アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

石になった天使

2009-12-30 09:26:39 | 思い出
その子の顔は能面のようだった。

目、鼻、耳、口と感覚器官の集中する顔は、神経や血管が濃密に張り巡らされている上に、筋繊維の交差も仔細で複雑にできている。
また顔は意思や感情の伝達器官でもある。外界の情報を取り入れる窓というものは、えてしてその個体が外界から知覚される窓口ともなりうる。人は目で「見る」と同時にその目を通して「見られ」ているのである。犬や猫は互いに鼻をすり合わせながら互いの情報を交換し合う。だから顔にはこんなにも繊細でダイナミックな筋肉の動きが求められ、豊かな表現ができるようになっているのだろう。

その顔の「表現能力」が消えるということは、いったいどういうことなのか。
ユウヤと初めて会った時に、一瞬この子はこの幼い体で何を見、何に触れてきたのだろうかと思った。こんなにも外界を拒否している子どもがこの世にいることが不思議だった。
彼の顔はまるで、日本人形のそれであり、とても子どもの顔には見えない。

ー発作が起こったら、できれば30秒以内にこの酸素マスクを当ててください。これをしないと生死に関わるんです。これの操作方法は・・・・・・ボンベのエアーの保つ時間は・・・

19:50出航のさんふらわあ・くろしおの乗船を前にして私たちスタッフは頭から冷水を浴びせられたような心境だった。

こんな馬鹿げたことがあっていいはずはない。
一週間に亙る子どもの野外キャンプに、命に関わる喘息を持った子をどうして参加させられようか。
しかもこの母親は大切なその事について申込書でまったく触れてない。参加条件に記されている「野外での集団行動に参加するに充分な体力と健康状態を有すること」にも明らかに抵触する。彼は私たちの企画には初めての参加だったので、スタッフの誰もがそれを予期できなかった。
これは明らかに、主催者側を罠に嵌めるような確信犯的行為に違いない。予めこの件に触れてたら彼は絶対に参加できないのだ。
30余名の子どもの引率に5人のリーダー。このぎりぎりの人員でこのような「要注意」の子どもの面倒を見ることがいったいできるものだろうか。飯盒炊飯は、砂埃は、花火大会やキャンプファイアーはどうするのか。いや、それ以前に潮を含んだ海風に果たして彼は耐えられるのか・・・

「もし連れて行くとして、どうしたらいいだろう?」
母と子をとりあえず集合場所に待たせて、リーダー長のクリさんが言った。彼は40代前半の、この中では一番の経験を持つ男性スタッフだ。現地での責任者でもある。
「断るなら今しかない。私もこのようなケースは初めてです。
さあ、みなさんよく考えてください。一度連れて出たら、どんなことがあっても彼を無事に帰すということが最優先事項になります。
彼の世話のために、場合によっては他の一切のことを犠牲にするかもしれませんよ」・・・
しかしその決断をするには、クリさんはあまりに優しすぎた。
そしてそのキャンプに呼集された私たちリーダーたちも、そうだった。
あのようにリュックを背負って無心に立っている少年を目にした上では、誰も拒否の意を表わしえないのだ。

1994年7月25日。スタッフ・子どもを含めて総勢37名。私たちは客船さんふらわあ号に乗船して新木場の埠頭を出発したのだった。

   ☆

ユウヤ、彼は小学二年生。色白で整った顔だちの大人びた子どもだった。
いや、その「大人びた」という形容は正しくない。それは彼が滅多に感情を顔に出さなかったし、表現やリアクションがいつも一呼吸遅くなされるのでちょっと目には思慮深いように見えるというだけのことで、その後付き合ってみると彼は必ずしも大人っぽくも穏健でもなかった。
ただなんと言うか、思ったこと感じたこと、閃いたことなどをそのままストレートに出せないのである。話す時も食べる時も、彼の顔は滅多に笑わないし泣きもしない。端正な顔は人形のように白く美しくそしてある一面病的だった。自分を過度にプロテクトしているのだろうか。しかし実は彼も普通の子どもなんだということは、じっと彼を見て触れ会話を続けるうちに私にはよくわかった。彼だって泣きもするし嫌がるし楽しんだり喜んだりもする。ただそれが顔に出ないだけなのだ。

