上海阿姐のgooブログ

FC2ブログ「全民娯楽時代の到来~上海からアジア娯楽日記」の続きのブログです。

中国映画『兎たちの暴走』8月25日から日本で上映~「三線建設」の工業都市・攀枝花(パンジーホア)

2023年08月20日 | エンタメの日記
中国映画『兎たちの暴走』が8月25日から池袋シネマ・ロサなどで上映されます。
『兎たちの暴走』は2020年10月東京国際映画祭に出品された作品です。中国では2021年8月に公開されています。

映画『兎たちの暴走』(中国語原題:兔子暴力/英語タイトル:The Old Town Girls) 
2023年8月25日(金)池袋シネマ・ロサなどで公開 105分
日本版公式サイト https://uplink.co.jp/usagibousou/
主演:万茜(ワン・チェン/レジーナ・ワン)、李庚希(リー・ゲンシー)
監督:申瑜(シェン・ユー)
第33回東京国際映画祭 TOKYOプレミア2020 でワールドプレミア上映。
中国劇場公開日:2021年8月14日  撮影期間:2019年5月~2019年7月


~あらすじ~
主人公の少女は17歳の高校生。1歳のとき両親が離婚し父親に引き取られ、中国南西部の古びた工業都市で暮らしている。家と学校を往復する淡々とした日々を過ごす中、赤ん坊の自分を置いて出て行った母親が突然戻ってくる。
外の世界で生きてきた母親は艶やかで自由な空気をまとっている。少女は母に魂の繋がりを求め、守りたいとすら思うようになる。
少女は自分を捨てたはずの母親の前で願いを込めて叫ぶ。「あなたのためなら何だってする」と。その言葉のとおり、暗いトンネルに向かって少女と母親、兎たちの暴走が始まる。

日本語タイトル「兎たちの暴走」は作品を忠実に表現しているタイトルだと思います。
中国で劇場公開されたときは、まだ高校生の少女が母親としての義務を放棄した女性のために献身的な行動をする描写が常識に反すると批判する声もありました。主人公の少女を演じる李庚希(リー・ゲンシー)と母親を演じる万茜(ワン・チェン)の演技がうまく、衰退する工業都市、そこで生きる人々の欲望・願望を女性監督申瑜(シェン・ユー)がアートな映像で表現しています。

■万茜(ワン・チェン)
1982年5月14日生まれ、身長166cm、上海戯劇学院卒、湖南省出身。
舞台、映画・ドラマ女優、歌手。芸能歴20年以上のキャリアの長いタレント。多くのドラマ、映画、舞台に出演しており歌手活動の経験もある。
2014年の台湾映画「軍中楽園」で金馬奨最優秀助演女優賞を受賞。


万茜はベテラン女優ですが、2020年10月に放送されたバラエティ番組「乗風破浪的姐姐」(第1シーズン)出演を契機に再ブレイクしています。この番組は、すでに一定の知名度・実績がある女性タレントたちが、再ブレイクをかけてガールズグループのメンバーとしてデビューするために競い合うというサバイバル番組です。万茜は歌・ダンス・コメント力において幅広い表現力を発揮し、「X-SISTER」のデビューメンバーに選ばれました。以降、万茜は多くのメジャーな映画、ドラマに出演しています。

■李庚希(リー・ゲンシー)
2000年4月22日生まれ。素朴で可憐な容貌ですが善悪の区別がないような雰囲気があり、映画向きの若手女優です。
李庚希は中学からアメリカに留学、2017年にウェブドラマに出演して芸能活動を開始。早い時期から作品に恵まれており、2000年代生まれの女優としては、張子楓(チャン・ズフォン)、趙今麦(チャオ・ジンマイ)、劉浩存(リウ・ハオツン)らに次ぐ存在として頭角を現しています。


「兎たちの暴走」の英語タイトルは「The Old Town Girls」です。作品の舞台は中国南西部にある「攀枝花」(パンジーホア/pan zhi hua)という古い工業都市です。
攀枝花がドラマや映画の舞台となるのはかなり珍しく、「兎たちの暴走」以外に見たことがありません。夏季が長くて日差しが強く、坂の多い複雑な地形の街です。

