粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

大津いじめ事件の先にあるもの

2012-07-25 10:21:37 | 事件・事故・時事

「ミイラのようにぐるぐる巻き」粘着テープで、在校生が証言…大津の中学校のいじめ事件。その深刻さは計り知れない。ここまでくると立派な犯罪である。目撃した生徒が担任に連絡したようだが、単なる喧嘩と判断したという。

生徒の証言によれば、担任は鈍感な教師でいじめる生徒からなめられていたようだ。それをいいことに、加害生徒たちは少年のいじめをエスカレートさせた。言い方は悪いが、加害生徒たちの方が「一枚上手」である。

自分たちがこんな悪態をついても「大人たちは見逃してくれる、世の中ちょろいもんだ」と完全に高をくくっている姿が見える。加害少年たちの歪んだ処世術がこの年になって早くもまかり通る。

もしこれが事件として世間に表面化していなければ、彼らはもっと悪業に進んでいった気がする。そこで思い出すのが、24年前に衝撃を与えた女子高校生コンクリート詰め殺人事件だ。東京足立区で女子高生が4人の未成年少年たちに拉致された。そのうちの少年宅に少女を監禁し、強姦、暴力で恥辱の限りを尽くし、最期は少女を衰弱死させる。その発覚を恐れて、遺体をドラム缶に入れコンクリート詰めして遺棄する。

加害者が全て未成年であったが、犯罪の重大性から週刊文春が「野獣に人権はない」として実名を公開するほどであった。首謀の少年の懲役20年を最高に懲役刑が確定したが、そのうちの1人は出所後も恐喝事件を起こしている。「俺は昔人を殺したことがあるんだ」とすごんでみせたという。少年犯罪の闇の深さが窺える。

彼らの親たちは、決して悪徳の稼業に勤しんでいるわけではない。どちらかというと平凡な普通の家庭だ。しかし監禁宅の父親がその事実を知りながら全く止めさせる力も意志も見えなかったように、大人たちの無力さが際立っていた。おそらく今回のいじめ事件のように、大人たちの事なかれ主義を見抜き、あざとく生きていたように思う。当然「少年法」での保護も十分念頭に入れていたはずだ。

大津のいじめでにみられる大人をなめきったような無軌道ぶりは、いずれ凶悪な少年犯罪を引き起す要因を充分にはらんでいる。単なるいじめと見ては今後の判断を誤ることになる。犯罪の端緒として厳粛に受けとめるべきだろう。


コメントを投稿