alternativemedicine

Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

Fasciaとオステオパシーのクラニオセイクラル・セラピー(頭蓋仙骨調整療法)

2018-06-27 | 間中喜雄先生
以下は『アメリカオステオパシー学会雑誌』に2006年に発表された論文です。
 
「慢性疲労症候群における脳脊髄のリンパ・ドレナージ:頭蓋リズム脈動の仮説理論モデル」 
Lymphatic drainage of the neuraxis in chronic fatigue syndrome: a hypothetical model for the cranial rhythmic impulse. 
Perrin RN. 
J Am Osteopath Assoc. 2007 Jun;107(6):218-24. 
これは読んで驚愕しました。書いたのはレイモンド・ペリンというイギリスのオステオパシー医師で、博士です。レイモンド・ペリンさんは、慢性疲労症候群患者をオステオパシーの『クラニオセイクラル・セラピー(頭蓋仙骨調整療法)』とマニュアル・リンパ・ドレナージュで治療しました。
 この論文では、「慢性疲労症候群がクラニオセイクラルセラピーで治る機序は、脳からのリンパ・ドレナージ(リンパ排液)による解毒しか考えられないが、解剖学には、脳にリンパ管は存在しない。しかし、患者の身体徴候を、観察すると、やはりリンバ・ドレナージの機序しか考えられない。例え、脳の中にリンバ管が無くても、何らかのリンバ排液のシステムが存在するはずだ」と主張しているのです!!!
   この論文が発表されたのは2015年7月の『ネーチャー』に脳内のリンパ管システムが発見される8年前!の2007年7月です!。一臨床家の実感からの仮説が、8年後に証明されたことに本当に感動しました。
 
   『クラニオセイクラル・セラピー(頭蓋仙骨療法Craniosacral therapy)』はオステオパシーの手技であり、オステオパシーの創始者スティルの直弟子ウイリアム・ガーナー・サザーランド(William Garner Sutherland:1873–1954) が1930年代に始めました。それを1970年代にオステオパシー医師のジョン・アプレジャー(John Upledger1932ー2012)がまとめたものです。

以下、引用。
「慢性疲労症候群患者における脳脊髄の体液・リンパ液の排液ドレナージが探求するには面白い分野として注目を浴びている」
An interesting area of exploration has arisen on the involvement of cerebrospinal fluid and lymphatic drainage in patients with chronic fatigue syndrome (CFS).
 
「過去20年に渡り、私は何百もの慢性疲労症候群患者がリンパ排液ドレナージの問題を持っているのを見てきた。」
During the past 2 decades, I have observed hundreds of patients with this disorder who had CRIs and lymphatic drainage disturbances. 
 
「しかしながら、脳にリンパ管の構造物がないという事実のため、この理論は受け入れられていない。脳の静脈はユニークでその薄い壁には筋肉のバルブがないのだ。」
However, the absence of contractile tissue in the veins and sinuses of the brain makes this theory difficult to accept. The cerebral veins are unique in that they possess no muscular tissue in their thin walls and have no valves.
 
「頭蓋リズム脈動は、交感神経システムによる脳脊髄の液体排出と脳中枢からのリンパ排液ドレナージによって引き起こされる」
The cranial rhythmic impulse is the rhythm produced by a combination of cerebrospinal fluid drainage from the neuraxis (brain and spinal cord) and pulsations of central lymphatic drainage induced by the sympathetic nervous system.  
以上、引用終わり。
この著者は、人間以外の哺乳類の脳のリンパ排液ドレナージシステムを論じ、さらに慢性疲労症候群患者の白色のリンパが停滞した静脈瘤などの証拠から、人間にも、未知の脳からのリンパ排液ドレナージシステムが存在することを示唆しています。そして、脳からのリンパ排液ドレナージによる解毒の方法としてエミール・ヴォダーのマニュアル・リンパ・ドレナージを含む頭頸部のリンパ・マッサージを治療法として提唱しています!。
 
   このイギリスのオステオパシー医師のペリンさんは、自分を信じる力や、オステオパシーを信じる力が凄すぎます・・・。本当に尊敬できます。

Fasciaとキネシオテーピング2

2018-06-27 | 間中喜雄先生
2015年「筋筋膜痛(マイオフェーシャル・ペイン)のコントロールにおけるキネシオテーピング法」
The Kinesio Taping Method for Myofascial Pain Control
Wei-Ting Wu, et al.
Evid Based Complement Alternat Med. 2015; 2015: 950519.
Published online 2015 Jun 21
 論文は、「筋筋膜性疼痛症候群(MPS:Myofascial Pain Syndrome )」と「筋筋膜トリガーポイント(MTrP: Myofascial Trigger Point))」の説明と、トリガーポイント形成仮説から始まります。
 
 そして、【筋筋膜トリガーポイントの治療】として、
(1)ジャネット・トラベルによる「塩化エチルスプレー」と「ストレッチ」、
(2)レウィットとサイモンズによる「ポスト・アイソメトリック・リラクゼーション・エクササイズ(Post Isometric Relaxation (PIR) exercise)」、
(3)ジェームズ・サイリュアックスによる「ディープ・フリクション・マッサージ」が挙げられていました。サイリュアックス・マッサージは筋線維や腱を横切るように刺激します。
 
以下、引用。
「サイリュアックスは、指を筋線維、筋硬結の筋筋膜トリガーポイントの長軸を横切るように刺激するディープ・フリクション・マッサージを発達させた」
Cyriax developed a deep fraction massage requiring that the finger runs across the long axis of muscle fibers or taut bands at level of MTrPs, and it is specific for those located at middle of muscle belly. 
以上、引用終わり。
 
(2)のカレル・レウィットは筋筋膜痛に対して、1979年に最初に鍼(ドライ・ニードリング)を使ったチェコの医師です。
 デビッド・サイモンズ(1922-2010)は、1960年にジャネット・トラベルと出会って共同研究を行い、1983年に『トリガーポイント・マニュアル筋膜痛と機能障害』(邦訳はエンタプライズ社)を出版したトリガーポイント理論の創始者の一人です。レウィットとサイモンズが共同の論文(※1)を書いていたことを初めて知りました!!!
 
