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Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

神智学の謎

2018-06-14 | world
近代日本における神智思想歴史
吉永 進一
『宗教研究』Vol. 84 (2010) No. 2 スピリチュアリティ p. 579-601
 アジア歴史を調べていると、何度も「神智名前を目にします。特にインドヨーガを調べると、「神智知識は必須になります。
 
 分析家として、「神智」は格好題材です。なぜなら、誰も、そ実態を知らないからです。おそらく、現在神智協会」メンバーでさえ、以下事実を知らないです(笑)。
 
1.【日本
明治20年代自信喪失していた日本仏教界を勇気づけ、スリランカ仏教界と交流を促した。中心人物として鈴木大拙(1870-1966)妻、鈴木ベアトリス・レーン(Beatrice Lane Suzuki)は神智徒であり、鈴木大拙とともに神智協会会員でした。現在でもアメリカ神智会にベアトリスページがあります。
 
日本の「禅」を代表する鈴木大拙が神智学教徒というのは苦笑いするしかないです・・・

2.【スリランカ】
1880年神智創設者1人オルコット大佐がスリランカで仏教徒に改宗し、コロンボで仏教校を設立し、シンハラ語で仏教新聞を発行する。日本に高僧ダルマパーラを来日させる。
日本仏教スリランカ仏教と邂逅―『浄土教報』に見られる明治期浄土宗と神智協会・大菩提会関係―」
石井 千香子『アジア文化研究』Vol. 10 (2003) No. 10 P 43-54
 
3.【インドネシア】
神智協会が、スリランカナーラダ長老をインドネシアに派遣し、一時的にインドネシア仏教界は活気を帯びる。
「現代インドネシア仏教信仰」
木村文輝『日本仏教会年報』n.67 2002.05.25
 
4.【中国】
1925年に密かにアニー・ベサント神智協会会長名前をつけた中校を上海に設立していた。
東洋神秘思想と西洋神秘思想を統合した教育を行おうとして、失敗した。
「中国から消えた神智協会 : 伍廷芳による神智紹介と近代中国仏教界と関わりに着目して」
莊 千慧『比較文化研究』 = Studies in comparative culture (111), 245-253, 2014-04-30
 
5.【イラン】
 近代化で自信を喪失していたイランゾロアスター教を西洋人視点から慰撫し、イラン神秘主義とキリスト教神秘主義は一致すると説得しています(笑)。それは無理スジ過ぎるやろー(笑)。ヒンドゥー教・仏教・イスラム教・ゾロアスター教いずれもが、神智教義と一致するそうです(笑)。
 1857年「セポイ反乱(Indian Rebellion)」以前イギリス植民地政策は、苛烈なもでしたが、東インド会社が解散してからは、「融和」路線に転換したように見えます。神智協会は、世界宗教共通点を良いところどりをして、統合しようとしていました。
岡田 明憲
「パールシーと神智 -ゾロアスター教近代一側面-」
『オリエント』Vol. 28 (1985) No. 2 P 66-77。
 
6.【チベット】
 チベットに潜入した日本僧侶、河口 慧海(かわぐち えかい:1866-1945)は、1901年ー1902年チベット・ラサ滞在を終えて、イギリス領インド帝国ダージリンに帰り、イギリススパイチベットサラット・チャンドラ・ダス(Sarat Chandra Das :1849–1917)邸で3カ月を過ごし、1903年に神戸港に帰りました。1909年には河口慧海チベット潜入記は、ロンドンで神智協会アニー・ベサントにより、「スリー・イヤーズ・イン・チベット」として出版されます。状況を調べると、河口慧海は、明らかにイギリスエージェントですし、アニー・ベサントもエージェント可能性が高いです。
 
