アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

回遊魚

2009-12-30 09:51:14 | 思い出
雪が舞っていた。薄青い星明りを浴びて。
彼方の空に、星屑たちが白く光った。一塊の雲にも見えるそれはまるで金糸を縫いこんだ織物のように、小さな火花を散らしながら空の淵を静かに横切っていく。それは夜空を横断し、山の端の手前でひらりひらりと分列行進のようにターンしたかと思うと、今度は逆の方角に向かって静々と進む。翻るたびに皆いっせいにきらりと光を放ち、その都度徐々に大きさを増す。でも僕は、それが魚の群れだということを知っていた。尖った頭を天に向けて反らし、下唇をぐっと突き出した紡錘型の魚たち。彼らはそうしていつまでも闇夜のターンを繰り返しながら、虹色の鱗を空に散らせていく。
どうしてか彼らには、生命の躍動といったものが感じられない。整えられた編隊飛行と電機仕掛けの幻燈機のような光の明滅。それは科学の粋を集めたバーチャル・リアリティのようであった。僕は無機的なその光景を、でも美しいと思いながら、いつまでもいつまでも見上げていた。
わたしは、自分の道をさがさないとならないの・・・
星空に彼女の声が聞こえる。それは遠い昔そのままの声だった。

原住民や先住民と呼ばれる部族の中には今でも昔ながらの習慣を残してる人たちがいて、例えば子どもが成人になる時に課せられた儀式などもそのひとつなの。その時の年齢は大まかに決められてはいるけれど、それは各人一様ではないし何才になったらという厳密な決まりも元々はない。本来人が成人になるということには、その人それぞれの個性や特有の事情もあるのでしょうから、なにも20才になりましたからはい成人です、ということではないのよね。でも彼らにとっての成人の時期は、日本のそれよりもずっと早いと思う。彼らは誰もが迎える記念すべきその日のために、子どものうちからさまざま大切なことを教えられ訓練されてきてるのだろうから。
あの日僕らは校舎と講堂に囲まれた中庭の花壇に腰を下ろして夏の陽を肌に受けていた。迷路のように入り組んでコンクリートに枠取りされた小路には、敷き詰められたタイルが陽射しを浴びてテラテラと輝いていた。花壇にはくすんだような樹木がステレオ・タイプの民衆のように並んでいたけれど、僕には庭木の名前なんか何もわかりはしない。ただ熱心にしゃべる彼女の柔らかくて整った顔立ちを、眩しそうに見つめていただけだった。
ある部族の成人の儀式にはこんなのがあるの。男の子はある年齢に達して長老のおめがねにかなったら、部落の外れの山の頂に登らなきゃならない。そしてひとりで、毛皮一枚の他何も持たずに、そこで4日4晩の間過ごすのよ。しかも飲まず食わずで。その山は部族にとっては聖なる山で、子どもに限らず大人たちも、なにか大きな物事に立ち向かわなければならない大切な時には必ず同じように登っていく。そこにはなにか特別な力が働いていて、人はそこで生きる指針と活力を与えられる、そんな山なのね。
ふうん、と僕は彼女の熱心さとは裏腹に間の抜けたような相槌をうった。子どもたちが登るって、それは勇気を試すためなんだろうか?
彼女はふふと笑って片膝に手を組む。時折過ぎる風が肌に心地よい。僕はTシャツの袖から手を入れて、無意識に自分の湿った肩口を掻いていた。
そうね。それもあるのかもしれないけれど、私はもっと違うものがあると思う。だって頂に残された子どもは、そこに座ってひたすら祈らなきゃならないそうよ。それは神様仏様のためっていうよりは、自分のビジョンのためなんですって。彼がこれから一人前の大人として生きていくために、自分は何者でこの地球でどんな役割を担い、一生の間何を大切にして生きなきゃならないかを教えてくれるビジョンを、泣きながらこい願うのだって。
ビジョン?・・・ビジョンって、なんだい?
うぅんなんと言うか、わたしもよくわからないのだけれど、思いが現実化した姿じゃないかしら。英語では視覚的なものと一緒に洞察や空想の類もビジョンっていうから。でもそれは決して幻想とかマボロシとかいうものではなくて、自分の祈りに対するある種の答えが示されることだと思うわ。誰もいない山の頂で一心不乱に祈る。日が昇り暮れて真っ暗闇の中で動物や寒さや闇に怯えながらもひたすら祈り続ける。しかも何も食べず何も飲まず・・・これが昨日まで子どもだった人に、できると思う? でも彼らはそうするのよ。そして5日目の朝に山を降りたその子は、長老たちに山で見たもの、感じたことをありのままに話さなければいけない。もちろんこんな時嘘はタブーなの。そして彼の語るその話を聞いて、長老たちはそれが何なのか、彼の人生の中でどのような意味を持っているのか、これからの道しるべとして何を大切に扱わなきゃならないかを説明する。そうして彼に相応しい、大人の名前を授けるのね。それが彼らの成人の儀式。そう、中にはもちろん成人になれなかった子もいるわ。その子はまた次の機会にもう一度、自分を試さないとならない・・・
あの時の彼女は本当に輝いていたし、僕も若さというその意味ではきっと同じだったろうと思う。子どもが大人になりたての初々しさ。蛹が羽化したての新鮮さをあの頃は誰もがみんな備えていた。けれども実際この日本に、今も昔も、本当の意味で「成人」と呼べる人間がどれだけいたというのだろうか。形だけは大人でも中身は直立歩行できない、少年少女の美質を失いながらも一方では一人前の人間にもなれない、「見かけだけの大人」がなんて溢れてるんだろうと、今はもう自嘲の意味を込めて思うことができる。この国に成人の儀式は絶えて久しいし、みんな20才になったから、高校を卒業したから、実家を出たからといってなんら実体の無いまま自分を大人だと思おうとしている。受験勉強など成人になるためには、冗談ほどの価値も持っていない。そう、今なら僕もあの時の彼女の話を充分に理解できるし、彼女のすべてをありのままに受け止めることだってできる。でもあれからもう、20年が経ってしまった。

