本日の読売新聞ニュース、少しシリアスな話だが、不謹慎ながらちょっと笑った。
「作ったカレー捨てられ義母を鍋で殴った疑い」
警視庁小金井署は23日、国分寺市北町の主婦の女(33)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。
発表によると、女は同日午前8時20分頃、自宅で、夕食用に作っていたカレーを義母(73)に捨てられたことに腹を立て、「死んでしまえ」と叫びながら義母の首を両手で絞めたり、カレーを作った鍋で複数回頭を殴ったりした疑い。義母が119番し、駆け付けた同署員が女を取り押さえた。義母は頭に全治10日間の軽傷。
すごく分りやすいニュースでその光景が容易に思い浮かぶ。昔から延々と繰り広げれている姑嫁戦争の一端である。嫁の作ったカレーがまずくて姑が捨てた、これに怒った嫁が姑に殴り掛かった。姑は頭を殴られたり首を絞められたりしたが10日間の軽症だった。嫁は「死んでしまえ」と言いながら、どうもさほど本気ではなかった気もする。だから、わざわざ捨てる姑の方に少し意地悪な感じがして多少は嫁に同情したくもなる。
嫁が33歳、姑が73歳となんと40歳の年の差がある。スマホでママ友とラインで交信する嫁と近所のおばあさんたちと立ち話をする姑との底知れぬ世代ギャップを感じる。二人の冷めて乾き切った人間関係を想像してしまうがこれは酷だろうか。ともかく、たかがカレーされど大事なカレーを巡る悲喜劇というべきだろうが、端から見ると失礼ながら苦笑を禁じ得ない。
ことわざに「秋茄子は嫁に食わすな」というのがある。普通は「憎らしい嫁にはおいしい秋茄子を食べさせるのはもったいない」という意味だ。しかし、他に「秋茄子は体を冷やすから、大事な嫁に食べさせるな」とか「茄子は種が少ないので子種ができなくなるから食べさせるな」といった全く対照的な意味になる。
自分には最初の意味の方が姑嫁戦争のリアリティーが感じられてこちらを採りたい。嫁をいたわるというのは少しわざとらしく取ってつけたような感じがする。これも自分の無責任な解釈だが。
今度は嫁がカレーを作るときはおいしい秋茄子をたっぷり具に使ってはどうか。「私は遠慮してカレーだけ食べます。お義母さんはご存分に!」なんてね。「できた嫁」だと思い直す?そんことないか!デザートには年寄りが好きな甘いおまんじゅうがよい。でも葬式まんじゅうは禁物だ。
茄子カレーというとどうも、みじんにしてしまっていましたがね。
「マッサン」のエリーのように夫を待つ姿に「こんな嫁が家で待っていたらそりゃあ夫はうれしいべな」と思うわけで勉強になっています。歌も・・・心を癒やすようですしね。
いまごろ、エリーをいびる相武紗季が絶妙なんてヤフ-ニュースがありましたが遅すぎですよねえ。今や「花子と白蓮」まではいかずともよい仲なのにね。
でもそのくだりに、「相武紗季がマッサンと結婚していたら、泉ピン子とのバトルがすごそう」ってのは、笑えました!!
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141022-00000006-pseven-ent
私の姑はとってもよくできた妻の鑑母の鏡女の鏡なので、すごくありがたい一方、「どうせ私は」ってひがんでしまうことがありです。嫁姑とは永遠にそういうものであるなと将来の自分に言い聞かせております。
NHKの朝ドラはどうも女性の視聴者が多いので敵役に姑や社長令嬢がでてきてドラマを活気づかせる意図が見えます。ただそれも最後は頼もしい理解者になるところがいかにも朝のドラマらしいですね。
ドラマに秋茄子料理は登場するのでしょうか。泉ピン子がおいしそうに食べる場面とか。
それはともかく、本記事で姑嫁関係を他人事のように取り上げていますが、本当は男にも責任はあるとは内心思っています。