alternativemedicine

Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

インド・マハーラシュトラ州の鍼

2018-05-31 | world

2017年8月1日『ムンバイミラー』
「ウエスト・ベンガル州に続いて、『マハーラシュトラ州』は、鍼治療を認めて、規制する」
AFTER WEST BENGAL, MAHARASHTRA RECOGNISES AND REGULATES ACUPUNCTURE THERAPY

以下、引用。
「マハーラシュトラ州の鍼システムの治療法案は、2015年に、マハーラシュトラ州政府ガゼットに掲載され、州政府はすぐに、鍼カウンシルを形成した。この鍼カウンシルは、鍼セラピストのコースと州における臨床スキルを認証する計画である」
With the Maharashtra Acupuncture System of Therapy Bill, 2015 having been introduced in the Maharashtra Government Gazette, the state is soon going to form an acupuncture council. This council will plan courses for acupuncture therapists and give them recognition to practice their skill in the state.
以上、引用終わり。

インドの鍼は、医師(MD)と医学士(MBBS:Bachelor of Medicine, Bachelor of Surgery)のみに法律的に許されているようです。
鍼はインドに1959年に紹介され、1977年に「インド鍼協会(AAI:Acupuncture Association of India)」ができました。
1987年に、この「インド鍼協会」の努力で、西ベンガル地方政府はカルカッタで鍼クリニックをつくりました。
1996年に、西ベンガル地方政府は、西ベンガル鍼システム法案(The West Bengal Acupuncture System of Therapy Act)により、3年半の鍼治療コースの学位をもった認証鍼師と、200時間のドクターコースを受けた認証医師に鍼をすることを認めました。
2009年に、鍼の国家連絡委員会(National Coordination Committee of Acupuncture)が出来ました。
そして2017年に『マハーラシュトラ州』が鍼を認証しました。

ウエストベンガル州はインド東部バングラデシュとの国境で、カルカッタやダージリンのあるベンガル語世界ですが、
マハーラシュトラ州はインド西部のマラーティー語(Marāṭhī)世界であり、州都ムンバイとボリウッド映画の世界です。


ボディワークと軍事諜報

2018-05-31 | マッサージ研究

業界に入る前に、私には、「どうしても理解したい3つの心身ボディワーク」がありました。

F・M・アレクサンダー(Frederick Matthias Alexander:1869 -1955)の「アレクサンダー・テクニーク(Alexander Technique)」
アイダ・ロルフ(Ida Rolf:1896–1979)の「ロルフィング(Rolfing)」
モーシェ・フェルデンクライス(Moshe Feldenkrais:1904-1984)の「フェルデンクライス・メソッド」
の3つです。この3つの心身ボディワークを理解するのに、ものすごい時間がかかりました。

 「アレクサンダー・テクニーク」は日本における第一人者である片桐ユズル先生のレッスンを受けることが出来ました。また、臨床のための「音楽家医学」を研究する過程で、姿勢の研究を通じて、理解できてきました。

 「ロルフィング」は長年、理解が難しかったのですが、『アナトミー・トレイン』を書いたトマス・マイヤーズがマッサージ師であり、ロルファーであったので、『筋膜(Myofascia)』を研究する過程で、ようやく理解が深まりました。わたしが「ロルフィング」の本をいくら読んでも理解できなかったのは、日本の無免許「ロルファー」の方々が、本当の意味で「ロルフィング」を理解できていなかったことが、ようやく理解できました(笑)。

 しかし、「フェルデンクライス・メソッド」だけは、謎のままでした。いままで、どうしても腑に落ちなかったのです。
 『脳はいかに治癒をもたらすのか』には、創始者であるモーシェ・フェルデンクライスさんの人生が書かれています。フランスで講道館柔道の創始者である嘉納 治五郎(かのう・じごろう)に直接、柔道の指導を受けたフェルデンクライスさんは、放射線を発見したキュリー夫人の夫であるピエール・キュリーと一緒に研究するほどの物理学者であり、軍人・軍事スパイでもありました。フェルデンクライス・メソッドは、フェルデンクライスさんの人生と「神経可塑性」という視点から、はじめて理解できるものになりました。

 「動きを通じた『気づき』(Awareness Through Movement:アウェアネス・スルー・ムーブメント)」という、フェルデンクライス法のコトバの意味を、20年かけて、ようやく理解できました。本当に感動しました。

 それにしても、フェルデンクライス(1904-1979)さんは、第二次世界大戦や戦後に軍事スパイとしての仕事をしていたために、一般の人間には理解しがたい人生を送っていました。
「ピラティス(Pilates Method)」を開発した、ジョゼフ・ピラティス(Joseph Pilates1883-1967)さんも軍事スパイでした。
日本にヨガを紹介した、中村天風(1876-1968)は、「人斬り天風」と言われた軍事スパイでした。
戦後日本に、本格的なヨガを紹介した、沖正弘先生(1921-1985)も軍事スパイです。
合気道の創始者、植芝盛平(1883-1969)も関東軍の特務機関の軍事スパイでした。
日本の少林寺拳法の創始者、宗道臣(そう どうしん:1911-1980)も軍事スパイでした。

 ヨーガの世界は、中村天風も、尊敬する沖正弘先生も軍事諜報の世界の人間です。さらに、神智学のオルコット大佐(Henry Steel Olcott:1832-1907)も明らかに軍人です。
チベット学者のサラト・チャンドラ・ダス(Sarat Chandra Das:1849-1917)は明らかにイギリスのスパイであり、1886年にイギリス領インド帝国から勲章も受けています。このサラト・チャンドラ・ダスは、オルコット大佐とヘレナ・ブラヴァツキーにも会い、河口 慧海(かわぐち・えかい:1866-1945)のチベット・ラサへの潜入を助けています。1909年には河口慧海のチベット潜入記は、ロンドンで神智学のアニー・ベサントにより、「スリー・イヤーズ・イン・チベット」として出版されます。

