2015年7月4日MEDLEY
1948年
ヘツド (Head) 氏帶の話
大谷 卓造
『自律神経雑誌』1 巻 (1948-1951) 1 号 p. 19-22
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/1/1/1_1_19/_pdf/-char/ja
1950年『日本東洋医学会雑誌』
新経絡について 「経絡の研究」補遺
長浜 善夫
日本東洋醫學會誌1 巻 (1950) 1-6 号 p. 7a-11
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1950/1/1-6/1_1-6_7a/_pdf/-char/ja
1951年
経絡の走向と其の異同 (第1報)個人差の問題
丸山 昌郎
日本東洋醫學會誌2 巻 (1951) 1 号 p. 4-6
平田氏十二反応帯の力感覚的解釈
七条 晃正
日本東洋醫學會誌2 巻 (1951) 1 号 p. 13-16
知熱感度測定による経絡の変動の観察第1報 知熱感度測定法と臨床的応用に就いて
赤羽 幸兵衛
日本東洋醫學會誌2 巻 (1951) 2 号 p. 49-53
1953年
脊椎側圧診点及び丘診点を主題こせる研究 第9報東洋医学的方面 (其の二)
藤田 六朗, 南 義成
日本東洋醫學會誌3 巻 (1953) 1 号 p. 49-50
経穴經絡の本態について
中谷 義雄
日本東洋醫學會誌3 巻 (1953) 1 号 p. 39-49
知熟感度測定による経絡の変動の觀察(第2報)
指端以外の皮膚面に於ける熱感異常特に特殊経絡に関する観察
赤羽 幸兵衛
日本東洋醫學會誌3 巻 (1953) 1 号 p. 33-38
1954年
皮膚通電抵抗の基本について
中谷 義雄
『自律神経雑誌』3 巻 (1954) 7 号 p. 10-16
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/3/7/3_7_10/_pdf/-char/ja
皮膚通電良導絡について
中谷 義雄
『自律神経雑誌』3 巻 (1954) 8 号 p. 7-12
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/3/8/3_8_7/_article/-char/ja
1955年
シーソー現象の応用範囲
赤羽 幸兵衛
日本鍼灸治療学会誌 5 巻 (1955-1956) 2 号 p. 26-28
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/5/2/5_2_26/_pdf/-char/ja
藤田六朗先生(1903-2003)の筋運動主因性脈管外性流体波動通路膜系の理論と、
石井陶泊(いしいとうはく:1905-1999)先生の発生学に基づく経絡理論って、
電気抵抗も関係しているし、今月の『医道の日本』経絡経穴ファッシア論と酷似している・・・。
藤田背部脊椎側圧痛点の研究 : 第一報 運動選手の循環器障碍
藤田 六朗
日本循環器學誌
12 巻 (1948) 7-8 号 p. 155-161
https://www.jstage.jst.go.jp/article/circj1947/12/7-8/12_7-8_155/_article/-char/ja
脊椎側圧診点及び丘診点を主題こせる研究 第9報東洋医学的方面 (其の二)
藤田 六朗, 南 義成
日本東洋醫學會誌4 巻 (1953) 2 号 p. 34-43
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1950/3/1/3_1_49/_article/-char/ja
經絡の本態に就いて
石井 陶泊
日本鍼灸治療学会総会論文集1 巻 (1952) 1 号 p. 115-120
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1952/1/1/1_1_115/_article/-char/ja
経絡の解剖学的・生物学的研究第4報筋膜・腱膜・靱帯等の役割
藤田 六朗
日本東洋醫學會誌15 巻 (1964) 1 号 p. 14-18
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1950/15/1/15_1_14/_article/-char/ja
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/14/2/14_2_1/_article/-char/ja/
「経絡論争期の経絡・経穴についての基礎研究」
山田 鑑照, 尾崎 朋文, 坂口 俊二, 森川 和宥
