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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

【AKB48】チーム4こそが次世代のAKB48 できなければAKB48はゆっくりと消滅するだけ

2012-05-10 01:51:31 | AKB48_経営戦略・組織論系
このエントリは私の頭の中で繰り広げられる妄想を元にした話です





参考:チーム4がチームA・K・Bと同格になるには(AKB48まとめんばー)


チーム4のメンバーも自覚していない可能性があるから、ここで説明しておこう。
(AKB48運営は自覚していると信じたい)

そして、この問題に対する答えを持っている人は、世界中に1人もいないことを付け加えておく。

もし、この問題に対する処方箋を提示できる人がいるなら・・・明日はあなたのものになるだろう。

だから、どうか、私にいないと信じさせて欲しい。


◆◆◆◆◆◆


AKB48が今後も持続的に内生的な成長をすることができるか否か、その鍵を握っているのはチーム4だ。


たしかに地方戦略にせよアジア戦略にせよ、同業・異業種コラボレーションの促進にせよ、拡大路線をとれば、その最中には全体として成長しているように見えるだろう。


しかし、それとAKB48自体が質的な成長を遂げることができているかは、別の話だ。


俄かな成長のためではなく、AKB48が永続的に存続する組織に成り得るかどうかを考える時、考えなければならないことは変わってくる。


その観点で述べるが、チーム4がブレイクできなければ、それはAKB48がゆっくりと消滅していくことを意味している。
(ブレイクの定義はめんどくさいから読み手に任せます)


AKB48に、組織として持続的な学習能力とそれを基にした成長力があるのか、ないのか、それを見分ける最もわかりやすい指標がチーム4だからだ。


チーム4は、9期以降のメンバーで構成され、AKB48に新しい物語を創るためのチームだ。


高まらないメンバーの新陳代謝(入れ替え)の妥協の産物でもなければ、研究生のガス抜きのためでもない。


新しいAKB48を創るためだ。


長期的な視野に立ったとき、チームA/K/Bとチーム4との間にある物語の深い断絶をあえて受け入れる意味が理解できるだろう。


チーム4がブレイクできないということは、AKB48は内に新たな成長エンジンを創り出す能力がないということを示している。


パイの拡大が止まれば、次に起きるのは大収縮だろう。


つまり、AKB48には組織として永続的に存続できる能力はなく、長い歴史を俯瞰してみれば一時代の一発屋だったということになる。


上記を理解していれば、組閣などの小手先の方法は、短期的な利益を追求する問題を隠すだけの方策だと言うことがわかる。


ブレイクするためのチーム4でブレイクしても意味が無い。


「チーム4」がブレイクすることができるか、これがAKB48の未来にとって決定的に重要だ。


AKB48が真正面から取り組むべき課題の一つは、チーム4をブレイクさせることができるか否かなのだ。


逆説的に言えば、もしAKB48運営が小手先の手段でチーム4をテコ入れするなどした時は、「AKB48の終わりの始まり」がはじまったのだと思ってほぼ間違いない。


その意味でも、チーム4はAKB48の未来を占うメルクマールになる。


◆◆◆◆◆◆


今出来ることは何か?


すぐには思いつかないが、


運営スタッフ、チーム4のメンバーがAKB48の未来を背負っている自覚を持つことだろう。


しかし、その先は未知の領域だ。


道をつくること、君たちならきっとできる。



やすす先生! 鬼になれ! そして前へ進み、河を渡るのです!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e757f5634174d9975a4874bed4b2e24e


希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。

それは地上の道のようなものである。

地上にはもともと道はない。

歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。

(魯迅)



◆◆◆◆◆◆


なかまったー、この話題で論文を書くんだ!

【AKB48】 高橋みなみの努力、原みづきの努力、やすす先生の努力 ~努力と競争戦略と学習のトリレンマ~

2012-04-11 17:21:29 | AKB48_経営戦略・組織論系





◆◆◆◆◆◆





NMB48原みづき「努力は必ずしも報われるとは限らない」
http://akb48matome.com/archives/51814637.html

秋元康『努力は必ず報われるが、それがいつかは分からない』
http://akb48matome.com/archives/51814670.html

◆◆◆◆◆◆

まず、最初に言っておくべきことがある。

「努力」は必要だ。
人生のあらゆる局面で「努力」は、「現実」と「理想」のギャップを埋める最も有効な方法論である。
適切な現状認識と、適切な理想の設定は、現実と理想との結び引き付ける力である「創造的緊張(Creative tension)」を生み出す。
世の中で、達人や匠と呼ばれるような人たちは、この創造的緊張を自らの意思で創りだせる人々のことを言う。

しかし、一言に努力と言っても、その定義は様々だ。
努力というものについて、過去にエントリを書いたので参考にして欲しい。


「努力は必ず報われる」 高橋みなみ道
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/63fc307f92313690d76a5205a2b94607


さきほども言ったように、現実と理想の持ち方に限りはない。
私が「何も道具を使わずに自由に空を飛べるようになりたい」と理想を持つことにするのは自由だが、それが「適切な理想」だとはとても思えない。
おそらく、そこに創造的緊張は働かないだろう。

では、「適切な理想」とは何か?