いつの間にか厚い雲に覆われて星は消えていた。粉雪はやがて牡丹雪に変わり、刻一刻と厚みを増して空間を埋め尽くそうとする。つと、その中にスー・・と空いっぱいに音もなく真っ黒い影が滑り込んできた。僕は息を飲み、それに引っ張られてあやうく海淵に沈み込みそうになってしまった。滲む雪明かりを透かしてその影は、水を湛えた瞳をきらりと光らせる。深くて巨大な海のような目。嵐の激しさを滲ませた黒曜石。それは忘れもしないあの日の彼女の大きな瞳。かつて自分のすぐ側にあり、焼け焦げるような思いで見つめ続けながらもついにこちらを振り向いてくれず、移ろう季節のようにただ儚く通り過ぎていくだけだった、彼女のあの黒い瞳。それは今夜もまた深い雪の中へと音もなく消えていく。過ぎ去ればすべてがほんの刹那のことだった。

来年アメリカに行くの。
話の成り行き上仕方がないかのように、彼女からそう告げられたのは陽が傾きかけた残暑の頃だった。台風が来ていたかもしれないがはっきりとは思い出せない。でも少なくともあの日の僕の心はすこぶる波が高くて、例え戸外の日和は穏やかだったとしても僕自身は台風のまっただ中で溺れかけていたに違いない。
ねえ、この空気を買いたいって言われた時に、あなたは売れる? いや、ボンベや風船に詰めた空気じゃなくって、わたしたちが吸っているこの大気のことよ。無理でしょう? では流れる水はどう思う? 川を流れて飲み水となったり灌漑として使われたりするこの水を、どうしたって売ることはできないでしょう? それはこの地球の一部であって、元々誰のものでもないんだから。それと同じで、この土も、売れるものではないと思うの。これはわたしたち人間や動物、草や木を含めた一切の生き物を育む土台、母の胎盤のようなものなのだから、それを欲しいからって、たくさんお金を出すからといって、誰が売れるものでもないと思うの。それはお互いに丸い惑星の反対側に立って、足元のこの地球はオレのだ、私のだと言いあってるようなものよ。
時に世はバブルのさ中で、日本を始め世界中の景気がいい時だった。どんなことをしても儲かったし儲けたお金を使う当てにも事欠かなかった。どの土地もうなぎ登りに高騰して、東京では1㎡何億円という法外な値段がついたりもした。しかしあの時の僕は空気や土が売れるかどうかというそんな話なんかより、唐突にアメリカに行くという彼女の言葉の方が数等倍、数十倍も大きなショックだった。どうしていきなり、なぜアメリカに行くんだい?
今から百何十年も前に、そんなことを行ったネイティブの人たちがアメリカにいたの。当時合衆国政府はその土地から彼らを追い出して、そこを自由に使いたかったのね。あの国は元々先住民を皆殺しにしたり追い払って作った国なものだから、彼らの居住権などというのはあってないようなものなのよ。ほんの僅かなお金と誤魔化しでどうにでもなる、馬鹿正直なネイティブたちは白人の口先三寸と最期にはお定まりの暴力でもって住み慣れた土地を次々と追い立てられて、終いには狭い囲いの中に動物園のサルのように押し込められてしまった。そんな時代だったのよ。そんな時に、この土地を買いたい、つまりここから出て行け!と言いに来た政府の役人に対して彼らが答えた言葉が、こういうものだったの。この土地は元々わしらの物ではない。わしらは地球の一部であり、地球はわしらの一部である。わしらは他のあらゆる動物たちと同じく、大地の上に生かされてここに住んでいる。すべての生命の母である神聖なこの土地を、どうして商品のように売ったり買ったりできようかと。しかし彼は同時に、白人がこう言って来たということは、いずれ自分たちがここから追い出されるということを経験的に知っていたのね。だからせめて、すべてのものは網の目のように繋がっていて一つのものを壊せば全体が壊れるのだから、この土地にしたこと、この地球にしたことはやがて我々人間の子孫に還ってくることを肝に銘じて欲しいとも言い残してるわ。そして実際、すべてがその通りになっでしまった。