 カレル・レウィットとデビッド・サイモンズの提唱した「ポスト・アイソメトリック・リラクゼーション・エクササイズ(Post Isometric Relaxation (PIR) exercise)」とは、オステオパシー分野でオステオパシー医師フレッド・ミッチェル(Fred L.Mitchell:1909-1974)が1948年に開発した「マッスル・エナジー・テクニック(MET:Muscle Energy Technique)」の変法のようです・・・。正直に言って、この情報はまったく知りませんでした。
 
以下、『ポスト・アイソメトリック・リラクゼーション』Post isometric Relaxationのホームページより引用。
「『ポスト・アイソメトリック・テクニック』は、ミッチェルらによって、開発され、レウィットによって修正された。レウィットは、機能を邪魔している筋肉の緊張の増加を減らすことを感じており、ストレッチは必要ないとしていた。レウィットは、ストレッチは、形態学的に結合組織が変化したような不可逆性の拘縮にのみ必要だとしている」
Postisometric technique as developed by Mitchel et al., was modified by Lewit. Lewit feels that to reduce increased muscle tension due to disturbed function, stretch is not really necessary. He feels that stretch is only necessary if there are "irreversible contractures due to morphological connective tissue change."
 
「プロセデュワ(手順)は次のようである」
The procedure is as follows: 
 
「1.筋肉を最大の長さまで、ストレッチすることなしに、ゆるみをまきとる。最小限に、痛み無く行う」
1.Bring the muscle to its maximum length without stretching, taking up the slack. There should be only minimal or no pain.
 
「2.患者は最小限のちからで抵抗し(等張性に)、そして、10秒間呼吸する。」
2.The patient is asked to resist with only minimal force (isometrically) and to breathe in for 10 seconds.
 
「3.患者は、それからリラックスするように言われて、ゆっくりと息を吐き出す。これは、医師にとって待つことが重要であり、リラクゼーションを感じさせる。医師はリラクゼーションが起こるまで10~20秒待つ。純粋なリラクゼーションのために関節可動域が増大する。」
3.The patient is then told to 'let go' (relax) and exhale slowly. It is important for the doctor to wait and feel the relaxation. The doctor could wait 10 to 20 seconds or longer as long as relaxation is taking place. Due to pure relaxation there should be an increase in the range of motion.
 
「4.もし、患者がリラックスすることが難しければ、患者にリラックスさせるまえに等張性の状態で30秒待つ」
4.If the patient has difficulty relaxing, hold the isometric phase for 30 seconds before having the patient 'let go.'
 
「5.普通、3回から5回は、自発的ストレッチをそれぞれのセッションで加えることが必要である。」
5.Usually three to five times is all that is necessary to obtain spontaneous stretch each session.
 
「6.呼吸にあわせて、患者は目だけ見上げる。これはインスピレーションを容易にして、筋肉を楽にする。リラックスを助けるために、息を吐き出す間、患者に下を見させる」
6.Along with the breathing, having the patient look up (eyes only). This helps facilitate the inspiration, which facilitates the muscle. Have the patient look down during expiration to aid in relaxation.
以上、引用終わり。
 確かに、この手技はオステオパシーの「マッスル・エナジー・テクニック(MET:Muscle Energy Technique)」そっくりです。
これは理学療法の世界では、「等尺性収縮後の筋伸長法(PIR:Post Isometric Relaxation)」と呼ばれて、文献まで出版されているようです
(伊藤 俊一著 「Post isometric relaxation―等尺性収縮後の筋伸張法」 http://www.amazon.co.jp/dp/4895903176)。
 
台湾の2015年論文では【筋筋膜トリガーポイントの治療】として、
(1)ジャネット・トラベルによる「塩化エチルスプレー」と「ストレッチ」、
(2)レウィットとサイモンズによる「ポスト・アイソメトリック・リラクゼーション・エクササイズ(Post Isometric Relaxation (PIR) exercise)」、
(3)サイリュアックスによる「ディープ・フリクション・マッサージ」、
 
その次に、
(4)アイダ・ロルフの「ロルフィング(Rolfing)」
(5)筋膜リリース・テクニック
(6)加瀬建造先生の「キネシオ・テーピング」が挙げられています。
 
以下、引用。
「ロルフィング法は、『Fascia(膜・筋膜)』の粘弾性(ヴィスコエラシティviscoelasticity)に焦点を当てている。このマニュアル療法は、硬いタイプのコロイド筋膜をより液体形態のものにすることで機械的摂動を起こします。この筋膜は、豊富な侵害メカノレセプターを含みます。ゴルジ受容体を刺激する筋膜リリース・テクニックは、筋骨格の緊張を変えるように誘導します。最低でも、固有受容の増大による機能障害は減少します」
Rolfing method introduced focuses on viscoelasticity of the fascia . By this manual treatment, firm type of colloid fascia due to mechanical perturbation can be transduced to a more liquid form. The fascia contains abundant innervation with mechanoreceptors. Fascia releasing technique with stimulation of Golgi receptors can lead to changes in the underlying tension of the skeletal muscle. At least, by increasing local proprioception, status of dysfunction will be reduced.
 
「最近、いくつかの研究で、筋筋膜性疼痛症候群へのキネシオテーピングの治療効果が研究されています」
Recently, few studies researched the therapeutic effect of Kinesio Taping (KT) method as a new therapy of MPS and with hope of self-application for this condition.
以上、引用終わり。
 キネシオ・テーピングによる「筋筋膜性疼痛症候群」が効果的であるか、どうか?については、エビデンスが十分ではありません。この2015年台湾論文では、考えられるメカニズムと実験報告をまとめています。加瀬建造先生による「皮膚の持ち上げによるリンパ循環の改善」理論による効果なのか、筋膜リリース的な効果なのか、プラセボ効果なのはハッキリしません。また、鍼と違って、キネシオテープはプラセボをつくりにくく、二重盲検法によるランダム化比較試験が困難なようです。キネシオ・テーピングについては超音波を使った基礎研究がいくつかあるようです。
 
 「Fascia(膜・筋膜)」の研究は、わたしにとっては、
(1)トリガーポイント鍼理論。マイオフェーシャル・ペイン(筋筋膜痛)の解明が、第一義です。「Fascia(膜・筋膜)」の研究はジャネット・トラベルが「マイオフェーシャル・ペイン(筋筋膜痛)」を書くまで、西洋医学では、マジメに取り上げられていませんでした。
 