無数にあるだろう。
人の数だけ理想はある。
人の中にも、いくつもの理想が共存している。

では、「適切な現実」とは何か?

とどまることがない。
「今」という状況は、人生の中で二度と再現されず、常にオリジナルである。
「現実」は刻々と移り変わっている。

つまり、理想と現実の組み合わせは、無限大である。
ということは、努力の報われ方も無限大だということだ。
それは、人生の可能性が無限大だと言われる所以だ。


「適切な理想」を求めるのは、間違っていない。

そこで「適切な理想」を見出すことができないと思うなら、
そこで「適切な現実」を受け入れられないと思うなら、

「適切な理想」と「適切な現実」を求めて、場所を変えるのは、賢い選択だ。

これは、競争戦略の中で「ポジショニング戦略(Strategic Position)」と呼ばれているものだ。

◆◆◆◆◆◆

競争戦略の中で「ポジショニング戦略」と双璧をなすのが、「組織能力(Organizational Capability)」である。

「適切な理想」と「適切な現実」があって、その2つを結びつける「創造的緊張」が発生したとしても、その力にも「質」がある。
どれだけ環境を揃えても、「能力」がなければ達成できない。

努力の質、そして、努力の結果としての理想の達成能力も重要だ。

たとえば、一流のプロ野球選手は、その試合におけるプレーだけではなく、試合のための準備となる練習においても、一流である可能性が高い。

少し説明しよう。

ある選手が今年の目標を「打率3割」に定めたとする。
昨年の実績からして、今年は3割を狙えると思ったのだ。
しかし、目標を「3割」に定めたら、その目標を達成できるのだろうか。

その選手はバッティングセンスとしては十分に他の3割打者としての能力を持っているが、精神的な弱さからバッティングボックスに立つと緊張して本領発揮できないタイプかもしれない。
その場合、その選手には、精神的な弱さを克服する準備が必要かもしれない。
能力と言ってもその意味は幅広い。
3割打者になるためには、3割打者になるためのあらゆる能力を磨かなければならない。

これは、そう簡単な話ではない。

だから、トヨタ自動車はどのメーカーよりも高い生産性を誇ることができる。
世界に誇るTPS(Toyota Production System)を他メーカーが形だけ導入しても、そう簡単に真似できるものではない。
自動車の生産に関するあらゆる要素に関する能力が求められているからだ。
たとえば、その中には頭の中身が含まれるかもしれない。
(プロセスは移植できても、人の心は移植できない。)


「ポジショニング戦略」と「能力」は二つで1つだ。
戦略を語る人々の中に、どちらかだけで議論を進めるものがいるが、それがたとえうまくいったとしても、それは偶然である。
この2つは両方考えなければならないことだ。

◆◆◆◆◆◆

さて、少し話題を変えたい。

これまで「努力」そのものについて語ってきたが、「努力が報われる」ということがどういうことかについて、あまり語ってこなかったので、その話をしたい。
(少し語っているが)

「ポジショニング戦略」と「能力」についての理解が深まると、完全ではないにせよ、ある一定のレベルで、その努力がどのように報われるかを理解できるようになる。
だが、あくまでも「ある一定のレベル」にとどまる。

理由は「不確実性」である。
馴染みのない人には難しい概念かもしれないが、不確実性で表現される未来というのは、単に「わからない」というレベルなのではなく、未来は本質的に「未知」なのである。
どれだけ将来予測のパラメータを増やしたとしても、そのパラメータの有効性自体が保証できないのだから、過去のパラメータから完全には予測できないものが未来なのである。
という意味で、未来は本質的に「未知」であり、不確実なのである。

(どれだけ優秀なスーパーコンピュータがあっても未来は予測できませんよ。と考えてもらってよい。この発想自体を証明することはできないが)


とはいえ、では我々が努力の報われ方を、どのように考えるべきなのか、という問いについて考えておくべきであろう。

努力の報われ方を知るための手段は、「経験」と「学習」しかない。
最も力強い学習は直接的な経験から得られる。

経験のない者に「理解しろ」というのは酷というものである。
(一を聴いて10を知ることができる人は稀である。)

私達が食べることやハイハイをすること、歩くこと、意思を伝達することを学んだのは、直々の試行錯誤、つまり、ある行動をとり、その行動の結果を見て、新たにまた別の行動をとることによってである。

だが、行動の結果を観察できないときには何が起こるだろうか?