私たちスタッフは話し合った。とにかく彼から目を離さないようにしよう。そのためには誰か一人べったりと彼をマークしなければならない。
皆一応リーダーとして受け持ちの班を持っている。日程に沿って割り当てられた作業やイベントの担当もある。でも果たしてユウヤにどれほどの気配りと対応が必要なのかが未知数なうちは、予定した計画や態勢を大きく変えるのにも躊躇があった。よし、じゃあ当面は様子見ということで、今の態勢のまま走り出してみようか。もし変更が必要になったらば、その時点で変えればいい。
とりあえずユウヤには、私が付くことになった。
彼は私の受け持ちの班だったのである。

継いでひとりの若いリーダーが訊ねた。「それと・・・彼のあの顔、あれはやはり、喘息が原因なんでしょうかね・・」
それはその場にいた私たち全員が抱いていた疑問だったに違いない。
歌を忘れたカナリヤのように、表情をなくした子どもほど不安な欠落感を感じさせるものは無い。それは毎年たくさんの子どもと接している私たちキャンプ・リーダーだからこそ尚更そう思うのかもしれない。
「うん・・・わかんないけど、重度の喘息を持ってる子どもならば、それが心にかなりのプレッシャーになるってことは、わかるよな。」
クリさんの眼はどこか遠くを見やっているようだった。

  ☆

和歌山県那智勝浦に着いたのは翌日7:40。夏の日差しが眩しい透明な朝だった。
ほとんどの子どもにとっては初めてのフェリー体験だったので、昨夜はおちおち眠れなかった者もいるはずなのに、下船が近づくと彼らはすっかり南国気分に浸ってところ構わずはしゃぎ回った。
ユウヤは皆の後からリュックの肩掛けを手で押さえひょこひょことタラップを降りる。彼にとってはきっと初めてに違いない。こんなに遠くに、両親と離れて旅行するのは。
青く霞む紀伊の稜線に沿って彼の頭がゆっくりと動いた。後ろに立っていた私には、彼の胸が深く息をするのが感じられた。

潮岬青年の家に着いた一行はさっそく設営にとりかかった。
今回のキャンプの参加者は幾つかのメディアを通して募集した「寄せ集め」部隊である。応募条件は小学以上中学まで。中には毎年企画に参加して互いに見知った仲間もいるけれど、大多数が初顔合わせという俄か所帯。それがかえってこのような野外活動の場合には、子どもたちにとって都合のいいことの方が多い。
「人間教育ということが疎かになっている」事あるごとにこのキャンプの主催者である社長は口にする。学校も家庭もやれ学力だピアノだバイオリンだと目一杯子どもを振り回してしまって、肝心の「人間」が育たないままに子どもは大人になってしまう。だから家や学校や塾で身に付けれないその他の事を学ぼうとするのが、私たちの活動の最大の趣旨だ。今の社会にポッカリと開いてしまった子どもの成長の穴を、我々は野外というフィールドを用い非日常空間の中で埋めていくのだ。そのために社長は私財を投じてこの事業をやりくりしている。本社は埼玉県の越谷にあるので参加する子どもたちもその周辺に多いのだが、この頃はユウヤのように口伝えに聞き知って、東京などから参加する子も多くなってきた。

設営と昼食の後に現場探検。
この青年の家は紀伊半島の南端の高台に位置し、見下ろせば本州最南端の岬を望む絶好のロケーションにある。せせこましい住宅地を居住範囲にする都会の子どもにとってはまったく気分一新の思いだろう。夏休みが始まったばかりだというのに、幸いにもキャンプをしてるのは私たちの他数人の小グループしかなかった。

