粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

辺野古の工事に反対する「市民」

2014-08-18 14:41:16 | 沖縄の虚像と実像

先週から、沖縄防衛局による辺野古埋立のための工事が本格的に始動してきた。埋立区域の周辺にブイを先週設置したのに続き、海底のボーリング調査の準備も着々と進んでいる。しかし、メディアはこの動きに反対する市民団体の反対活動を盛んに報道している。

ところでその市民団体の実態はどうなっているのだろう。報道によると陸地側のキャンプシュワブのゲート前には市民団体が連日抗議活動をしている。17日の日曜日100人、本日月曜日も100人と、集結した人員は変わっていない。しかも、全国的に注目される問題に100人というのはあまににも少ない。ということは限定的なほぼ同じメンバーがゲート前を陣取っているといえそうだ。日曜日だからといって数が膨らむということではないようだ。

専門家によって、その構成員の分析は異なっている。ほとんど、県外からの活動家という見方がある一方で大半は沖縄県民だという人もいる。しかし、想像するにどうも一般市民とは異なった「特殊」な人々だと感じが強い。

以前、動画で普天間基地のゲート前で基地反対を叫ぶ人々の様子を映したものを見たことがあるが、多くは官公労の組合員であった。それもすでに退職しているか、閑職をもて余す高齢者が多かった。1日2時間程度3千円程度の手当を受けて抗議活動をしている。門を出入りする米兵に汚い言葉を浴びせたり、基地のフェンスをテープやリボンで汚したりして見苦しかった。地元以外にも本土からの移住民も結構いた。

おそらく、辺野古の場合も多少は年齢的には若いかもしれないが、大方同様の構成ではないか。つまり県内県外関係なく、特定のイデオロギーを持った政治団体であって決して沖縄県民を代表しているとは思えない。

もちろん、一般の沖縄県民が諸手を上げて辺野古への移設に賛成しているとはいえない。しかし、この活動家たちのように「絶対阻止」でもない。ある県民がテレビのインタビューで、「(辺野古移設は)よくはないけど仕方がない」と胸の内を語っていた。思うにこれが大方の県民の本音ではないか。あるジャーナリストが、「沖縄県民は基地問題で疲れているのではないか」と分析していた。

民主党の鳩山内閣以来、普天間基地問題が大きく揺れ動き、特に辺野古移設に反対する声ばかりをメディアでは注目する。オスプレイの沖縄配備も反対の大合唱だ。県内の首長選挙や国政の沖縄選挙区の結果も騒がれる。ここ数年沖縄県民はそんな基地問題に翻弄されてきた。賛成か反対か二者択一を常に迫られる政治状況に沖縄県民が「疲れてしまった」というのは確かかもしれない。

自分も含めて本土の人間はそんな重苦しい政治環境に沖縄県民が置かれていることを理解すべきだろう。決して、本土側の論理で全てを考えては行けない。まして特定のイデオロギーを持ち込むなどもっての他である。確かに現在の国土の防衛には依然として沖縄の基地は重要である。その上で沖縄県民にはその前線として負担をお願いすることになる。その負担の重みを理解すべきだ。