 同時に、(2)「ストレッチの理論的整理」の問題があります。わたしは筋骨格系疾患の臨床にはトリガーポイント・ストレッチを使っています。トリガーポイント理論の創始者ジャネット・トラベルも『スプレー・アンド・ストレッチ』を使っていました。しかし、現状では、ストレッチの理論は混乱しています。オステオパシーの「マッスル・エナジー・テクニック」や「ストレイン・カウンターストレイン」というストレッチ系手技療法と、トリガーポイント・ストレッチの関係は 「Fascia(膜・筋膜)」研究を使って整理できそうです。今回のレウィット&サイモンズのストレッチは貴重な情報であり、この個人的なFasciaリサーチのターニングポイントになると予感しています。
 
 あとは、「結合織マッサージ」、「マニュアル・リンパ・ドレナージュ」、「ディープ・フリクション・マッサージ」、「マイオフェーシャル・リリース」といった理学療法系マッサージや「ロルフィング」などのボディワークの理論的整理です。(3)ボディワーク・手技療法の理論的整理、です。
 これらの手技療法は、わたしの中の評価は、「きちんとしたマッサージの基礎知識と技術が無いヒト(理学療法士と無免許のシロウト)がやる『マッサージもどき』」(笑)というヒドイ評価だったのですが、少しは効いている可能性がありそうです。Fasciaリサーチは、これらのソフトなマッサージや吸玉・刮サの理論的整理の意味もあります。

Fasciaとキネシオテーピング1

2018-06-27 | 間中喜雄先生

2015年7月4日MEDLEY

「変形性膝関節症にキネシオテーピング、膝の痛みが軽減  ランダム化比較試験により」
以下、引用。
「キネシオテーピングは、固定するテーピングとは異なり、その伸縮性を用いて筋肉や皮膚の伸縮、患部の治癒を補助する役割を持つテーピング手法です。今回の研究では、大腿四頭筋という太もも前面の筋肉にこのキネシオテープを貼り付けた効果を検証した結果、歩行中の膝の痛みが改善したことが報告されました。」
以上、引用終わり。
「キネシオテーピング」は、1980年に日本の加瀬建造先生が開発した日本発の治療法です。加瀬建造先生は、1974年アメリカ・シカゴの名門ナショナル大学でドクター・オブ・カイロプラクティック(D.C)の資格を取り、ニューメキシコ州でカイロプラクティックのクリニックを経営、1980年に『キネシオ・テーピング』を発表しました。1982年には日本の鍼灸師・按摩マッサージ指圧師の国家資格も取得されています。
   現在は、スポーツ医学分野で「筋膜(fascia)」が大きな話題となっており、スポーツ分野の理学療法士さん達の学会誌にも、キネシオ・テーピングは取り上げられています。
 「キネシオテーピング®の理論と基本貼付法」吉田 一也(人間総合科学大学・講師)
『理学療法科学 』Vol. 27 (2012) No. 2 p. 239-245 
    1980年から、「筋膜(fascia)」に注目してきたことや、皮膚テーピングという革命的方法を創案したことは加瀬建造先生の業績で、鍼灸マッサージ業界の先輩としてリスペクトしています。加瀬建造著「 まちがった健康法 ストレッチングは危ない」(2006年)は、私に初めて予防的ストレッチへの疑問を感じさせてくれました。
 
   しかし、一方で、スポーツ医学界では、キネシオ・テーピングへの懐疑論も根強いです。
 
2015年3月27日『ニューヨークタイムズ』
「キネシオ・テーピングは本当に効くの?」
Does Kinesiology Tape Really Work?
 
以下、引用。
「『キネシオ・テーピングが効果的だという独立した科学的証拠は確定していないんだよ』どナショナル・アスレチック・トレイナー・アソシエーション(NATA)の会長で、ペンシルバニア、クレイトン大学のヘッド・トレーナーであるジム・ソーントンは言います」
 “There is no solid, independent scientific evidence that kinesio tape does what it is supposed to do,” said Jim Thornton, the president of the National Athletic Trainers’ Association and the head trainer at Clarion University in Pennsylvania.
 
「『キネシオ・テーピングは筋肉の柔軟性を増し、痛みを減らすような利点があるかも知れないね』『けど、僕たちはまだ、それについてはわかっていないんだよ』とジム・ソーントンは付け加えた。」
 “It is possible that it has health benefits” like improving muscle flexibility and reducing pain, he added, “but we just don’t know yet.”
以上、引用終わり。
   EBMスポーツ医学の立場からは、キネシオ・テーピングに対して、この『ニューヨークタイムズ』の記事の意見がよくまとまっています。
 
2012年の『IBタイムズ』
「キネシオ・テープ:奇跡のテープか、あるいは不当な詐欺か?」
Kinesio Tape: Miracle Adhesive Or Undeserved Hype?
ロンドン・オリンピックの際にカラフルなキネシオ・テーピングを貼ったアスリートが多かったため、キネシオ・テーピング懐疑論もメディアで多く見られました。
 
現在のEBMの立場は、以下の2014年の『理学療法雑誌』のシステマティック・レビューの論文タイトルにそのまま書かれています。
「現在のエビデンスは、臨床でのキネシオ・テーピングの使用をサポートしていない:システマティック・レビュー」
Current evidence does not support the use of Kinesio Taping in clinical practice: a systematic review. 
Parreira Pdo C, et al. 
J Physiother. 2014. 

ハンドサーチ(1953年まで)

2018-06-25 | 間中喜雄先生

1948年
ヘツド (Head) 氏帶の話
大谷 卓造
『自律神経雑誌』1 巻 (1948-1951) 1 号 p. 19-22
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/1/1/1_1_19/_pdf/-char/ja

1950年『日本東洋医学会雑誌』
新経絡について 「経絡の研究」補遺
長浜 善夫
日本東洋醫學會誌1 巻 (1950) 1-6 号 p. 7a-11
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1950/1/1-6/1_1-6_7a/_pdf/-char/ja

1951年
経絡の走向と其の異同 (第1報)個人差の問題
丸山 昌郎
日本東洋醫學會誌2 巻 (1951) 1 号 p. 4-6

平田氏十二反応帯の力感覚的解釈
七条 晃正
日本東洋醫學會誌2 巻 (1951) 1 号 p. 13-16

知熱感度測定による経絡の変動の観察第1報 知熱感度測定法と臨床的応用に就いて
赤羽 幸兵衛
日本東洋醫學會誌2 巻 (1951) 2 号 p. 49-53

1953年
脊椎側圧診点及び丘診点を主題こせる研究 第9報東洋医学的方面 (其の二)
藤田 六朗, 南 義成
日本東洋醫學會誌3 巻 (1953) 1 号 p. 49-50