付近の雑木林を歩くうちに、なんだか前の子どもたちがざわめき始めた。
「リーダー。リーダー。クワガタ捕まえたよ!」
見ると一人の子が両手のひらで大切そうにクワガタを押さえていた。大きい。
「見て、見て。これ、3000円だよ!」
まるで盗られるのを警戒するかのようにクワガタを隠し持ち、見せる時もチラッとしか見せない。なるほどなあ・・・とさすがに私も苦笑してしまった。
子どもは鏡のように親の生き様や価値観を投影しながら成長する。しかしすべてのことが当たり前化する日常では、当の子どもはもちろんのこと、親としてもそのことに気づく機会はあまりないかもしれない。しかし自分がどのような価値観を持って生きてきたかは、後々育ったわが子を見ればわかるのである。
子どもたちはやがて大きくなって、親とはまた違った環境の中に身を投じることになるけれど、どの舞台に立ってもいつも同じ本質を形を変えて表わすことになる。貧乏なら貧乏なりに。豊かならば豊かなりに。その意味で親と子は基本的に同じもので作られていると言える。
よく破廉恥な青少年の行動を捉えて「今どきの子どもは・・・」と憤る人がいるけれど、その言いは私は好きではないし、決して正しいとも思わない。今どきの大人がこうだから、子どももこうなのである。

ユウヤと同じ班の子どもたち、つまり私の受け持ちのグループのメンバーには、彼が喘息なので煙や埃、スプレー類には気をつけなければいけないことを伝えた。
「彼は少し体調がよくないからね。決して彼のことを、煙がモワモワと立っているような中に押し込んだりしないように。」
ワハハ・・・と子どもたちは笑った。
しかし基本的に食事のたびに火は焚かなければならないし、あちらでもこちらでもモクモクと煙が出ると私は必死になって彼の姿を探さねばならなかった。夜は夜で私たちのテントだけは蚊取り線香を焚かない。防虫スプレーも外で噴霧するよう厳しく守らせた。

一日目の活動を終えた晩、私はさすがにくたびれていた。
クリさんが愛用のチタニュウム製スキットルを私に手渡してくれた。中にはウイスキーが入っている。
「アグリコさん、どうですか。彼の具合は。」他のリーダーたちも話を止めてこちらに耳をそばだてる。
「ええ、時々咳はするんですが・・・なんとか喘息にはなってませんよ」でも今日一日の気苦労は大きかった。彼が咳き込むたびに、文字通り身のすくむ思いをしたのである。
「ご苦労様。でも私はね、彼がみんなと馴染めるのかと、そっちの方がちょっと気がかりなんですよ。」
なるほど、さすがにクリさん、ポイントを抑えている。
なにしろ酸素ボンベを手放せない子だから、当然授業中も通学中も課外活動中も、他の子どもたちから異質に目立っていておかしくはない。その彼の友人関係や立場の難しさなども、考えてみれば充分推測できる。
そんな彼がこのキャンプに何を思い期待してるのか。もしかしたら単に母親から追い出されるようにして参加しただけなのかもしれないけれど、それでもこのような機会は彼にとって滅多にあることではないだろう。私としてはなんとか彼のためにこのキャンプを素敵な思い出として、後々の心に留まるようにさせてやりたかった。

  ☆

翌日は潮岬灯台まで歩いた。この頃になると幸いユウヤにもウマの合う友達ができて、その子を切り口にして次第に他の仲間とも打ち解けるようになっていた。

3日目、4日目は海岸に出て磯遊び。潮岬には幾つか特徴のある海岸があり、それぞれの場所を私たちは勝手に「カニ・ビーチ」「昆布・ビーチ」などと呼んでいた。私たちのグループは人数も多いし年齢層も幅広いので、活動時間ごとに磯釣り隊、砂浜探検隊、もっぱら泳ぎ隊などと分かれてそれぞれが自主的に動いている。
何事もできるだけ子どもたちの意思に委ね子ども自身に決めさせる。それが私たちのポリシーである。理想的にはリーダーはただ黙って側に立ってるだけでいいのだ。その趣旨を現実にするには、今回の子どもたちもまた確かに一筋縄ではいかなかったのだけれど、それでもまあまあ動いてくれた方ではないかと思う。当節ほとんどの子どもたちは主体的に動くということを知らない。側に親がいればその親に、そうでなければ先生やリーダーにべったりと頼りっぱなしである。またそのような「管理しやすい子ども」を家庭も学校も社会も欲している。

