アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

出会いの確率・2

2004-06-30 11:31:55 | 思い

気づく時っていうのは
それ相応の時間が経ってから
ある日突然に
雲間から陽が差すように
やってくる

そうだね それはまるで
山で火を燃やしてて 生木を重ねた時に
くすぶるばかりでなかなか火が点かない
それがいつか 忘れた頃に 
突然ボッと 音を立てて炎たつ
そんな様子に似ている

水気を含んだ枝が 煙を吸いながら
静かに静かに 水分を吐き出して
ひと山みぃんな すっかり乾燥し切って
そうして突然燃え立つんだ


そう 出会いも似たところがある
人は必ず出会うんだけれど
そのためには たくさんの出会いを積み重ねなきゃならない
ひとつの出会いは 次の出会いのための
その出会いは またひとつ次の出会いのための
大切な下地になる
そうして出会いを積んでいって
ある日突然
ボッと
音を立ててその時はやってくる

それまでの長かった年月は
心が熟するまでの 大切な準備期間

あなたと私の出会いの確率は 100%
一番いいタイミングを見計らって
必ず やってくる


でも 油断しちゃいけないよ
すぐ目の前の出会いに気づかずに
通り過ごしてしまうことも 時にはあるからね
出会いを出会いたらしめるのは、いつも自分自身
しっかりと、目を覚ましておかなくちゃ・・



【写真は昔旅行中に撮った写真。どこで撮ったか忘れるほどの昔。これも出会いなのかな。】


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (persempre)
2004-06-30 23:52:35
agricoさんの、哲学ですね。



「今、起きていることは、一番いいときに、一番必要な形でやってきた」



どんな出会いも、必要だから?



「この人嫌だな」と思うときでも、どうして嫌なんだろう、と考える材料はくれるのでしょうが、これは、考えても、解答はでない。



嫌なものは、嫌。 それもpersempre

生きてれば、どうしてあのとき、あんなに嫌だったんだろうと、思い当たることもあるでしょうね。
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嫌な人ほどためになる (agrico)
2004-07-01 06:53:56
私も昔から好き嫌いが激しくて、すぐ人を嫌ってしまいました。会社勤めでもそうです。どの部署に行っても気に入らない上司、同僚がいつも何人もいました。

でも社会人になって何年も経ってから、いつの間にか「いい仕事」ができる自分になっていた。

思い返せば、あの時自分が嫌で嫌でたまらなかった何人もの上司や先輩が、新入社員だった私を鍛えてくれた結果になっていました。

確かに性格の悪い人もいましたし、すべてが善意ではなかったと思います。けれど、そんなことはどうでもいい。彼らのお陰で今の自分がある、と思ったんです。



それからです。「嫌な人ほど、大切かもしれない」と何となく思い始めたのは。



でも、嫌なものは嫌だし、今でもつき合えない人も何人かいます。

それでいいんだと思います。あえて自分に鞭打つ必要は無い。できる範囲で目の前のことに取り組んでいるうちに確実に自分は変わっていくから。



無理しなくても、大丈夫、ですよね。
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出会い (海猫)
2004-07-01 13:16:31
あなたの誌、コメントを読んでまたまた心を打たれました。私も嫌いな人は沢山いました。そして、てきとうに付合い、へいきで傷つけていました。自分が好きな人には優しくしていました。(人間だから、未完成だから、好き嫌いがあります)でも、嫌いなのは自分のエゴであることだとおもいます。自分の持っている嫌な部分を見せてくれてるのです。それで、認めたくないから、同じ物を持ってるから、自動的にさけるんですね、磁石だって電気だって、同じプラス、マイナス同士ではつかないですね。自分のいい所を認めるのは、楽ですね。でも、悪いところも認めて直して行かなくてはいけないとおもいます。さけていると、次から次へと嫌いな性格の人と出会います。ある所で、ストップして、認めると結構楽なものです。そうすると、素晴らしい出会いが生まれます。私は前の上司が嫌いでした。ひどいことばかり言って傷つけられていました。それで、仕事を変えました。ここで、出会った人たちはいい人ばかりでした。やっぱり職場を変えてよかった”とおもいました。でも、またここでも、前の上司と同じ性格の上司と出会いました。困りました。同じ事を繰り返したくない私は、この上司を好きにならなくてもいいから、認めて上手に付き合うことにしました。すると、不思議なことに次から次へと私が出会いたい人たちと出会っています。チームワークもしっかりしていて、助け合う職場です。小さい事のようだけど、大きいことにつながりますね。あなたが、いい仕事ができるようになったのと同じですね。