経穴經絡の本態について
中谷 義雄
日本東洋醫學會誌3 巻 (1953) 1 号 p. 39-49

知熟感度測定による経絡の変動の觀察(第2報)
指端以外の皮膚面に於ける熱感異常特に特殊経絡に関する観察
赤羽 幸兵衛
日本東洋醫學會誌3 巻 (1953) 1 号 p. 33-38

1954年
皮膚通電抵抗の基本について
中谷 義雄
『自律神経雑誌』3 巻 (1954) 7 号 p. 10-16
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/3/7/3_7_10/_pdf/-char/ja

皮膚通電良導絡について
中谷 義雄
『自律神経雑誌』3 巻 (1954) 8 号 p. 7-12
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/3/8/3_8_7/_article/-char/ja


1955年
シーソー現象の応用範囲
赤羽 幸兵衛
日本鍼灸治療学会誌 5 巻 (1955-1956) 2 号 p. 26-28
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/5/2/5_2_26/_pdf/-char/ja


藤田六朗先生の筋運動主因性脈管外性流体波動通路膜系

2018-06-25 | 間中喜雄先生

藤田六朗先生(1903-2003)の筋運動主因性脈管外性流体波動通路膜系の理論と、
石井陶泊(いしいとうはく:1905-1999)先生の発生学に基づく経絡理論って、
電気抵抗も関係しているし、今月の『医道の日本』経絡経穴ファッシア論と酷似している・・・。

藤田背部脊椎側圧痛点の研究 : 第一報 運動選手の循環器障碍
藤田 六朗
日本循環器學誌
12 巻 (1948) 7-8 号 p. 155-161
https://www.jstage.jst.go.jp/article/circj1947/12/7-8/12_7-8_155/_article/-char/ja

脊椎側圧診点及び丘診点を主題こせる研究 第9報東洋医学的方面 (其の二)
藤田 六朗, 南 義成
日本東洋醫學會誌4 巻 (1953) 2 号 p. 34-43

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1950/3/1/3_1_49/_article/-char/ja

經絡の本態に就いて
石井 陶泊
日本鍼灸治療学会総会論文集1 巻 (1952) 1 号 p. 115-120
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1952/1/1/1_1_115/_article/-char/ja

経絡の解剖学的・生物学的研究第4報筋膜・腱膜・靱帯等の役割
藤田 六朗
日本東洋醫學會誌15 巻 (1964) 1 号 p. 14-18
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1950/15/1/15_1_14/_article/-char/ja

 


1890-1940年代の日本鍼灸

2018-06-23 | 間中喜雄先生
リンク先は、後藤道雄著
「ヘッド氏帯の臨牀的応用と鍼灸術」
刀圭書院1917年(大正6年)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/981024
(国立国会図書館 近代デジタル・ライブラリー)
京都大学の小児科医、後藤道雄先生が書いた「ヘッド氏帯の臨牀的応用と鍼灸術」という文献です。
書かれたのは、1917年(大正6年)です!!!

 ヘンリー・ヘッドが内臓関連痛から人間で最初のデルマトーム・マップを作成したのは1900年ですから、そのわずか17年後には、「ヘッド帯」を鍼灸に応用することを提案しています。この後藤道雄先生は、京都大学生理学教室の石川日出鶴丸教授(1848-1947)門下です。石川日出鶴丸教授は、1908年にイギリスのケンブリッジ大学に留学して、サー・チャールズ・シェリントン(Sir Charles Scott Sherrington)に学んでいます。シェリントンは、ヘッドよりも10年前にアカゲザルの神経を切断して、最初の動物デルマトームの研究をおこない、シナプスを命名して、1932年にノーベル生理学賞を受賞した神経学者です。
 石川日出鶴丸先生は、戦前の1910年代から1947年にかけて、鍼灸の科学的研究を行いました。ですから、門下生の後藤道雄先生が「ヘッド帯」の考え方を鍼灸に応用したのは、当時の西洋医学の最先端をいっています。

※1:石川 日出鶴丸「鍼灸術に就いて (一)」
『自律神経雑誌』Vol. 1 (1948-1951) No. 1 P 4-5
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/1/1/1_1_4/_pdf
 この「鍼灸術に就いて (一)」という論文の中で、石川日出鶴丸先生は、「従来の鍼灸術は一掃されなければならない」と述べています。「ヘッド帯」や「デルマトーム」、「内臓体壁反射」を鍼灸の研究に応用したのは、日本では石川日出鶴丸先生が最初になります。

 石川日出鶴丸先生は、1938年(昭和13年)に京都帝国大学医学部生理学教室の教授を退官された後は、三重医専の校長となりました。そこで、芸能生理学の研究をはじめました。これは、お米に俳句や絵を書く名人や、江戸時代・元禄時代から続く小児鍼の家の名人・藤井秀二先生の小児鍼の技術を分析して、「名人の技」を再現するというユニークなものでした(※2、※3)。
 しかし、1947年(昭和22年)9月23日にGHQは鍼灸廃止令を出します。GHQから質問書を受け取った石川日出鶴丸教授は、鍼灸師の樋口鉞之助(ひぐち・えつのすけ)を連れて、GHQの軍医ワイズマン大尉の身体に施術し、「鍼灸術に就いて」という意見書を10月24日に提出しました。そして、提出した、その日に教授会の席上で脳溢血で亡くなられました。12月22日にはGHQにより鍼灸の存続が決まりました。石川日出鶴丸先生は、鍼灸業界の大恩人にあたるわけです。

 本来は、戦後、日本鍼灸会は石川日出鶴丸先生を会長にする予定でしたが、この急逝により、京都大学生理学教室を継いだ笹川(ささがわ・きゅうご:1894-1968)を会長にして、石川太刀雄(いしかわ・たちお)を副会長にして、『自律神経雑誌』を立ち上げます。のちに、1950年に良導絡を発見した中谷義雄(なかたに・よしお)は、笹川の指導で医学博士を取得します。
 
 後藤道雄先生の「ヘッド氏帯の臨牀的応用と鍼灸術」を国立国会図書館 近代デジタル・ライブラリー(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/981024)で見ると、98年前に書かれたとは思えない内容です。