それで君はその・・・インディアンに会いにアメリカに行くと・・・?
彼女は一瞬話の接ぎ穂を失ったけれど、今度は少しだけトーンを落として続けた。
ええ。アメリカのネイティブの人たちがどのような人たちなのか、実際会ってこの目で確かめてみたいの。それはもう時代が変わってるだろうし、大部分の人は既に白人に同化してしまってるかもしれない。でもまだナバホやホピ、ラコタなど500以上の部族がリザベーションなどで暮らしているというし、ネイティブに関する本も新しく刊行されているところを見ると、まだ幾らかの人たちは昔ながらの考えや習慣を残しているのだと思う。彼らの考えは、昔日本にいたアイヌが土地を所有しなかったこととどこかで繋がっているような気がするの。同じモンゴロイドだっていうし、彼らってもしかしたら、わたしたち日本人のルーツにとても近い人種なのかもしれない。それが物質文明の急先鋒の役目を果たしたあのアメリカの大地に残っているというのも、考えてみれば不思議なことね。でもそこには少なくとも今の日本ではどこを探したってもう見つからない、わたしたちが失くしてしまった価値観や自然観、わたしたちが当たり前と思ってる今の暮らしを矯正する何かがあるような気がする。それを探し求め、出会うのが、わたしにとってのビジョン・クエスト。
お金は?向こうに知り合いは?学校はどうするのか?・・・と僕はたくさんの質問をしたのだと思う。でもそれがいったい何の意味を持っていただろうか。僕は本当に自分勝手な視点からしか彼女を理解していなかったし、まるで自分の事しか考えてない専制君主ぶりを晒け出してしまっただけだった。それは頭に血が上っていたというよりは、あの頃の僕には何事につけカタチがあるものしか見えていなかったということなのだ。あの時の彼女の洞察は正しかったと今は思う。アイヌや蝦夷たちがアメリカ・インディアンたちと極めて同質の世界観で生きていたことを今では僕も疑わない。その証拠に、彼らは戦いに敗けてその土地から駆逐され同化させられて、2000年経った今ではこの国にその精神世界の痕跡さえ留めていないのだから。奪おうとする者と分かち合おうとする者が出会い関われば、その結末は何時どんな場所でも必ず同じ結果に帰してしまうのだ。だから彼らはきっと大昔、同じ文化と血を分けた種族だったに違いない。いったいいつから人間は奪うことばかり考えるようになったのだろう。自然から、地球から、動物や鳥たちから、そして同じ兄弟である同種族から。文明化が進んだといわれるこの3000年は、人類にとって精神的に著しく退化した時代になってしまったのではないだろうか。インディアンたちが今日まで細々ながらもその命脈を保ってこれたのは、単に侵略されてから僅か400年ほどしか経っていないからなのだ。翌年彼女が本当にアメリカに行ったのかどうか、どこで何をしたのかその後のことを僕はまったく知らない。見送ることもなかったし後を追いかけることも悲しすぎてできなかった。僕は僕で埋めようもないがらんどうの胸を抱えたまま、それから長い放浪の旅を彷徨うことになる。