全日本鍼灸学会雑誌52 巻 (2002) 5 号 p. 529-552
1952年2月『医道の日本』経絡否定論 / 米山博久(1915-1985) / p2~7
1915年 長野県飯 田市 に生 まれ る。
1935年 鍼灸師資 格取 得 。
1936年 東 方 医学会(大 阪)に 所 属。
1946年 刀根 山鍼灸 医学会設立。
1950年 日本鍼灸師会代議 員(~1971年)。
1958年 明治鍼灸専 門学校講 師 。
1960年 大 阪府 は りきゅ う師試験 委 員(~1971年)(1974年 ~1975年)。
1963年 大阪府鍼灸師会理事(~1975年)。
1963年 中国の はだ しの医者に啓蒙 され私塾の土法の会 を主宰。 日本鍼灸皮電研究会理事 ・大阪府鍼灸師会副会長。大阪鍼灸専門学校(現 森 ノ宮医療学園専 門学校)校 長 などを歴任。
1985年6月9日 逝去(70歳)。
1945年:昭和20年 降伏。捕虜となり沖縄本島へ。
1946年:昭和21年 35歳。復員。温知会間中病院。
1946年(昭和21年):花田傳、九州連合鍼灸按師会会長に就任
1947年(昭和22年)11月:石川日出鶴丸逝去。
1947年(昭和22年):
石川 日出鶴丸「鍼灸術に就いて (一)」京都醫科大學『自律神経雑誌』Vol. 1 (1948-1951) No. 1 P 4-5
※「従来の鍼灸術は一掃されなければならない」
「鍼灸の病態生理序」
石川 太刀雄『自律神経雑誌』1 巻 (1948-1951) 1 号 p. 13-17
※「直接鍼灸醫界に接觸した事がありません。然る處、偶々父の遺稿を整理して居る間に、多大なる興味を覺えました。」
1948年(昭和23年):「日本鍼灸学会」京大生理学教室。笹川久吾会長。『自律神経雑誌』創刊
1948年(昭和23年)
間中喜雄『鍼灸講演集』
刺戟療法と鍼灸(間中喜雄),中神琴渓と"[コレラ]病"(間中喜雄),医道の日本社
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001722620-00
1949年(昭和24年):本間祥白『経絡治療講話』
1950年(昭和25年)日本東洋医学会設立。
石野信安「異常胎位に対する三陰交施灸の影響」『日本東洋醫學會誌』Vol. 1 (1950) No. 1-6 P 7
長浜善夫『新経絡について「経絡の研究」補遺』『日本東洋醫學會誌』Vol. 1 (1950) No. 1-6 P 7a-11
長浜善夫、丸山昌郎『経絡の研究ー東洋医学の基本的課題』杏林書院1950
※1950年には岩手医科大学出身の中谷義雄(なかたに・よしお1923-1978)先生が良導絡を発見し、1954年に笹川久吾門下・京都大学生理学教室に入り、1957年に「皮膚通電抵抗と良導絡」で医学博士を取得しました。※1950年良導絡を発見。百貨店(高島屋薬品部)で電気のテスター。直本氏から岸田菱山氏に売ったテスター。良導帯。岩手医学専門学校の二井教授→金沢大学の石川太刀雄教授→京都大学の笹川教授。
1951年赤羽幸兵衛が知熱感度測定法を開発。
「知熱感度測定による経絡の変動の観察第1報 知熱感度測定法と臨床的応用に就いて」
赤羽 幸兵衛『日本東洋醫學會誌』2 巻 (1951) 2 号 p. 49-53
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1950/2/2/2_2_49/_article/-char/ja
1951年中国:朱蓮(しゅれん:朱琏:zhū liǎn:1909-1978)が《新针灸学》を出版
1952年2月:経絡否定論 / 米山博久(1915-1985) / 『医道の日本』p2~7
1953年:
経穴經絡の本態について
中谷 義雄
日本東洋醫學會誌13:18 2018/06/223 巻 (1953) 1 号 p. 39-49
1953年3月27日ヘルベルト・シュミットが来日。
ヘルベルト・シュミットが訪日を希望し、駐日ドイツ大使館から東大の板倉博士に連絡がいき、さらに岡部素道先生の患者だった緒方竹虎を通じて、ヘルベルト・シュミットは来日したという経緯があります(『経絡治療』「追悼座談会 岡部素道先生と経絡治療の展開」)。そして、ヘルベルト・シュミットは間中喜雄先生の自宅に4ヶ月滞在し、京都の細野聖光園の坂口弘先生のところに3ヶ月滞在し、柳谷素霊・岡部素道・井上恵理・本間祥白・代田文誌・藤田六郎・赤羽幸兵衛に鍼を、大塚敬節と細野史郎に漢方を習いました!ヘルベルト・シュミットはドラフュイ(Roger Allote de la Fuÿe:1890-1961)に鍼を学びました。(1953年 月刊「医道の日本」 5月号8~9ページ)。