 1892年(明治25年)に、鍼灸では、大保適斎(おおくぼ・てきさい:1840-1911)という群馬医学校の初代校長の外科医が神経学説による鍼を提唱し、『鍼治新書』解剖篇・治療篇・手術篇を出版しています。これも、西洋医学の神経学説によるものでした。1892年は、まだヘッド帯は存在していません。

保適斎『鍼治新書』
解剖篇 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/834668
治療篇 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/834669
手術篇 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/834670

 面白いことに、大保適斎(おおくぼ・てきさい)先生の西洋医学の神経学説に基づく鍼は、大阪で普及したそうです。大阪は、昔から陰陽五行説のような空理空論が嫌いな実利主義・現実主義だからだそうです。
   大阪の盲学校の吉田多市(よしだ・たいち:1871-1937)先生や、その弟子である大阪府立盲学校初代校長の志岐与市(しき・よいち)先生に大久保流は伝わりました。吉田多市先生は1871年、小豆島出身で、群馬県の大久保適斎先生に鍼を習い、1897年(明治30年)頃に大阪に来て吉田久長に学びます。
 1902年(明治35年)の大阪では、小児鍼の藤井楠二郎(藤井秀二の父)を会長に、「うさぎ鍼」の岡島瑞顕(おかじま・ずいけん)や「ナガトヤ灸」の長門谷貫之助(ながとや・かんのすけ)、吉田多市先生などで「大阪鍼灸会」をたちあげて、『大阪鍼灸会雑誌』を発行しました。明治時代の大阪は、日本で一番、鍼灸が盛んな土地でした。
   1903年(明治36年)には山本新梧が関西鍼灸学院を設立します。
   1910-1920年代には、辰井文隆(たつい・ふみたか:1887-1946)が大阪市浪速区に辰井高等鍼灸学院を設立します。
   1925年(大正14年)には山崎良斎(やまさき・りょうさい:1890〜1940)が、大阪市西区九条に山崎鍼灸学院を創ります。
   1930年(昭和05年)には山崎良斎が大阪市阿倍野で明治鍼灸学校を設立しました。関西の鍼には大久保流の影響があると思います。
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※2:「石川日出鶴丸先生を偲んで」
勝田 穰『自律神経雑誌』Vol. 26 (1979) No. 3-4 P 85-90
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/26/3-4/26_3-4_85/_pdf

※3:「昔を語る鍼灸」(続)青地 正皓, 長門谷 丈一, 滝野 憲照, 藤井 秀二
『自律神経雑誌』Vol. 13 (1966) No. 4 P 11-14
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/13/4/13_4_11/_pdf

※4:「内臓体壁反射についてー石川教授父子の功績」
多留 淳文『日本東洋医学雑誌』
Vol. 51 (2000-2001) No. 4 P 533-562
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1982/51/4/51_4_533/_pdf

※5:「鍼灸術に就いて (四)」
石川 日出鶴丸『自律神経雑誌』 Vol. 1 (1948-1951) No. 4 P 4-6
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/1/4/1_4_4/_pdf


小野寺殿部圧診点

2018-06-22 | 間中喜雄先生
「圧診点および2, 3の応用」
小野寺 
『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 14 (1964-1965) No. 2 P 1-8
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/14/2/14_2_1/_article/-char/ja/
小野寺殿部圧診点」で知られ、85歳で亡くなられた小野寺(1883-1968)先生の81歳の頃の講演会の内容です。小野寺(おのでら・なおすけ)先生は、1916年(大正5年)に33歳の若さで九州帝国大学医学部の教授となりました。そして、九州大学で理学療法としてマッサージを講義することになった際に、病院に勤務していた小島さんというマッサージ師にマッサージを習いに行ったところ、「お腹の病気のある人は腸骨稜の下3~4cmを押すと痛がる」と聞きました。小野寺先生はさっそく入院患者で調べ、腸チフス患者で細菌培養検査とあわせて診断したところ、殿部の圧痛と感染の有無が相関していることが確認できました。そこから圧診を研究し、診断の名人・消化器専門医として評判をとり、1963年には文化功労者、1964年には勲二等の叙勲を受けます。

小野寺先生81歳のお話は、あまりに面白く、鍼灸師にとって、メモする価値があります。

以下、引用。
「(関連痛・ヘッド帯のヘンリー・)ヘッドはえらいことをみつけたものですが、ヘッドの言うところでは、胃に病気があれば、第9胸髄神経の支配する皮膚までしか知覚過敏帯に現れない。殿部に胃に関係のある知覚過敏のあるということはヘッドは考えていなかったのでしょう。ヘッドは皮膚の表層ばかり検査したのです。ところが深いところを押すというと、お尻のあたりに強く圧痛が現れる。それでわたしはお腹の内臓の病気が殿部の圧痛でわかるはずと考えて、だんだん探していって、お腹のなかに病気のあることはだいたい殿部の圧診でわかるものであると私は信じて今日に至っているのであります」

「前の福岡県の鍼灸師会で話をしたことがありますが、あまり詳しく申しませんでした。なぜ言わないかというと、これは確かだと診断の役に立つ、レントゲンやその他の検査の結果と一致するのだから、これは間違いない。この診断法をあなたたち(鍼灸師)に話せば、これをわたしに教えたのはマッサージ師だから、あなたがた(鍼灸師)はカンがいいから、お腹の内臓の診断は医者よりも確かになるだろう。それでは私の同業(医師)に対して申し訳がたたない。そういうことで、あなたがた(鍼灸師)の会に頼まれてもあまり話さなかった。わたしは今80歳を過ぎたし、いつ死ぬかも分からない。まあ、みなさん興味ある方々(鍼灸師)にお話しをしてもかまわないだろう。医者の同業に対しても悪いことはなかろうというので、お話しようという決心もついたのであります。」

「たとえば右扁桃腺の病気であれば、あたまの右側のてっぺんから右側手の先、足の先まで、からだの右側がずっと痛い。医者はそれを知らないから気づかずにいる。あなたがた(鍼灸師)が手でやれば、なんのことはない。すぐにわかる」

「どこか、からだのひとところにある病気でも全身に影響が出ます。とくにあなたがた(鍼灸師)のように押し方が上手だと、はっきりよく分かるでしょう。お医者さんは押さないものだから気づかずにいることが多いでしょう。局所だけの病気なんて、ほとんど無いです。みんな全身に影響が波及しています。神経は上下ずっとつづいているから、病気のときは全身に影響があるのです」
以上、引用終わり。
「全身に波及する、上下につながる圧痛(関連痛)の連続」は、たぶん、プリミティブな『経絡(けいらく)』だと思います。古代中国にいた、小野寺先生みたいな方が経絡を発見したのだと思います。