世の中の誰も彼もが右を向いてる時に例えどんなに堅い信念があろうとも、自分だけ別の方向を向くのはそれなりの勇気と覚悟がいる。そのような異端児を快く受け容れてくれるほど、今の日本も当時のアメリカも寛大ではなかった。それは追い散らされながらも自らの精神文化を守ろうとしたネイティブたちの生き方であり、檻を抜け出して山に向かって走る鶏や飼いウサギの決断であり、彼女の採った選択だった。しかしそれは決して陽を見ることのない、寒風吹きすさぶ戸外に暖炉を離れて一人素っ裸で出て行くような、そんな厳しさを要求される。集団を離れたその日から彼らが浴びる視線は途端に冷たく排他的になり、人生の要所要所で社会的な圧力や迫害を受けることも時に甘受せざるを得なくなる。しかしその反面同時にそれは、地球上のすべての生き物を敵に回しながら完全な袋小路の中で美酒美肉に酔い痴れている人類の、生存のための最期の可能性を賭けた神聖な行為なのかもしれない。実際今では異端とされるその生き方を貫いてきたからこそ、人類は数万年、数百万年という長い歳月を生き延びてこれたのだ。
また僕自身のことを言うならば、今遡るに遡れない、どうしようもないほどの長い年月を経てようやく思うのだが、あれはあれで僕と彼女のためによかったのだと信じてやまない。なぜならば何よりも、当時の僕には人を幸せにするという決定的な能力が欠けていたし、それは同時に自分自身を幸せにできないということと同義のものだった。あれほど心の圧倒的な部分を占めていた彼女の存在にしても、僕はその容姿や可愛らしい顔形、穏やかで知的で控え目な外面ばかりしか目にとまらずに、それらを取り払った奥にある精神性という一番大切な面をまったく受け容れてはいなかった。人の精神性というのは晴れやかなうわべにはほとんど現れることなく、ただなにかの時に自然に示される勇気だとか思いやりだとか、寛容さなどにほんの少しだけ顔を覗かせる。だから例え彼女がどんなに素晴らしい宝のような人であったにしても、僕はその真の価値に気づくことなく上皮の包装パッケージのみで彼女を推し量ってたに過ぎなかった。はっきり言って、僕にとって彼女は猫に小判だったし、彼女にとって僕は相応しくなかった。だから短いつきあいの中でそれを見抜いた彼女が、僕よりもアメリカ・インディアンとの出会いを選んだ選択は十分に賢かったし決して誤ってなどいない。実際今の僕自身、あのまま一緒になってしまっていたらゆくゆくとんでもなく彼女を哀しませてしまったろうから、そんな彼女を目の当たりにするのに、自分でも耐えられなかったに違いないと思う。

風が激しく葉を散らす夕暮れのキャンパス。そこで僕はいつまでもひとり転倒した世界にいる。寒さも突風も気にならず、ただ今にも躓きそうな体をふらふらと支えながら、足だけが機械的に歩行を続けていた。何かに縋りつきたかったけれどあいにく校舎から北門までは乾いたアスファルトの路面しかない。ふと気がつけば僕はある建物の打ちっ放しのコンクリートの壁を前にしていた。辺りには不思議と猫の子一匹いない。静かだ。僕は瞬時身を屈め、渾身の力でもってその壁に右拳を喰らわせた。
相手が普通の人間なら悶絶するほどの強烈なフックだった。しかしその時の相手は哀しいことに、ここ一番という時に大切なものを何一つ手に入れられない、バカで間抜けな自分自身だった。
パキン、と拍子抜けするほど軽い音が響いた。
北風が強く、東京では珍しい雪が、ひとつ、ふたつと頭上を舞っていた。

そう、それは水族館の回遊魚・・・
降りしきる雪の中から彼女の声が聞こえる。
長い間同じところを回りすぎて、そこから抜け出せなくなっている。
見通せないほど厚い雪の間隙を縫って今でも魚たちは泳いでいる。暗闇よりも深く夜空よりも黒い悲しい夜光体。時折鱗が線香のように鈍色に光る。
わたしは自分の道を探さなきゃならない。あなたとはもう、会いたくないの。
僕は青白い魚になって、広い夜空のただ中に一人取り残されていた。






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