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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

愛のさざなみ

2013-11-15 00:21:39 | 音楽

昨日島倉千代子さんの葬儀が行われた。自分自身彼女の歌では「愛のさざなみ」が特に好きだ。この歌がヒットしたのは1968年、いわゆるGS(グループサウンズ)全盛の時期であった。演歌歌手の彼女にしては唯一と言ってよいほど異彩を放っている。GSっぽいといってもよい。

冒頭の「この世に神様が本当にいるなら、あなたに抱かれて私は死にたい」という歌詞は当時10代前半の自分にとっては刺激的だった。しかし、今改めて聴いてみるとすごく孤独感が曲全体に覆っているような感じがする。

事実、その頃は彼女自身、すれ違いだった短い結婚生活が破局したころだ。家族の反対を押しきっての結婚だったので、当時家族にも見放されてしまったようだ。その後も理不尽な大借金や乳がんなどの病気に見舞われるなど苦難の連続であった。

冒頭の歌詞の後「ああ、湖に小舟がただひとつ」と続く。人生という湖にぽっかり浮かぶ小舟とは彼女自身だったのかもしれない。舟に押し寄せるさざなみは優しかったとはいえない。

ただ多くの人々が彼女の歌を聴いて励まされたことだろう。それこそ愛のさざなみのように、聞く人の心にやさしく押し寄せる。そして心の琴線に強く触れる。さざなみは絶えることなく惜しみなく。

しかし、彼女本人はまるで身を削るようにして歌に人生を捧げた。女性としての幸せさえも犠牲にして。そして今やっと神様にやさしく抱かれて安息を取り戻した。今は天国から愛のさざ波を送り続けている。


君が代変奏曲を

2013-08-10 00:17:30 | 音楽

世界の国歌もいろいろあるが、君が代以外で自分にとって最も印象が強いのはドイツ国歌である。この曲はあの交響曲の父ハイドンが作曲したものである。おそらく、世界で最も有名な作曲家が創った国歌といえる。オーストリアの国歌はモーツアルトの小曲を採用しているといわれるが、偽作説も出ていて彼自身のものかは定かでない。

18世紀末にハイドンは当時の神聖ローマ帝国皇帝をたたえる曲「神よ、皇帝フランツを守り給え」として作曲した。そしてその後継であるオーストリア・ハンガリー帝国の国歌として歌われていく。しかし19世紀後半にドイツ統一が進むにつれていつの間にか歌詞も変わってドイツ国歌になっていった。

20世紀にワイマール共和国で正式のドイツ国歌となり、ナチス時代、さらに西ドイツ、そして統一ドイツへと引き継がれていく。

40年以上前の自分の中学時代、音楽の教科書に喜びの歌とともにこの歌が採用されていた。自分たちの世代では君が代以外では最も有名な国歌だったかもしれない。現在の音楽の教科書にも載っているのだろうか。

ハイドンは、この旋律を後に弦楽四重奏曲の第2楽章に使い美しい変奏曲に仕上げている。そしてこの弦楽四重奏曲は「皇帝」というニックネームで親しまれハイドンの作品でも最も有名な曲の一つになっている。自分もこの曲特に第二楽章が大好きである。

変奏曲といっても旋律自体はさほど変わっていないが、主体になる楽器が次々と変奏とともに変わって色彩も変化しいく。思わずその美しさに引き込まれてしまう。

おそらく、ハイドンのこんな変奏曲があるからこそ、今のドイツ国歌も世界中で愛され親しまれているのではないかと思う。でなければ、オーストリア国歌がいつの間にかドイツ国歌になりナチス時代でも歌われることはなかっただろう。

その点、日本の君が代は曲調そのものは荘厳であるが、もう少し「遊び」が欲しい気がする。以前、忌野清志郎がロック調で歌っていたのを聞いたことがあるが、騒がしいだけであまり良い感じはしなかった。おそらく彼は君が代に対して特別の愛着はなかったようだ

誰かこの君が代をテーマにした楽しい変奏曲を創ってくれないだろうか。モーツアルトが今の日本に現れたなら、華麗で奇抜な即興の変奏曲をつくってしまうだろう。ベートーヴェンなら30以上の変奏をもつ大作に仕上げるかもしれない。曲も最初の原曲と全然違ったものなってしまいそうだ。

おっと!今の日本でも奇想天外の天才ピアニストがいる。ショパンと都はるみを同時に奏でたりするユニークな音楽家HIROSHIである。といっても一発芸のお笑いタレントのことではない。あの鍵盤の魔術師の方だ。彼なら、君が代がモーツアルトの曲に変わったり、めだかの学校、あるいはAKBになったりするのは朝飯前であろう。そうすれば、君が代斉唱に起立でしないお硬い先生も思わず立ち上がってしまうかもしれない。

追記:実際HIROSHIには、「水戸黄門変奏曲」という名前の曲もある。「君が代変奏曲」も娯楽性が高くそれでいて芸術的なものになりそうな気がする。

それは君が代を冒涜しているなどと言う人は、これまた頭が固いと思う。問題は原曲にどれだけ敬意を示しているかに尽きるのではないか。


スマップとモーツアルト

2013-07-15 13:28:11 | 音楽

あの人気グループ、スマップのデビュー年をすぐに答えられる人は、よほどファンでなければ少ないだろう。何しろ彼らのデビュー曲は、最高位2位で15万枚しか売れなかったからだ。