行動の結果が表れるのが遠い先のことであったり、私達の営みを含めた、より大きなシステムの遠く離れた部分であったりする場合はどうなるのだろうか。

私たち一人ひとりに「学習の視野」がある。
つまり私たちは、時間的にも空間的にも、ある一定の幅の視界の中で自身の有効性を評価するのだ。
行動の結果が自身の学習の視野を超えたところに生じる時、直接的な経験から学ぶことが不可能になる。

ここに我々の前に立ちはだかる学習ジレンマの核心がある。

私たちにとって最善の学習は経験を通じた学習なのだが、多くの場合最も重要な意思決定がもたらす結果を私たちが直接に経験できないのだ

非常に重要な意思決定は、数年あるいは数十年にもわたって続く結果をもたらす。
たとえば、今日、学校でトイレ掃除をすることの意味を感じることができるのは、20年後、親となり子供の教育について考える時かもしれない。
たとえば、基礎的な研究開発における意思決定は、その結果を表すのに10年以上かかるかもしれない。

私たちは「学習の視野」を広げること、または「学習の視野」を超える視座を獲得することはできるのだろうか。
どのような方法によって、それが可能になるのか、当Blogでは考えていきたい。

◆◆◆◆◆◆

高橋みなみさんが「努力は必ず報われる」といい、原みづきさんが「努力は必ずしも報われない」といい、秋元康氏が「努力は必ず報われる、ただいつ報われるかわからない」という。

さて、あなたは、本エントリを読んでどう考えるだろうか?

ミエナイチカラよ輝け

2012-04-06 21:42:27 | AKB48_経営戦略・組織論系
今日はとてもガッカリすることがあった。
とある仲間たちに失望した。

それほど大した話ではないのだが、とある改革を推進する仲間たちが、結果として改革の邪魔をした。
もちろん、本人たちにその自覚はないのであろう。
しかし、1人ひとりが良かれと思ってやることが、時として思わぬ結果を招くのだ。

仲間たちの全員が私に反対票を突きつけてきた。
理屈で納得できない私は、1人でもやり切るつもりだったのだが、最後には折れた。
投げやりになることもできたが、こらえることにした。
ただただ無念だが、これはとてもいい教訓を私に教えてくれたと思ったからだ。
これでまた一つ成長したと実感できたから、次の機会を狙うべきだと理解したつもりだ。

しかし、問題の本質は、私が油断していたことにあるのだろう。
今日は、それが、どういうことかを語らせてほしい。

◆◆◆◆◆◆

私達が置かれている世界や社会や組織というものは、とても複雑なものなのだ。
動的で因果関係が複雑怪奇にこんがらがっている。

紛争問題の解決に関する世界的なファシリテーターとして有名なアダム・カヘンは、その著書『手ごわい問題は、対話で解決する』の中で物事の複雑性には3つの種類があると述べている。

・物理的複雑性
 原因と結果が時間的にも空間的にも離れているかどうか

・生成的複雑性
 過去の経験で解決できないくらい変化が激しく、未来が予測不可能かどうか

・社会的複雑性
 問題に関る人たちが価値観や認識、見解が大きく異なるかどうか

この3つの複雑性を考慮して、問題の解決を図るのは容易ではない。
人は安易な解決策を求めて、論理の単純化の欲求についつい負けてしまうが、それは副作用としてより大きな問題を運んでくる危険性をはらんでいる。

今日の問題は、昨日の解決策から生まれているのだ。

私達には、問題に直面した時、謙虚にならなければならない。

◆◆◆◆◆◆

MITのピーター・M・センゲは著書『学習する組織』の中で、物事の全体像を掴む重要性を次の小話で説明している。


 数年前の春、メイン州でカヌー旅行をしているとき、悲惨な事故を目撃した。小さなダムに近づいたため、迂回して陸上を進もうと岸にカヌーを寄せた。後から来た別のグループの、酒を飲んでいた一人の若い男性が、ゴムボートでダムを越えていくことにした。ボートはダムを越えた後に転覆し、男性は凍りつくような水の中に投げ出された。遠くて助けの手も届けられず、私たちは彼がダムの底で、激流に逆らい渦から逃れようと必死にもがいているのを、恐怖のうちに見つめていた。彼がもがき続けていたのはわずか数分だった。低体温症でなくなったのである。