 小野寺先生は、1916年(大正5年)にマッサージ師さんに小野寺殿部圧診点をおそわり、1921年(大正10年)には医学雑誌に発表されています。1937年(昭和13年)以降、多くの論文(※1)が消化器系の医学雑誌に発表されています。
 特に、小野寺殿部圧診点の考えられる機序については弘前医科大学の松永藤雄教授による論文「圧診点とその吟味」(※5)が詳細に論じています。

 松永藤雄(まつなが・ふじお:1911-1997)弘前医科大学教授は、小野寺先生の後継者です。小野寺殿部圧診点を追試して、「レントゲン検査で潰瘍が見えなくなるほぼ2~3週間前に、小野寺殿部圧診点は正常に戻る」、「このような成績から圧診点は臨床診断の上に非常に役に立つ」と述べています(※6)。
 松永藤雄先生は、このような圧診法の価値を外国人に客観的に理解させるために、「内臓の病気の場合、内臓の状態を反映する背部兪穴の部分の温度が低下する」という「エアポケット現象」を研究し、『日本消化器病学会雑誌』などで発表しました。松永藤雄教授が鍼灸師から受けた質問の答えも参考になります。

以下、より引用。
「(なぜ鍼のひびきが上下に響くのかという質問を受けて)以前に小野寺殿部圧診点がなぜ、多数、陽性になるかを深く研究したことがございます。そのときにわかりましたのは、胃から出た内臓知覚繊維は、主として剣状突起のすぐ下方の神経節に入りますけれども、それを通って上に行くものも下に行くものもある。あるいは、通らずに接、下にいって脊髄に入るものがあります。それがちょうど、坐骨神経の出る脊髄部とほぼ一致するところに入っていくのであります。そこで、胃潰瘍というのは元来はもっと上の脊髄・胸髄を刺激するはずなのに、足のほうにも過敏の場所が起こることがわかりました。」
「(さらに胆石症における右肩の圧痛点について説明し、)要するに、病的器官からの刺激は一箇所に入るのではなく、脊髄の中に入る場所が非常に複雑であるこということになるわであります。それで一つあとを想像いただきたいと思います」
以上、「内臓疾患と皮膚温度, とくにエアポケット現象を中心として」9ページより引用終わり。

 松永藤雄(まつなが・ふじお:1911-1997)弘前医科大学教授は、小野寺先生の後継者です。小野寺殿部圧診点を追試して、「レントゲン検査で潰瘍が見えなくなるほぼ2~3週間前に、小野寺殿部圧診点は正常に戻る」、「このような成績から圧診点は臨床診断の上に非常に役に立つ」と述べています(※6)。
 松永藤雄先生は、このような圧診法の価値を外国人に客観的に理解させるために、「内臓の病気の場合、内臓の状態を反映する背部兪穴の部分の温度が低下する」という「エアポケット現象」を研究し、『日本消化器病学会雑誌』などで発表しました。松永藤雄教授が鍼灸師から受けた質問の答えも参考になります。

以下、より引用。
「(なぜ鍼のひびきが上下に響くのかという質問を受けて)以前に小野寺殿部圧診点がなぜ、多数、陽性になるかを深く研究したことがございます。そのときにわかりましたのは、胃から出た内臓知覚繊維は、主として剣状突起のすぐ下方の神経節に入りますけれども、それを通って上に行くものも下に行くものもある。あるいは、通らずに接、下にいって脊髄に入るものがあります。それがちょうど、坐骨神経の出る脊髄部とほぼ一致するところに入っていくのであります。そこで、胃潰瘍というのは元来はもっと上の脊髄・胸髄を刺激するはずなのに、足のほうにも過敏の場所が起こることがわかりました。」
「(さらに胆石症における右肩の圧痛点について説明し、)要するに、病的器官からの刺激は一箇所に入るのではなく、脊髄の中に入る場所が非常に複雑であるこということになるわであります。それで一つあとを想像いただきたいと思います」
以上、「内臓疾患と皮膚温度, とくにエアポケット現象を中心として」9ページより引用終わり。
 「圧診」について研究される場合は、間中喜雄(まなか・よしお)先生の『医家のための鍼術入門講座』(※8)が最も参考になります。ここに、1950年に医師の成田夬介(なりた・かいすけ)先生が出版された『圧診と撮診』(※9)という本の重要部分が全て転載されています。皮膚をつまむ『撮診(擦診)点』は、経絡治療の岡部素道先生に取り入れられました。

 1950年の日本では、松永藤雄医師の「圧診」や背部兪穴の温度低下の「エアポケット現象」が発表されました。これらはデルマトームやヘッド帯、内臓体壁反射を基本としています。
 さらに1950年、長浜善夫(ながはま・よしお:1915-1961)医師と丸山昌郎(まるやま・まさお:1917-1975)医師が『経絡の研究』を出版し、「経絡現象」 を問いかけます。長浜・丸山の「経絡現象」は中国でも承淡安に1955年に翻訳され、中国で「経絡ブーム」を起こしました。
 この1950年には、医師の中谷義雄(なかたに・よしお:1945-1978)が良導絡・良導点を発見し、1953年には『日本東洋医学会雑誌』(※10)に「経穴經絡の本態について」を発表しています。金沢大学教授の石川太刀雄(いしかわ・たちお:1908-1973)は父・石川日出鶴丸の内臓体壁反射理論(※11)と中谷良導点を剽窃して(※12)、「皮電点」を提唱しました。
 さらに、医師で北陸大学教授の藤田六郎(ふじた・ろくろう:1903-2004)が1954年に、デルマトームに沿った「丘疹点(きゅうしんてん)」を発見・発表し(※15)、多くの「経絡現象」を写真で発表しました(※16)。

 1950年代の日本の鍼灸業界で流行した、小野寺の「圧診点」、松永藤雄の「エアポケット現象(背部兪穴の温度低下)」、成田夬介の「撮診点」、中谷義雄の「良導点」、石川太刀雄の「皮電点」、藤田六郎の「丘疹点」の特徴は、すべて医師が発見し、西洋医学的な内臓体壁反射・デルマトーム・ヘッド帯を基礎として、「経絡経穴」を現代医学的な視点から理解しようとするものでした。


