さて、音楽にまったく疎い私であるが・・・
しかしこんなことを言うとなぜかみんなあんぐりと口を開けて、まるで大和撫子に化けたタヌキを見るような風に私の顔を見つめるのだけれど、
実は私、昔モダンダンス部に所属していたことがある。
それは大学2年の青春真只中に砂浜で拾った小さな貝の化石・・・なんてロマンチックなことは決して、無い。でもたまたまついさっき思い出したので今宵は特別このBLOGを読んでくれる人たち限定で恥ずかしくも懐かしいその思い出話をしてみよう。
一浪の末辛うじて大学に入り念願の東京暮らしをどうにか手にした私は、かねてからの計画通り将来は格闘技で身を立てようとまずは市井の空手道場に通い始めた。もちろん大学生とはいえ勉強などこれっぽっちもするつもりは無い。すべては親の管理下から脱しかつ自由で明るく輝く未来を掴むべく入念に計画し実行したシナリオの序章であった。
昼は学内のトレーニングルームで筋トレ、戸外に出てはロードワーク、夜は道場で空手の稽古。一応卒業の肩書きを手に入れるために規定の授業には出席していたけれど、講義の時間はもっぱら疲れ果てた身体を労わる睡眠時間に当てていた。
稽古はきつく自分で課した日々のノルマは過酷だった。ある日試しに量ってみたら毎日の帰宅時には昼に比べて体重が平均4キロ減っていた。つまり一日のトレーニングで少なくとも4リットルの汗とエネルギーとを発散させていたということである。
そして食べた。昼は学食で定食2人前、夜は自炊で肉と野菜を思う存分食べて酒を飲む(とても外食ではお金が続かなかったのだった)。夕食に牛乳1リットルとジュース1リットルを焼酎で割って飲んでいた。食べる機会があれば肉ならば1キロ鶏ならば1羽平らげることができた。だから常にお金に追われてアルバイトと運動の日々を過ごしていた。
毎日のトレーニングは余程のことでもないと欠かさない。スクワット1000回、ベンチプレス100キロ、各種筋トレ、そして4キロのロードワーク。夕方には道場に通って道着を搾れるほどに汗で濡らす。正直洗濯が大変だった。
体力はともかくも元々根性にだけは自信がある。振り返ればお金も温かい家庭も何も無かったあの当時、この根性だけが裸一貫自分の頼る唯一のよすがだった気がする。
しかしその根性があり過ぎた私は、半年を経ずして体を壊してしまった。
背骨の前滑り症。運動をする者にとっては致命的に近いものだ。ぎっくり腰の構造的安定化と言ったらいいだろうか、ハードな運動家にはマゾの気があるんじゃないかと当時言っていた友人がいたが、その真偽はともかくとして度重なる身体の悲鳴にも耳を貸さずにひたすら自己を責め苛む、確かに肉体の鍛錬とはそのような側面があるかもしれない。そしてその中でほどよく根性の無い人間は上達も遅い代わりに体も壊さずそこそこ楽しんで長く続けれる可能性を持つ。しかし根性のあり過ぎた人間は・・・急速に頭角を現し偉業を成し遂げるか体を壊すかのどちらかである。その差は精神力と肉体的適応力とのバランスによって決まる。
悪いことにあの頃幾つかの大切なものを失くしてしまった私はある意味人生に絶望していて、自己の肉体の酷使とその延長線上にある蟻の穴のような夢以外に生きる目的を見出せなかった。いや本当は、ただ単に自分が許せなくて責め苛みたかっただけなのかもしれない。
歯を食いしばっても立つことができない。痛みというよりはその悔しさに私は涙した。
整形外科、鍼灸院・・・当然のことながら回復のために全力を尽くす。しかし病状は一進一退。ひと月、またひと月と経つけれど運動はいつになってもできそうにない。しかし数ヵ月後に私は一筋の光明を見出す。立禅。文字通り立った状態で行う「禅」である。ある時先輩に紹介された本でこれによって背骨の故障から奇跡的に回復した空手家のことを知り、藁にも縋る思いで始めたそれが効果があった。