 彼の身体は渦巻く水の中に吸い込まれていった。その数秒後、彼の身体は、ダムの底の大渦巻きから自由になって、10メートルほど下流に浮かび上がった。彼が人生の最後の瞬間にやろうとしてできなかったことを、彼が死んだ数秒後に川の水流が成し遂げたのである。皮肉なことに、彼の命を奪ったのは、ダムの底で流れに逆らってもがいたことそのものだった。
 唯一の脱出方法は「直感に反する」ものであることを彼は知らなかったのだ。顔を水面上に出そうとせずに、水流に身を任せていれば、彼は助かっていただろう。


この話は、物事を線形的な思考で捉えるのではなく、システム全体で捉えるべきだという本質を物語っている。
私たちの気づかない構造が私たちを虜にするのだ。

今日、私が直面した問題の本質は、まさにこの点にある。

普段、私達は、何かの問題を考える時、自分自身と問題を対置して考える。
つまり、「自分自身」と「問題」を別のものとして暗黙的に認識するのだ。

しかし、実は、自分自身もまた問題の一部としてシステム全体に絡め取られているということを理解しなければならない。
自分も問題の一部なのだ。

改革を訴える人々も、その改革をしようとしている組織の一部であり、改革できない組織の一部でもあるのだ。
組織を改革しようとする時、あたかも「自分たち」と「問題のある組織」を分けて考えるが、これが間違いなのだ。
「自分たち」もまた「問題のある組織の一部」なのである。

そう、私は油断した。
本当の意味で、理解していなかったのだ。

私たちは、ボトムアップ・アプローチによって、私たちの世界や社会や組織に働くミエナイチカラ(見えない構造)から自分自身を解放し、最終的にそのチカラと連動したり、そのチカラを変えたりする能力を身につけることができるのだろうか。
それこそ今私たちが直面している問題を超えていくために、真っ先に答えなければならない課題なのではないだろうか。


「ミエナイチカラ」

夢ならあるはずだ あなたにも僕にでも
見つかりにくいだけだ 忙しすぎて

ミエナイチカラが僕を今動かしている
その気になればいいよ 未来はそんなには暗くない
We'll be alright, good luck, my freiends.
愛する友の言葉を 僕は忘れない

一体どんな言葉だった 本当に言いたかったのは?
いくら舌打ちしても 戻らない日々よ

ユルギナイチカラが あなたに今囁いている
IT'S OK BABY 怖くないよ 誰かを愛して生きること
何故に 気持ちは
ずっと後にならなけりゃ伝わらない

ミエナイチカラで 誰もが強く繋がっている
何も大したことじゃないよ そばにいても離れても
昨日 今日 明日と
笑顔のあなたはいつでも この胸にいるよ

ミエナイチカラよ輝け
...

作詞:稲葉浩志(B'z)

【AKB48】やすす先生(秋元康)にとってのググタス(Google+) ~歩き回るマネジメント~ 【修正加筆】

2012-02-12 09:25:54 | AKB48_経営戦略・組織論系





「公演をがんばるより、ググタスをがんばった方が仕事をもらえる。」


という批判に遭遇することがあります。
気持ちはわかります。
ただ、少し視野の狭い意見でもあります。

やすす先生(秋元康)の視点にたって考えてみましょう。

「ググタスをがんばった方が仕事をもらえる。」


ということではなく、

「ググタスがなければ干されてしまう才能やメンバーを発掘する。」


が正しい認識です。
才能やメンバーの発掘がAKB48の維持・発展に貢献するからです。

これは経営戦略論の分野では「歩き回るマネジメント(Management By Walking Around)」として知られています。
(ハシリは米HP社の創業者であるウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードと言われていますが、ただ大昔から有能な指導者は無意識に「歩き回るマネジメント」を実践していたと思います。)

歩き回るマネジメントの要諦は、「活動的な情報収集」にあります。

それは、戦略を練り上げるために「情報」が欠く事のできない重要な要素だからです。
迅速に正確で、適切な情報を収集できる能力は、経営を日々回していくのに必要です。
そして、一般的に組織の構造は、指揮系統を表し、予算の管理体系を表し、そして情報の管理体制を同時に表します。