砂浜に坐ってみんなと遊ぶユウヤを目で追いかけてたら、いつの間にかクリさんが私の横に立っていた。
「あの子を見てるとね」彼は呟くように言った。「なんだか彼の家庭がわかるような気がするんですよ。見たところ喘息だという以外にこれといって悪いところも弱いところもなさそうだし・・・」

喘息が定着する過程では、相応の期間目に見えた兆候が現れる。
その間にもし、例えば「これはもしかしたら私のタバコが原因なのでは」と思う親がいたとする。しかし大概の場合それはあくまで仮定であって本当に自分のタバコが原因かどうかは誰にもわからない。けれど例え10%の可能性であってもわが子のために喫煙をやめる親は本当に素晴らしいと思う。けれど実際そんな親はほんの一握りしかいないのだ。
大抵の親は逆に「自分の喫煙が原因ではないだろう」という逆の10%の可能性に齧りついて、タバコを手放そうとはしない。これが現代の社会的弱者である子どもらを取り巻く環境だ。
おそらくこの子の家庭環境も同じようなものなのだろう。
それは今回のスタッフを陥れるような、彼の母親の行為にも伺える。わざと病気をひた隠しにしておいて、船が出る直前に我々が断りにくいぎりぎりのタイミングでぐいと子どもを前に押しやる。
そこには相手の側に立った配慮というものが無い。ただあるのは「自分」だけなのだ。その同じ理屈が家庭内にあってはわが子に対して適用される。実際子どもを案ずるのならば自分も同じフェリーに乗ってキャンプに同行するくらいの姿勢があればいいものを。その意味でユウヤは厄介者扱いされているのである。

「都会には子どもが何万人もいて、みんな同じような生活してるのに、なぜかひどい病気に罹る子とそうでない子がいる。確かに今の子どもは弱くなってるっていうけどね。でもその違いの何割かは、私は家庭にあるんでないかと思うんですよ。どうでしょね、アグリコさん。」
まだ結婚もしていない私には、これといって思い当たることも力強く頷くところもなかったけれど、それはそうなのかもしれないと思った。
「なんて言って・・・私も人のこと言えた方じゃないんですけどね。でもだからのこと、彼のことが身に迫って感じられる。」

  ☆

そして最終日、お定まりのキャンプファイアーと、それに続く肝試し大会。
特に最期のプログラムは構想から準備、実行をすべて子どもたちが行った。前々からキャンプの終わりに祭をするからねとは伝えていた。ただしそのために決まっていることは何も無い。君たちはみんなで何をどうやるか話し合わなければならないよ。私たちリーダーはこれについては、ただみんなの決めたことを手助けするだけだからね。
そこで各班から選ばれた実行委員たちが毎夜頭を揃えて、ああでもない、こうでもないと話し合いを重ねていた。だから「漁火祭」と名付けられたこの祭は、互いに見も知らない子どもらが集まってこの一週間でどれだけ仲良くなったのかを計る格好の試金石でもあった。

メイン・イベントの肝試しはまず紅白ふたつのグループに分かれることから始まる。昼の間に目印を立てておいた道順を子どもたちは時間差をおいて、ふたりずつペアを組んで歩く。赤組が歩く時は白組はもちろん闇に潜んで驚かし役だ。この時のために考えて用意したさまざまなコスチュームや小道具をフルに使って、子どもらは最も効果的に相手チームを怖がらせようとする。この日もまた幸いなことに、広大なキャンプ場には私たちの他にキャンプ客はなかったので、私たちは思う存分騒げたし場所を使うこともできた。
夜道を電灯もなしに歩くには、ほんのりと薄明るい空を見上げながらでないといけない。そこだけ木立が切れている星空の細い路を探すのだ。こうして手探りで歩くのは大人でも少し勇気が要る。