 この近代ヨーガの成立期の状況を、説明できるヒトは居ないと思います。


バイオエナジェティクス

2018-05-31 | マッサージ研究
 池見酉次郎先生はヨガや東洋医学にも造詣が深く、自彊術(じきょうじゅつ)や催眠、自律訓練法の本も出して、気功師と対談もしています(『気功学の未来へ』)。日本オリジナルの学問を創った池見酉次郎先生は個人的に尊敬しています。
 特に1932年にドイツの精神科医ヨハネス・ハインリヒ・シュルツ(Johannes Heinrich Schultz:1884-1970)が発表した「自律訓練法(Autogenic training)」という自己催眠法を池見先生は重視しましたし、今でも九州大学医学部は「自律訓練法」を推奨しています。
  「自律訓練法」自体は良い方法だと思います。一つだけ問題があり、開発者であるドイツの精神科医シュルツはナチス・ドイツのT4作戦で、同性愛者に売春婦との性交を強制し、同性愛者の疑いがある人々を強制収容所とガス室に送りました。「自律訓練法」について語る心理学者たちを見るたびに、このシュルツ先生の業績がアタマに浮かびます。

 ちなみに、ユング派心理学のカール・グスタフ・ユングや現存在分析のルードヴィヒ・ビンスワンガー、メダルト・ボス医師らは全員、ナチスドイツに積極的に協力し、精神障害者や同性愛者を生きる価値の無い命としてガス室に送る政策を支持していました(小俣和一郎『精神医学とナチズム』1997)。
 心理学や精神医学を学ぶ際には、このような陥穽や深淵、落とし穴があちこちにあるのですが、教える側の大学教授達が、このような落とし穴について倫理観を持って語らないため、後進の学生達が落とし穴に何十年もハマっているのは、心理学・精神医学の世界の日常の光景となっています。

 非常に興味深いのは池見酉次郎先生が、1978年にアレクサンダー・ローウェンの『引き裂かれた心と身体』を監修・翻訳されていることです。
「引き裂かれた心と体―身体の背信」
アレクサンダー・ローウェン (著),    池見酉次郎 (監修),
創元社 1978/1 
    アレクサンダー・ローウェン(Alexander Lowen 1910ー2008)は、アメリカの精神科医で、1940年代にフロイトの直弟子であるヴィルヘルム・ライヒの教育分析を受けました。教育分析とは精神科医になるための精神分析です。ローウェンはライヒの直弟子なのです。
   ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich:1897-1957)は「フロイト本来の方法を発展させて」、1935年に「植物神経療法(ヴェジト・セラピー:Vegeto Therapy)」を創り上げました。これは、感情によるブロックが身体による緊張となるので、それをマッサージで取り除こうとするものです。
 
   アレクサンダー・ローウェンは、ライヒの方法を継いで、「バイオエナジェティクス・アナリシス(Bioenergetic analysis)」を創り上げ、心身症を治療しました。
   「生体エネルギー分析」とは、「怒りは首肩の固さとなる」というように、ある感情は身体の特定部位の生体エネルギーの特定の詰まりになると分析し、それを体操やマッサージで改善しようとするものです。
 
   現在の西洋精神医学や西洋心理学には、このような「生体エネルギーの詰まりが、カラダのコリや精神症状を引き起こし、体操やマッサージで生体エネルギーの詰まりを解消すれば精神症状が改善される」という思想は全く見られません。
 
   日本の心身医学、心療内科のパイオニアである池見酉次郎先生が「生体エネルギー分析(バイオエナジェティクス・アナリシス)」を日本に紹介されているのは、興味深い現象だと思いました。
 
【参考文献】
「からだと性格―生体エネルギー法入門 」
アレクサンダー ローウェン
1988/11   創元社
 
「バイオエナジェティックス―心身の健康体操」
アレクサンダー ローウェン
 1985/3 思索社

ロルフィングとエサレン・マッサージの歴史

2018-05-31 | マッサージ研究

「ロルフィング概説」
藤本 靖『日本補完代替医療学会誌』
Vol. 2 (2005) No. 1 P 37-43
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcam/2/1/2_1_37/_pdf

ロルフィング(Rolfing)は、アイダ・ロルフ(Ida Pauline Rolf:1896-1972)博士がつくったボディワークです。
現在のFascia研究者たちは、ロバート・シュレップにしてもトマス・マイヤーズにしても「ロルフィング」のプラクティショナーでもあります。
Fascia研究には3つの大きな源流があり、一つはオステオパシー・カイロプラクティックで、もう一つはトリガーポイント鍼療法、そしてロルフィングです。

【ロルフィングの創始者アイダ・ロルフ】
 アイダ・ロルフは、1896年にニューヨークに生まれ、1920年にコロンビア大学で生化学で博士号をとりました。この1920年代にロルフはハタ・ヨガを研究していたそうです。1920年代の欧米は東洋ブーム・自然医学ブームでした。当時はドイツでもヨガやホメオパシーが大流行しています。1927年にロルフはスイスのジュネーブ、スイス工科大学で数学と物理学を学びながらホメオパシーを学びました。1930年代には、ロルフはアメリカでオステオパシー、カイロプラクティック、アレクサンダーテクニークを研究しています。この時代にオステオパスのトマス・モリソン博士からオステオパシーを学び、モリソン博士は後にロルフィングのクラスで筋膜について講義します。1940年代にアイダ・ロルフは出張治療の形で初期の「ストラクチュラル・インテグレーション(構造の統合)」というロルフィング技術を始めました。1947年に夫のウォルターが亡くなり、14歳と13歳の息子をかかえ、貯金も少なかったロルフは、多くのクライアントに施術を行いました。1950年代後半にはアメリカ、イギリス、カナダでワークショップを始めました。