ヘルベルト・シュミット「東洋医学に対する私見」『日本鍼灸治療学会誌』Vol. 11 (1961-1962) No. 3 P 6-8
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/11/3/11_3_6/_pdf
坂口弘「日本東洋医学会45年の歴史を振り返って」『日本東洋医学雑誌』Vol. 45 (1994-1995) No. 4 P 731-744
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1982/45/4/45_4_731/_pdf
1953年 ヘルベルト・シュミットが公募した金鍼と銀鍼の違いについての論文を研究する過程でイオン・パンピング療法を創案
1953年 ドイツの医師ラインホルト・フォル(Reinhold Voll :1909–1989)が、フォルの電気鍼(Elektroakupunktur nach Voll:フォルの電気鍼:Electro-Acupuncture according to Voll)を提唱します。ドラフュイ(Roger Allote de la Fuÿe:1890-1961)の弟子にあたります。
1953年藤田六朗「脊椎側圧診点及び丘診点を主題こせる研究 第9報東洋医学的方面 (其の二)」藤田 六朗, 南 義成
日本東洋醫學會誌3 巻 (1953) 1 号 p. 49-50
1954年 『医家のための鍼術入門講座』間中 喜雄、ヘルベルト・シュミット 医道の日本社 (1954)
1955年:承淡安(しょうたんあん:承淡安:chéng dàn ān)が長浜善夫・丸山昌郎の『経絡の研究(经络之研究)』を翻訳出版する。
1957年 「内臓体表部反射及び体表部内臓反射に関する臨床的研究 (一)」間中 喜雄『自律神経雑誌』6 巻 (1957) 4 号 a17-a34_19
1957年 「皮膚通電抵抗と良導絡 (二)」中谷 義雄『自律神経雑誌』6 巻 (1957) 4 号 p. 3-12
1960年 『万病にきくお灸―家庭でできるすえ方 』間中 喜雄 日本文芸社 (1960)
1960年 東洋針灸専門学校長就任。
1962年 『随筆・鍼・灸・漢方 』医道の日本社 (1962)
1962年 『PWドクター―沖縄捕虜記』金剛社 (1962)
1962年 『カイロプラクテツク―脊椎手技療法』医道の日本社 (1962)
1964年 『灸とはりの効用』主婦の友社 (1964)
1974年北里研究所附属東洋医学総合研究所客員部長に就任。
1989年11月20日肝臓癌のため死去、享年78。
「良導絡の発見とその当時のいきさつ 良導絡の歴史(その1)」
中谷 義雄
『日本良導絡自律神経雑誌』20 巻 (1975) 6-7 号 p. 123-127
1923年大阪市西成区に生まれる。
1945年岩手医学専門学校卒業。
七条 晃正先生が平田式熱鍼療法(「電探による針灸治療法」七条 晃正 医道の日本社 1959)
↓
「平田氏十二反応帯の力感覚的解釈」
七条 晃正『日本東洋醫學會誌』2 巻 (1951) 1 号 p. 13-16
https://doi.org/10.14868/kampomed1950.2.13
※平田内蔵吉(1901-1945)は、1930年に平田氏帯を提唱。
平田内蔵吉 著民間治療法全集. 第1巻 (整体指圧温熱・水治療法全集)春陽堂昭和6
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1051062
1946年医院開業。
近所で「虫ふうじ」。藤本和風先生。田中吉左衛門『素問』。代田文誌『針灸治療基礎学』
1950年良導絡を発見、良導絡の基礎的研究を始める。
※百貨店(高島屋薬品部)で電気のテスター。直本氏から岸田菱山氏に売ったテスター。良導帯。
岩手医学専門学校の二井教授→金沢大学の石川太刀雄教授→京都大学の笹川教授。
1953年:
経穴經絡の本態について
中谷 義雄
日本東洋醫學會誌13:18 2018/06/223 巻 (1953) 1 号 p. 39-49
三叉神經痛の分析
中谷 義雄
自律神経雑誌2 巻 (1953) 3 号 p. 11-12
1954年京都大学生理学教室入室。同年京大鍼灸懇話会を設立、100回幹事を務める。
皮膚通電抵抗の基本について
中谷 義雄
自律神経雑誌3 巻 (1954) 7 号
皮膚通電良導絡について
中谷 義雄自律神経雑誌3 巻 (1954) 8 号 p. 7-12
1957年笹川久吾教授指導のもと「皮膚通電抵抗と良導絡」を京大に提出
し、学位を授与される。
1959年関西鍼灸柔整専門学校講師。
1961年良導絡医学会を設立、副会長に就任。
1966年大阪医科大学麻酔科東洋医学担当非常勤講師。
1978年膀胱ガンのため逝去(54歳)。