その後背骨は然るべき位置に収まり体は順調に回復する。しかし深夜に都下の公園でひとりキョンシーのような格好で何時間も立ち続ける私はたまたま通りかかった通行人にどのように映ったのだろう。しかしとにかくもそのお陰でようやくリハビリができる段階にまで至った。
そして私の考えたリハビリは・・・ダンスである。どうしてそんな発想を得たのか今ではよく思い出せない。しかし禅が骨格の治療に有効だったと同じようにダンスに矯正効果があるとしても決しておかしくはないだろう。最初の一歩は学内にできたてのミュージカル劇団への入団。そこで半年間稽古した後私は「FANTASTICS」という公演に出演したこともある。(頑固じいさんの役だった。)
そして続いての1年私はモダンダンス部に所属する。今となってはそれが部だったのかサークルだったのかもよく覚えていない。そこで生真面目で一度やると決めたら荒波を掻き分けてでもする私は、毎日妙齢のレオタードの女性たちに囲まれてイッチニ、サンシと足を上げたり手を振ったりした・・・ことが今となってはなんだか嘘のような気もする。(まあ、自分も若かったんだろうな。)
しかし人生何がどうなるかわからないものだ。来る日も来る日も美しき女性の体のラインとムーブメントを見ながら健康な汗を流す。振り返れば言い尽くせないほど甘美なひと時であったはずなのだが、しかしそれをその後の現実にいささかも受け継がせることができなかったのは無念の至りであった。
度重なるダンスの練習もやがて年に一度の学内公演に帰結する。俄かダンサーの私も晴れの舞台のスポットライトを浴びる。しかしあの頃のことを今思い出してもなんだか異次元の世界のようでいてあまり現実感が無いのだよ・・・君い。
都合1年半のリハビリの末に私は晴れて空手に復帰することとなった。その後モダンダンスは引退し前とは別の道場にて再びハードボイルド路線まっしぐらの人生を歩み直す。しかし一度失った時間とチャンスはそう簡単には復してくれない。まあそのことについてはまた改めて書くこともあるだろう。
リズムとは波である。満ちれば引く。寄せては返す。私たちの日常や暮らし、あらゆる仕事や事象の中に波の存在しないものは無い。
今の私には20代当時の漲るパワーなどからっきし無いのだけれど、リハビリをしていた当時たまさかでも触れることのできた「リズム感」というものは、その後の人生を経て今に至るまで確実に活きてきたのだと思う。
いつか私も、若い頃何をしたと言っても驚かれなくなる時が来るだろう。きっとまだ今だから「モダンダンス」ごときでええっ!と驚かれたりする。それだけまだちょっとだけ若さの片鱗が身に残っているということだろうか。
しかし現実そんなことなどを猫たちに言ってもいささかの関心も持ってくれないし、隣り近所のお年寄りに言っても「モダンダンスとは何ものか」から始めなきゃならないから言う気にもなれない。だからなのだよ、今宵こうしてBLOGに書いてみたのは。そう考えるとちょっと哀しい。
【写真は在りし日の公演の記録写真。リフトという、私は下で持ち上げる役でした。】
しかしこんなことを言うとなぜかみんなあんぐりと口を開けて、まるで大和撫子に化けたタヌキを見るような風に私の顔を見つめるのだけれど、
実は私、昔モダンダンス部に所属していたことがある。
それは大学2年の青春真只中に砂浜で拾った小さな貝の化石・・・なんてロマンチックなことは決して、無い。でもたまたまついさっき思い出したので今宵は特別このBLOGを読んでくれる人たち限定で恥ずかしくも懐かしいその思い出話をしてみよう。
