AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

さて、いよいよその日が

2008-10-11 14:28:11 | Weblog
 とうとう「その日」が来てしまった。今日は午前中に用事があり、この後また別の用事があってから劇場なので、見られるのは夜公演の千秋楽のみ。千秋楽を見られるだけ十分幸せなのだが。

 私は散々「悲しい」と書いている通りで、もちろん悲しい。ただ、一部の読解力のない ( というより、そもそもちゃんと読んでないんだろう ) 人たちに誤解されているように思うのは、私は「悲しい」の理由として


彼女たちとあの劇場で会えなくなるから、というのもあるけれど、それと共にこの出来事は、AKB48 というものが大きく変わってしまったことを象徴していると思うからだ。


ときちんと書いているはずだということと、少なくとも「推しが卒業するから」という理由で事務所を批難したことはないはずだ、という点だ。私が嘆いているのは、この件が、AKB48 がとうとう「引き返せない曲がり角」を曲がったことを象徴しているからだ。この件についてはいずれまた詳しく書く。ただ現状、「そうは言ってもまだ、すべてが失われたわけではない」とも思っているので、たとえ推しがいなくなっても AKB48 のファンをやめるつもりはないので念のため。

 話を戻して、一推しの中西さんはじめ、5 人に会えなくなるのは寂しいし悲しい。けれど、私は「個人の感情として」悲しいと言っているだけで、彼女たちの将来についてはまったく悲観していない。全員が芸能人として大成功するなどとは思っていないけれど、うまく自分の持ち味を出して行ければ、5 人ともそこそこの芸能人として、それなりにやっていけるだろうと思っている。例えば、成田さんは事務所移籍も決まり、はっきり「グラビアアイドルとして」、つまり彼女の強みを生かした活動をして行くと言っている。チーム A でいつまでも都合の良いアンダーとして飼い殺しにされているより、かえって良いと思う。

 私の推しの中西さんについては、腰の病気が理由だけに、正直言って「現状での」先行きは暗い。しかし、ある意味で私は、中西さんのことは一番楽観視している。あれだけの人が世に出ず、このまま埋もれるということはあり得ないからだ。たとえ周囲の誰が見逃しても、彼女が意思と意欲を失わないでいる限り、神さまが放っておかないだろう。本当に gifted な人というのは、そういうものだからだ。

 ただ、むしろ心配なのは、彼女はまじめ過ぎるので、「意思と意欲」が裏目に出ることがあるということだ。腰を傷めたこと自体もそうであるように、一生懸命に頑張り過ぎる人は、そのせいで自らの身体や心を追い詰めてしまうことがある。AKB48 を卒業したからといって、すぐに腰が良くなるわけではない。卒業後すぐ、慣れない小さな仕事ばかりやっていたら、心身になおさら無理が蓄積していくだけだろう。それよりは今回の卒業を機に、いったん事務所からも芸能界からも離れ、帰郷して療養し、半年後なり 1 年後なりの再起を期してもらいたいと「私は」勝手に思っている。

 さて、午後の用事のあと、劇場に向かおう。千秋楽を「笑顔で見送る」なんて不可能なことは言わない。私は涙もろいので、たぶん泣く。泣きながら微笑んで…ってのはどこかの曲の名前みたいだが(笑)、そういう感じで彼女たちの門出を見送りたい。

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