7.【インド】
 神智協会2代目会長アニー・ベサントは、インド独立運動である「インド国民会議」に参加し、「全インド・ムスリム連盟」を創設し、1917年には「インド国民会議・議長」にまで就任しています。インド独立運動で、非暴力非服従をつらぬいた、ガンジー(1869-1948)に、「偉大な魂=マハトマ(mahātmā)」と名づけたは、ガンジーと仲が悪かった神智協会2代目会長アニー・ベサントです。アニー・ベサントがインド国民会議・議長際に、パンジャブ地方で暴動が起こり、べサントは治安部隊導入を支持して、1919年「アムリットサル虐殺」が起こります。「アムリットサル虐殺」をきっかけに、ガンジーは非暴力・非服従運動である「サティヤーグラハ(Satyagraha)」を方針とし、1920年には「インド国民会議」方針として採択されました。べサントは「アムリットサル虐殺」をきっかけに、政治的には失脚し、インド国民会議実権は、ガンジーに移って行きます。アニー・ベサントとカンジーは政治的に対立関係にありました。
 こアニー・ベサント政治活動は、エージェント諜報活動そです。
 
 大英帝国植民地であるインド、スリランカ、イラン、チベット、中国上海で神智活動を総合的に分析すると、『神智とは何だったか?』という疑問を持たざるをえません。
 だいたい、スリランカで新聞を発行したり、スリランカや上海で校を設立する資金は誰が出したか?誰がどうみても、諜報組織エージェントです。
 
 これら神智人々思想が、現在スピリチュアルやヨーガチャクラやオーラ基礎になっています!!!
 
 スピリチュアルにも変なことが多いです。

 神智初代会長ブラヴァツキー夫人とアニー・ベサントが創った神智雑誌名前は『ルシファー(Lucifer)』です。

 ブラヴァツキー夫人直弟子アリス・ベイリー(Alice Ann Bailey:1880 –1949)が創った出版社名前は『ルシファー出版社(Lucifer Publishing Company)』です。

 神智学は日本仏教に多大な影響を及ぼしましたが、その一つが三浦関造(日本へのヨガと神智学の紹介者)の影響で、天台宗から独立した鞍馬寺の信楽香雲(しがらき・こううん)が開いた『鞍馬弘教(くらまこうきょう)』です。『鞍馬弘教』の本尊は、金星から渡来したサナト・クマーラ(Sanat Kumāra:永遠の若者)で『護法魔王尊』と呼ばれます。

 真剣に、神智学のこの時代の動きの背後にあるもの、特にスリランカや上海での活動資金の資金源となった存在には興味があります。

レイキ(Reiki)と整体

2018-06-14 | world
『「スピリチュアル」の系譜を描き直す : ヒーリング技法「レイキ」の誕生から現代自己啓発言説まで』
平野直子
『応用社会学研究』 
58号 81 - 92 2016-03-23
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005746858
(全文無料オープンアクセス)
早稲田大学の平野直子先生が『応用社会学』2016年に発表された論文は、「レイキ」研究だけでなく、代替医療全般の研究に影響を与えるものです。

 アメリカ国立衛生研究所NIHの中にNCIIH(アメリカ国立補完統合衛生センター)があり、アメリカの補完医療・統合医療の中心となっています。

 もともとは、1993年に北京中医薬大学で学んだデビッド・アイゼンバーグという医師が、『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』に「アメリカ人の34パーセントが1年のうちに、非正統的医療(代替医療)を使用しているlこと」を報告し、それがきっかけで、アメリカ政府に「アメリカ国立補完代替医療センター(NCCAM)」が出来ました。
Unconventional Medicine in the United States -- Prevalence, Costs, and Patterns of Use
Devid Eisenberg et a.
Volume 328:246-252 January 28, 1993 Number 4
New England Journal of Medicine

 デビッド・アイゼンバーグの『気との遭遇(Encounters with Qi: Exploring Chinese Medicine)』という本は、アイゼンバーグが中国で出合った気功や鍼灸、漢方のことが書かれており、面白いです。
『気との遭遇―ハーバードの医学者が中国で「気の謎」に挑んだ! 』
デビッド アイゼンバーグ 
http://www.amazon.co.jp/dp/4796600728
原著はEncounters with Qi: Exploring Chinese Medicine Paperback  – July 17, 1995 

