進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

最近AKB48についてブログを更新していない件について。

2013-10-08 01:24:58 | AKB48_心の叫び
ご無沙汰しております。

最近AKB48についてブログを更新していない件について、ここで考えを述べておこうと思います。

(たいした話ではないですが、更新がなくて何事かと思われると困るので。)



私は、「AKB48に語るだけの価値がない」とは考えていません。

そもそも「AKB48に語るだけの価値がある」というのは、「AKB48に価値がある」のではなく、「AKB48を語ることによって生まれる価値がある」という意味の言葉です。

ですので、語ることによって価値を生みだすことができるか否かが、語るだけの価値があるのかの判断基準になるわけですが、しかし、「価値」というのは、不確定性原理のように事前には不確定なものです。

何かを確かめようとするとき、はじめて価値は確定的になります。

ただ、価値判断を伴うモノゴトには何となく「型」というものがあって、モノゴトの中身はよく理解できなくても、その型に照らし合わせて、マクロでの方向性はそれとなくわかるものです。

本質的な問題が何かを見極めようとすることによって、過程はどうあれ行き着く先のイメージは持つことができるということです。

「筋の良し悪し」という言葉はよく使われる表現です。

だから、いつも私は、AKB48を見て、私の頭の中にある型に当てはめ、今後どういう価値が生み出されるのか思索するわけですが、最近はAKB48を見ていてもよくわからないことが増えてきました。

これまでは、何かがある度に、それが意図したか意図せざるかに関わらず、将来的な方向性はそれとなく見えていたつもりですが(それもつもりでしかないが)、最近は私の理解の範疇を超えていることが多くなりました。

「AKB48に語るだけの価値がない」のではなく、私が価値を語ることができなくなってきたということです。

こういう時、往々にしてよく行われるのが、自分が理解できるような形に現実を捻じ曲げるという行為です。

これは必ずしも悪いことではありません。

人間が生きていくために、論理の単純化や矛盾を1つ上の次元で統合するといったことは重要な知恵です。

が、時として経験や知恵は邪魔になるものです。

過去の成功体験が新しい成功の芽を潰すこともあるからです。

よって、「AKB48に語るだけの価値がある」と考える人々によって、今後もAKB48は語られるべきだと思うし、私はダグラス・マッカーサーの有名な言葉「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」に倣って、しばらくの間充電期間をもって、私自身が成長して新たな価値を見出すことが出来るようになったら、また語りたいと思います。



誤解されたくないのは、上記で述べているのは、AKB48に関する話題を扱わないという意味ではなく、これまでのように偉そうに意見するのは当分の間、控えるということです。

(この間、知人の知り合いの若者に「乃木坂46を売るにはどうすればよいか?」という相談をされたりして、こういう話はやはり面白いなぁと感じているので、ライトな会話なら余裕さえあればしていこうかと。)

コメント欄については自由闊達な議論に使って頂ければと思いますが、荒れないようにはしていきますので、よろしくお願いいたします。



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【追記】

様々なコメントを頂きながらも、コメント欄を放置して申し訳ないのですが、ここでものすごく簡単ではありますが、考えを述べておきたいと思います。

私は、どのコメントにも一理あると思います。

主張の部分を見れば、論理的な整合性や正当性といったところで調整が必要になる内容も多々あるかもしれませんが、どのコメントにも傾聴に値する理が込められているなと感じています。

主張の本質だけを見ていくと、頂いたコメントの多くには重要な意味が込められていると思います。


何が言いたいかというと、今行われているのは不完全な議論かもしれませんが、その背景にある思想の多様性と強靭さ、これがAKB48世論の強さである、ということです。

正しさが何か?という点についての混乱が憂うべき状態なのでなしに、この多様な立場に基づく思考をAKB48という名の下に統合できずにいる現状こそが憂うべき状態である、ということです。

運営には、是非1つ上のメタ次元でよく考えてもらいたい

ってもう偉そうに発言してるじゃないかって言われそうですね。

まぁ・・AKB48に限った課題ではないのですが。