ネットの海を泳ぎ
ブログの浜で掬った 一握りの砂
その砂たちが 今の私を教えてくれる
疲れたり落ち込んだりして夕方帰って来たとき、今の時期にいつも私を慰めてくれるものがあります。
それは庭のマーガレット。猫家の玄関前にまるで大きな花束のように集まって咲いています。
ゆ~らゆ~らとてんでに顔を揺すらせながら、ニコニコ笑いかけるように私を見上げて・・。
あぁ、なんて可愛いんだろう。
ありがとう。
見るたびそう思って、少しだけ心の中の灯を大きめにするのです。
そんな風に、何かのときに自分の心に働きかけてくれるものが身の周りにはたくさんあります。
夕暮れに飛び交う蝶ちょ、力強く芽吹く柿の若芽、賑やかに走り回るヒヨコたち・・・
猫たちは私が玄関から出ると、申し合わせたように必ずどこかから現れて、みんな集まってくれます。てんでに遊んだり、涼んだり、寝転がったり・・・。
まるで一家団欒を楽しんでいるみたい。
そんな様子を見ているだけで、生きているのが楽しく思えてくるのです。
思えば庭のマーガレットは、私の心の希望と喜びの現われなのかもしれません。
例えどんなに落ち込んだときにも、心の中には希望があって冷えた身体を暖め直してくれる。
そんな自分の心の働きを、肩代わりしてやってくれているのかもしれません。
そうしてみると、この世界のものたちはみんな、私の心の反映・・・。
最近自分や何人もの人たちのブログを読んでいて、ブログってまるで実際の人間関係の縮図みたいだな、と思いました。
私の場合特に、自分の実際の思いや身の周りの世界をそのまま書いている「自己表現」的ブログだから、余計そう感じるのかもしれません。
どのような形にしろ自分を表現するところそれに呼応して集まって来る人たちは、実際の人間もネットを通した人間も同じような趣があります。
また自分が惹かれ訪問するブログにも、おのずと今の自分の心の向きが関わっているのでしょう。
ブログのテーマはなんであれ、そこから何となく滲み出てくる、その人自身のトータルな雰囲気が紛れもなくあるような気がします。
当たり前といえば当たり前のことですが・・・。
今の自分自身を知るためにも、私にとってブログは少し役に立ってくれそうです。
ブログの浜で掬った 一握りの砂
その砂たちが 今の私を教えてくれる
疲れたり落ち込んだりして夕方帰って来たとき、今の時期にいつも私を慰めてくれるものがあります。
それは庭のマーガレット。猫家の玄関前にまるで大きな花束のように集まって咲いています。
ゆ~らゆ~らとてんでに顔を揺すらせながら、ニコニコ笑いかけるように私を見上げて・・。
あぁ、なんて可愛いんだろう。
ありがとう。
見るたびそう思って、少しだけ心の中の灯を大きめにするのです。
そんな風に、何かのときに自分の心に働きかけてくれるものが身の周りにはたくさんあります。
夕暮れに飛び交う蝶ちょ、力強く芽吹く柿の若芽、賑やかに走り回るヒヨコたち・・・
猫たちは私が玄関から出ると、申し合わせたように必ずどこかから現れて、みんな集まってくれます。てんでに遊んだり、涼んだり、寝転がったり・・・。
まるで一家団欒を楽しんでいるみたい。
そんな様子を見ているだけで、生きているのが楽しく思えてくるのです。
思えば庭のマーガレットは、私の心の希望と喜びの現われなのかもしれません。
例えどんなに落ち込んだときにも、心の中には希望があって冷えた身体を暖め直してくれる。
そんな自分の心の働きを、肩代わりしてやってくれているのかもしれません。
そうしてみると、この世界のものたちはみんな、私の心の反映・・・。
最近自分や何人もの人たちのブログを読んでいて、ブログってまるで実際の人間関係の縮図みたいだな、と思いました。
私の場合特に、自分の実際の思いや身の周りの世界をそのまま書いている「自己表現」的ブログだから、余計そう感じるのかもしれません。
どのような形にしろ自分を表現するところそれに呼応して集まって来る人たちは、実際の人間もネットを通した人間も同じような趣があります。
また自分が惹かれ訪問するブログにも、おのずと今の自分の心の向きが関わっているのでしょう。
ブログのテーマはなんであれ、そこから何となく滲み出てくる、その人自身のトータルな雰囲気が紛れもなくあるような気がします。
当たり前といえば当たり前のことですが・・・。
今の自分自身を知るためにも、私にとってブログは少し役に立ってくれそうです。
あれだけの数の人を惹きつけるblogを作れる。
その数の中には若干の傾向はあるだろうけど、多彩な人がいるの思うんです。
これは私にはとても真似できません。それだけの人を惹きつけるテーマに自分を合わせられない。端的に言えば興味の幅が狭いんだと思います。
あぁ、これが自分なんだなあと、考えさせられるものがありました。
夕方から、ちょっとblog廻りをしていて、博識な人がいるな、と感心していたところです。 盛り上がってるところは、コメント10も20もあるし、そんなところは、アクセスが当然増えてもいいわけですよね。
もっとも、アクセス増加をねらって、記事をあげようとしてもできないし、自分の好きな記事をあげるのが、ストレスたまらなくていいんじゃないですか?
ところで、気になるのですが、写真は、何を写したのでしょう?
これは、恐山に行った時にそこの湖の水面を写したものです。とても綺麗でした。
砂浜の写真が手元に無かったものだから・・。
電話でたった一度きり。
私が犬や猫たちと話ができるようになりたい、と言うと、
「あなたが今話ができないっていうのは、とても幸せなことかもしれない・・・。」
と言って、花と話し始めた経緯を話してくれました。
それはとても哀しいものでした。
詳しいことはこの欄では書きませんが、いつか記事にするかもしれません。
今のところ私にとっては、言葉を介さないコミュニケーションで充分だと思っています。