 NCCAM(アメリカ国立補完代替医療センター)は、鍼灸やカイロプラクティックを研究しはじめたのですが、『セラピューティック・タッチ(Therapeutic touch)』というハンド・ヒーリングを研究していたことで、「税金でニセ科学を研究するな!」と猛批判を受けて、NCIIH(アメリカ国立補完統合衛生センター)に名称を変えられてしまいました。

『続 アメリカ医療の光と影  第216回 セラピューティック・タッチ』
李 啓充 

ハンド・ヒーリングの科学的研究は、いまだに危険な領域のようです。 『セラピューティック・タッチ』は、アメリカ神智学協会のプレジデントであるドーラ・クーンツ(Dora Kunz :1904ー1999)が始めました。ドーラ・クーンツは、チャクラやオーラと言うコトバを世界に広めた神智学協会のリードビーター(Charles Webster Leadbeater:1854ー1934)の直弟子です。ドーラ・クーンツの「セラピューティック・タッチ」は、ニューヨーク大学の看護学の教授ドロレス・クリーガー(Dolores Krieger)によって大学で看護師たちに教えられ、ニューヨークで大人気になっていました。個人的には、『セラピューティック・タッチ』がハンド・ヒーリング分野で一番、良い本だと思います。
『セラピューティック・タッチ』 
 ドロレス クリーガー 春秋社 (1999/10)
http://www.amazon.co.jp/dp/4393710304

 日本では、1990年代に、バーバラ・アン・ブレナン(Barbara Ann Brennan:1939ー)の『光の手(Hands of Light:1987)』などハンド・ヒーリングが流行っていました。ブレナンさんによれば、「HARA(腹)」が人体エネルギー・フィールドの中心だそうです。

  ハンドヒーリング分野で真打ちとも言えるのが、「レイキReiki)」です。1990年代から、「レイキReiki)」は日本で大流行しました。
レイキReiki)」は日本の臼井 甕男(うすい・みかお:1865- 1926)が57歳のときに、1922年(大正11年)先生が、鞍馬にこもって断食して、「臼井霊気療法」を開発しました。臼井 甕男先生は4年後の1926年(大正15年)に突然、亡くなります。
   臼井 甕男先生の弟子の海軍大佐・林忠次郎(1879 - 1940)さんにより、東京で治療を受けたハワイ生まれの日系アメリカ人高田はわよ(1900-1980)さんは、1937年にハワイに帰りました。林忠次郎さんは1940年に自殺しています。
    ハワイ在住の高田はわよ(1900-1980)さんは、1970年から1980年にかけて、22人の「レイキ・マスター」を育てて、それが西洋世界に拡がり、1980年代後半から1990年代の日本に逆輸入されました。

 平野直子先生が『応用社会学』2016年に発表された論文では、臼井 甕男(うすい・みかお)が鞍馬にこもって1922年(大正11年)に「レイキ霊気)」を開発した同時代を描いています。
1916年に、アメリカの偽インド人ヨギ・ラマチャラカ(本名ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン)の翻訳『最新精神療法』が出版され、「プラーナ」を「霊気」と翻訳しています。
1921年に、松本道別(まつもと・ちわき)は、『人体ラジウム療法』の中で「プラーナ」を「霊気」と翻訳しています。松本道別の弟子の1人が「整体」をつくった野口晴哉です。
   1921年に、田信一が出版した『田式整体術 第1巻プラーナ療法』では、レイキ霊気)と共通した考え方を述べています。田信一が日本に最初にオステオパシーを紹介し、「整体」という言葉を使いました。

 つまり、臼井 甕男(うすい・みかお)師の「臼井霊気療法」は、同時代の、霊術や整体と深い関わりがあるようです。これは2016年3月出版の『応用社会学研究』の論文ではじめて指摘されたことです。

   「プラーナ(霊気)療法」を世界に広めたアメリカの偽インド人ヨギ・ラマチャラカ(本名ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン)さんは、本名で以下の本も書いており、2007年に日本でベストセラーになりました。
ウイリアム・ウォーカー・アトキンソン『引き寄せの法則』2007年
 
   1910年代から1920年代にアメリカで流行した「ニューソート」や日本の「霊術」「療術」は、現代社会に大きな影響を与えています。