アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

ジャガイモの思い出

2005-08-04 20:05:45 | 思い出
朝には深い靄がかかっていた。
水の中にいるように涼しい。どんな重い二日酔いの日でもこの大気にどっぷりと浸れば10年分は精気を取り戻す、そんな爽やかな朝だった。

こんな朝の空気を全身に浴びながら、ジャガイモを掘ってみようか。

山を控えた猫家に朝陽が差し込むにはまだ間がある。炎天でもなく雨模様でもない、そんなあたかもジャガイモを掘る人のためにあつらえたようなステージの中で、今日はひと畝だけ掘り起こしてみることにした。
畑の中に紅一点、ゴボウの花が咲いている。どうやら今年も真夏になった。

ジャガイモを掘ると決まって思い出すことがある。
私が東京での職場を辞めて、そのまま北海道に渡ったのが今からちょうど7年前の3月。学生引越し用のコンテナ便に詰め切れなかった荷物を車に載せて、埼玉のアパートを引き払って一路北に走る。八戸からフェリーに乗る。旭川から北見峠を越えて網走方面に抜ける。目指すは北見から南西に30km、雪と氷に閉ざされた山間の置戸(おけと)の町だった。
北の大地はそれまで全国を広く旅行してきた私がまだ数えるほどしか足を踏み入れていない、未知の土地でもある。そのことだけでも私の冒険心は掻き立てられたし、それに農業の道を志すことを決めてまず一番初めに、日本を代表する大規模機械化農業を学んでみたかった。
3月の置戸はまだ冬の最中。これでもかと降り積む雪と氷点下10度の気温の中で、私の心はすべての荷物を振り捨てて清水の舞台を飛び降りた旅人のようだった。気に入っていた仕事も転勤の多い暮らしの中にあってそれなりに築きかけていた人間関係も、世間並みの地位も経済力もみんな手放した感があった。そして心は遠い昔を取り戻したように鳥の羽のように軽い。まさに自由とは、手放すことによって近づけるものなのだろうか。
それから置戸で半年畑作で、その後白滝村で4ヶ月間酪農実習をするのだけれど、その間の体験はその後の私のあり方に大きな影響を落とした。今思えば35才という若さ、それと身軽になった心の柔軟性の賜物だったのかもしれない。僅か1年に満たない北海道生活の中で、私は本当に価値ある人間関係とこれからの世界で生きていくために大切な「根」の主要な部分を形作ったのだと思う。しかも実際には決して望みどおり、思い通りにならなかった状況ではあった。

特に置戸で私の指導に当たってくれた人の存在は忘れられない。こう言うと誤解もあるかと思うのだけれど、その方と私との人間関係は決してハッピーなものではなく、どちらかというと険悪なものだったかもしれない。私は私で彼にとても迷惑をかけたのかもしれないし、彼は彼で人間的にたくさんの問題を抱えていたのだろうと思う。そんな彼と私との出会いはまさに必然のなせる業だった。出会うべくして出会い、ぶつかり合うべくしてぶつかる。そして帰結として別れの時が来る。あの当時、新規就農を目指す者のもっとも必要としたことを彼は私に教えてくれたし、その意味で彼はこの上もなく優秀な「農業者」だった。

「作物をよく見ろ。」例えトラクターの上にいようと、見下ろすジャガイモの葉に浮かぶ病根を見過ごしてはならない。
機械の異常は目で、耳で、感覚で悟れ。そのためには常日頃「正常な」状態というものを全身で感知しておかなくてはならない。
何十年来愛用してきた骨董品のようなマッセイ・ファーガスンのトラクターに乗せてくれた。バックホーやローダーも使わせてくれた。ただ運転させるだけではなくて、彼は「それ」と付き合うに大切な実践的なことを本質を捉えて教えてくれた。今でこそ農業機械に人並み以上に明るい私ではあるけれど、その基礎のほとんどは、あの時彼に教えられたことに立脚している。

そんな素晴らしい教師であった彼にも、人間である限り避け得ない欠点もあった。経済力を至上のものと考えそのために「能力」というものを突き詰める生き方において、彼には利害関係は築けても人徳や心の結びつきを核とする人間関係を持ち得ない。だから私に対しても始終必要以上に高圧的な態度でいたし、それが私自身の反骨精神を刺激した。
私がジャガイモの収穫の済んだ置戸を後にしたのはそんな事情もある。もちろん雨の多かったあの年、置戸にいては思う通りに仕事も勉強もできなかったという状況はあったのだけれど。

半ば気まずい気分で後にした置戸だが、あの地で学んだ幾多のことは今でも私の暮らしの、仕事の隅々に数え切れない土台石となって存在している。作物を相手にする姿勢、機械や道具を使う人のあり方を、あの人は精一杯私に教えてくれて、私はその点において恐らく彼の期待通りに身に付けていったのだと思う。
いつか将来また彼に会うことがあれば、あの頃と同じ多分に挑戦的な彼の態度に応じて私は精一杯対立的、攻撃的な態度で彼に接するかもしれない。
なぜならばそれが彼の生きて来た世界だったし、一脈私にも通じる世界の片鱗でもあるから。未だに忘れ得ない彼への感謝を私はそのようにして表わしてもいいのだと思う。
農業者としての自立と活躍、そしてそれに必要な能力の習得。もし将来その面で彼と同等かそれを越える存在になった時に初めて、私は彼への恩を返せるのかもしれない。
その時私は彼の笑顔を見て、心を込めてありがとうと言おう。




【写真はゴボウの花】





コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 対決!またはタヌキ囃子 | トップ | 批評家への道 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ああ… (ぱこ)
2005-08-04 22:18:01
いるんだよねえ、そういう形でしか関わりを持ち得ない人ってさ。

これは決して悪い意味じゃないよ。

オレにもいるなあ、そういう人が。

簡単に言えば「合わない」んだけど、認めてはいるんだ。私にとって、とても貴重な存在だな。そう思えるようになるには時間が必要だったけどね。

でも、そう思えた時、ちょっと自分が成長したような気がしたよ。



じゃがいも…アグさんの作った芋は美味いんだろうな。

オレ、じゃがいも大好きなんだ。

みそ汁の具で一番好きなのがジャガイモ。次いで白菜。(笑



返信する
ジャガイモの収穫・・・ (agrico)
2005-08-05 11:23:41
やはりこちらではまだ少し、早いようです。昨日掘り上げた男爵はともかくも、我が家の冬場の食糧の主流である赤芋、黒芋はお盆明け頃になりそうですよ。

それとうちには「野良芋」(前年に掘り残した芋から勝手に生えて来た芋)が多いんですよね。畑のあちこちにジャガイモが葉を茂らせています。

それを少しずつ掘り取るだけでも、当座のジャガイモには事欠かないんですよ。



北海道で働いていた頃の私はまだ農業を営もうとしてましたが、今の私は農業者というよりは百姓なのです。

お金を稼ぐための農業か生きる糧を得るためかの違いですね。だから使っている技術は雲泥の差があります。

でも、私の農業はあの時教えられたものが基礎になっている部分が多いんですよ。本当にいい人に師事したと思ってます。

機械とも薬とも目一杯付き合った上で今の自分の無化学物質農業があるんです。もし有機栽培の道をまっしぐらに進んでいたら、今よりずっと視野の狭いものになっていたでしょうね。

出会いは時に自分の希望とは正反対の形をとって現れますね。けれどそんな出会いが一番価値あるものを残してくれるのかもしれません。



いつか我が家のジャガイモをたくさんご馳走しますよ。
返信する

コメントを投稿

思い出」カテゴリの最新記事