【エサレン研究所と、ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント(人間の潜在能力開発運動)】
 1960年代のアメリカは「カウンターカルチャー」運動が起こりました。1961年にカルフォルニア州ビッグサーの海岸に「エサレン研究所(Esalen Institute)」が出来ました。
 「エサレン研究所」に住んでいたゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズ(Frederick Perls:1893-1970)は心臓病に苦しみ、アイダ・ロルフのマッサージを受けて緩解しました。フリッツ・パールズ(1893-1970)はヴィルヘルム・ライヒ(1897-1957)の治療を受けていたのですが、ライヒが亡くなってから心臓病に苦しみ、アイダ・ロルフを「ヴィルヘルム・ライヒの後継者」と見なしました。当時のエサレン研究所には、「ゲシュタルト療法」のフリッツ・パールズや「欲求五段階説」「自己実現」のアブラハム・マズロー、グレゴリー・ベイトソン、建築家のバックミンスター・フラー、「クライアント中心療法」「カウンセリングの創始者」「エンカウンター・グループの創始者」カール・ロジャースなどが居ました。

 エサレン研究所でのアイダ・ロルフのマッサージは、当時、「痛い」(笑)のと、クライアントがトラウマの解放などの心身相関現象を体験するので有名でした。ロルフのマッサージは、心身を治療するものでした。

 また、当時のアイダ・ロルフは、ヴィルヘルム・ライヒの影響を受けていました。ジークムント・フロイトの直弟子ヴィルヘルム・ライヒは「気」そっくりの「オルゴン・エネルギー」を提唱し、精神的トラウマがオルゴン・エネルギーの詰まりを引き起こし、それをマッサージで解消するという治療法「ヴェゲトセラピー(Vegetotherapie)」を行っていました。ヴィルヘルム・ライヒの直弟子アレクサンダー・ローウェン(Alexander Lowen1910-2008)も「生体エネルギー(バイオエナジーBioenergy)」の詰まりが姿勢や筋肉の緊張をつくりだすという理論から「バイオエナジェティックス」という心身相関理論をつくりだしています。

 また、1963年以降のエサレン研究所では、「センサリー・アウェアネス(感覚に気づく)」のワークショップが多く開かれました。「センサリー・アウェアネス(Sensory Awareness)」を提唱したシャーロット・セルバー(Charlotte Selver1901-2003)がスウェーデンマッサージとボディワークを統合して、オイルマッサージによる「エサレン・マッサージ(Esalen massage)」をつくりました。シャーロット・セルバーはダンスムーブメント・セラピーにも影響を与えています。

 また、1972年にエサレン研究所では、モーシェ・フェルデンクライス(Moshé Feldenkrais1904-1984)がフェルデンクライス・メソッド(Feldenkrais Method)を講義しています。フェルデンクライスはロシアに生まれたイスラエル人の物理学者で1933年にフランスのパリで嘉納治五郎と出会い、柔道を始め、パリに最初の柔道連盟をつくりました。1942年に30代でサッカーで痛めた膝の治療のために自分自身で治すために始めた身体観察で「アウェアネス・スルー・ムーブメント(身体運動を通じた気づき)」と言われる「フェルデンクライス・メソッド」を創始しました。
 この時期のエサレン研究所(Esalen Institute)はいまと違って、世界の心理学の中心地であり、思想的にも深みのある「ボディワーク」の一大中心地でした。現在の「エサレン・マッサージ」はスピリチュアリティを失った、無免許マッサージの金儲け主義の自己啓発セミナーのイメージがあり、「エサレン」のイメージは地に落ちており、残念です。

【ボディワークとなった「ロルフィング」】
 1971年にロルフ身体統合研究所(Rolf Institute of Structural Integration)が設立され、アイダ・ロルフの活動はコロラド州ボールダーにうつります。アイダ・ロルフはマッサージの出張治療から始まったのですが、1961-1970年のエサレン研究所時代をくぐりぬけて、10セッションからなる「ボディワーク」や「身体教育」と呼ばれるものに変化していました。1977年にアイダ・ロルフの最初の著作「Rolfing:The Integration of Human Structure」が出版され、2年後の1979年にアイダ・ロルフは82歳で亡くなりました。

 アイダ・ロルフは筋膜をリリースするボディワークを行っていました。

 2007年には、「アイダ・ロルフ・筋膜Fascia研究ファウンデーション(the Ida P. Rolf Fascia Research Foundation)」が設立されました。現在でも『アナトミー・トレイン』を書いたトマス・マイヤーズや『膜・筋膜 張力ネットワーク』を書いたロバート・シュレップなど、ロルフィングのプラクティショナーがFascia研究をリードしているのは、このような歴史的経緯があります。
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アイダ・ロルフの人生については、以下の素晴らしい論文があります。アイダ・ロルフはオステオパシーの頭蓋仙骨療法(クラニオセイクラルセラピー)の基礎を創ったウィリアム・サザーランド(William Sutherland)の講義にも参加していたことを初めて知りました。

「ストラクチュアル・インテグレーション:起源と発展」(英語)
Structural Integration: Origins and Development
Eric Jacobson, Ph
J Altern Complement Med. 2011 Sep; 17(9): 775–780

「ロルフィング」に関する科学的研究をまとめた以下の論文もあります。「ロルフィング」の筋膜研究者たちはメカニズムについてクリエーティブな研究を行ってはいますが、臨床的エビデンスはありません。

「ストラクチュアル・インテグレーション:徒手医学と運動感覚教育の代替方法」(英語)
Structural Integration, an Alternative Method of Manual Therapy and Sensorimotor Education
Eric Jacobson, Ph
J Altern Complement Med. 2011 Oct; 17(10): 891–899.


