今日は2日ぶりに朝から快晴だった。
今の時期は雨が降らなければすることはたくさんある。このところ雨模様でのんびり仕事になっていた。
田んぼの基盤整備ももう一息。地面さえ乾いてくれればすぐに終わるところなんだけれど・・。
夕方、久しぶりに畑に出て草むしりをした。
梅雨に入ればひと雨ごとに草は「ググッ」と、まるで音を立てるように背丈を伸ばす。それは畑の野菜も同じだけれど、到底野生のエネルギーにはかなわない。
いつの間にか猫家の自家用野菜畑も、丈高い草の絨毯に覆われていた。
私が畑に出ると、いつものことながらどこからともなく猫たちが1匹2匹と現れ、擦り寄って来たり畝の間に思い思いに寝そべったりし始める。
春から初夏にかけての夕暮れ時は猫たちのゴールデン・タイム。日中の暑さが薄らぎ、大きく深呼吸したくなるほど気持ちがいい。まだ蚊が出て来ていないからなおさらだ。
ツユクサ、ツメクサ、メヒシバ、オーチャード、カキドオシ・・・さまざまな草が生えている。それらを掻き分けると、草陰に肩身の狭い様子で、チリメンチシャやブロッコリー、ゴボウや枝豆なんかがあちこち入り混じって顔を出す。
こんな畑の状態をもし人が見たら、なんと思うだろう。
ほとんどの人はいい印象を抱かないに違いない。
「どこに野菜があるんだ。」
「なんだ、無農薬と言っても、結局雑草を育ててるようなもんじゃないか。」
確かにその通り。仕事に追われて自分の畑に手をかけてない自分の責任である。
草を選んでむしる。折れるものは根元に近いところから折る。できるだけ根は抜かないでいたい。
抜く必要の無い草はできるだけ残しておく。
私の野菜栽培は、無農薬無化学肥料を始めてからもう12~13年になるだろうか。参考にした本はあったけど、今では基本的に「我流」になっている。自分の観察と今までに気づいたことが大きな基礎になる。
農業について話していて一番厄介な相手は慣行栽培農家ではない。「有機絶対主義」の人や実践を伴わない「自然保護家」の方だと思う。
彼らはほんのちょっとの経験と膨大な知識だけで強い自己主張をする。まるで知識の量を競って生きているような人たちだ。私とは基礎となるものが大きく違うからあまり話にならない。
草は生きている。人間も生きている。生きているものを、どんなに本を読もうとも理解することができるだろうか。
私たちが今「普通」と呼ばれる生活をして、そのためにいったいどれだけの生命が犠牲になっているのかにも気づかずに、杓子定規的な自然保護を主張する人は多い。
例えば有機栽培について考える時に、農薬や化成肥料がどういうものなのかを知らなければ本来考えることさえできないと思う。
有機栽培信者で、それらの化学物質を実際に使って栽培の対称実験をした人はどれだけいるのだろうか。同じく慣行栽培農家では・・・。
そんなことをひとつひとつ積み上げて、化成肥料はどういったものか、無農薬で作物を作るとはどういうことなのかに気づいていくものだと思う。
本当の意味で「生き物を相手にせずして生き物を論じる」人が意外と多い。
それらの人たちは、確かにあまり話し相手にはしたくない人たちだ。でも、私はそれでもいいんだと思う。誰だってそういう時代というものはあるから。
それぞれが今この時に、どのように考え、生きようと自由だと思う。決してそれは、不思議なことでも間違ったことでもない。
却って、それを「間違ったこと」と思うところに危険が潜んでいたりする。
「自分が正しくて相手が間違っている」と信じて行動に表した時に、その人の存在は他に対して危険なものとなるかも知れない。喧嘩も戦争も、似たようなところから生まれている。
知識だけ持つ人の厄介なところはまさにここにある。大概が自分の意見を相手に押しつけたがる。知識量で上回る(ように見える)自分の方が偉いように錯覚してしまっているのかもしれない。
知識はひとつの便利な道具だと思う。それを使って幸せに結びつけることもできれば、逆に諍いや不満を産むこともできる。
金槌で立派な大工仕事をする人もいれば、人殺しをする人もいるのと同じだ。
私にとって、今のところ知識は特にあまり欲しいものではない。そんなもの必要な時には黙ってても手に入るし、元々幸せになるのにそれほどたくさんの知識は必要ない。
今なによりも、幸せになるための知恵、が欲しいと思う。
今の時期は雨が降らなければすることはたくさんある。このところ雨模様でのんびり仕事になっていた。
田んぼの基盤整備ももう一息。地面さえ乾いてくれればすぐに終わるところなんだけれど・・。
夕方、久しぶりに畑に出て草むしりをした。
梅雨に入ればひと雨ごとに草は「ググッ」と、まるで音を立てるように背丈を伸ばす。それは畑の野菜も同じだけれど、到底野生のエネルギーにはかなわない。
いつの間にか猫家の自家用野菜畑も、丈高い草の絨毯に覆われていた。