ジャニーズ事務所の多くの人気グループが皆鳴り物入りの華々しいデビューを飾っているのに、このスマップの場合はいささか地味だ。

デビュー曲Can't Stop!! -LOVING- 。自分自身スマップのデビューは1991年」と自信をもっていえる。1991年は実は作曲家モーツアルト(1756~1791)の没後200年に当たり、当時結構、世間的にも話題にはなった。当然クラシックの世界では日本でも盛んにモーツアルトの曲が演奏された。モーツアルト一色といってもよかった。

そこでこのスマップとモーツアルトの関係だが、その心は「きらきら星」である。スマップのデビュー曲Can't Stop!! -LOVING-は、イントロがきらきら星のメロディで始まり、曲の後半でも再び登場する。歌詞の中でも「きらきら光る」といったきらきら星の歌詞がそのまま使われている。

実はモーツアルトの曲には「きらきら星変奏曲」K.265)いう有名なピアノ曲がある。しかし、これはモーツアルト自身のオリジナル曲(原曲)ではない。モーツアルトがフランスのパリ滞在中に、当時地元で流行ったシャンソンを編曲したものだ。ただ大作曲家の編曲ということでいつの間にかモーツアルト作曲のように流布していった。

そしてモーツアルト没後200年という1991年。この年のデビューを意識してスマップの曲がプロデュース(きらきら星風に)されたことは間違いない。しかし、その狙いは商業的にみて芳しいものではなかった。リーダーの中居正広が「俺たちのデビューの頃はライブやっても空席が目立った」と当時を苦々しく回想していた。事実この曲がデビュー曲だと知っている人はコアなスマップファン以外少ないだろう。スマップとモーツアルトのコラボもかりそめの出会いに終わってしまった。。

しかし、スマップは「世界に一つだけの花」を始めとしてメガヒットを飛ばすジャーニーズ事務所いや日本を代表するアーチストであることは誰もが認めるところだろう。ただモーツアルトファンのひとりとしては、いつか大作曲家の名曲を再びコラボしてほしいと無理なお願いをしたくなる。


サザンの復活なるか

2013-07-09 00:02:51 | 音楽

サザンオールスターズがこの夏5年ぶりに再結成するという。もうそんなに年月が流れたのかと驚く。思えば自分はそれ以前からサザンに興味を失っていたような気がする。

桑田佳祐の軽妙洒脱ともいうべき都会的なボーカル。時に英語のフレーズを巧みに交えてまるで外国人がのような歌唱法、しかし曲自体がセンスが抜群で自然な感じで聞こえて心地よい。歌詞も時に遊んでいるという感じのものがあるが、鋭い言語感覚を持ち合わせている、正に天才的ともいえるほどにこの世界では卓越した存在だ。

しかし、それにも関わらず最近なぜかサザンの曲を聞く気にならない。ある面自分自身、老けたのかもしれない。なぜか、彼の外人口調の歌唱法についていけない。曲の内容自体も違和感を覚える。時代感覚の違いともいえるのだろうか。

今はできれば「しっかり日本語が響く歌」を聞きたいと思う。もちろんサザンの歌が日本語として邪道というつもりはない。ひとつの歌唱法として成立はしていると思うが、生理的に受け入れなくなってきているのだ。老けるということは、曲に対する柔軟性が衰えるということなのか。

ところでサザンにとっての不幸は「TSUNAMI」という彼らの最大のヒット曲が現在テレビなどのメディアでなかなか流れないことだろう。オリコン史上でも第3位に相当するメガヒット曲だが、東日本大震災の後遺症を引きずっている感じがする。おそらくサザンの曲としてまず一般にまず思い浮かべる曲であるし、自分自身同様にかけがえのない愛唱歌である。

再結成されたサザンが5年のブランクからどう生まれ変わっているか。これまでとはまた違う新鮮な楽曲を提供してくれるのか。それとも時代感覚の違いを改めて感じてしまうか。そしてTSUNAMIが再び歌われるか。


涙そうそう

2013-06-22 16:28:57 | 音楽

たまにはブログで自分の好きな歌謡曲のことを書いてみたい。よくカラオケで歌うのは、この「涙そうそう」だ。作詞の森山良子や作曲のBEGINがそれぞれ歌ったものも素敵だが、やはり夏川りみの歌が一番いい。歌に華がある。森山良子に華がないとことでない、失礼!夏川の透明感があって情熱がほとばしる歌唱がストレートに伝わってくる。

これは亡くなった兄に想いを寄せる森山良子本人の心情を歌った曲という。「夕暮れに見上げる空、心いっぱいあなた探す」そんなピュアな気持ちでいたいものだ。「あなたの場所から私が見えたらきっといつか会えると信じ生きていく。」

しかし、そうは思っても、どうしようもなく自分の気持ちを抑えられない。「会いたくて会いたくて君への思い涙そうそう」希望と切なさが複雑に交錯する。素朴な三線の響きが無性に心を掻きむしる。

「涙そうそう」は、聞くたびに新たな感慨が生まれてくる。やはり今後もずっと歌い継がれる名曲であることは間違いない。自分自身拙い解説などどうでもいい。心静かに曲に浸るだけだ。