私はユウヤと同じチームだったので彼が「驚かし役」の時は私もまたそうだった。けれど私は一度心配になって、持ち場を離れて彼の様子を見にいったことがある。
「驚かされ役」の状態はさまざまだ。大声で歌を歌いながら来る者、ペアの手を握り締めながら精一杯のやせ我慢を張る者、ともすれば地面にしゃがみ込もうとするパートナーをずるずると引き摺りながら歩く者。
陰でじっと見てると、あるペアの足音が近づいた頃合を見計らって、ガオーと叫びながら顔にのっぺらぼうの被り物をしたユウヤが飛び出した。
キャーーと叫んで逃げる子どもたち。けれど私は思わず吹き出してしまった。飛び出したユウヤの格好が、明らかに昨夜の怪談話で出てきたおばけをイメージしたもので率直だったし、なにより真剣にガオーと叫ぶ彼の行動。彼は他の子どもに話しかけることも滅多になかったし、ましてやなにかを叫んだりすることなど見たこともなかったからだ。

いいぞ、ユウヤ! 子どもたちは時として道端の石や草、海岸の貝の欠片に宝の価値を見つけ出す。相手を驚かすということ、誰かに驚かされるというこんな小さなことにも全力を傾けれる。彼らにとって世界は新鮮なのだ。その未知の海原を突き進む情熱を持つ限り、彼らは成長を続けるだろう。思えばそんなエネルギーを長く持続できた人たちが、将来に亙って大きな発見をし、小を積み上げ大と成して確たる航跡を記すのかもしれない。子どもにとってそうであるのと同じように、私たち大人にとってもこの世界は十二分に深遠なのだ。
ただ誰しもが等しく生まれ持ってくるこの不可思議な情熱を維持するのはとても難しい。それを叩き潰すのにやっきになるのが、他でもない周りの大人たちなのだから。

私はユーモラスな彼の姿を目に焼き付けて、再び自分の位置に戻った。

  ☆

帰りのバスを待つ停留所でクリさんは私に語りかけた。
「アグリコさん、すごいよ。彼、昨日なんかキャンプファイアーの側で遊んでたよ。
ふと見たらさ、彼が煙に巻かれながら友達と遊んでるの。これが本当に喘息の子かと、そう思ったよ。」
あ、そうだったんですか。と私は頭を掻いてしまった。お目付け役の自分がそれに気づかなかっただ。でもそれはそれでおかしくないくらいに、その頃の彼は全然咳き込まなくなっていた。手放しでいてもまったく大丈夫なような感じがしていたのだ。
彼はとうとう一度も発作を起こさずにここまで来た。
そして残りの道程もあと僅か。この日私たちは夜行のバスに乗って東京へと向かう。
「彼の喘息って、精神的なものかもしれないね」クリさんの声が遠くのお囃子に乗って響いた。「そうだな。病気って、笑い飛ばすのが一番いいのさな。」

折りよく目の前にまろび出たユウヤを腕で捕え、私は彼を自分と対面する形で膝の上に載せた。
彼は最初びっくりしたようだったが、戸惑いも一瞬、彼の目はもう私との間に垣根が無いことを表わしてくれていた。
「ユウヤ、どうだ、キャンプ面白かったか?」
彼はこっくりと頷く。「・・・」
「冬には冬のキャンプもあるし、また来年もあるしな・・」
ユウヤの顔がニッコリとほころんだ。
「風に吹かれて遊んでるうちに、おまえの病気や喘息なんかもいつの間にか吹き飛んでしまうんだ。来年もまた、リーダー、待ってるからな。」
力強く「うん」と頷く彼はその時、私の目の中でちょっとだけ陽に焼けた天使になった。
リーダーとしての立場上、特定の子どもを特別扱いしたり甘やかしたりすることは戒めている。けれどこの時ほど嬉しい時もまたなかった。
私は彼の小さな頭を右腕で抱いてそっと自分の胸に押し当てた。

