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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

現代アイドル考

2014-02-09 15:53:34 | 音楽

もはや還暦にもなろうとする小生が無謀にも最近ヤング(これも古いか?)に人気の女性アイドルグループ5組について動画を聴き比べて考察することを思い立った。

なんでこんな親父が場違いの記事を書くのかとお叱りを受けるかもしれない。まあ、そこはこうしたアイドルとは無縁で対極にある世代の視点で眺めるのも悪くはない、そんな勝手な動機なので悪しからず。

ももいろクローバーzAKB48きゃりーぱみゅぱみゅモーニング娘。、Perfume。迂闊であった。きゃりーぱみゅぱみゅはグループでなく個人名であることを知らなかった。最近21歳になったばかりの日本人女性だ。それほどに自分自身こうしたジャンルにはド素人である。

まず聴き比べて大雑把に見て「カワイイ系」と「セクシー系」「テクノ系」の3つに分別されると考える。さらに「カワイイ系」はその色合いとか性格が違う。自分自身の独断と偏見でいくつかの項目にわけて表にしてみた。



まず「カワイイ系」であるが、ファン層の違いで全くその意味合いも違ってくる。AKB48とももいろクローバーzは男性ファンの性を刺激するものに対して、きゃりーぱみゅぱみゅは女性自身のカワイイ願望に応えるものだからだ。

まずももいろクローバーzの方は、男性から見るとまだ大人になりきっていない女の子を守ってあげたい、そんな気持ちにさせるかわいさである。一方でそんな娘にあこがれる純な男子の心に訴えるものといってよい。同時にファンは路上や電機店でのライブに励むグループのひたむきさに癒しを感じる。

あの7年161億円の契約でヤンキースに移籍することになったマー君がこのグループのファンで、記者会見ではももクロのDVDをニューヨークまでもっていきたいと答えていた。きっと過酷なメジャーでは最上の「癒し」となって、まい夫人とともに彼を支えてくれるだろう。ただ、このグループが年齢を重ねていった時にファンがどう反応するか、あるいは彼女らが方向性をどう考えるか、いずれ転換期が訪れると思う。

次にAKB48だが、これははっきりいって「オタク」とよんでいいだろう。幅広い男性ファンのセーラー服風趣味だ。56歳の森永卓郎がファンというのもうなずける。同じ髪型で超ミニの女子高校生風の姿であたかも着せ替え人形のように踊る。しかし、そこは計算し尽くされた人工的な可愛さが演出される。都会の女子高生で少し大人を迷わす雰囲気を醸し出す。本人たちもそれになりきりながらも自己主張している。

秋元康が考案した「総選挙」は戦略的にはかなり成功している。「盛り」を過ぎてとても女子高生には見えないメンバーは下克上の波にさらわれて「卒業」していく。そんな戦.国でも彼女たちはたくましく生き抜いている。その殺伐さも厭わず逆に楽しんでいるところは正直にすごいと思う。

そしてきゃりーぱみゅぱみゅだ。不思議な女の子だ。その独特なファッションは「青文字系」というようだ。雑誌から出た言葉だが、そのファッションは「男性に媚びないガーリーでカジュアルなファッション」とされ、渋谷より原宿系で「アパレル、ヘアメイク、デザイン系の専門学校生や卒業生といったクリエイティブ指向の高く、異性の目を気にせず自分が良いと思ったものをファッションに取り入れる、10代後半から20代前の支持層が中心」という。「男に媚びない」というのがポイントで彼女の華麗でサイケながらも女の性を主張し楽しんでいる姿にそれが伺える。

そして、どこか無国籍でボーダレスだ。それが彼女の音楽にも反映されている。今後の展開によっては「大化け」する可能性もある。ある種カリスマアイドルとして。日本政府がクールジャパンの一環として日本の「kawaii」文化を輸出したいと考えているようだ。男に媚びた可愛さは日本独自でなかなか海外ではあまり受け入れないが、彼女のこうした音楽性は結構広く共鳴しそうな可能性がある。

話題を「セクシー系」に移したい。モーニング娘。であるが、久しぶりに彼女たちの音楽を動画で見た。といってもこのグループは度々メンバーが入れ替わっているのだが、一時人気があった頃と比べると随分洗練されてプロフェッショナルになったという印象がある。歌唱もダンスも進化していて、どこか韓国のkaraや少女時代を彷彿される。Kpopに見られる躍動的で隙のないダンスとそれに充分カバーする歌唱力を備えつつある。

そして可愛さだけに頼らず本来もつ女のセクシーさで勝負しようという主張が見られる。これは、プロデューサーつんくによる「差別化」の一端なのだろうか。AKB48と同じ土俵で対抗しても仕方がないというコンセプトだ。この方向性は間違いではないと思う。だから、今のメンバーを安易に「卒業」させてはいけない。さらに磨きを掛けてプロのアイドル集団に育てて欲しい。