ヴィルヘルム・ライヒのマッサージ

2018-05-31 | マッサージ研究
 初期の精神科医フロイト(Sigmund Freud:1856-1939)は、患者のからだに触れたり、マッサージをしていました。
 ↓
「身体心理療法の現状とシステムズ・アプローチとしての展開」  
葛西俊治『札幌学院大学人文学会紀要』第93号、59-82,2013年2月
 
 フロイトがマッサージを用いていたことは、フロイトの治療法の変遷の歴史を調べると理解できます。もともとフロイトは催眠の研究を行い、「催眠には掛かりにくいヒトと掛かりやすいヒトがいる」ということから自由連想法による「精神分析(Psychoanalysis:サイコアナリシス)」の立場に移行しました。当時のヒステリーを治療する医師たちはマッサージを用いていました。このヒステリーの治療のためのマッサージから当時の科学的な電気治療器具ヴァイブレーターが生まれました。
 当時のヨーロッパでは、フランス・アントン・メスメル(Franz Anton Mesmer:1734-1815)が「動物磁気(Animal magnetism)」という催眠法を開発していました。その「動物磁気」による催眠を「シャルコー・マリー・ツース病」の発見で有名な神経科医ジャン=マルタン・シャルコー (Jean-Martin Charcot)がサルペトリエール病院で行い、それを若き日のフロイトが学んでいました。当時のメスメル(Mesmer)の「催眠=動物磁気メスメリズム」は、「ハンズ・オン(Hands on)」といって、患者の体に手を当てて、手の下を流れるエネルギー(動物磁気)を感じながら行うものでした。フロイトは、催眠を最初に行い、「催眠には掛かりにくいヒトと掛かりやすいヒトがいる」ということから自由連想法にうつり、『精神分析』をつくりました。弟子たちには、晩年のフロイトによって完成された「精神分析」だけが伝わりました。
 
 フロイトの直弟子である精神科医ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich:1897-1957)も、「フロイト本来の方法を発展させて」、1935年に「植物神経療法(ヴェジト・セラピー:Vegeto Therapy)」を創り上げました。これは、感情によるブロックが身体による緊張となるので、それをマッサージで取り除こうとするものです。ヴィルヘルム・ライヒは「オルゴン(Orgone)」という東洋医学の「気」そっくりの的エネルギーがカラダに詰まって、固い「ボディ・アーマー(身体のヨロイ)」をつくると考えていました。ヴィルヘルム・ライヒはドイツ生まれのユダヤ人ですが、1933年に出版した『ファシズムの大衆心理(The Mass Psychology of Fascism)』で、ナチス・ドイツは的抑圧を政治エネルギーに転化していると批判して、ナチス・ドイツ政府から発禁処分を受けます。1927年にはオーストリアのウイーンにフリーセックス・カウンセリング・クリニックを創設し、1936年には『文化の革命(The Sexual Revolution)』を書きました。いまでも欧米では、「新ライヒ派マッサージ(Neo-Reichian massage)」というマッサージの流派があります。
 
以下、引用。
「1930年代、ライヒは、精神分析の守備範囲を大きく逸脱して、患者を治療しはじめた。」
From 1930 onwards, Reich began to treat patients outside the limits of psychoanalysis's restrictions. 
 
「かれは、患者のボディに触れることでコミュニケーションしはじめた。かれは、男患者には、ショーツを降ろすように言って、ときには完全に脱がせた。女患者には、下着を脱がせて、彼らの肉体を愛するかのように、ボディをリラックスさせるためにマッサージしはじめた。かれは患者たちに希望を起こさせるような感情を肉体におこさせようとした」
he began to try to communicate with the body using touch. He asked his male patients to undress down to their shorts, and sometimes entirely, and his female patients down to their underclothes, and began to massage them to loosen their body armour. He would also ask them to simulate physically the effects of certain emotions in the hope of triggering them
以上、引用終わり。
ヴィルヘルム・ライヒは、このようなマッサージを使った精神分析をしたために、精神分析協会から除名されました。
 
 「ロルフィング」を創始したアイダ・ロルフ(Ida Rolf:1896 –1979)のマッサージは「痛い」ので、有名でしたが、マッサージを受けている患者が「トラウマからの解放」を感じるという「心身を癒すマッサージ」として有名でした。1972年(76歳)から1979年(83歳)の晩年のロルフは、「痛いマッサージ」ではなく、「身体教育」としてのボディワークとしてのロルフィングを行いました。日本には、10セッションからなる「身体教育」としてのロルフィングだけが伝わっています。日本の「認定ロルファー」はマッサージは無免許なので、「身体教育(ボディワーク)」だけを行います。アイダ・ロルフが晩年にまとめた「10セッション」からは逸脱しませんし、「痛いマッサージ」などはしません。
 アメリカの「認定ロルファー」は、筋膜研究者トマス・マイヤーズのように同時にカルフォルニア州の「認定マッサージ師」でもあり、ロルフの「10セッション」を「13セッション」に変えたり、「アナトミー・トレイン」など新たな理論を創造しています。76歳から83歳と高齢時代のアイダ・ロルフがまとめたボディワーク身体教育の「ロルフィング」は日本に伝わりましたが、「感情によるブロックが身体の緊張や姿勢の歪みとなったブロックをリリースする、痛いマッサージ」の名人芸は伝わらなかったようです。
 
