粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

小沢一郎は西郷隆盛の自刃にならうのか

2012-07-03 09:41:55 | 国内政治
小沢一郎元民主党代表の離党に勝算があるのだろうか。とてもありそうに思えない。小沢新党への国民の期待もないし、闘争資金もない、看板もない、ないない尽くしだ。彼には政権交代の功績はあるものの、その後は新政権に抵抗ばかりしている印象がある。
なぜか、明治維新後に政府主流との政権抗争で、袂を分ち野に下った西郷隆盛を思い出す。結局西郷は彼を慕う若い武士を道連れにして、郷里の鹿児島で自刃する。ただ新政府は西郷との戦争に勝利することで、本格的な近代化に邁進していく。結局西郷は自分の首を差し出すことにより明治維新の基盤を固める役割をはたす。
さて小沢一郎である。今の状況をみると、近づく総選挙に勝利する見込みはなさそうだ。それでも彼は「現代版西南戦争」に挑もうとしている。勝算のない戦争に多くの若い1年生議員を巻き添えにして。
しかし、相手方の陣営である野田首相側も大久保利通になり得ない気がする。どうも周囲の反対を振り切って、改革を断行する信念と実行力も大久保と比べると心もとない。野田首相は、反対派のテロで非業の最期を遂げることはないだろう。しかし彼がよく口にする「政治生命」とはそんな軽いものなのだろうか。
それは小沢一郎も西郷隆盛になり得ないのと似ている。西郷は人間的器量の大きさと気高い信条によって現在も偉人の筆頭として尊敬されている。はたして小沢一郎はどうだろうか。新党を結成しても、いつの間にかかつての同志は反目して去っていく。彼の政治的信条もよくわからない。今頃になって原発問題を取り上げたりするのには違和感を覚える。残念ながらとても西郷にはなり得ない。
結局現代には西郷も大久保もいないのか。そして総選挙という名の現代の西南戦争の後も、指導者不在の混迷は続くのだろうか。

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