粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

日本は敗戦国

2012-10-02 07:52:06 | 厄介な隣国

42年前の大阪万国博、どこのパビリオンも見物客の長い行列ができていた。この行列に業を煮やした香港から来た中国人がつぶやいた。「なぜ敗戦国の日本で中国人が待たされなければならないのか」と。経済評論家の長谷川慶太郎氏の著書にそんなくだりがあった。

今度の尖閣諸島問題で野田首相の国連演説に対して、中国外相が直ぐさま反論した。「戦後秩序の重大な挑戦」だと。さらに中国でも外務省報道官が露骨な言葉で野田演説を非難した。「敗戦国が戦勝国の領土を不法に占領しようとしている。こんな道理が通るはずがない」

中国人は、万博に来た香港人や外務省の報道官に見られる通り、心の奥底では「日本は敗戦国、中国は勝利国」という意識があることを忘れたはいけないと思う。しかも残虐な日本人に国土を蹂躙されたが、最後は国外に駆逐したという、被害者意識と優越意識が複雑に絡み合っている。それが外相の国連演説や報道官の熾烈な発言に現れている。

よく考えれば、国連そのものも日本、ドイツ、イタリアの同盟国に世界大戦で勝利した連合国によって設立された組織である。その中軸が今の常任理事国に他ならない。したがって中国外相の「戦後秩序の重大な挑戦」と国連で主張することは、本来の性格に符合したものだといえる。

日本人は第2次大戦に敗北したが、いつしかそれを忘れてしまった感がある。「終戦」という都合の良い言葉で納得し経済発展に邁進し今日の繁栄があることは確かである。しかし世界は、特に中国、ロシア、そしてアメリカなどの大国はそうは見ていない。どこかに日本は所詮敗戦国だという意識があることを忘れてならない。

もちろんこれらの国と再び戦火を交えて勝利を取り戻すなど不可能である。ただ、戦勝国は日本をそんな冷酷な目で見ている。この厳しい戦後体制が厳然と存在していることを認識すべきだ。特に国連の安保理事会においてそれが顕著に現れている。