最後は「テクノ系」Perfumeだ。なんと2000年のグループだからすでにキャリアは14年になろうとしている。当初は地元広島の限定アイドルとして活躍していたが、3年後東京に進出しさらに2年がメジャーデビューしてからその音楽志向はプロデューサーの音楽家によって全く性格が一変した。いわゆるテクノポップといわれるものでコンッピューターグラフィック(CG)を駆使した近未来志向の音楽だ。

わかりやすくいえば現在バーチャルアイドルとして一世を風靡している「初音ミク」の世界である。そのためには3人の声を「エフェクト(加工、操作)」することも厭わない。当初ライブの音声がCDとかなり違っているのを避けるために彼女たちに「口パク」を強要したこともあったようだ。それに最初3人は馴染めず悩んだという。あるいは、レコード会社からは「アイドルにしてはカッコが良過ぎる」ともいわれたともいう。アイドルとしての生身の人間くささがないということだ。

しかし、結果的には彼女たちもプロデュサーの戦略を受け入れ、そうしたテクノアイドルになりきろうとしている。当然ファッションもダンスもこうしたCGを最大限生かした魅力を誇示している。このテクノ路線は今後のコンピューター技術の発展によってさらに深化していくものと思う。ただ生身の彼女たちがこの深化にいつまで耐えられるのかは未知数だ。

以上、最近のアイドルについて長々と論じてきた。ただ、どうも現在アイドルが時代を席巻しているとはとてもいいがたい。80年代に松田聖子、中森明菜、小泉今日子といった百花繚乱、多士済々の全盛時代とはやはり見劣りする。可愛さ、セクシーといった限定されたカテゴリーにとらわれない異形のアイドルがもっと出現して欲しいと思う。

分類でアイドルに似合う街を敢えて挙げてみたが、もっと色々な場所があっていい。新宿、池袋、横浜、千葉、さいたまなどが似合うアイドルはどうか。最近注目しているのは東京スカイツリーやまもなく開業する大阪あべのハルカスを拠点にしたグループだ。特に東京スカイツリーがある東京下町は当地押上にあやかってOSHIAGEシスターズなんてのはどうだろうか。たとえばお笑いタレントはなわプロデュースで野性味のある男装グループなんていうのもおもしろい。

ただ、やはりもはや初老にならんとする自分にはこうしたアイドルは一時の清涼剤にはなるだろうが、日常的に聴くには元気や癒しにはなりえない。どうしても大人の魅力をもったプロの歌手が欲しい。残念ながら今の音楽界はこうしたロートル世代の欲求に応えてくれる余裕は今イチなさそうだ。演歌もいいが、どうしても類型的で嗜好が限定されてしまう気がする。今後こうした世代が人口的にも増えていくといえるのでその辺りの新戦略を音楽界に期待したい。


曲に罪はない

2014-02-07 16:06:47 | 音楽

今回発覚した佐村河内氏のスキャンダル。本当に罪作りな話だ。ただ率直にいって創られた曲に罪はないと思う。

フィギュアスケーターの高橋大輔選手がショートプログラムに佐村河内氏「作曲」の「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使用ている。そのシーンを動画で見たが非常に素晴らしい曲で、高橋選手の演技がこれに完璧にマッチしていていた。アナウンサーが「プロスケーターのプライドがみえた」「スケート人生の凝縮」「圧巻」などと最大の賛辞を送っていたが、決して大袈裟ではないと思う。そしてこの曲が高橋選手がこの時までの苦難に耐え自分を昇華していった歩みを如実に表現しているようにみえた。

この曲は、義手でヴァイオリンを演奏する少女を佐村河内氏がテレビで見て、彼からコンタクトをとって彼女のために「作曲」したのだという。佐村河内氏ともう一人の主役である新垣氏との間にこの曲を巡りどういうやりとりがあったのかは本人同士しかわからない。ただこの曲の素晴らしさを思うと、今日露呈した下世話のやりとりではなく、真に芸術的な創作過程があったと信じたい。

少女の父親は、佐村河内氏への怒りを露にしている反面、「娘は、佐村河内氏から格別の厚遇を受け、素晴らしい曲を献呈いただいたり、コンサートに出演させていただくなど、様々な恩恵を授かりましたので、それに関しては大変感謝しております」と謝意も表明している。

曲には罪はない。一つの芸術作品として一人歩きして欲しいと願う。高橋選手も今回のソチ五輪フィギュアスケートのショートプログラムにこの曲を使用せざるを得ないのは非常に複雑な気持ちかもしれない。しかし、そこはこんな世俗の下世話は封印して純粋に美を奏でる音楽として彼の演技を包み込んで欲しい。


リチャード・クレイダーマン「レデイー・ディー」

2014-01-11 20:31:00 | 音楽

自分自身、結構乗りのいい曲が好きだ。リチャード・クレイダーマンの楽曲には「渚のアデリーヌ」や「星のセレナーデ」などしっとりしたロマンチックな曲が多く、自分の好きでよく聴くが、この「レデイー・ディー」は軽快で思わずスウィングしたくなって楽しい。何かこれから始めようという時にぴったりの曲だ。