 現在は、効果が無いと確定した、形骸化した『精神分析(サイコアナリシス)』の残骸だけが、伝わっており、欧米の「心理療法」の名人たちが本当に使っていた技法は、心理療法士たちには、ほとんど伝承されていませんし、存在さえ、あまり知られていないようです。

アメリカ中医学の歴史:「中医学鍼」と「ブラックパンサー党」と「NADAプロトコル」

2018-05-31 | 中国医学の歴史
2018年5月29日香港の新聞『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト(SCMP)』
「『中医学』と『ブラックパンサー党(黒豹党)』:中医学とアメリカの歴史は、ニューヨークの展示でスポットライトを浴びている」
現在、ニューヨークの中国博物館(MoCA:Museum of Chinese in America)で、中医学の展示を行っているのですが、記事を読んでいてビックリしました・・・。
 
以下、引用。
「『ブラックパンサー運動』1970年代の革命的なアフリカ系アメリカ人の政治グループは、予期せぬ鍼灸の応援団となった」
The Black Panther movement, the revolutionary African-American political group of the 1970s, were unexpected cheerleaders of acupuncture.
 
「『ブラックパンサー党は、本当に、鍼に興味を持っていた。そして、中国に鍼を学ぶために何組かの代表団を送ったほどだ。彼らは、鍼を持ち帰り、ブロンクスのコミュニティ・プロセスに鍼を組み込んだんだ』」
“The Black Panthers became really interested in acupuncture, and sent a couple of representatives to China to learn about it. They brought it back and incorporated acupuncture into their community processes in the Bronx,” says Tam.
 
「それは医学的な運動であると同時に政治的な運動だった、ブラックパンサーズは、白人の医学を拒否していた。麻薬中毒の症状を断ち切るための耳鍼は、ブラックパンサーズによって発見されたんだよ。いまでは薬物中毒に対する定期的な治療にもなっているよ」
It was a political move as well as a medical one, he says: “It was rejection of white people’s medicine. Ear acupuncture works for addiction withdrawal symptoms, and was something the Panthers discovered. Now it’s become a regular treatment for certain kinds of addiction withdrawal,” says Tam.
以上、引用終わり。
 アメリカでは、1966年頃に、マルコムXの影響を受けて、武装して黒人を解放しようとする「ブラックパンサー党」が生まれました。ブラックパンサーは共産主義・毛沢東主義を信奉し、アメリカのスラム地帯に病院を建てました。
 そして、ニューヨークの最悪のスラム、サウスブロンクスののリンカーン病院で耳鍼による薬物中毒治療を行っていたマイケル・スミス医師が耳穴の「NADAプロトコル」を創案しました。最初は「肺」のツボのみを使っていましたが、精神安定作用のある耳の神門が加えられ、試行錯誤して、現在のような肺・神門・交感・肝・腎の5穴となりました。鍼を実際に挿入して、手技して置針します。患者たちは同時に複数が置針され、30分から45分のリラックスして長椅子に座ります。この麻薬中毒の耳鍼「NADAプロトコル」は現在のアメリカ鍼灸の基礎になり、「コミュニティー・アキュパンクチャー」に応用されています。まさか、 「ブラックパンサー党」が耳鍼 「NADAプロトコル」を創ったなんて、思いもしなかったです!しかし、言われてみれば、なんで、サウスブロンクスで薬物中毒治療をやっていたのか?アメリカのアフリカ系アメリカ人が住む犯罪多発貧困地帯で、無料の朝食を子供達に配給し、無料の病院をつくった 「ブラックパンサー党」以外に考えられないです!なんで、気づかなかったんや!自分のバカさにあきれます・・・。

  『ブラックパンサー党(黒豹党)』の創設者の1人は、日本人のリチャード・アオキ(Richard Masato Aoki:1938-2009)です。リチャード・アオキが2009年に死亡した年に、『アオキ』という映画が創られ、アメリカ政府FBIがブラックパンサーズの中でリクルートしたスパイであることが判明しました・・・。
 
 いま、アメリカの文学界で、いちばん話題なのは、父親がブラックパンサーズだった、タナハシ・コーツ(Ta-Nehisi Coates)さんです。「ジェイムズ・ボールドウィンの再来」と絶賛されるタナハシ・コーツさんは、2015年に『世界と僕のあいだに』(”Between the World and Me”)という本で、全米図書賞を受賞しました。
『世界と僕のあいだに』タナハシ・コーツ 慶應義塾大学出版会 (2017/2/7)
 現在、父親がブラックパンサーズだったタナハシ・コーツさんは、マーベルコミックスの2018年大ヒット映画『ブラックパンサー』の脚本を書いたことで大スターとなっています!!!。マーベル・コミックス映画『ブラックパンサー』は、まさに政治団体だった『ブラックパンサー党』をテーマにしていたので、私は映画を見て、驚愕・感動しました。
 
 いま、世界で、代替医療はブームですが、ハーバード大学のプラセボ研究者の鍼師テッド・カプチュクさんは1968年に大学を卒業したヒッピーでした。マインドフルネス瞑想法を創ったジョン・カバット・ジンさんはヴェトナム反戦運動のデモに参加したヴェトナム僧のティク・ナット・ハンから瞑想を教わりました。いま、世界中で代替医療や鍼や気功を研究しているのは、みんな「カウンター・カルチャー」の出身です。日本では、津村喬(つむら・たかし)先生が、最初に気功に魅せられ、その後、大学時代に1968年全共闘運動と出会って活動家となり、再び気功研究家となった経歴を本でオープンにしていますが、世界中、そんな感じなんです。日本では、大学の真面目な研究者ばかりなので、世界の代替医療の人脈や流れがまったく理解できないという惨状になっています・・・。

鍼灸EBM最前線:片頭痛

2018-05-31 | 頭痛

2018年4月18日
片頭痛に効く!? 薬をつかわない対処法の効果とは?

