025.pdf
(2)「最高のヨーガ : ヨーガ文献における Raja-yoga について」
遠藤康『印度學佛教學研究』43(2), 956-963, 1994
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/43/2/43_2_963/_pdf
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「ヨーガ・スートラ」に代表される古代インドの六派哲学のヨーガ学派と、中世インドの「ハタ・ヨーガ」は別の身体観や思想体系であることが強調されています。
インド仏教やチベット仏教のチャクラは「四輪三脈説」です。
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津田真一「四輪三脈の身体観」
『インド思想と仏教:中村元博士還暦記念論集 通号』1973-11, 293-308,
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心臓の法輪、
喉の受用輪、
臍の変化輪、
頭頂の大楽輪の「4つのチャクラ」と、
中央のアヴァドゥーティー(スシュムナー管)、左右のララナー(イダー管)とラサナー(ピンガラ管)の「3つの脈管」に基づくヨーガ生理学を「四輪三脈説」と言います。
つまり、インド仏教やチベット仏教では、臍の変化輪が最下部のチャクラでした。さらに原始的なチャクラの認識は、「臍」と「胸」だったことも、2002年に判明します!!!
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『Catuspitha-tantra所説の究寛次第-CatuspithaIV-iii を中心に-』
川崎一洋『印度學佛教學研究』
Vol. 51 (2002-2003) No. 1 P 349-347
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/51/1/51_1_349/_pdf
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チャクラの歴史的変遷が、この20年で、少しずつ明らかになってきたようです。
インド仏教やチベット仏教の中でも、「後期密教」と言われる「無上瑜伽タントラ(Anuttarayoga Tantra)」は、8世紀に起こり、「性的ヨーガ」「ハタ・ヨーガ」そのものでした。
「性的ヨーガ」「ハタ・ヨーガ」「タントラ」は、インドのカースト社会特有の『尸林(श्मशान:śmaśāna:シュマシャーナ)』から産まれました。『尸林(श्मशान:śmaśāna:シュマシャーナ)』は、インドの郊外にある墓地、死刑場であり、そこにいる魔女である「荼枳尼(ダキニ)」「瑜伽女(ヨギーニ)」から、「タントラ」「ハタ・ヨーガ」は始まりました。これは瞑想中心で『止観』、心の働きを止めることを重視する「ヨーガ・スートラ」のヨーガと全く違います。
インドのカースト社会の『尸林(श्मशान:śmaśāna)』の魔女たちから始まったヒンドゥー教シヴァ派の「タントラ」はインドだけでなく、アジア中に大流行して、インド仏教に影響を与え、インド後期密教となり、チベットに輸出されて、「チベット密教」となりました。
ヨギーニ(瑜伽女)を重視する性魔術・黒魔術である「母タントラ」には、『サンヴァラ系(サンヴァラ:Samvara=サマーヨーガ・タントラ:Samayoga Tantra)』と『へヴァジュラ系(ヘヴァジュラ・タントラ:Hevajra Tantra))』があります。
これも性瑜伽である「父タントラ」には、『幻化網タントラ(げんけもう:Māyājāla Tantra,:マーヤージャーラ・タントラ)』や『秘密集会タントラ(ひみつしゅうえタントラ:Guhyasamāja tantra:グヒヤサマージャ・タントラ)』があります。
これらのタントラがチベット仏教の最終仏典「時輪タントラ(Kalachakra tantra:カーラチャクラ・タントラ)」で統合されました。
これらのチベット仏教のチャクラ学説を追うのは悪夢のような作業でした。性魔術・黒魔術そのものです。
これらのチベット仏教のチャクラ学説、性瑜伽は、最近、ようやく解明されてきました。
インド、西ベンガル州に『尸林』や『尸林の宗教』が実在、現存することも最近、確認できました。
これらの『尸林の宗教』は、インド仏教・チベット仏教の『恥部』なので、インド思想研究者たちは論文レベルでは解明してはきましたが、余りに『おぞましい』ので、一般社会に伝えられることは無いと思います。
ただ、インド思想を研究することで、ベンガル地方の吟遊詩人バウルたちの性瑜伽を知り、「ハタ・ヨーガ」のチャクラやナディなどの生理学やムーラ・バンダ(mula bandha)の意味をようやく理解できました。
さらに「性瑜伽」の中身を検討すると「接して漏らさず」「還精補脳(かんせいほのう)」など、中国の「房中術」「内丹術」の一部は明らかに、インドの「性瑜伽」の影響を受けていると感じました。丹田の上丹田・中丹田・下丹田の位置も、インドの密教のチャクラ理論の歴史を理解したあとなら、理解できます。