※1:小野寺「胃癌・胃十二指腸潰瘍診斷例の二, 三」
『消化器病学』Vol. 2 (1937) No. 6 P 1097-1102
※胃ガン・十二指腸潰瘍と小野寺殿部圧診点

※2:「膽嚢炎ノ壓診法竝ビニ二、三事項ニ關スル臨牀的統計的觀察」
納 利隆: 九州帝國大學醫學部小野寺内科教室
『日本消化機病学会雑誌』Vol. 42 (1943) No. 3 P 169-174
※第9肋軟骨付着部(昔の日本の期門穴に相当する)と胆嚢炎の関係

※3:「十二指腸潰瘍に於ける前腹壁圧診点に就いて」
千葉 郁樹: 岩手医科大学第一内科教室
『日本消化機病學會雜誌』Vol. 57 (1960) No. 9 P 1103-1116
※十二指腸潰瘍と胃経の右太乙(ST23)または右滑肉門(ST24)あたりの「D点」

※4:「前腹壁胃潰瘍圧診点に関する研究」
水戸 忠夫『日本消化機病學會雜誌』Vol. 58 (1961) No. 5 P 493-506

※5:「壓診法(圧診法)と其の吟味」
松永 藤雄、 弘前醫科大學
『日本消化機病學會雜誌』Vol. 48 (1950-1951) No. 1-2 P 1-23

※6:「内臓疾患と皮膚温度, とくにエアポケット現象を中心として」
松永 藤雄『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 20 (1971) No. 2 P 1-10

※7:間中 喜雄 「医家のための鍼術入門講座」 (1977年) 
 
※8:成田 夬介『圧診と撮診』 (1950年) 
臨牀医学文庫〈第1〉 日本医書出版; 5版 (1950)

※9:『経絡の研究―東洋医学の基本的課題』
杏林書院 (1950)

※10:「経穴經絡の本態について」
中谷 義雄『日本東洋醫學會誌』Vol. 3 (1953) No. 1 P 39-49

※11:「内臓体壁反射について 石川教授父子の功績」
多留 淳文『日本東洋医学雑誌』Vol. 51 (2000-2001) No. 4 P 533-562

※12:「皮電計と陰謀」
中谷 義雄『良導絡』Vol. 1961 (1961) No. 15 P 5
 
※13:「皮電点の電子工学的構造」
石川 太刀雄『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 12 (1962-1963) No. 3 P 1-7

※14:「偉大なる遺産 石川大刀雄教授のご業績」
多留 淳文日本鍼灸治療学会誌
Vol. 24 (1975) No. 1 P 1-12

※15:「圧診点と丘疹点に関する諸問題」
藤田 六朗『日本鍼灸治療学会総会論文集』
Vol. 3 (1954) No. 1 P 5-14

※16:『経絡学入門 〔基礎篇〕』
藤田六郎、創元社、1980
 

1952年~1953年経絡論争

2018-06-22 | 間中喜雄先生

「経絡論争期の経絡・経穴についての基礎研究」
山田 鑑照, 尾崎 朋文, 坂口 俊二, 森川 和宥
全日本鍼灸学会雑誌52 巻 (2002) 5 号 p. 529-552


1952年2月『医道の日本』経絡否定論 / 米山博久(1915-1985) / p2~7 

1915年 長野県飯 田市 に生 まれ る。
1935年 鍼灸師資 格取 得 。
1936年 東 方 医学会(大 阪)に 所 属。
1946年 刀根 山鍼灸 医学会設立。
1950年 日本鍼灸師会代議 員(~1971年)。
1958年 明治鍼灸専 門学校講 師 。
1960年 大 阪府 は りきゅ う師試験 委 員(~1971年)(1974年 ~1975年)。
1963年 大阪府鍼灸師会理事(~1975年)。
1963年 中国の はだ しの医者に啓蒙 され私塾の土法の会 を主宰。 日本鍼灸皮電研究会理事 ・大阪府鍼灸師会副会長。大阪鍼灸専門学校(現 森 ノ宮医療学園専 門学校)校 長 などを歴任。
1985年6月9日 逝去(70歳)。



間中喜雄先生年譜2

2018-06-22 | 間中喜雄先生

1945年:昭和20年 降伏。捕虜となり沖縄本島へ。
1946年:昭和21年 35歳。復員。温知会間中病院。

1946年(昭和21年):花田傳、九州連合鍼灸按師会会長に就任

1947年(昭和22年)11月:石川日出鶴丸逝去。

1947年(昭和22年):
石川 日出鶴丸「鍼灸術に就いて (一)」京都醫科大學『自律神経雑誌』Vol. 1 (1948-1951) No. 1 P 4-5
※「従来の鍼灸術は一掃されなければならない」

「鍼灸の病態生理序」
石川 太刀雄『自律神経雑誌』1 巻 (1948-1951) 1 号 p. 13-17
※「直接鍼灸醫界に接觸した事がありません。然る處、偶々父の遺稿を整理して居る間に、多大なる興味を覺えました。」

1948年(昭和23年):「日本鍼灸学会」京大生理学教室。笹川久吾会長。『自律神経雑誌』創刊
1948年(昭和23年)
間中喜雄『鍼灸講演集』
刺戟療法と鍼灸(間中喜雄),中神琴渓と"[コレラ]病"(間中喜雄),医道の日本社
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001722620-00

1949年(昭和24年):本間祥白『経絡治療講話』

1950年(昭和25年)日本東洋医学会設立。
石野信安「異常胎位に対する三陰交施灸の影響」『日本東洋醫學會誌』Vol. 1 (1950) No. 1-6 P 7
長浜善夫『新経絡について「経絡の研究」補遺』『日本東洋醫學會誌』Vol. 1 (1950) No. 1-6 P 7a-11
長浜善夫、丸山昌郎『経絡の研究ー東洋医学の基本的課題』杏林書院1950
※1950年には岩手医科大学出身の中谷義雄(なかたに・よしお1923-1978)先生が良導絡を発見し、1954年に笹川久吾門下・京都大学生理学教室に入り、1957年に「皮膚通電抵抗と良導絡」で医学博士を取得しました。※1950年良導絡を発見。百貨店(高島屋薬品部)で電気のテスター。直本氏から岸田菱山氏に売ったテスター。良導帯。岩手医学専門学校の二井教授→金沢大学の石川太刀雄教授→京都大学の笹川教授。