以下、引用。
【根拠】「鍼治療を受けると頭痛が起こる回数が半減」──最近コクラン・レビューに発表された、片頭痛がテーマのレビュー研究の結論でした。コクラン・レビューは世界の論文を見直す「系統的レビュー研究」を集めたデータベースで、信頼度はお墨つき。集めた研究に参加した片頭痛の人は合計5000人近くでした。レビュー研究では、片頭痛の薬と鍼治療の効果を比べた3つの試験を再評価。鍼治療は、薬よりも頭痛の回数を大きく減らせるというのが共通した結果でした。

【結論】コクラン・レビューの研究では、6回以上の治療が効果的。「とりあげた3つの方法のなかでは、鍼治療が一番有望です。痛みをやわらげる神経伝達物質、エンドルフィンを活発に作り出すようになるところがいいですね」(クルヴィラさん)
以上、引用終わり。

頭痛のEBM研究では、2009年にドイツのミュンヘン工科大学のクラウス・リンデ先生らが書いた、片頭痛の鍼治療のコクラン・システマティックレビューが肯定的な結果を出したことが大きいです。

2009年「片頭痛予防のための鍼」
Acupuncture for migraine prophylaxis
Klaus Linde,et al.
Cochrane Database Syst Rev. 2009 Jan 21;(1):CD001218.

以下、引用。
「著者の結論:以前の研究では鍼の片頭痛予防効果は不十分であった。現在、12の追加実験により、鍼は急性あるいは反復性の片頭痛のケアに利益があるという一貫した証拠が存在する。真鍼と偽鍼の効果の間に証拠はないとは言うものの、それは重要性を邪魔しない。少なくとも鍼は薬物による予防よりも効果があり、副作用はほとんど無い。鍼はそれを受けようという患者にとっては考慮すべき選択枝であるべきだ」
In the previous version of this review, evidence in support of acupuncture for migraine prophylaxis was considered promising but insufficient. Now, with 12 additional trials, there is consistent evidence that acupuncture provides additional benefit to treatment of acute migraine attacks only or to routine care. There is no evidence for an effect of 'true' acupuncture over sham interventions, though this is difficult to interpret, as exact point location could be of limited importance. Available studies suggest that acupuncture is at least as effective as, or possibly more effective than, prophylactic drug treatment, and has fewer adverse effects. Acupuncture should be considered a treatment option for patients willing to undergo this treatment.
以上、引用終わり。

2016年6月28日『コクランシステマティックレビュー』
ドイツ・ミュンヘン工科大学のクラウス・リンデらのグループの論文
「鍼による反復性片頭痛の予防」
Acupuncture for the prevention of episodic migraine
Linde K,et al.
Cochrane Database Syst Rev. 2016 Jun 28;6:CD001218.

2017年2月20日『JAMAインターナル・メディスン』の論文
「片頭痛予防のための鍼の長期的効果」
The Long-term Effect of Acupuncture for Migraine Prophylaxis A Randomized Clinical Trial
Ling Zhao, PhD et al
JAMA Intern Med. Published online February 20, 2017.
http://jamanetwork.com/journals/jamainternalmedicine/article-abstract/2603492


「頸原性頭痛(Cervicogenic headache)」と「大後頭神経三叉神経症候群(GOTS:Great Occipital Trigeminal Syndrome)」

2018-05-30 | 肩こり

クロアチアの医師グルジシが2007年に書いた
「頸原性頭痛:疾病原因、特徴、診断、治療」
Cervicogenic headache: etiopathogenesis, characteristics, diagnosis, differential diagnosis and therapy.
Grgić V

Lijec Vjesn. 2007 Jun-Jul;129(6-7):230-6.

以下、訳して引用。

頸原性頭痛(Cervicogenic headache)という言葉は、頭部周辺で、上位頸椎障害のために起こる頭痛を意味しています。
臨床研究によれば、慢性頭痛の患者の15-20パーセントは頸部が原因の頭痛です。頸原性頭痛は、C1-C3の頸神経、C0-C3の椎間関節、C2-C3の椎間板、C2-C3の筋肉、靱帯、骨構造、硬膜、椎骨動脈の痛み病巣から引き起こされる障害です。
 神経解剖学と神経生理学の研究は、頸椎のC1-C3からの侵害受容求心性神経と三叉神経からの侵害受容性求心性神経が三叉神経核で収束することを証明しました」
以上、引用終わり。

 「緊張型頭痛」や「肩こり」の臨床研究をしていると、触れずにはいられないのが、「頸原性頭痛(Cervicogenic headache:サーヴィコジェニック・ヘディック)」です。頸椎が原因で頭痛となります。
 もともとは2003年の「国際頭痛分類」にも分類されていましたが、「緊張型頭痛(tension-type headache)」の概念と混同されがちでした。
しかし、例えば、交通事故のむちうち損傷など外傷が原因で頭痛が起こるのは、「緊張型頭痛」の概念にはあてはまりません。

 さらに、1950年代から西洋医学では「大後頭神経三叉神経症候群(Great Occipital Trigeminal Syndrome:GOTS:ゴッツ)」という病気の存在が知られていました。これは、後頭部痛といっしょに三叉神経第1枝の前額部から眼のあたりが痛むという症状が特徴です。これは、後頭部の皮膚感覚を支配する大後頭神経と顔面の皮膚感覚を支配する三叉神経が延髄の核において収束することから起こると考えられ、日本頭痛学会などでも、この目の痛みが頸椎など後頭部・後頚部を治療することで改善されるという症例が2000年代後半に報告されはじめました。

