AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

NHKホールコンサート2日目の感想・その1

2009-04-27 03:37:32 | Weblog
 卒業セレモニーなのに腹がよじれるほど笑えるとか、卒業セレモニーやるからとわざわざ 2 箇月前に卒業した人を呼んでおきながら「やっぱりナシ」って相変わらずヒド過ぎだろとか ( これは結果としてはさすがに回避されたが )、なっちゃんが初期メンの輪の中に呼ばれたら瞬間的に泣き虫に戻っちゃってなっちゃんかわいいよなっちゃんとか、AKB48 の中でも指折りの強気キャラのまいまいさんがあゆちるの前ではやっぱりふにゃふにゃになっちゃうとか、あーあーフレッシュなら何でもアリですかの新選抜とか、人を食ってるにもほどがあるだろう的なふざけまくった ( 注 : ほめているつもり ) 石谷さんフィーチャー(笑)ビデオとか、「またそーやって世間をおちょくるんだからぁ(^_^;)」ってな感じの「AKB48 総選挙」とか、話題はてんこ盛りにあるのだが、申し訳ないが今夜の私にははちゃんと長いのを書く時間がない。一言で言えば、やっぱ AKB48 って良くも悪くもこういうもんだよなー、みたいに苦笑しながら、あえてその奔流に身を任せて楽しんでいる感覚。これを楽しめるようにならないと、AKB48 のファンは続かないんだろうなと思う。まじめ過ぎると燃え尽きちゃうみたいなので。

 でも実は、このコンサートで私が一番心動かされたのは、実は BINGO! を歌っていた顔ぶれについてだった。気づく人はとうに気づいていたんだろうけれど、恥ずかしながら私は、土曜にも、日曜の昼公演でも、まったく気づいていなかったのだ。各チームのメンバーと研究生が混在しているし、SKE から西中さんだけ参加しているし、なんかバラバラな感じだなぁ、などと思っていたのだが、日曜の夜公演で BINGO! が始まったときに、ああそうか、そうだったのかとやっと気づいたのだった。つまりそれは、4 期生・5 期生だけだったのだ。この時点で AKB48 と SKE48 に在籍している 4 期生 10 名、5 期生 9 名のうち、この日に NHK ホールにいない出口さん、直前の曲に出ている倉持さん、療養中のため参加できない佐伯さんを除いた 16 名が、この BINGO! のメンバーだったのだ。同期という連帯をステージ上で実現する機会がほとんどないまま、それぞれのチームに配属され、あるいは「いつか * 期だけで一緒に歌いたい」という願いもかなわず卒業して行った仲間もいる。そういう彼女たちが、瓜屋さん卒業のタイミングで、こういう機会を得た。卒業ビデオも素晴らしかったけれど、本当に彼女たちにとって価値がある贈り物は、こちらだったのではないか。そしてまた、ここに集うことができずに既に卒業した人たちのことも思い出し、不覚にも涙してしまった。特に感動的な場面でも、悲しい曲でもないのに、涙流しながらステージ見てるキモいおっさんで申し訳ない。でもこれは、AKB48 が数々の冗談や偽悪の煙幕の中に隠している、一番大切にしなければいけないものに対する真摯な態度を、ちゃんとステージ上で形にした場面だったと思うのだ。

 本当に大切なものは、ことさらに飾り立てて喧伝すべきものではない。分かる人の心の奥にだけしっかりとしまわれて、ひそかに輝いていれば良いものだ。そういうことを教えてくれたのが、あの 1 曲だったと思える。あの 1 曲を見ることができただけでも、今回のコンサートを見た価値はあったと思えるくらい、すばらしい場面だったと思う。

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1 コメント

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華やかさの裏で思う事 (GG)
2009-04-30 11:40:07
3公演全部観られたのですね。 お疲れ様です。
私も2日目最終公演を観る機会に恵まれました。
AKB的「脱線」や「ハプニング」、はたまた、「諧謔を弄する仕掛け」はご愛嬌として、ここぞの部分は勘所を心得た「良い仕事」の公演だったと思います。とりわけ、卒業セレモニーの瓜屋さん、早乙女さんのみならず、川崎さんまで集う「一視同仁」の配慮は心憎い演出でした。恐らくは前回の研究生オーデにおける、酷薄とも言えた「ポイ捨て斬り」への批判を踏まえてのものだと思われます。
いずれにせよ、至情あふれる幕引きを施されたメンバーには「おめでとう」の言葉を贈りたいですね。
例えそれが心から満足できる卒業でなかったとしても・・・。

「光りが強ければ影もまた濃い」(ゲーテ)
第二劇場決定、武道館ライブ決定、パリ遠征etc
去年の同時期CDも出せぬと呻吟していた事がウソのように今や破竹の快進撃と言っていい煌びやかな「光」の部分もあれば、蕭然と去ってゆくメンバーの存在という「影」の部分・・。
我々ファンは「未来への可能性」と言う護符を貼られた「卒業」というプロセスを前向きに捉えてあげるべきなのかもしれません。
しかしながら、私は「卒業」の言葉にモヤモヤとしたスッキリしない「澱」のような異物の存在も感じています。

華やかな公演を堪能しつつも、瓜屋さんの2年間は全力で青春を全うできた「光」だったのだろうか、それとも昇格できずに煩悶した「影」だったのだろうか? 
湿っぽく考えさせられました。
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