AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

前エントリへのコメントから転記

2008-10-08 02:18:56 | Weblog
 研究生公演を見て来たこともあり、こんな時間にならないとコメントも書けない状態です。すみません。昼間から書こうと思っていたことの大半は、のぞみすとさんが書いてくださったようですが、一応私からも補足として。

 何人かの方が、ここぞとばかり「冷静で、大所高所から見た見方」を気取っているのが、大変に気持ちが悪いです。何をどう勘違いされているのか分かりませんが、私は素人の一ファンであり、評論家でもなければ芸能関係者でもありません。そして、ここはあくまでも「私の」「妄想」を書き綴るブログです。彼女たちを見て喜び、泣き、時に怒り、その思いをありのままに書き記しています。それ以上でもそれ以下でもありません。

 ただ、私は私個人の感情として「悲しい」とは書いていますけれども、それによって他人を無闇に攻撃したりはしていません。むしろ、この物語の最初から予期していた「その日」が来たことを、変な誤魔化し方をして納得してしまうのでなく、悲しみと共にしっかり受け止めようとしているだけです。そして、この程度の記述は誰を傷つけるものでもない以上、個人のブログ上に書くことに何ら問題はないものと考えています。

 以上の点を踏まえて言いますが、私のブログのどのエントリのどこを読めば「理性を失っているのでは?」などと思えるのか、その人の読解力が根本から欠如していると思わざるを得ませんし、仮にそう感じたところで、悲しみの最中にある者に向かってそのような言葉を直接ぶつけられる人の神経を疑います。しかも、捨てハンドル一つさえも名乗らないという非常識なコメントの仕方なのですから、呆れて笑うほかありません。

 以下のことは、「これだから古参は思い上がっている」と言われることを承知の上で書きますが、今回のことが持つ意味を理解できず、悲しみや怒りといった感情をまったく持たない人は、しょせん AKB48 に対してその程度の思い入れしかなく、その程度の理解しかなく、その程度の浅い関わりしか持ち得ない人たちなのだろう、と「私は」思っています。本当のことを言えば、それは古参かどうかで決まるものではありません。少なくとも「これまでの」AKB48 の、どういう点がどうして楽しかったのか、その真髄を知っているかどうか、ということです。AKB48 のファンになって日が浅い人でも、知っている人は知っていますし、いわゆる古参と呼ばれる人でも、分かっていない人はいるかも知れません。

 ただし、安心してください。今度のことを契機に、そういう「物語の共有」による「あまりにもディープな心理的紐帯」は、次第に衰退していくでしょう。これからは、ごく普通の「束ものアイドル」として、ライトな楽しみ方に向いたお手軽なグループになっていくと思います。小うるさい古参ファンは一掃され、ステージ上のパフォーマンスの良し悪しなどまるで見なくても身勝手に馬鹿騒ぎのできる「ノリの良い」劇場になるでしょう。他人の気持ちを慮ることもなく(口先で共感するフリだけはするみたいですが)、評論家気取りで「冷静」な意見を吐きたい皆さんの時代がやって来るでしょう。

 そうやって何もかも他人事としてアイドルを客体視している「ファン」層は、いったん風向きが変われば、誰よりも苛烈で執拗な攻撃を繰り返す最大の「敵」になるということは、過去のアイドルたちの実例を見れば、枚挙に暇がありません。しかし、ビジネスとしての AKB48 は、そういうことも承知の上で、マスにアピールして大きなリターンを得なければならない時期に来たということなのだと思っています。それは「私にとっては」悲しいことですが、一方では「予定されていた敗北」なのだろうとも思っています。