福島第一原発事故を巡って検察審査会が東電幹部3人を「起訴妥当」とする議決をした。福島の市民団体から出ていた刑事告発を検察が不起訴としたことに対する異議を一部認めたことになる。しかし、刑法罪の対象が「業務上過失致死傷罪」というのには違和感を感じる。元々原告の告発対象は東電幹部以外に政府の原子力関係の担当者や原子力委員会の専門家たちを含んでいたが、今回は東電幹部に絞られた。すなわち、事故で裁かれるべき筆頭は東電そのものだということだ。
しかし、実際は事故が直接の原因(被曝)で死亡した者は現在のところゼロである。確かに事故収拾の過程で東電作業員が6人なくなったが、被曝とは関係なく仕事の過労といった個人的な理由だ。被曝の死者はいない。負傷者も不注意の火傷があった程度だ、
問題は、事故の関連死である。事故で避難する際に病院の痴呆症患者約50人が満足な手当を受けられず亡くなったと言われている。あるいは避難中や避難後のストレスで死んだ人は多い、その数、千数百人ともいわれている。さらには、農業従事者などが産品の出荷制限等で将来を悲観して自ら命を絶った悲劇もあった。確かに東電の事故が引き金になったことは間違いないが事故そのものとは直接関係がない。
したがって、業務上過失致死傷罪が東電に適用されるのには無理があり、むしろ責められるべきは事故後の避難を主導した政府中枢や地方自治体のほうではないか。しかし、こうした緊急時に行政側に刑事罰を法的に科すほどの因果関係を立証することは困難だ。結局、検察側が起訴却下という結論を下したのも致し方ない。
それにもかかわらず、検察審査会が東電幹部に対して「起訴妥当」とした理由がわからない。どうもこれは一部国民に根強い「全ては東電が悪の権化」といった感情論に影響されているのではないか。
もし東電が事故で避難者にストレスを誘発したというなら、他にストレスを増幅させるものはあったといえる。被曝の恐怖を煽りに煽った週刊誌やテレビ、新聞、これらに登場する学者やジャーナリストたちも同罪ではないか。そして敢えて言えば事故の被害を誇大に強調して刑事裁判沙汰に拡大しようという人々もだ。