 さらに実験では、日本医科大学の柴田正義医師は、大後頭神経近傍に食塩水を注射したところ、後頭部・頭頂部・前頭部から眼窩に放散痛が起こることを報告しています(柴田正義「肩のいたみの臨床的研究」1972)。
 また、日本の鍼灸科学派を代表する七堂利幸先生は、上天柱(BL10)穴に刺鍼して通電して、深部体温を測定したところ、眼窩下部の体温上昇を記録し、大後頭神経と三叉神経が延髄でリンクしていることが、天柱(BL10)を刺激して、顔面に影響する機序ではないかと考察されています(七堂利幸「鍼による深部体温への影響(1)」『自律神経』1977)。
 これらの実験が示す、大後頭神経と三叉神経がリンクしているという事実は、(1)緊張型頭痛などの関連痛の存在、(2)頸原性頭痛による後頚部から目の症状(足太陽膀胱経の流注にそっくり!)、(3)天柱穴や百労穴によって緊張型頭痛や頸原性頭痛が改善されること、などの鍼灸臨床で経験する事実をうまく説明できます。


頸原性頭痛(Cervicogenic headache)

2018-05-30 | 肩こり
日本を代表する頭痛専門医の間中信也先生が書かれた
「頭痛診療ツールとしての鍼灸技法の応用」
『臨床神経学』 52巻き11号、1299-1302ページ、2012年
この論文の中で、間中信也先生は、頭痛に対して「天柱治療」を提唱しています。
 
以下、引用。
「天柱穴は後頭骨の下縁・僧帽筋の外縁に位置する。
三叉神経と部求心神経は髄C2を中心に収束し、三叉神経神経複合体を形成する。この部分は脳幹疼痛制御系のコントロール下にある。
この特殊構造により、三叉神経を介して片頭痛と、神経を介して緊張型頭痛や頭痛と関連する一方、両神経系のインタラクションを形成する」
 
「天柱症候群、天柱ブロックという用語をはじめて使用したのは兵頭正義らである。兵頭は後頭部の僧帽筋起始部の後頭骨の付着部外縁を天柱という経穴名であらわすのが簡潔であり、その天柱に行うブロックを天柱ブロックと命名した」
天柱ブロックは、頭痛、緊張型頭痛、片頭痛に有効であることが2010年に日本頭痛学会で報告されています(井福正貴「後頭部痛における天柱ブロックの有効とその評価」『日本頭痛学会誌』2010:36:244-247)。
また、傍脊柱筋・筋膜痛を片頭痛の慢化の因とみなす仮説もあります(北見公一『変容片頭痛についてー片頭痛が慢化するメカニズム仮説ー』『日本頭痛学会雑誌』2007:34:174-178)。
 2006年にジョージア医科大学のメリックという医師は、417人の頭痛患者のC6-C7椎の棘突起両側に局所麻酔薬を注射し、有効率85.4パーセント(356人有効)という結果を得ました。多くの鍼灸師が、百労(第5椎棘突起の両側)が頭痛治療に有効であった症例を報告しています。
 西洋医学の分野における「天柱症候群」の概念や「頭痛」の研究を概括すると、頭痛の鍼灸臨床で、頭半棘筋などを天柱(BL10)から大椎(GV14)あたりまで触診することは重要だと感じます。

MasseuseとMasseur

2018-05-29 | マッサージ研究
2018年1月5日
「法案は、グアムのマッサージ産業を規制しようとしている」

以下、引用。
「【必要条件】
グアムで、マッサージをするライセンスを得るためには、最低250時間の監督下でのマッサージ療法のトレーニングを完了する。これには解剖学や生理学の学習も含まれる。マッサージとマッサージ療法トレーニングに関連した30時間の卒後教育も完了する。」
Requirements
Obtaining a license to practice massage on Guam would include completing a minimum of 250 hours of supervised massage therapy training, which must include the study of anatomy and physiology, and completion of 30 hours of continuing education related to massage and massage therapy training.

「18歳以上の、重罪や性犯罪をおかしていないことを確証できるもののみが、協会営業免許またはマッサージ・プラクティス認証を受けることができる。」
Only those who are at least 18 years old and not have been convicted in any court for felony or any sex crime, among other things, would be able to apply for board licensure or certification to practice massage.

「医師、看護師、カイロプラクター、ポダイアトリー足病医、鍼師などマッサージ療法が臨床の一部となっているものは免除される。」
Those authorized to practice medicine, nursing, chiropracty, podiatry or acupuncture, if massage or massage therapy is within the scope of their practice, would be exempt.

「マッサージまたはマッサージ療法は、床屋さんや美容院や認証スポーツトレーナーによるものは免除される。」
Also exempted would be of massage or massage therapy given in barber shops or beauty parlors by any licensed barber or beauty culturist, or by certified sports trainers.

「この法案は、スルハナやスルハヌとよばれるマッサージや植物伝統薬を使う伝統ヒーラーを除外する。」
The bill also exempts traditional healers such as suruhana or suruhanu, who heal through massage and use traditional remedies that include the use of roots, leaves, bark, plants and grass.
以上、引用終わり。
 グアムの先住民族チャモロ人(Chamorro)には、独特の薬草文化やマッサージがあり、グアムに旅行した際には、感銘を受けました。環太平洋シャーマン文化を受け継ぎ、マッサージを使う「スルハヌス(Suruhånus)」と「マカーナ(Makåhna)」が居ます。

 インドネシアにも薬草とスピリチュアル・ヒーリングを行ってきた『ドゥクン(Dukun)』と言われる魔術師ヒーラー兼マッサージ師がいます。
 フィジーにも「マラマダゥ(maramadau)」と呼ばれる薬草ヒーリング・マッサージ師がいます。
 フィリピンにも「ヒロット」という薬草ヒーラー兼スピリチュアル・ヒーラー兼マッサージ師がいます。
 ハワイにも「ロミロミ・マッサージ」があります。