一浪の末辛うじて大学に入り念願の東京暮らしをどうにか手にした私は、かねてからの計画通り将来は格闘技で身を立てようとまずは市井の空手道場に通い始めた。もちろん大学生とはいえ勉強などこれっぽっちもするつもりは無い。すべては親の管理下から脱しかつ自由で明るく輝く未来を掴むべく入念に計画し実行したシナリオの序章であった。
昼は学内のトレーニングルームで筋トレ、戸外に出てはロードワーク、夜は道場で空手の稽古。一応卒業の肩書きを手に入れるために規定の授業には出席していたけれど、講義の時間はもっぱら疲れ果てた身体を労わる睡眠時間に当てていた。
稽古はきつく自分で課した日々のノルマは過酷だった。ある日試しに量ってみたら毎日の帰宅時には昼に比べて体重が平均4キロ減っていた。つまり一日のトレーニングで少なくとも4リットルの汗とエネルギーとを発散させていたということである。
そして食べた。昼は学食で定食2人前、夜は自炊で肉と野菜を思う存分食べて酒を飲む(とても外食ではお金が続かなかったのだった)。夕食に牛乳1リットルとジュース1リットルを焼酎で割って飲んでいた。食べる機会があれば肉ならば1キロ鶏ならば1羽平らげることができた。だから常にお金に追われてアルバイトと運動の日々を過ごしていた。
毎日のトレーニングは余程のことでもないと欠かさない。スクワット1000回、ベンチプレス100キロ、各種筋トレ、そして4キロのロードワーク。夕方には道場に通って道着を搾れるほどに汗で濡らす。正直洗濯が大変だった。
体力はともかくも元々根性にだけは自信がある。振り返ればお金も温かい家庭も何も無かったあの当時、この根性だけが裸一貫自分の頼る唯一のよすがだった気がする。
しかしその根性があり過ぎた私は、半年を経ずして体を壊してしまった。
背骨の前滑り症。運動をする者にとっては致命的に近いものだ。ぎっくり腰の構造的安定化と言ったらいいだろうか、ハードな運動家にはマゾの気があるんじゃないかと当時言っていた友人がいたが、その真偽はともかくとして度重なる身体の悲鳴にも耳を貸さずにひたすら自己を責め苛む、確かに肉体の鍛錬とはそのような側面があるかもしれない。そしてその中でほどよく根性の無い人間は上達も遅い代わりに体も壊さずそこそこ楽しんで長く続けれる可能性を持つ。しかし根性のあり過ぎた人間は・・・急速に頭角を現し偉業を成し遂げるか体を壊すかのどちらかである。その差は精神力と肉体的適応力とのバランスによって決まる。
悪いことにあの頃幾つかの大切なものを失くしてしまった私はある意味人生に絶望していて、自己の肉体の酷使とその延長線上にある蟻の穴のような夢以外に生きる目的を見出せなかった。いや本当は、ただ単に自分が許せなくて責め苛みたかっただけなのかもしれない。
歯を食いしばっても立つことができない。痛みというよりはその悔しさに私は涙した。
整形外科、鍼灸院・・・当然のことながら回復のために全力を尽くす。しかし病状は一進一退。ひと月、またひと月と経つけれど運動はいつになってもできそうにない。しかし数ヵ月後に私は一筋の光明を見出す。立禅。文字通り立った状態で行う「禅」である。ある時先輩に紹介された本でこれによって背骨の故障から奇跡的に回復した空手家のことを知り、藁にも縋る思いで始めたそれが効果があった。
その後背骨は然るべき位置に収まり体は順調に回復する。しかし深夜に都下の公園でひとりキョンシーのような格好で何時間も立ち続ける私はたまたま通りかかった通行人にどのように映ったのだろう。しかしとにかくもそのお陰でようやくリハビリができる段階にまで至った。
そして私の考えたリハビリは・・・ダンスである。どうしてそんな発想を得たのか今ではよく思い出せない。しかし禅が骨格の治療に有効だったと同じようにダンスに矯正効果があるとしても決しておかしくはないだろう。最初の一歩は学内にできたてのミュージカル劇団への入団。そこで半年間稽古した後私は「FANTASTICS」という公演に出演したこともある。(頑固じいさんの役だった。)