私が畑に出ると、いつものことながらどこからともなく猫たちが1匹2匹と現れ、擦り寄って来たり畝の間に思い思いに寝そべったりし始める。
春から初夏にかけての夕暮れ時は猫たちのゴールデン・タイム。日中の暑さが薄らぎ、大きく深呼吸したくなるほど気持ちがいい。まだ蚊が出て来ていないからなおさらだ。
ツユクサ、ツメクサ、メヒシバ、オーチャード、カキドオシ・・・さまざまな草が生えている。それらを掻き分けると、草陰に肩身の狭い様子で、チリメンチシャやブロッコリー、ゴボウや枝豆なんかがあちこち入り混じって顔を出す。
こんな畑の状態をもし人が見たら、なんと思うだろう。
ほとんどの人はいい印象を抱かないに違いない。
「どこに野菜があるんだ。」
「なんだ、無農薬と言っても、結局雑草を育ててるようなもんじゃないか。」
確かにその通り。仕事に追われて自分の畑に手をかけてない自分の責任である。
草を選んでむしる。折れるものは根元に近いところから折る。できるだけ根は抜かないでいたい。
抜く必要の無い草はできるだけ残しておく。
私の野菜栽培は、無農薬無化学肥料を始めてからもう12~13年になるだろうか。参考にした本はあったけど、今では基本的に「我流」になっている。自分の観察と今までに気づいたことが大きな基礎になる。
農業について話していて一番厄介な相手は慣行栽培農家ではない。「有機絶対主義」の人や実践を伴わない「自然保護家」の方だと思う。
彼らはほんのちょっとの経験と膨大な知識だけで強い自己主張をする。まるで知識の量を競って生きているような人たちだ。私とは基礎となるものが大きく違うからあまり話にならない。
草は生きている。人間も生きている。生きているものを、どんなに本を読もうとも理解することができるだろうか。
私たちが今「普通」と呼ばれる生活をして、そのためにいったいどれだけの生命が犠牲になっているのかにも気づかずに、杓子定規的な自然保護を主張する人は多い。
例えば有機栽培について考える時に、農薬や化成肥料がどういうものなのかを知らなければ本来考えることさえできないと思う。
有機栽培信者で、それらの化学物質を実際に使って栽培の対称実験をした人はどれだけいるのだろうか。同じく慣行栽培農家では・・・。
そんなことをひとつひとつ積み上げて、化成肥料はどういったものか、無農薬で作物を作るとはどういうことなのかに気づいていくものだと思う。
本当の意味で「生き物を相手にせずして生き物を論じる」人が意外と多い。
それらの人たちは、確かにあまり話し相手にはしたくない人たちだ。でも、私はそれでもいいんだと思う。誰だってそういう時代というものはあるから。
それぞれが今この時に、どのように考え、生きようと自由だと思う。決してそれは、不思議なことでも間違ったことでもない。
却って、それを「間違ったこと」と思うところに危険が潜んでいたりする。
「自分が正しくて相手が間違っている」と信じて行動に表した時に、その人の存在は他に対して危険なものとなるかも知れない。喧嘩も戦争も、似たようなところから生まれている。
知識だけ持つ人の厄介なところはまさにここにある。大概が自分の意見を相手に押しつけたがる。知識量で上回る(ように見える)自分の方が偉いように錯覚してしまっているのかもしれない。
知識はひとつの便利な道具だと思う。それを使って幸せに結びつけることもできれば、逆に諍いや不満を産むこともできる。
金槌で立派な大工仕事をする人もいれば、人殺しをする人もいるのと同じだ。
私にとって、今のところ知識は特にあまり欲しいものではない。そんなもの必要な時には黙ってても手に入るし、元々幸せになるのにそれほどたくさんの知識は必要ない。
今なによりも、幸せになるための知恵、が欲しいと思う。
私の文はついつい長くなりがちで、いつも短くするのに苦心しています。
だから、お忙しい方や読むのが面倒くさい方には、写真のたくさん入った記事を読むのがお勧めです。
では今日のお仕事の成功をお祈りします。
あと、敢えて言うなら こうやって語ってくれる人の言葉を聞いたら、それが疑似体験になるかな。
やっぱり、真っ只中に身を置いてみないと偉そうなことはいえません。
最近になってようやく判ったことです。
ご心配戴いてありがとうございました。
例え「3年間寝て暮らした」という経験でも、すぐには真似できない貴重なものですね。
葉月さんがあんなに直截的に自分のことを書いてくれるので、ある意味で「世間知らず」の私にとっては、とてもためになってるんです。誰しもあまり理解できないまま今日まで来てしまったことってありますよね。私にとって女性のことや、今流行のこと、みんなが知っていること、なんかがそれに当たるんです。
blogが、各人それぞれが持っている経験や思いを、みんなで分かち合える場になったらいいですね。私もそんな場作りを心がけます。
これからもっと幸せになります。
(・・・欲張りなんだろうか?)