 このスピリチュアル・ヒーリングと薬草マッサージは、フィジー島からハワイ島に至る、太平洋を南北につなぐ文化圏なのかも知れません。

 東南アジアから太平洋諸島のマッサージ文化を観察すると、共通点と相違点があります。まず、マッサージのプラクティショナーはスピリチュアルヒーラーを兼ねて、霊的・心身的修行を行います。東洋医学の「気」によく似たエネルギーを感じるため、才能と訓練が必要です。伝統治療者としての数年から数十年に渡るココロの修行が重視され、特に太平洋地域では母から娘に受け継がれる血統が重視されます。
 しかし、「スピリチュアルエネルギーを感じる才能がある程度、血統で受け継がれる」 、「霊的修行が必要である」などの伝統文化部分や深い部分は、現代のSPA文化のマッサージには不必要なので切り捨てられたようです。

【マッサージとマスース(Masseuse)の意味】
 また、せっかくリサーチしているのだから、マッサージの実技テクニックを研究しようと、ユーチューブなどの動画サイトでアジア伝統の「マッサージ」関連の検索キーワードを英語でうちこむと、出てくるのは「アダルト・コンテンツ」ばかりになり、どの国のどの地域で、そういうマッサージを行っているなどという、いらない知識ばっかりが増えていきます。

 例えば、「タイ伝統マッサージ」は、ベトナム戦争でアメリカ兵たちの慰安所となったタイランド王国のバンコクで、性的サービスの隠れミノとして、1960年代に盛んとなり、それがアジアのSPA文化を創ったという歴史があります。当時は、日本人男性の「東南アジア・ツアー」も社会問題化しました。台湾や香港や東南アジアの「マッサージ・パーラー」というのは、普通はそういう意味でした。当時は、アメリカ人や日本人が、風呂やサウナに入り、性的サービスも受けられるという「おっさん天国」でした。
 1990年代に、日本にアーユルヴェーダ・マッサージ「アビヤンガ(abhyanga)」が入ってきたときは、インド・エステが中心で、インド美人2人がシンクロナイズして男性にオイル・マッサージするというイメージでした。アーユルヴェーダを勉強していく過程で、「宗教的に厳格なインドでは、女性が男性をマッサージしたり、男性が女性をマッサージすることは有り得ない」と知ったときは衝撃的でした。
 
 英語やフランス語で「男性マッサージ師」のことを「マッサーMasseur:英語/məˈsuːɹ//仏語/masœʁ/)」と言います。そして、「女性マッサージ師」のことを「マスース(Masseuse:英語/məˈsuːs//仏語/masøz/)」と言います。英語には男性名詞や女性名詞はありませんが、フランス語は男性名詞と女性名詞があります。「マッサージ(Massage)」はもともとフランス語から英語に輸入されたコトバなので、「マスース(Masseuse)」という女性名詞も同時期に輸入されました。そして、「女性マッサージ師=マスース(Masseuse)」というフランス語・英語には「性的サービスをするヒト」という意味が辞書にも載っています。

  イスラム伝統医学ユーナニの「ダラック・マッサージ」を調べると、「ハンマム(hammām)公衆浴場」のサウナや入浴の治療とセットになっています。イスラム圏では現在でもトルコやモロッコでは「ハンマム(hammām)」という公衆浴場で、入浴とマッサージをする文化があります。基本的に男性には男性マッサージ師、女性には女性マッサージ師があてられます。特にトルコの「公衆浴場ハンマム(hammām)」は、東ローマ帝国の「ローマ風呂(テルマエ・ロマエ:Thermae Romae)」文化も継承した奥の深い素晴らしいイスラム伝統文化です。調べると、昔の「公衆浴場ハンマム(hammām)」のマッサージ師は、カミソリを使って整髪と瀉血も担当していたようです。お風呂は瀉血の後始末がしやすそうです。しかし、瀉血カミソリと整髪カミソリは分けていたんでしょうか(笑)?

 トルコの「公衆浴場ハンマム(hammām)」では、男性には男性のマッサージ師がつくのですが、19世紀のイギリス・ロンドンにはイギリス人が造ったニセモノの「トルコ風呂(Turkish Bath)」が30軒もあり、いずれも女性による性的サービスが行われました。このサービスは1861年にはアメリカにも広がります。そして、性風俗として流行は世界に広がり、上海のニセモノ「トルコ風呂(Turkish Bath)」にヒントを得た元・日本軍の特務機関工作員の許斐氏利(このみ・うじとし:1912-1980)氏が1951年に日本最初のトルコ風店舗「東京温泉」を開業し、現在の日本社会に至るという特殊な歴史があります。1984年に小池百合子議員の友人のトルコ人地震学者ヌレット・サンジャクリ氏が日本政府に抗議して、「トルコ風呂(Turkish Bath)」」という間違った使い方は日本で無くなりました。

 東南アジアのオイル・マッサージの場合は、肌を露出した状態で行います。異性が行うマッサージに性的な問題はツキモノ・不可分といえると思います。これを解決する方法はイスラム・スタイルの「男性には男性マッサージ師、女性には女性マッサージ師」という方式です。

  このように、「女性マッサージ師」を意味する英語・フランス語「マスース(Masseuse)」には、深い意味があると思います。多くのヒトは、マッサージを論じる際に、この性的問題を避けて通ります。しかし、現実問題として、性的に厳格な伝統社会では、「女性を男性がマッサージする」ということは、フランス語の「マスース(Masseuse)」以外には、あまり無かったと思います。