そして続いての1年私はモダンダンス部に所属する。今となってはそれが部だったのかサークルだったのかもよく覚えていない。そこで生真面目で一度やると決めたら荒波を掻き分けてでもする私は、毎日妙齢のレオタードの女性たちに囲まれてイッチニ、サンシと足を上げたり手を振ったりした・・・ことが今となってはなんだか嘘のような気もする。(まあ、自分も若かったんだろうな。)
しかし人生何がどうなるかわからないものだ。来る日も来る日も美しき女性の体のラインとムーブメントを見ながら健康な汗を流す。振り返れば言い尽くせないほど甘美なひと時であったはずなのだが、しかしそれをその後の現実にいささかも受け継がせることができなかったのは無念の至りであった。
度重なるダンスの練習もやがて年に一度の学内公演に帰結する。俄かダンサーの私も晴れの舞台のスポットライトを浴びる。しかしあの頃のことを今思い出してもなんだか異次元の世界のようでいてあまり現実感が無いのだよ・・・君い。
都合1年半のリハビリの末に私は晴れて空手に復帰することとなった。その後モダンダンスは引退し前とは別の道場にて再びハードボイルド路線まっしぐらの人生を歩み直す。しかし一度失った時間とチャンスはそう簡単には復してくれない。まあそのことについてはまた改めて書くこともあるだろう。
リズムとは波である。満ちれば引く。寄せては返す。私たちの日常や暮らし、あらゆる仕事や事象の中に波の存在しないものは無い。
今の私には20代当時の漲るパワーなどからっきし無いのだけれど、リハビリをしていた当時たまさかでも触れることのできた「リズム感」というものは、その後の人生を経て今に至るまで確実に活きてきたのだと思う。
いつか私も、若い頃何をしたと言っても驚かれなくなる時が来るだろう。きっとまだ今だから「モダンダンス」ごときでええっ!と驚かれたりする。それだけまだちょっとだけ若さの片鱗が身に残っているということだろうか。
しかし現実そんなことなどを猫たちに言ってもいささかの関心も持ってくれないし、隣り近所のお年寄りに言っても「モダンダンスとは何ものか」から始めなきゃならないから言う気にもなれない。だからなのだよ、今宵こうしてBLOGに書いてみたのは。そう考えるとちょっと哀しい。
【写真は在りし日の公演の記録写真。リフトという、私は下で持ち上げる役でした。】
リズム(波)って大事ですよね。リズムに乗れれば調子よく事が運ぶって感じが日々の中にあります。
それにしてもモダンダンスとは・・・。
写真はagricoさんなのですか?
だとしたら美しすぎる・・・(*^^*)
ええ、冒頭の写真は私が女のダンサーを持ち上げているところです。なんだったか、ボロボロの衣装を上半身に着けてたような記憶があります。
しかしこんな白黒のシルエットのような写真で美しいもないでしょうが・・・
「若気の至り」と思ってしまうこと自体が既に遠くに過ぎ去った証拠なのでしょうが、今となっては小さく輝く思い出のひとつですよ。なんでもやってみるもんですねぇ。
断食してるんですか?いいですね。私も来週辺りからしようと思ってました。クリスマス頃にかけて断食して新しい体で信念を迎えます。元旦には中が集まって新年会を開くのでその時には飲み食いしてしまうので、それ以前に断食と復食を完了させておきたい。
断食には凄い効果がありますよ。一度や二度で現れるとは限りませんが、食を買えればすべて変わってくるような感があります。私自身も味覚から好み、発想、感性、体調、大きく揺れ動きました。今思うとすべて繋がっていたのですね。
再び小さな声で言いますが、ええ、あの写真は私です。この間アルバムを引っくり返してたら見つけました。笑って許してやってください。