粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

福島復興を拒むもの

2013-12-31 00:14:47 | 福島への思い

敢えていわせてもらうと、ネガティブイメージとそれに伴う風評被害だと思う。たとえば、安倍首相は「福島第一原発の汚染水の影響は完全にブロックされている」と表明している。確かに汚染水が100%海洋に漏れていないとはいえない。しかし、その濃度は極めて低く、そこで取れた海産物の多くはセシウム不検出であり、検出されても食品基準を大幅に下回っている。したがって「影響」は完全にブロックされており、首相の言葉は正しい。

しかし、いまだにこの汚染水のネガティブイメージが先行しているため、福島の漁業は風評被害が苦しんでいる。消費者にも問題があるが、敢えて汚染水を誇張してキャンペーンを張るマスコミや学者、ジャーナリストの責任は大きい。市民活動家でも福島県外はともかく、県内の活動家までこの尻馬に乗って汚染水問題をことさら強調するのは非常に許しがたいと思っている。

そして、相変わらず福島の大地は汚染されて住めないと現況を歪曲した福島叩きが後を絶たない。あの山本太郎参議院議員に象徴されるように、二言目には「福島の子どもの命」を錦の旗の如く喧伝する。しかし、現在の福島は旧避難区域はともかく、それ以外の地域は全く問題がないレベルである。以前のブログでも書いた通り、福島の空間線量と実際の被曝には大きな相違があり、せいぜい年間3ミリシーベルト程度の外部被曝に過ぎない。実際はもっと低く他県とは大した差はない。

そして除染基準が年間1ミリシーベルトというのが全く非科学的であり、5ミリ以下に基準を上げるべきだと思う。しかし、「年間1ミリ以上は危険」というネガティブイメージが定着していて、これまた福島の復興を妨げている。これは当然風評被害につながっており、酷いのは県外学生の修学旅行やボランティア活動に異議を唱える反原発活動家がいるのには呆れる。

除染の基準は年間5ミリ以上の場所に限定して、削減された汚染費用を福島帰還の為の費用にすべきだと思う。たとえば旧警戒地域だった福島川内村では村長が村民帰還のために尽力しているのに、いまだ半数近くの村民が戻ってこないという。被曝を心配する人もいるが、一度帰還したら援助が打ち切られるという心配が強いようだ。そういう人に対してこそもっと国や自治体が手当を十分にほど施すべきだと思う。帰還者は増えて元の状況に戻ることが何よりの復興であり、風評被害払拭に繋がると思う。

そのためには、今後国の指導力が重要である。東電という一企業に任せておいては一向に埒が開かない。汚染水問題にしても、多核種除去装置ALPSで浄化されたものは政府の責任で海洋に速やかに放出する。トリチウムという放射性物質は残るが、これを水で薄めて基準以下にすれば全く問題がない。これを政府自身が安倍首相あるいは行政責任者がしっかり国民に公言することだ。福島原発といえば、映像としてあの汚染水タンクが映し出される。このタンクが消えることが、福島のネガティブイメージを相当減らせると思う。

さらには、除染基準も政府によって「5ミリ基準」を新たに宣言して、帰還を促す努力を政府が率先して行うべきだ。自治体によっては住民全員での帰還を決めているところもあるようだが、一刻でも戻りたいと考えている人々にはできるだけ早く帰還の道をつくって欲しいと思う。来年こそは、福島のネガティブイメージと風評被害が払拭され、帰還が促進される1年であって欲しい。その点安部政権の責任は重く期待も大きい。


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