粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

お笑いの卵と大物ものまね芸人

2013-10-27 19:13:06 | 一般

今日、知人の誘いである大学の落研の芸を間近に見るこ機会があった。落研といっても落語だけでなく漫才もやっているのが最近の大学のサークルのようだ。地元の超高層マンションの最上階にあるレストルームが会場であり、15坪程度のこじんまりとしたスペースだ。20数人が入れば一杯になるごく内輪の会場といってよい。

登場した芸人は落語家2人、漫才3組で各々数分程度の短い芸である。正直言って、あまり面白くなかった。素人芸から一歩踏み出した感じだ。そんなに笑えなかったが、聴衆には笑い上戸のおばさんが2,3人いてそれなりに会場は沸いた。彼らの芸はこうした笑いに救われて場を保つことが出来たといえる。

おそらく50才台のオヤジで60にも届こうとする男たちだけではとても盛り上がらないことだろう。自分自身気難しいということもないが、どうも笑いの世界には少々遠い世代だ。今日出演した若者がいずれ「大化け」するのであろうか。先のことはよくわからない。彼らが出世した時に昔の修業時代の一環として、今日の芸がビデオに登場することを密かに期待する。

20数年前にあるスナックで有名な物まね芸人が自分のショーを演じていた。店内はスナックの女の子とお客総勢10人程度であった。女の子たちは大爆笑だったが、お客の反応は今イチだった。芸人の名は「コロッケ」だ。当時彼自身不祥事を起こして、謹慎の身でこんな夜の場末の酒場でどさ回りをする苦難の時期だった。記憶ではお客はセット料金1万円ぐらい払ったと思う。当時も彼は有名であったが、その芸は昔の芸をただ演じるだけで大して面白くなかった。店のママからコロッケのサインをもらったがそんなにうれしくもなかった。

しかし、その後コロッケは芸能界に復帰して見違えるように変身して芸才は至高を極めた。現在ものまね芸人の頂点に立って他を圧倒している。テレビで一人で見ても彼の芸には思わず爆笑してしまうくらいだ。謹慎時代のどさ回りは何か成長の糧になったのだろうか。あの時貰ったサインがどこか紛失してしまった。本当は大事な宝物になったのに。


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