もう一つ、私には好きな人がいます、付き合っていた頃よくけんかしました。傷付け合って別れました。私はその人がまだ大好きです。その人の事想うと心が痛みます。でも、その人は私のことが大嫌いです。友達としても許されないのです。とても、苦しくて、涙が出てきます。今私が嫌った人たちの中で私を好きになてくれた人を認めてあげなかった人たちの苦しみが私に帰ってきてます。あなたが言うように、今起きていることは、大切なことですね。それに、気付くか、気付かないのは本人しだいですね。出会いは、とても深いものですね。自分もまだまだですが、嫌いな人をさけるのは楽な道に見えますけど、そうではないんだな~と思います。こう言っても、好きな人に嫌われて苦しいけれども。。。またいつか、自分が嫌いな人に出会った時、私はどうするか分かりません。あなたは、どうしますか。嫌われるのも嫌うのも自分のよくなのかな~。
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人間も、完成してるんですよ。 (agrico)
2004-07-01 22:10:48
「・・したっていいじゃないか、人間だから。」とか何とかいう詩をたまに見かける時があります。誰のか良く憶えてないけれど、時々見かけますね。

私としては、なんだか人間が不完全で未完成で、間違いだらけのような印象を受けるので、あのような詩は好きではありません。

花は未完成でしょうか。草はどうでしょうか。では、動物は?

人間も、私たち一人ひとりも、みんなそれぞれ完成しているんだと思います。それを不完全だと思うのは、自分をいたずらにおとしめているだけではないでしょうか。

確かに、誰しも人を傷つけたり、憎んだり、悲しんだり、嫌ったりもします。でも、それは他の生き物たちもしていることです。愛することのできるすべての生き物がしていることではないかと思います。

私もそうです。

これが人間なんですが、それが決して未完成だとか、不完全だとかは思いません。これはこの状態で、バランスの取れた姿なんだと思います。

それを不満に思うところに、人間の特殊性があるのかもしれません。

だから人間は、不幸になることができる。



もちろん、今の状態を変えることもできるし、そうと意識しなくても、自分が変わって行くのを止めることはできません。今の状態は、今だけしかないと思います。嫌でも変わって行ってしまいます。

だから、今はとても貴重だと思うんです。この人生の中で、2度と来ない瞬間。今は今で、それなりに完成した姿じゃないでしょうか。



でも、悩んでもいいのです。今の自分を嫌ってもいいのです。ただし、この状態は、そんなに長く続くものではないと私は思います。
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はい、そうです。 (海猫)
2004-07-02 03:17:38
確かに、人間が未完成と言うのは、逃げ”なのかも知れません。花や草が未完成だとは思いません。また、一つ学びました。ありがとうございます。



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この発想は、 (agrico)
2004-07-02 17:34:13
私自身にとっても価値あるものでした。

「今の自分はまだ未熟だ。」「もっともっと頑張んないといけない。」

そんなことを考え続けながら生きてきた私自身を根底から覆すものになりました。

こんなにも不満なところを持っている自分が「完全」なものだとは、多分まだ実感できないんじゃないかと思います。

身の周りのもの、身の周りで起こること、それと自分自身を、注意して観ていると、いつかピンと来ると思いますよ。
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