那智の滝で降りかかる滝しぶきに顔をしかめるユウヤ。くじら博物館では華麗なアシカ・ショーにわれを忘れて身を乗り出すユウヤ。彼の顔も心もこの一週間で南極の氷のように解けてきている。
喘息には彼なりの、彼の家庭なりの原因があるのだろうが、短い間だけれど一時それを克服して微笑んだこのキャンプでの思い出を心のバネにして、どうかこれから彼がその病因に力強く立ち向かえるように、近い将来笑ってあんなこともあったなと思い出話ができるようにと、私は心に祈った。

  ☆

7月31日9:30、私たち一行は東京駅構内にいた。

どの子も疲れているはずなのにじっとしてはいない。ふざけ合ったり駆け回ったり、まったくどこにこんなバイタリティーが潜んでいるのかと思う。気力を振り絞って立ってるリーダーが思わず自分の歳を感じてしまうのも、こんな時だ。
皆、過ぎ去る時間を惜しむように、友達との思い出を少しでも長く抱いていようとするように、最後に残ったエネルギーを全開にしている。
一週間に亙った岬キャンプは一人ひとりの胸に抜けるような海の青さをしっかりと刻み込んだ。
もちろん私たち、リーダーの胸にも。

やがて時間が来てクリさんが口火を切った。
「はい!これから岬キャンプ解散式を行います。」
整列した皆の顔がキラキラと輝いて眩しい。一言、二言の挨拶を終えてこれで解散!となった時に、後ろで遠巻きに控えていたお母さん方がわらわらと輪に加わった。
真っ黒くなった子どもたちの顔。でも彼らの心はもう一瞬にして、暖かい家族との団欒の時間へとスリップしている。

三々五々と子どもらが消えていく空ろな空間に、私はユウヤが蹲っているのを見た。
「ユウヤ、誰かここで出迎えてくれるのかな?」彼の肩に手を置いて私は話しかけた。その場に残ったいたのは彼と、数人の越谷解散組の子どもたちだけだった。
「うん」・・・彼が元気なく頷いた時に、雑踏の中から甲高いヒールの足早を響かせて現れたひとりの女性が彼の背中を叩いた。「ユウヤ!」
声に表情があるとすればそれは紛れもなく尖っていた。振り返ったユウヤは、私たちが最初に出会った時と同じように、能面になっていた。

彼の母だった。こうして間近で見ると、ユウヤは母親ととてもよく似ている。
「ユウヤ、どこか具合が悪いの?しゃがんだりしてもう・・・」
彼女を見るとユウヤはまるで足元のぬかるみから重い体を引き上げるように腰を上げ、視線をじっと彼女の顔に注いだ。先刻までのエネルギーはもうどこにも見当たらない。彼の顔は石化してセメントのように乾いている。
彼女はふと気づいたように目の前のスタッフに向かってお辞儀をし、それに対して横からクリさんが挨拶を返す。私は、というとその時のあまりの衝撃に、はあ、と頷いたきり何も言葉が出てこなかった。
そう、その時初めて気づいたのだった。往路の有明埠頭ではユウヤに気をとられて私は彼女のことをちらっとしか見ていなかった。だからそれに気づかなかったとしても別段不思議ではないのだけれど、こうして眉間に皺を寄せ、あたりにピリピリした振動を撒き散らず彼女を見るとよくわかる。
ユウヤの病因はこの母親の存在だった。

ユウヤの顔からは、今までそこにあったキャンプの記憶は百億劫の彼方に消し飛んでしまっている。
彼の石の顔は外界との交信を断絶することで身を守ろうとする必死の努力であり、喘息やアレルギーは迫る攻撃に対する弱者なりの知恵であった。

母親に手を引かれてユウヤは、東京駅の雑踏の中に消えて行った。
その日以来、私は二度と彼の姿を目にすることはなかった。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 月の息づき | トップ | 回遊魚 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

思い出」カテゴリの最新記事