粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

古館伊知郎と筑紫哲也

2013-02-10 00:01:23 | 反原発反日メディア

先週8日テレビ朝日報道ステーションで、長崎のグループホームの火災事故について古館伊知郎キャスターと女子アナが冒頭で報道した内容の誤りを訂正謝罪していた。負傷した女性を死亡したと誤報したためだ。古館キャスターは普段、ややもすると報道内容に独善的なコメントを加えることが多く、あまりそのスタイルは好きでない。それも情緒的すぎて見ていてこちらがイライラしてくる。

ただ、彼の立ち振るまいで多少救われるのは、報道の誤りを素直に謝罪することである。当然といえば当然なのだが、人によっていかにも事務的な謝り方をするキャスターがいる。古館キャスターは、基本は反権力であるが特定の思想には染まっていないように見える。ただ反権力=正義という志向が強いのが問題だが、性格的には裏がない人物とも言える。

キャスターの謝罪と言えば思い出すのは、以前TBSテレビ夜11時にニュース23の司会を務めた筑紫哲也氏のことだ。いつか番組の中盤にあるジャーナリストをゲストに迎えて対談する場面があった。ところが筑紫キャスターがゲストを紹介しこれから対談が始まるという時に、突然映像がCMに入ってしまった。そしてCMが終わり、再びスタジオの画面に戻ったが、彼はこの不手際を視聴者に謝らず、裏方のスタッフへの不満を述べながらゲストとの会談を始めようとした。

ところが驚いたことに再び画面はCMに入ってしまった。筑紫キャスターは度重なるスタッフのミスに怒り心頭に達してのだろう。CMが終わってやっと番組が正常に戻ったが、またしても第一声はスタッフへの叱責だった。おそらくゲストとして待機しているジャーナリストへの非礼ばかりを気にかけていたのだろう。しかし、彼から番組の不手際を視聴者に謝罪する言葉は最後まで聞けなかった。

確かに不手際の直接的な責任は番組スタッフにあるだろう。しかし番組を司る者として、まず視聴者に謝るべきではないかと思った。彼には恥をかかせられたという被害者意識しか見られなかった。本人は番組制作者の一員ではなく、あくまでもテレビ局から招聘されたジャーナリストだという意識が垣間見えた。確かに番組の裏でスタッフを叱責することはあっても良い。しかし、カメラが向けられいる本番で敢えて他人事のように叱責する神経が理解出来ない。意地の悪さばかりを感じてしまう。内輪のやり取りがハプニングで偶々テレビに映ってしまったのとは全然意味が違う。

この「事件」をテレビの生で見て、正直筑紫哲也氏の人間的な資質に疑問を持つようになってしまった。彼は世間では優れたジャーナリストとして崇められていた。その幅広い知見は後進の手本ともなっているようだ。自分自身偶々見た彼のワンシーンを大袈裟に考えすぎているのかもしれない。しかし、以後の筑紫氏が発する言葉は、どうしても嘘臭く思えてきて仕方がなかった。意地の悪さというイメージが伴ったまま…。


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