粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

朝日新聞のダブルスタンダード

2014-02-21 12:01:13 | 反原発反日メディア

原子力規制委員会の新基準による審査を巡って朝日新聞の二つ社説を読むと、この新聞のご都合主義が露骨に出ている。政府と規制委員会の関係への認識が完全に矛盾している。

2月15日社説「浜岡原発動かしてはならない」で浜岡を動かしてはならない。その再稼働の可否は、規制委の審査の次元を超えている。国全体のリスク管理の一環として、政府が主導して廃炉にしていくべきだ。」としている。

しかし本日2月20日の社説では「原発審査ー経産省発言は筋違いだ」として、「再稼働に前のめりな電力会社や経産省の思惑を排し、科学的・技術的な観点から審査を尽くすのが使命だ。」と主張している。

朝日新聞は浜岡原発は元々危険極まりない原発だから、規制委員会の審査の次元を超えていて「政府主導」で即廃炉にしろと訴えている。しかし、その一方で他の原発について、茂木経産省大臣が「審査の見通しを示すことは事業者が今後の経営を見通す上で有益だ」と規制委員会にその見通しを示すよう促したことには「経産省の思惑を排し」と政府の干渉に反対している。

朝日は「政府がなんとかしろ」と催促する一方、「政府は規制委への干渉は止めろ」と主張している。こういうのを世間ではダブルスタンダードと呼ぶ。早い話が朝日は原発再稼働阻止のために自社にとって有利な動きに対しては盛んに応援し、不利な場合はクレームをつけるということなのだ。だから規制委員会を「科学的・技術的な観点から審査を尽くすのが使命だ」と持ち上げる傍ら「審査の次元を超えている」としてハシゴ外しも平気でする。

結局朝日は「原発許すまじ」が絶対であって、その視点から物事が解釈される。そこには原発は大嫌いだという情緒が先行していて客観的な真実の追求が疎かになる。早い話だ「坊主憎けら袈裟まで憎い」だ。

おっと、もう一つ憎い対象があった。安部内閣だ。安倍首相が「安部叩きが朝日の社是」と国会で公言しても、朝日新聞はなんら反論せず公然と「肯定」した。したがって、安部内閣と原発推進がシンクロされると朝日の憎悪はより激しさを増す。そして今日もこの「情緒新聞」が宅配される。


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