クレーダーマンはフランス生まれでもう60の還暦を迎えた。「ピアノの貴公子」の異名があるほど、甘いマスクと華麗なピアノ演奏で日本でも幅広い女性層に人気がある。

この「レデイー・ディー」はイギリス元皇太子妃ダイアナをイメージした曲のようで、彼女の前でもしばしば演奏された。しかし、この軽快な曲も今や故人への追悼曲になってしまったのは悲しい。

彼女の息子とその公妃の間に昨年男児が誕生した。ダイアナにとっては孫にあたるが、彼女が今も存命していれば53歳だ。優しく孫を抱きかかえて微笑むダイアナが自然と想像される。あの「レデイー・ディー」のピアノ演奏のように、煌めいた彼女の瞳とともに。


ピアノと管楽器のための五重奏曲

2013-12-20 21:44:26 | 音楽

自分の勝手で恐縮だが、たまには好きな音楽について書いてみたい。モーツアルトの隠れた名曲の一つに「ピアノと管楽器のための五重奏曲(K.452)」という長たらしいタイトルの曲がある。ピアノと四つの管楽器オーボエ、クラリネット、ホルン、ファッゴットによる五重奏曲だ。

このうち管楽器四つは、クラシック音楽の基本ともいえる楽器で、それぞれが独特の音色と味わいがある。どこか鼻にかかって鮮明で澄んだ響きのオーボエ、人間の秘めた感情が伝わってくるクラリネット、心からの叫びのようなホルン、とぼけた感じがあって親しみやすいファゴット。そして、旋律、リズム、ハーモニーが明快なピアノがこれら管楽器をリードしていく。

とはいっても、ピアノを含めた全ての楽器がそれぞれ独奏部分を与えられていて、全てが主役、ソロになりうるし、また他楽器を引き立てる脇役、オーケストラにもなる。

この曲が初演されたときモーツアルトはピアノを演奏しているが、他の管楽器奏者は皆日頃親しい仲間同士であり。それぞれが当時その楽器の名手であった。この曲を聴くと当時のモーツアルトの親密な交遊を思い出される。お互いを尊重しあい、音楽を通じて深い絆で繋がっている。

この曲が創られたのはモーツアルトが28歳(享年35歳)の時であったが、彼が父に宛てた手紙には「私自身これまでの作品の中で、この曲を最高のものだと思います」とまで書いている。まさに自信作、名曲と言える。

35年の短い音楽家の人生で晩年は借金苦で不遇な最期を迎えたモーツアルトであったが、この当時は音楽の都ウィーンで彼の音楽が愛され絶頂期であったといえる。その後は彼の芸術性がさらに深化して時代を飛び越えていく。

そんな幸せな時代の傑作で全体的に明るさに満ちているが、モーツアルト特有の寂しさが感じられる。それが単に楽しいだけでなく、何か心の琴線に深く触れて離さない。美しい天上と現世の哀しみが交錯する天才の音楽といえる。


ザ・タイガース再結成

2013-12-05 15:36:04 | 音楽

こんなニュースに反応するのは、50歳代後半から60歳代の世代だろう。1960年代一世を風靡したグループサウンズという音楽旋風の代表格だ。しかし、このザ・タイガースを始めとしたエレキバンドの全盛時代は数年程度で終わってしまった。まさに一瞬の栄光だった。

ザ・タイガースのメンバーのうち一番人気のボーカル、沢田研二(ジュリー)はその後、ソロ歌手として歌謡界で次々ヒット曲を飛ばす日本の代表的歌手になった。反面、その次に人気のあったドラムの瞳みのる(ピー)はなぜか慶応高校の国語教師になって芸能界とは無縁の人生を送り、途中他のメンバーからの再結成の誘いを頑に拒み続けた。

しかし、そのピーも退職時期を迎えて心境の変化があったのだろう。この度、44年ぶりの再結成が実現した。全盛時代、彼らはまさにアイドルであった。女の子たちも熱狂したが、巷の男子たちも憧れてエレキに興じたものだ。それが今のジャニーズ系のアイドルとは違う。報道によれば短期間の再結成で終わるようだ。その活動を是非とも一目見てみたいものだ。

沢田研二と言えば、山本太郎現参議院議員が昨年衆議院選挙で東京の小選挙区に出馬した時に、山本現議員の応援演説をしていたのを思い出す。往年のヒット歌手もその姿は老いをもはや隠せなかった。「昔ジュリー、今はジジー」と自嘲していたが、ずっとファンだった自分には見るに忍びなかった。こんな山本シンパに落ちぶれて?しまったのかと。

ザ・タイガースは、そんな世俗の喧噪から離れて純粋に音楽の世界で最後の輝きを魅せて欲しい。あのアイソンすい星のように一瞬の煌めきに終わったとしても。