AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

青空のそばにいて

2008-10-06 19:47:51 | Weblog
 今日は会社を休んだ。…と書くと「いつもエラソーに好き放題なこと書いてるカギも、推しが卒業するとなればその落ち込みようか、だらしねーな」と言われてしまいそうだが、そういうわけではない。午前中に抜歯したら予想以上に痛みが激しく、午後から出社予定だったのを休みにしただけだったりする。夕方近くなってやっと痛み止めが効いて楽になったので、久々にゆっくりとブログの文章など書いてみようという次第。

 とは言え、もちろん 5 人の卒業は個人的には悲しい。彼女たちとあの劇場で会えなくなるから、というのもあるけれど、それと共にこの出来事は、AKB48 というものが大きく変わってしまったことを象徴していると思うからだ。

 私はもともと芸能関係に疎いし、AKB48 にハマるまでの 10 数年間は、アイドルのステージなんてまるで見ていなかった。だから、そもそも芸能界がどういう場所で、とか、昨今のアイドルビジネスとはこういうもので、なんて話を大上段に語れるほどの知見はない。それらは、私があまり関わりたくない世界であり、ただ遠巻きに、無関係に眺めていれば良いものだった。2005 年 12 月、たまたま劇場に足を踏み入れて、AKB48 に出会ってしまうまでは。

 よそがどうであるかは知らず、しかし少なくとも AKB48 には、私が「こうあって欲しい」とか「こうだったら良いのに」と思う要素がたくさんあった。だからこそ夢中になり、さまざまに妄想し、一ファンの分際でありながら、あたかも自分が AKB48 プロジェクトに参画しているような一体感を味わいながら、日々を過ごして来た。それはとてもとても楽しい時間だった。たまたまブログが事務所側の人の目に止まり、コンサートツアーのパンフレットや「48現象」に寄稿させてもらうなど、私自身も「あり得ない物語」に巻き込まれていたように思う。

 この楽しい日々がいつまで続くのだろう、というのは、それこそ 2005 年当時から思い続けていたことだった。2005 年の大晦日が、どれほど幸せだったか。あれほどうれしかった 1st CD「桜の花びらたち」の発売 ( 2006 年 2 月 1 日 ) が、どうして切なかったか。いつか物語は終わって、私たちは現実の残酷さに呑み込まれてしまうのだろう、とは思っていた。でも、もうちょっとだけ夢を見ていたい、もうしばらくの間だけ、この物語の中にいたい。あろうことならば、この物語が現実の残酷さを突破していくだけの力を持って欲しい…と願いつつ、少しずつ時間を延長して、結局は 2 年 10 箇月を過ごしていた。

 今回の 5 人卒業で、「私にとっての」AKB48 の物語には、一区切りがついたのかな、という気がしている。もちろん、これが AKB48 の終わりではないし、これまでと同様の劇場公演の日々が続いて行くのだろう。私自身も、どこまで熱意が維持できるかは分からないけれど、これで AKB48 のファンをやめるつもりはない。けれど、私が「大好き」だった AKB48 とは、大きく変わってしまったのだな、という気がしている。

 これまでにも AKB48 は、ずっと現実の残酷さに侵食され続けて来たのだが、それでも何とか、独自の物語世界に踏みとどまっていたように思う。それが今回、ついに陥落したという気がするのだ。平たく言えば「ああ、結局、芸能界ってそういうところなんだなぁ」ということであり、もうちょっと比喩的に言うなら、一般的なアイドルビジネス、ないし芸能界というものの軍門に下ったということなのだと思う。それは予定されていた敗北だったのかも知れない。もともと芸能界に向かおうとする子たちを育成する場なのだから、芸能界のありようとかしきたりとか、そういったものと無関係に、超然とした立場を貫けるはずもない。むしろ、芸能界の独特のルールに早く乗った方が「勝ち組」になれるのは当然なのだろう。

 今、卒業していくメンバーに、そして残ったメンバーおよび研究生に言いたいことは、ただ「青空のそばにいて」ということだ。青空のそばにいようとすることは、時に「損な」ことのように思えるだろう。夜の近道を抜ける方が、手っ取り早く目標に近づけると思うかもしれない。だが、天網恢恢の喩えではないが、世の中というのは、長い目で見ればちゃんと因果が巡るように出来ている。近道をした人は、そういう道しか歩けなくなるだろう。浮かれて油断した人は、いつかそのしっぺ返しを食うことになるだろう。いつも「青空のそばに」い続ければ、その時は遠回りのように見えても、いつも晴れ晴れとした心のままで生きて行ける。それぞれに、自分の良心に恥じない生き方をして行ってほしい。