組織は大きくなると、専門性に基づいて分化します。
(思想的には、要素還元論に基づいていると思います。)
財務部門ができたり開発部門ができたりします。
理由は、各々が専門化して分業した方がパフォーマンスを最大化できることと、組織が大きくなることに比例して大きくなる管理コストを低減するためです。
(分化のバランスが崩れると組織が機能不全に陥るので、今度は「統合」が重要になります。)

やすす先生の立場でAKB48グループを眺めてみると、組織が大きくなったため個人で管理できる範囲を超えています。
そのため、AKB48を含めた各グループの基本的マネジメントを部下へ委譲することになります。
これは、現場の情報を管理職(ミドルマネジメント)を通じてしか手に入れられないということも意味しています。
それが問題だというつもりはありません。
なぜなら、それが意図したことだからです。
膨大な情報を管理することができないので、管理を委譲しているわけですから。
ミドルマネジメントが有能であれば、それで問題なく組織は動作します。

しかし、今度はミドルマネジメントの立場で考えてみます。
すると違った世界が見えてきます。

ミドルマネジメントはトップマネジメントの意思決定に何度か立ち会うと「どのような情報がトップマネジメントに求められ、どのような情報がトップマネジメントを憤慨させるか」を学習します。
ミドルマネジメントが有能であれば有能であるほど、そうなります。
さらに、組織のほとんどの意思決定というのは、現場レベルで行われるものです。
(大きな意思決定と小さな意思決定の割合をみれば、後者が圧倒的に多い。)

よって、トップマネジメントは有能なミドルマネジメントを持つと、ミドルマネジメントが上げるべきと判断した情報にしか触れることができず、その上多くの意思決定に関与することができません。

もちろん、多くの場合には、それでもよいでしょう。
トップマネジメントが関与せずに組織がうまく回るなら、それは素晴らしいことです。
ただ、既存にはない新しいことを始めようとしたり、後に大問題になり得る今は小さな問題に気づいたり、組織を大きく変えるといったことを考える場合、問題となります。

ここで特に注目したいのは「必要だと考えられていない情報」をどうやって手に入れるのか、ということです。
必要だと考えられていないけれど、重要な情報これが組織の生死を分けるのです。


そんなとき、歩き回るマネジメントが重要になるのです。
大臣訪問だとか社長訪問といった形の形式にこだわったものではなく、何気なく、それこそ現場の人々と雑談をして回るような、そういう作業のことです。
現場のモチベーションを上げるというのは副次的効果であって目的ではありません。
あくまでもマネジメントが自分の意思で、情報を収集するために組織のために歩き回る必要があるのです。
言われていくようなものではなく、自ら率先して行うものなのです。

◆◆◆◆◆◆

上記で述べた「歩き回るマネジメント」を意識してやすす先生の行動を見てください。

ググタスは、やすす先生が歩き回るのに、非常に適した場所です。
物理的に歩き回れないやすす先生が、仮想的に歩き回れる場所だからです。

そのためにも、ググタスを自分が歩き回って意味のある場所にしないといけません
歩き回るためにも、ググタスが活性化しなければなりません。

ググタスでいろいろと仕掛けるのは当然です。

「検閲」なんてもっての外です。
歩き回るマネジメントからすると、あってはなりませんよね。
ミドルマネジメントが介入することはなんとしても防ぎたいところです。

また、他にも期待していることは、ググタス上でITリテラシーの高いメンバーがリーダーシップを発揮することでしょう。
リアル世界では、序列が出来上がっていて若手メンバーのリーダーシップを醸成するのが難しい状況になっています。
ググタスを起点にして、リアル世界では起こりえなかったコミュニケーションを引き起こし、新しい結合を生み出していくこと、これはぜひとも狙いたいところです。
SNSのメリットは、コミュニケーション量が増えることです。
コミュニケーション量が増えれば、これまで起こらなかった変化を起こすことができるようになります。
階層を超えた情報の流通量が増え、新結合(Innovation)が起きるのです。
これは、AKB48だけに限った話ではなく、民間企業でも進められているお話です。

歩き回るマネジメント
考えてみては如何でしょうか


ただ、トップマネジメントからの鶴の一声が増えると、形式上は決まっている組織の指揮系統や情報の管理体制が崩れて現場のマネジメントが混乱する可能性があります。
現場の業務プロセスと全く関係ないところで業務が決まってしまうからです。
しかし、そういった組織構造の硬直化が組織全体を自滅に追い込むことを考えれば、組織全体として共有すべき認識は「組織は日々変わっていく」ということです。
↓学習する組織を参照のこと

NMB48/SKE48 のスタッフに贈る「学習する組織」のススメ
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e205c7030dc252d6e992cb66fc3642f3