四川省攀枝花市。街の真ん中を緑色の川(金沙江)が流れています。


街の中心地にある渡口橋。橋の下を流れるのは金沙江。「兎たちの暴走」にもこの橋が出てきます。


攀枝花は毛沢東時代の政策「三線建設」の一環として1960年代に人為的に建設された工業都市です。
「三線建設」とは1964年に提唱された政策で、戦争や食糧危機に備えるため、国境から離れた内陸部に軍需工場、工業生産基地、鉄道網を整備するという国家政策で、1980年頃まで続きました(当時の中国はソ連、アメリカ、台湾などからの攻撃の危機に晒されていると認識されていた)。
建設地は、四川、重慶、陝西、貴州、雲南など内陸部に集中し、その中でも攀枝花(当時は攀枝花ではなく渡口)は、特殊な地形と豊富な鉱山資源を有することから「三線建設」の重点地として発展してきました。

■石炭、鉄鉱石、チタンなどの産地
攀枝花は石炭、鉄鉱石(磁鉄鉱)、チタンなど天然資源があり、製鉄所を中心に栄えてきました。
工場が集中する西区には、攀鋼グループ(旧攀枝花鋼鉄公司)をはじめ多くの重工業プラントがあります。




最近まで攀枝花は工業大気汚染が深刻な街として知られていました。実際には、工場稼働率の低下と生産設備の改善により空気はそれほど悪くありません。また、工場地帯から離れた東区で行政機関、オフィスビル、マンション建設が進んでおり、街の中心地が移転しています。

道端に「鉱山用工具販売中」という看板が置かれています。西区陶家渡。


■石炭空中輸送ロープウェー(攀煤索道运煤线/宝鼎山运煤索道)※宝鼎山炭鉱という場所から石炭を運ぶ施設

「兎たちの暴走」にも出てくる石炭空中輸送ロープウェー。輸送ロープウェーは6本あると言われていますが、石炭採掘量が減り、現在稼働しているのは2本のみだそうです。現役の輸送工具としてロープウェーは動いていますが、中に石炭が入っているのかは分かりません。
この種のロープウェー式の輸送設備は、工場内で導入されているケースはあるかもしれませんが、攀枝花のように山を越えて川を渡り、橋や一般道のすぐ隣で石炭が空中輸送されるのは非常に珍しいです。




石炭空中輸送ロープウェーは法拉大橋(ファーラーダーチャオ)の両側にあります。法拉大橋は路線バスも通過する一般の公共道路で、2005年開通の新しい橋です。


この近辺ではロープウェーを動かすモーターの独特の機械音がします。石炭空中輸送は壮観ですが、ここを観光スポットにするのは立地的に難しいかもしれません。

■攀枝花中国三線建設博物館 入場無料 所要時間:約2時間
ホームページ http://pzhsxjs.museum.chaoxing.com/


この博物館では攀枝花の「三線建設」が詳しく紹介されており、石炭空中輸送ロープウェーの解説もあります。


■503発電所(503电厂)
「503発電所」は「三線建設」プロジェクトの一環として、戦火に備えて地下に建設された極めて珍しい発電所です。「503発電所」は1966年着工、1975年発電開始、花崗岩を切り開く難工事を敢行して建設されました。
中国で唯一の地下火力発電所でしたが、地下で発電することは燃料効率が悪く環境汚染も深刻であったため、2007年に稼働停止しました。2007年まで本当に稼働していたことに驚きです。
「503発電所」は文化保存物に指定され、解体されずに残っています。「産業遺構」として一般公開する計画もあるようですが、2023年現在まで非公開のままです。


なお、「三線建設」プロジェクトとして有名な重慶の「816工程」の跡地は一般公開されてます。
「816工程」は中国核兵器の製造に使用する核燃料を生産するため1960年代に着工した地下工場です。6万人が17年間の工事に従事し21kmの長さに渡る穴を掘ったと言われています。
莫大な資金と労力を投入した地下工場も、完成を待たずして政局変化による調整のため、1984年に建設が中止されました。
「816工程」が実際に核燃料工場として使用されたことはなく、現在「816工程」跡地は観光地として一般公開されています。