 

1951年赤羽幸兵衛が知熱感度測定法を開発。
「知熱感度測定による経絡の変動の観察第1報 知熱感度測定法と臨床的応用に就いて」
赤羽 幸兵衛『日本東洋醫學會誌』2 巻 (1951) 2 号 p. 49-53
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1950/2/2/2_2_49/_article/-char/ja

1951年中国:朱蓮(しゅれん:朱琏:zhū liǎn:1909-1978)が《新针灸学》を出版

1952年2月:経絡否定論 / 米山博久(1915-1985) / 『医道の日本』p2~7 

1953年:
経穴經絡の本態について
中谷 義雄
日本東洋醫學會誌13:18 2018/06/223 巻 (1953) 1 号 p. 39-49

1953年3月27日ヘルベルト・シュミットが来日。

 ヘルベルト・シュミットが訪日を希望し、駐日ドイツ大使館から東大の板倉博士に連絡がいき、さらに岡部素道先生の患者だった緒方竹虎を通じて、ヘルベルト・シュミットは来日したという経緯があります(『経絡治療』「追悼座談会 岡部素道先生と経絡治療の展開」)。そして、ヘルベルト・シュミットは間中喜雄先生の自宅に4ヶ月滞在し、京都の細野聖光園の坂口弘先生のところに3ヶ月滞在し、柳谷素霊・岡部素道・井上恵理・本間祥白・代田文誌・藤田六郎・赤羽幸兵衛に鍼を、大塚敬節と細野史郎に漢方を習いました!ヘルベルト・シュミットはドラフュイ(Roger Allote de la Fuÿe:1890-1961)に鍼を学びました。(1953年 月刊「医道の日本」 5月号8~9ページ)。

ヘルベルト・シュミット「東洋医学に対する私見」『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 11 (1961-1962) No. 3 P 6-8
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/11/3/11_3_6/_pdf

坂口弘「日本東洋医学会45年の歴史を振り返って」『日本東洋医学雑誌』Vol. 45 (1994-1995) No. 4 P 731-744
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1982/45/4/45_4_731/_pdf

1953年 ヘルベルト・シュミットが公募した金鍼と銀鍼の違いについての論文を研究する過程でイオン・パンピング療法を創案

1953年 ドイツの医師ラインホルト・フォル(Reinhold Voll :1909–1989)が、フォルの電気鍼(Elektroakupunktur nach Voll:フォルの電気鍼:Electro-Acupuncture according to Voll)を提唱します。ドラフュイ(Roger Allote de la Fuÿe:1890-1961)の弟子にあたります。

1953年藤田六脊椎側圧診点及び丘診点を主題こせる研究 
第9報東洋医学的方面 (其の二)」藤田 六朗, 南 義成
日本東洋醫學會誌3 巻 (1953) 1 号 p. 49-50

 

1954年 『医家のための鍼術入門講座』間中 喜雄、ヘルベルト・シュミット 医道の日本社 (1954)

1955年:承淡安(しょうたんあん:承淡安:chéng dàn ān)が長浜善夫・丸山昌郎の『経絡の研究(经络之研究)』を翻訳出版する。

1957年 「内臓体表部反射及び体表部内臓反射に関する臨床的研究 (一)」間中 喜雄『自律神経雑誌』6 巻 (1957) 4 号 a17-a34_19
1957年 「皮膚通電抵抗と良導絡 (二)」中谷 義雄『自律神経雑誌』6 巻 (1957) 4 号 p. 3-12

1960年 『万病にきくお灸―家庭でできるすえ方 』間中 喜雄 日本文芸社 (1960)
1960年 東洋針灸専門学校長就任。

1962年 『随筆・鍼・灸・漢方 』医道の日本社 (1962)
1962年 『PWドクター―沖縄捕虜記』金剛社 (1962)
1962年 『カイロプラクテツク―脊椎手技療法』医道の日本社 (1962)

1964年 『灸とはりの効用』主婦の友社 (1964)
1974年北里研究所附属東洋医学総合研究所客員部長に就任。

1989年11月20日肝臓癌のため死去、享年78。


良導絡

2018-06-22 | 間中喜雄先生

「良導絡の発見とその当時のいきさつ 良導絡の歴史(その1)」
中谷 義雄
『日本良導絡自律神経雑誌』20 巻 (1975) 6-7 号 p. 123-127

1923年大阪市西成区に生まれる。

1945年岩手医学専門学校卒業。
七条 晃正先生が平田式熱鍼療法(「電探による針灸治療法」七条 晃正 医道の日本社 1959)

「平田氏十二反応帯の力感覚的解釈」
七条 晃正『日本東洋醫學會誌』2 巻 (1951) 1 号 p. 13-16
https://doi.org/10.14868/kampomed1950.2.13
※平田内蔵吉(1901-1945)は、1930年に平田氏帯を提唱。
平田内蔵吉 著民間治療法全集. 第1巻 (整体指圧温熱・水治療法全集)春陽堂昭和6
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1051062

1946年医院開業。
近所で「虫ふうじ」。藤本和風先生。田中吉左衛門『素問』。代田文誌『針灸治療基礎学』

1950年良導絡を発見、良導絡の基礎的研究を始める。
※百貨店(高島屋薬品部)で電気のテスター。直本氏から岸田菱山氏に売ったテスター。良導帯。
岩手医学専門学校の二井教授→金沢大学の石川太刀雄教授→京都大学の笹川教授。

1953年:

経穴經絡の本態について
中谷 義雄
日本東洋醫學會誌13:18 2018/06/223 巻 (1953) 1 号 p. 39-49

三叉神經痛の分析
中谷 義雄
自律神経雑誌2 巻 (1953) 3 号 p. 11-12


1954年京都大学生理学教室入室。同年京大鍼灸懇話会を設立、100回幹事を務める。

皮膚通電抵抗の基本について
中谷 義雄
自律神経雑誌3 巻 (1954) 7 号

皮膚通電良導絡について
中谷 義雄自律神経雑誌3 巻 (1954) 8 号 p. 7-12


1957年笹川久吾教授指導のもと「皮膚通電抵抗と良導絡」を京大に提出
し、学位を授与される。

1959年関西鍼灸柔整専門学校講師。

1961年良導絡医学会を設立、副会長に就任。

1966年大阪医科大学麻酔科東洋医学担当非常勤講師。

1978年膀胱ガンのため逝去(54歳)。