■攀枝花の人々

1965年以降、攀枝花には全国各地から労働者が移住してきました。移住第一世代は高齢化し、重工業の衰退により若年人口は流出するという状況にあります。
工場地帯が集中する西区でバスに乗っていると、四肢に障害がある老人が他の都市よりも目立ちます。足が不自由で杖をついていたり、手足のどこかが欠損している年老いた男性をよく目にします。かつて製鉄所や採掘所での労働に従事していたとき事故に遭ったのかもしれません。そんなふうに連想するほど工場が集中している街です。
あるとき、6人ほどの老婆のグループが大量の荷物や食糧の袋を抱えてバスに乗り込んできました。
荷物でドア付近を占領するので、バスの運転手が嫌がって怒鳴りつけていました。しかし老婆たちは気にすることなく荷物をドア付近のスペースに並べてイス代わりにし、バスを降りるまでずっとおしゃべりに興じていました。老婆たちはそのバス路線の常連客であり、スペース占有の常習犯のようです。
労働で障害を負った人も、老いてなお重い荷物を運ぶ老婆たちも暗い雰囲気は感じさせず、日差しが強く花と緑の美しい街の一部として溶け込んでいます。

三線建設の重点都市として建設された攀枝花は、観光・養老都市に生まれ変わろうとしています。
たしかに緑豊かで天気にも恵まれていますが、リタイア後にゆっくり過ごす場所としては暑すぎるのと、車がなくてはどうにもならない地形は住み慣れている人でないと難しいのではと思います。


■「三線建設」の産業遺構は観光資源化できるのか

「三線建設」政策は1960年代から1980年頃まで続いたため、その跡地や遺構は少なくありません。中国内陸部の秘境にはたくさんの遺構(廃墟)が存在しています。
ただし、よほど特殊な意味合いを持つプロジェクトの跡地でなければ「産業遺構」としての付加価値は認められにくく、保存するのも大変です。
日本にも長崎の「軍艦島」などがありますが、歴史的な価値や造形的な魅力があるとはいえ、「遺構」として維持していくのは相当難しいことだと思います。

1960年代、70年代に作られた地下発電所や地下核施設は今となってはトンデモプロジェクトです。
当時これらの大工事に何千万という人々が駆りだされ、心血を注ぎ、多大な犠牲を払ってきました。
「すべては国のため」の偉大なる軌跡と定義され、その跡地は「愛国教育基地」として管理されています。
中国は1990年代以降、飛躍的な経済発展を遂げたので、いまのところ「三線建設」を懐古的に受け止める余裕があります。

■交通
攀枝花には空港(保安営空港)がありますが国内線のみで発着便数も少ないです。成都から昆明を繋ぐ高速鉄道が開通しており、成都から攀枝花まで約5時間、昆明から攀枝花は約2時間で行くことができ、高速鉄道の本数も多いです。
攀枝花は有名な「成昆鉄路」の重要な経過点です。「成昆鉄路」は四川省成都と雲南省昆明を結ぶ1096kmの鉄道路線で、1950年代に建設計画が本格化し、難工事の末に1970年に全線開通しました。
「成昆鉄路」は「三線建設」の重点プロジェクトの一つで、四川山間部(涼山地区)の人々に安価な交通手段を提供するという、社会的・歴史的な使命を負う路線です。
しかし、利用者は減少し、維持コストは上がり、運行を続けるのは難しくなっています。さらに、高速鉄道の普及により、昔ながらの緑色の車体の鈍行列車(慢車)は激減しており、「成昆鉄路」では攀枝花から普雄までを1日1往復するのみとなっています。

いまはまだ、攀枝花には古い工場や労働者が暮らした集合住宅が多く残っていますが、いつかは大改築される日が来るはずです。
攀枝花に行ったのは2020年の10月で、3年近く前のことです。中国の変化は早いので、写真の中の風景もすでに存在しないものもあるかもしれません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする